V:さあ、どうぞお嬢様
俺は自室で訳の分からん胸の高鳴りを感じていた。
デート? そりゃ、聞きなれてる単語ではある。したことだってあるさ。でも、それは形式的なものだったし……。それに相手のことは別段そういう意味で意識したことはなかったからな。
しかし……アンズと、デート?
彼女がジムリーダーである以前に、アンズという異性に俺は少なからず惹かれているのだろう。じゃなきゃ、こんなに変な気分になったりはしないはずだ。
いや、待て、これはデートじゃなくて町探索であって、デートじゃなくて……えぇい!
俺はバトルの練習やトレーニングの時に着ていたラフな服装を脱ぎ、シャワーを浴びる。バトルの時にかいた汗を湯で洗い落しながら、全身を拭いて鞄の中の私服へと着替える。まあ、ハナダにいたころはこれでもお洒落には気をかけていたからな……人を不快に思わせない程度の身だしなみはできているつもりだ。
鏡の前で髪を少し整えて軽くスプレーを吹きかけ、シャツの重ね着の上からジャケットを羽織る。ズボンはカーゴにし、ベルトを締める。靴は、まあブーツじゃなくてもいいだろってブーツは家だったな。それにアクセも……。俺はポケットに入れて脱ぎ去ってしまったズボンからカンナさんからもらった鋭い爪でできたネックレスを取り出して首にかける。
デオドラントを忘れずに、俺はポケギアの時計を見る。
部屋に戻ってから30分か……。アンズの方もそろそろか?
俺は部屋を出て廊下でアンズの扉の前で待つことにする。今の俺の手持ちはキュウコンとケーシィのみ。カンナさんに預けているとはいえ、やっぱりニューラのことは気になる。
それにしても、日中に俺達が入ってきた場所から出たら目立つんじゃないのか? そんな風に思っていたら、アンズの部屋の扉が開く。
「あ、ケンくん、ごめんね!」
俺の目の前にいる少女は俺の知っているアンズではなかった。髪をオールバックで結び、くのいちのような格好ではなかったからだ。
髪を前に下ろして左右に分け、可愛らしいワンピースと黒タイツに身を包んだ彼女にもはやジムリーダーとしての風格は皆無だ。それに何だよそのヘアピンは……可愛すぎるだろっ! 向かって右側で髪を留めているヘアピンは紅朱の漆だろうか、なにやらエンジュ風味を醸し出しているものであるが妙にアンズにマッチしている。
肩にかかる程の髪が、彼女が慌てながら俺のもとへと駆け寄ってくる時にさらさらと揺れる。ちょっとだけファーが襟元についた白のジャケットが彼女の少女らしさを余計に引き立たせている。
「ま、待った……?」
見ることのなかったアンズの女らしさ。おいおい、待てよなんだよこのギャップ!!
俺を見上げて、俺を待たせたことに対しての罪悪感から両瞳をうるうるとさせている。
「い、いや……俺もさっき支度終わったとこだから」
「ほんと!? あ〜、良かった〜」
ほっと胸をなでおろす彼女を目下に置きながら、俺は妙に安心する。そんな感情に陥る。
「それにしても、早かったな」
「え? えへへ、そ、そうかなぁ……?」
前髪をいじりながら照れ笑いする彼女に、あ、くそ、やべぇ……。
なんで、俺がアンズに惹かれるのか? それはわからなかった。
スクールにいる奴らも可愛い女子はいたはいた。でも、なんでこんなに。くそっ、頭の中をいろいろと巡ってきやがる。
「それよりケンくんも、格好いいよ」
「そ、そうか? そ、それよりも、どうやってここから出るんだ?」
生憎、この居住区には窓がない。そりゃそうだろう……もし窓なんかがあったら海中に潜っている人間にばれてしまうのがオチだ。
てかそもそもに海の中にあるのか? あったにしてもこんな多規模な施設、あるだけでばれるんじゃ……?
「あ、確かダイゴさんが地上に上がる時はトクサネシティのゲームセンター勝手口からって言ってましたよ?」
ゲームセンターの勝手口? そんなとこの方がますます怪しいんじゃ? っていうか、ゲーセンの人にばれるんじゃ?
様々な疑問が浮かんでくるが、ダイゴさんが言うのだから大丈夫なのだろう。
「なんでもダイゴさんのご友人がゲームセンターの店長さんらしいです」
「え?」
いや、なるほど、それなら納得がいく。
あまりきな臭いこを言うつもりはないが、カジノなどやパチンコ店の経営者に一般人はいない。一般人というより、経営において一般人では経営が成り立たないということだ。
「そこから出れば大丈夫みたいだよ? あるいはお客さんの一人として混じって出ればいいみたい」
「へえ〜」
俺達は二人でトレーニングをした部屋へと再度訪れる。カンナさんが作り出していた氷のフィールドはすでに跡形も無く、またもとの真っ白いフィールドになっていた。
「え?」
「ここのフィールドは特別な素材をつかってるんだって。なんだったけな、ほら最近ニュースにも上がってた。えと、えと……」
アンズが必死に思い出そうとしているところを俺は横目で見ながら、俺自身が思い至る。
「ああ、あれか。KAMELEONだったか?」
「そうそう、それだ!」
KAMELEON。まあ、詳しいことはわからないがなんでもカクレオンの特殊な特性を利用してつくられた素材らしく、ポケモンが与えるタイプの技によって素材の質が変わるというものらしい。
つまりさっきのカンナさんが作った氷の檻は、フィールドの一部を氷の質へと変化させた。そしてこの材料の魅力はノーマルの技なら元に戻るということだ。時間性の作用もあったが、そこまで詳しくは覚えてはいない。
実用化がまだされてはなく、俺自身ニュースで見た時どんな用途があるのか不思議でならなかったがなるほどな。確かに今まで協会が公式で用意していた大掛かりなバトルフィールドはこれを使えば経費削減につながるだろう。
一つのフィールドで多種多様なフィールドをポケモンの技で形成できるのだから、新しいバトル様式も生まれるかもしれない。
そんなちょっと専門的な話で盛り上がりながらも、俺達はまたも違う扉を経て地上へと続く階段を上って行く。ちゃんと扉の表示にゲームセンター裏と書かれていた。
「アンズはどっか行きたいとことかあるのか?」
「え? ん〜、トクサネシティのシンボルマークのロケット打ち上げセンターとか?」
人差指を顎に当てて首をかしげるアンズに俺は軽く吹きだす。
「あ、ちょっと!?」
「いや、だってアンズそんなとこ行きたいとか色気無さ過ぎ……」
かーっと耳まで頬を赤く染めるアンズはぽかぽかと俺に殴りかかってくるが俺はどうってことなく受け流す。
「もお、ケンくんなんて知らないっ! そ、それにダイゴさんが行くならそこだって―――!」
「悪い悪い、さ、どうぞお嬢様」
俺は上階へと出るドアを開いてアンズをエスコートする。
アンズは黙ったままドアから出て、俺は後を追う。ガチャっと扉を閉めて、俺が目の前に見るのはダンボールの山積み。
「へえ、道具室か……?」
「そうみたい。でもこれならこっそり出られるね」
暗い部屋にはダンボールや使われていないロッカーが乱雑しているが、不思議と埃などが見受けられない。ダンボールの壁によって作られた隙間を辿り、暗幕をくぐりなんとか外へと出る扉を見つける。
道具室から出て、従業員用の廊下を通って専用の扉を出る。扉扉ばっかだな。
「ありがと」
ま、それでもエスコート精神は忘れないが。
アンズと一緒にゲームセンター内へと出ると、そこにはけたたましい音楽とゲーム音が鳴り響いていた。鼓膜を激しくつんざく特有なあの騒音が煌めくネオン系の蛍光が視聴覚へと訴えかけてくる。
ハナダでも散々友人に付き合ってゲーセンには行ったことがあるが、まあ来たいと思っても無い時にこういうとこは来るもんじゃないな。さすがにキワメさん時の修行で慣れたが。
アンズも我慢してるものの、俯き気味ではある。
「さ、早く出ようぜ」
「うんっ」
俺達はすたすたとアンズと一緒にゲーセンから出て、一息つく。
「ふぅ……。普段あんなとこ行かないからびっくりしちゃった」
「そうなのか?」
ちょっともじもじとしながら、こくりとアンズは頷く。
「お父さんと一緒に修行してたし、お洒落はしたことあるけど外出することはなかったから」
アンズにとって、ジムリーダーの娘、四天王の娘としての重圧は計り知れなかったんだろう。だから同世代の友達などおらず、同世代の者と外出して楽しむなんてことを経験してこなかったんだろう。
だから自室でお洒落して、その小さな鳥籠のなかで懸命にさえずってごまかしてきた。
「今日は思いっきり楽しもうぜ」
「え?」
俺は黙って微笑み、アンズの片手を無言で引っ張って行く。
「あ、ちょっと、ケンくん!?」
「へへっ。まずは宇宙センターだろ?」
俺はこの島町のシンボルともいえる宇宙センターへと二人で向かう。高くそびえる建物に、ロケット打ち上げ台。島の一部分となっている程の巨大施設は常に一般観光客へと公開されており、その観光業をも収入へと当てているのだそうだ。
なんだか大きな白い岩も見られ、なんでも後から聞いたところによると打ち上げ成功祈願の岩らしかった。
そんなことを知らず、俺達二人は宇宙センター内を見て回ることにした。こっちに来る時海添いを歩いてきたがその時見かけたフェリーを見れば、結構な観光客がツアーで訪れているのかがわかった。
「こちらが最初にこのステーションで打ち上げられた衛星の写真です。実はもうすぐ新たな衛星の打ち上げが予定されておりますので、後々―――」
と、どっかのガイドの話を片耳で聞きながら俺はアンズが見とれている一般的衛星の模型へと視線を移す。
一般的な衛星といっても衛星はそれぞれに用途が違っている。そう何機もバンバン宇宙へは打ち上げられはしない。気象観測だったり、ポケギアをはじめとする通信機器の通信用だったり、それとなんだったかGPS? とかなんとか用のもあるとかないとか……。
でも俺達一般人にとってはその違いなんて知るよしもない。
「凄いねケンくん」
「そうだな」
そりゃ、まあ凄いんだろうが。
「私達もいつか宇宙へと行きたいね」
そうはにかみながら微笑むアンズの言葉を聞きながら、またも胸の鼓動が一際高く唸る。
私、達……? いや、ちょっと待て俺。きっと言葉のあやだ。てか、なんでそんなことに敏感になってんだよ俺は!
「そ、そうだな」
平静を保とうとしたが、結局は噛んでしまう俺。
アンズの様子を窺うにも、衛星の方へと顔を向けている為探ることはできない。しかしアンズがポケナビをいじっていたような感じはした。写真でも撮っているのだろうか。
「それよりもさ、なんかこれから打ち上げがあるみたいだから見に行かね?」
「ほんとっ!? いくいく!」
本当俺と同い年なんだな。全然そこらの同年代の女子とアンズは変わらない。
なにもそれが悪いことじゃないし、驚いている俺の方が悪いんだろう……。アンズが俺と同い年でジムリーダーという役職についていたから……それがどんなにアンズにとって重荷だったのか、俺は考えたことがなかったから。
だから今日は目一杯楽しませてやるよ。なんか偉そうだけど、さ……。いつの時代も女をエスコートするのは男だろ?
だったらアンズがジムリーダーだったろうが、実力が俺より上だろうが関係ない。
「どうぞ、お姫様」
俺はそう言って左手をアンズへと差し出す。
「え? ……ぁ、うん。はいっ」
頬を朱に染めながらもアンズは俺を正面から直視し、俺が差し出した手の平にゆっくりと右手を重ねる。
彼女のぬくもりを逃がさないように優しく握って、俺はにかっと笑う。
「参りますか」
「うんっ!」