III:己の欠点
氷の檻……と表現すれば正しいんだろうか?
底部分が滑らかな球状でありながらも表面には凹凸によってできる光の乱反射がそのバトルフィールドの魅惑を引き立てている。
檻、と表現したのはそのフィールドは中で吹っ飛ばされたらフィールド外にはいかずにそのまま氷の壁に激突しそうだからだ。
つまり広く開いているのは真上の空間のみ。そこにボールを放らなければ互いのポケモンがフィールド内に入ることはない。ワイングラスの持つ部分がないような感じのものとなっている。
「こんなフィールド、はじめてだ……」
それが俺の正直なコメントであった。
「この中で私とアンズがあんたとバトルするわ」
カンナさんがラプラスをボールに戻してそう告げる。
「この氷の中ではトレーナーの指示は良く聞きとれない。まあ耳の良いポケモン以外はね……。その中でバトルすることによってあなたの手持ちとの一体感、連帯感を鍛える」
なるほど、そういうことか。
「ケンくん、私も参戦するから頑張ってね」
アンズは胸に期待を込めるような視線で俺の方を見上げてくる。
か、かわいいからやめてくれれば助かる……。
「あ、ああ」
俺はいつもの癖で眼鏡を押し上げようとするが……そうだ、眼鏡はあの時崖下に落したんだっけか。癖が染み付いているせいもあるが、どうにも落ち着かない。
「アンズはあんたの動きを止めることに徹するから、そこに注意しな。後は私かアンズどちらかのポケモンを戦闘不能にしたら修行は終わり」
条件はやっぱり一番厳しいのが残るってわけか。よしっ。
「よろしくお願いします!」
俺は目一杯声を張ってそう叫ぶ。
俺の為、ではないかもしれない……。この修行も準備もダイゴさん達が掲げる敵を倒すために必要なものであって、俺個人の為ではもちろんない。でも、そうであっても俺は感謝せずにはいられない。
夢にまで見ていたジムリーダー、四天王、そしてチャンピオン。その面々が俺を鍛えてくれる。なら俺はそれに応える!
「威勢はいいわね。それじゃいくわよ、パルシェン!」
「いってきて、アリアドス!」
フィールドの反対側へと移動していく二人に対して、俺は氷檻の中に現れた二匹のポケモンを観察する。
さすがというべきなんだろうな、素人の俺から見ても二匹は強い。アリアドスは器用に自身の足と接触する氷の間に糸を張ることで滑り落ちることを未然に防ぎ、パルシェンは殻を閉じて思うがままに氷の上をスケートしている。
あれが彼らの準備運動といったところか。
アリアドスは氷檻のてっぺん付近でフィールドを観察し、パルシェンはすでにフィールドの感触を掴んでいる。
この面子にどうやって挑むか……。やっぱり、お前だよな。
「いってこい、ニューラ!」
「ニュラ!」
高く放ったボールから飛び出したニューラはそのままの勢いで跳躍して氷檻フィールドに突入していく。
「あら、ニューラ。いいわね」
「氷タイプ持ってたんだ……」
カンナさんとアンズさんの声がダイゴさんからもらったインカム越しにきこえてくる。それはまだバトルが開始する前だからだろう、スタートしたと同時にお互いの声は聞こえなくなるはずだ……。いや、もしかしたら俺のはダダ漏れかもしれないが。
「それじゃ行くわよ。バトルスタート!」
カンナさんの合図と共にインカムの音声が途切れる。
俺はフィールドの中を凝視しながらニューラの様子を窺う。最初はあいつも二体のポケモンを見て戸惑ってはいたが、臨機態勢に入る。
こっちからの指示はそんなに聞こえない。それはつまり聞こえなくはない、ただし細かい指示はやりづらいということだろう。
カンナさんとアンズの姿は氷檻越しに見ることはできる。そして彼女達が指示をなんら出していないということも。
「アリアドスを警戒! 滑れ!」
最初にカンナさんが自分達の役割を俺に言ってくれたのは、そうでもしないと俺がすぐさまにやられるということを見越してなんだろうな。
アリアドスは案の定ニューラに目掛けて蜘蛛糸を吐き出してくる。ここは氷上のステージ、ニューラにとっちゃ少しは動きやすいはずだ。
ニューラは俺の声を聞き届けたんだろう、難なくアリアドスの上からの攻撃を避けてはいる。しかし、
「ニュラっ!」
突如、どこからともなく回転しながら突進してきたパルシェンに吹っ飛ばされてしまう。
吹っ飛ばされながらも回転し、ニューラは壁にぶつかるまえに態勢を立て直す。そしてそのまま吹っ飛ばされた勢いを使って氷の壁を滑走する。
小さな体という利点を使ってのスピード戦法。俺はそこに賭けるしかない。
「ニューラ、まずはアリアドスを狙え!」
獰猛に口元が歪むニューラはその左手に【氷の礫】を発動し、そのままアリアドス目掛けて突っ込んでいく。
そんな状況において俺はアンズに目をやるが、彼女は何も指示はしない。
アリアドスが口から【蜘蛛の巣】が吐き出される。しかし俺はそんなの予想済みだ。
「ニューラ!」
この一言で伝わる確信を俺は得ている。だからこそ前の指示でニューラは左手だけに【氷の礫】を発動させた。そう、余った右手で【蜘蛛の巣】を切り払えるように。
ニューラは右手でアリアドスの攻撃を切り裂き、そのまま左手の氷塊をぶつけようとしていたがアリアドスがいきなりニューラからの視界からいなくなる。
そう、アリアドスが足に絡めていた糸を解いたのだ。降下するアリアドスのいた氷の壁にニューラの攻撃が直撃し、すかさずアリアドスの口からではなく、尻から【蜘蛛の巣】が吐き出してはニューラを捕える。
「ニュラっ!?」
くっ! 読まれてた?!
下へと落ちること叶わず、ニューラをパルシェンの猛追が襲う。身動きができない状態での正面衝突は計り知れない程のパワーを誇る。それは頑丈なパルシェンの殻とその棘から見ても一目瞭然だ。
今度は壁に激突し苦悶するニューラを俺はただ見ていることしかできない。
打開策、あいつの打開策を考えなきゃやられるっ。
糸を凍らせるか? いや、そんな暇はない。
腕までもがぎっちりと縛られている。あいつが使える特殊技……。そうだっ!
「ニューラ、【嫌な音】!」
俺の咄嗟の指示にいかに迅速に対応できるのかも鍛えられるのであれば、ニューラは確実に俺の意図を汲んでいる。
追撃しようとしていたパルシェンの突進は外れ、ニューラの体を掠める。その摩擦によってちぎれた【蜘蛛の糸】から脱出したニューラはそのまま壁を滑走してアリアドスへと向かう。
しかしアリアドスはパルシェンがニューラを攻撃している間にすでにトラップの下準備を終えていた。引きつめられるようにして吐き出された【蜘蛛の巣】はこのステージの唯一のアドバンテージをかっさらってしまう。
「ジャンプっ!」
なら、こっちも自分のステージをつくってやるさ。
アリアドスの頭上を飛び越えたニューラはその鋭い爪でてっぺん近くの氷へとしがみつく。そして、
「【雪雪崩】!」
足の爪のみで体を氷と垂直に支えながら、ニューラは両手の爪でてっぺんの氷を小さく切り刻み雪を大量に削りだしていく。
パルシェンがすぐさまにニューラ目掛けて【棘キャノン】を連発するが、あたりそうになる軌道の棘はニューラが外壁から大きく削り取った氷によって防御される。
そして【棘キャノン】自体も細かいが故にニューラの手助けとなる。
アリアドスはニューラが行きつきそうな場所に予め糸を飛ばそうとするが、避けようと思えば避けられる。
次第に溜まって行く雪はアリアドスとパルシェンへと襲いかかり、フィールド底は昔の滑走できる氷ではなくしっかりとした雪のフィールドへとその姿を変えていく。
この三匹の攻防を外から見ている分には綺麗なスノーボールが作られているといってもよいかもしれない。
でもま、無駄な抵抗なんだろうけどな。
フィールドのてっぺんがすべてニューラによって雪に還元された時、ニューラはもちろん体力の限界だ。それを百の承知でやったのには理由がある、だがこの二匹相手にはそれすら読まれているのだろう。
アンズと同い年であるが、アンズはあのキョウの一人娘だ。場数がやはり違う。
ま、俺達は初日にしては良く頑張ったよな……ニューラ。
ニューラが【メタルクロー】からの【ダブルアタック】をもしパルシェンとアリアドスに挟まれた時使おうとしているのが見て取れる。そしてそれは俺達がかなり前に考え出した切り札でもある。
フィールドを見る限り、俺はあのキワメさんから教えられたイーグルアイというわけのわからない能力を使えてはいた。円形にフィールドを独走しながら、徐々にアリアドスとパルシェンを中央の方へと追いやっていたのだが……。
接近してくるパルシェンはその殻を開いてニューラの右手をがっちりと封じる。そしてアリアドスは【糸を吐く】でもう片方の左手を掴む。
ふぅ……。
次は違う戦法で挑むしかないか。
至近距離、まあゼロ距離から喰らう【棘キャノン】と【毒づき】にニューラもたまらなくノックアウトされる。
しかし、トレーナーの指示なしでここまで動けるなんて。さすがとしか言いようがないな。指示がないからこそそこに付け入る隙があるかもと思ってたが、そんなに甘くはなかった。
カンナさんとアンズがそれぞれのポケモンをボールへと戻して、こちらに歩み寄ってくる。無論、インカムの通信は再開されており向こうからこちらに歩み寄ってくる際にも会話が成立できる。
「弱いわね、あんた」
「ちょっと、カンナさんっ……!」
は、はは……。くそっ。
「精進しますよ」
俺もニューラをボールへと戻して向こうへと歩み寄って行く。
ありがとなニューラ、負け戦に付き合わせちまって。
「とりあえずあんたの戦い方はわかった」
「ええ、そうですね」
カンナさんの鋭く尖った眼鏡の奥に潜んでいるその眼光におれは固唾をのみ込む。アンズは相変わらずのあどけなさっぷりだが。
「あんたに足りないのはポケモンの身体能力ね……」
え?
「うん。ケンくんには悪いけど、ニューラの方がケンくんに追い付けていない」
な、バカな。そんなバカなことあるわけ……。
俺はニューラの入ったボールを見やる。
ニューラが俺についていけなくなっている? そんなバカなことあるわけ…っ!!
「気付いたみたいね? ダイゴでのバトル、そして今までのバトルだってあんたのニューラは良くはやっていても、想像以上に動かせたことがない」
そうだ。
ダイゴさんの時然り、今に然り、俺は内心諦めていた。俺は行けると思っていても、バトルにおいて俺はニューラがバトルに勝てないと諦めていた。だから逃げのバトルを……?
「ケンくんっ……」
「あんたのトレーナーとしての資質は良い、そして良いがゆえに自分のポケモンができる範囲でのバトルを構築するのも上手い。でもそれによってあんたがあんた自身の成長にストップをかけてるのよ。まずはそこからはじめるしかないわね」
俺は返す言葉が全く見当たらなかった。ただじっとボールを見つめ、自身の手が震えるのが見て取れた。