「裏」:限界を超えること
ここはダイゴの別荘地下。そう、つまりは秘密基地と言っても良いのか……まあ、あの場所である。
カンナはケンからニューラのボールを受け取り、ダイゴに言われていた通りに指摘された部屋へと向かっていた。
『まったく、あいつはなんであんなに頭良いのか……。むかつく』
そんな私怨を込めながらカンナは部屋へと入る。
ダイゴが指摘した部屋というのはケンやアンズ達の部屋がある居住区ではなく、ゲームセンターへと続く扉のある方向でもなく、残されたもう一つの扉の向こう……言うならば会議室らしき場所である。
「きたわよ……って、もう全員集まってんじゃない」
カンナから見えるのはここにいるほかの面々。ダイゴから始まり、ミツル、マサキ、サトシ、カスミ、エリカ、そしてナツメ。
「よし、これで全員集まったな。カンナ、ちゃんとケンとアンズに出かけるように言ったか?」
ダイゴはカンナと視線を合わせて、カンナはダイゴにボールを投げ渡して「ええ」と返す。
「そうか」
と言いながらボールを受け取ったダイゴはそのボールをマサキへと手渡す。
「ほいな〜」
ニューラの入ったモンスターボールを受け取りながらマサキはそこに設けられている多規模なコンピューターを操作して、特殊な円形の台にボールを置く。
「それじゃ始めるか。まずはケンについてだ」
ダイゴは会議室に設けられているモニターにケンのプロフィールを上げる。それはミツルがケンから得た情報や彼自身がケンを調べたものをまとめたものであった。
「あいつのトレーナーとしての能力は俺達と一緒だ。素質がある」
素質……それはポケモンバトルにおいて他者を圧倒し、上に立ち他の面々を先導できる器をもつということである。その素質はジムリーダー、四天王、そしてチャンピオンの誰にでもいかなる形であれ存在する。
そしてここにいる者達はその素質をもちろん持っている。
「だがケンのポケモン……まあ、キュウコンを除いてだが、はケンについていけない」
ダイゴが話しているのはポケモン達の限界について。
「そうですね。もともとポケモン自体、トレーナーの指示以外ではあんなに多様なバトルはしませんからね」
エリカが頬に手を当てて、そう告げる。
そう、ポケモンとは本来自然界に住んでいる。彼らにとって所有している技というものは、必要な時以外には用いたりはしないのだ。自身の危機が迫った時、餌や食料を調達する時、移動手段、縄張り争い、しつけなどといった事態にしか技を使ったりはしない生命体なのだ。
それを人間がポケモンを捕まえる能力を得たことで、ポケモンバトルが生まれてポケモンはその潜在能力を更に引き出せるようになった。
「その通りだ。ケンの思い通りのバトルをこのニューラがする為にはマニューラに進化させる……あるいは」
パチン、とダイゴが指を鳴らしてマサキはそれを合図にボールからニューラを出す。
閃光と共にその場へと召喚されたニューラは自分の周りを取り囲む面々にびっくりして、自分の主人の姿を探す。しかし、ケンはこの場にいない。
ダイゴはそんなニューラの様子を気にすることなく続ける。
「自分をマニューラだと思い込ませる」
ニューラが抱えている事情……それは自身の能力が限界であり、ケンの思うどおりの更に高度な戦法がなせないということである。それを解決する為にはニューラが更なる能力を得る為に進化することが最善。
しかしケンにニューラを進化させる気はないし、それはニューラがそう思っているからこそケンもしないのだろう。
「にゅらっ?」
己という壁を超える為には犠牲がつきものなのは世の常だろう。更なる力、更なる知というのは何かを犠牲にしてこそ与えられる。
つまりダイゴはニューラに暗示をかけ、ニューラ自身を犠牲にして更なる身体能力を身に着けさせようというのだ。もともと進化するという潜在能力を秘めているのであれば、それを無理やり引き出すことも可能なのだろう。
「でもそれじゃ、ニューラは……」
そしてこの案の行きつく先をカスミは知っているのだろう、あまり乗り気はしないような声を出す。
「わかってるさ。俺もこんな手は使いたくはないが、ケンは俺達に必要な人材だ。だからニューラ自身に決めさせる……進化するのか、それとも限界を超えるのか」
ダイゴの言っていることを、ニューラは空気を読んで理解していた。自分の主人がおらず、そしてこの場にいるのは主人を上回る実力者たち。その中で彼らの会話はニューラにとって驚愕でありながらも、しかし決断が迫られている。
自分の能力が限界に至っているせいで主人が思うどおりのバトルができていない……でも進化しないことは主人であるケンと昔誓い合った。だったら選択しは一つしか残されていない、主人ケンの為に自分は更に上を行く。行かなきゃダメなんだと。
「ニュラっ!」
ニューラの決意がこもった言葉に、ナツメは反応する。
「……壁を超えるそうです」
普段から無口なナツメ。彼女は無表情であるが、それゆえに他人やポケモンの言葉や感情に敏感になった。だからこそニューラの決意をこの中で誰よりも確実に捉えたのだ。
「そうか、ならナツメ頼むぞ」
「はい。スリーパー」
ダイゴの指示でナツメはスリーパーを出す。
ニューラはスリーパーへと振り向き、堂々と座り込む。こっちの準備はできている、とでも言ってるかのように。
「ニューラ、わかってるの? 君がそこまですることは、結果的にケンくんを……君の主人を悲しませることになることを」
今度はサトシがニューラ本人へと聞く。
この年にして世界の頂点へと上り詰めたサトシにはわかるのだろう。この行為がニューラの寿命を縮め、それがトレーナーの知らぬところで行われるということが結果的にどういった結末を招くのかを。
それでも―――
「ニュララ!」
ニューラの決意は固かった。
「っ……そうか。君は良い主人を持ってるんだね」
サトシはニューラの決意を汲み、そして最後には微笑んでニューラの頭を撫でてやる。その表情にはサトシ自身が思い入れがあるのだろう。自分の相棒であるピカチュウもニューラと同じように決断したときがあったことを思い出しているのかもしれない。
ニューラはサトシの手を受け入れ、そしてスリーパーを見上げる。
「スリーパー、お願い」
スリーパーはナツメに従い、ゆっくりとその手に持つコインを左右に振り始める。
振り子が大きく揺れ始めたかと思うと、急にニューラの両目がとろんとして瞼が半開きになる。
スリーパーがかけている暗示は、ニューラの潜在意識に自身がマニューラと同じ身体能力を持っていると錯覚させること。しかし、その事態にニューラは気付かず自分はマニューラ並みのニューラであるという自己意識を持たせるという極めて高度なもの。
これを人間で例えるなら、凡庸な者に自分はとあるボクサー並みの反射神経を持っていることを自覚させながらも自身は凡庸であると思わせることと同じだ。
それは自身の能力が昔と何ら変わりはないのだという、自分の変化を自分に気付かせないといった思考回路にプロテクトをかける必要がある。
それを見事にナツメのスリーパーは成し遂げたのだ。
「ありがとう、スリーパー」
ケンのニューラは深い眠りに陥っており、マサキはニューラの足首にとあるアイテムを装着し、ボールへと戻した。
「まあ、しかしなんやな〜。わい達はこげなことまでせんとあかんねんな」
「そうですね……」
マサキがそうぼやき、ミツルも賛同する。
「仕方がないわよ。それが、私達が選んだ道なんだもの」
カンナはそう言い切り、ダイゴも声を大にして告げる。
「その通りだ。俺達が行くのは修羅の道……その先の栄光を得る為には、身を削らなきゃならない。その覚悟はお前達全員にあるだろ?」
それはこの中のリーダーとしての資質を遺憾なく表す文句としては十分だった。
無言で首を縦に振り頷く面々。
「そんじゃ今日の一大イベントを拝むとしよか〜」
そう言いながらマサキがコンピューターのキーボードを操って、ケンが映っていたモニターを別の画面へと切り替える。
現れるのはケンとアンズが向かった宇宙センター……まさしくもうすぐ打ちあげられようとしている衛星ロケットである。
「こげなもんつくっとーなんて、抜け目がないの〜ロケット団っちゅー連中は」
マサキは一科学者としてだけでなく、様々な博士号をも取得している。いわばダイゴが引き抜いたエンジニアである。
以前マサキはダイゴからある依頼を請け負ったことがあるらしいが、まさかそれがこんな大掛かりな作戦に関与しているとは思っていなかったらしい。
「そうですね、携わってた人には悪いですけど……あれを打ち上げさせるわけにはいきませんからね」
「ああ。第一フェイズのうち、あの船艦の造船を阻止することは失敗したがこいつはなんとかなった」
そう、ダイゴ達が果たさなければなかった任務は二つ。ロケット団の新しい船と衛星の製造を阻止すること。前者はもともとにターゲットが大きく、一人や二人の力ではどうこうできなかった……しかし、衛星はそれ自体が複雑かつ繊細。つまり船よりは壊しやすいというのがあったのだ。
「でも、良くあんなものに仕掛けられたわね」
カンナが感心したような、はたまた呆れたような声で言う。
「だからこそマサキに頼んでおいたんだ。ま、本人も知らなかったみたいだけどな」
「ほんまですわ。ダイゴはんからあんな依頼来てもうて、どうするんかわからんかったさかいな」
マサキは苦笑いを含めつつ、「お、そろそろやで」とモニターの方へと首を回す。
それと同時にダイゴは自分のポケッチを取り出して、ケンへと電波を飛ばす。
「ケンか?」
モニター一杯に広がるのは打ち上げの模様を伝える生中継のもの。
まるでタイミングを計るようにして、ダイゴは話を続ける。
「ああ、知ったか。気にするな。それよりも、ちゃんと見ておけよ」
ダイゴはケンが衛星がロケット団のものだと知ったことを察し、口調を強くして言う。
「勿論、打ち上げをだ」
そしてカウントダウンがはじまり、いざ打ち上げというときに発射台を巻き込んだ大規模な爆発が報道される。
「ひゅ〜、豪快豪快」
カンナは口笛と共にそうちゃらけ、
「あらまあ」
と、抑揚のない声でエリカは呟く。
「……」
無言でモニターを眺めるナツメとは対照的にカスミとミツルは大きく目を見開いて「うわっ」と声を上げる。
サトシはその模様を見ながらダイゴの方を直視し、そんなダイゴはサトシの視線を感じて不敵な笑みを浮かべる。
ダイゴはポケッチを離して、マイクの部分を手で覆ってサトシに言葉を向ける。
「悪いがサトシくん……これが俺達のやり方だ」
「いえ、今更どうこう言う気はありませんよ。それにここにはカスミがいますし、彼女が望む世界を取り戻すのが僕のやらなければならないことですから」
サトシの決意にダイゴは感心したように口を丸く開けて、
「ひゅー、そうか。それでいい」
ダイゴは納得いったような表情で、再度ポケッチを耳元へとやる。
「ああ。お前達には悪いが事態が治まるまではそこにいてくれ」
ケンとアンズから少しでも疑いのかけられることのないよう注意しておいて、ダイゴの視界にケンのボールが目に留まる。
「心配するな。ああ、それとニューラの件はどうにかなったから安心しろ」
ダイゴを見る他の視線が若干罪悪感を帯びるのを感じつつも、ダイゴは続ける。
「ああ、アンズを頼むな」
そう言って、通信を切る。
「さ、そんじゃ後の時間はあいつらの自由にさせるとするか。マサキ、頼む」
「了解」
ダイゴは会議室の大テーブルに両手を置いて、俯かせていた顔を上げて全員の視線を集める。
「これより第二フェイズの内容を説明する」