II:語られるミュウの過去
淡いピンクの長い髪を風になびかせて、ミュウは朝日が昇る地平線を大木の枝の上から眺める。
「今日も一日が始まっちゃったか」
その容姿に不似合いなその口調は、しかし一目見ればミュウであると判断できる。
ぴょんっと木から飛び降りるミュウは人間の女らしく、着用している長いスカートの裾を両手で押さえる。そして人間では不可能であろうに、見事十メートル以上からの落下に見事な着地を見せるのだ。
「あら、起きてたの」
ミュウは自分のことを大木の幹に凭れ、座り込みながら見上げている三人に声をかける。
「ああ、どうもいまいちお前に寝顔を曝ける気分にはならねえからな」
ガイは煙草を吹かしながら、そうミュウに告げる。骨折してミュウの治療を受けたとはいえ、骨はまだ完全にはくっついていないのだろう。ガイは折れていた方の脚を一本前に突き出すようにして座っている。
「ふふ。あら、誰に向かってそんな口を利いているのかしら?」
「ぐっ! て、てめえ!」
ミュウは意地の悪そうな笑い声と共に、ガイのその折れている脚を踏ん付ける。
「あらあら、男のくせに痛がりなのね?」
「こいつっ!」
ミュウはガイの堪忍袋の緒がどれほどの長さなのかすでに見抜いているようであり、完全に弄んでいた。
「あ、あのミュウさんっ……」
そんな二人を見ていてジンはミュウのことをなんと呼べばいいかわからず、さん付けで呼び掛ける。
「なにかしら?」
ミュウはじりじりとガイの脚を踏みながらジンへと視線を向けることなく答える。
「そろそろ話してもらおうじゃない」
しかし答えたのはジンではなくモモ。三人はミュウから全てを聞く為に朝まで待っていたのだ。
「何から知りたいの? 私とアノ人との出会い? なぜ私がここにいるのか? 私があなた達を必要としている本当の理由? それとも……」
ミュウは三人を嬲るような視線でなぞり、口を開く。
「なんであなた達が生かされてるか?」
「「っ!!」」
そう。三人がこの一晩交代交代に休憩を取ったのはミュウを警戒してのこと。
殺し合いを命ぜられ、その真意をわかってはいても、いやわかっていたからこそガイとモモはミュウの動向が気になっていたのだ。
ミュウならばいつ何時であっても容易に自分達三人を殺せる。それをほんの気まぐれで行う、そんな性格をモモはとくに見抜いていたからこそである。
「大丈夫よ、殺しはしないわ。手駒がほしいって言ったでしょ? それに、同じ志を持つ者同士よ?」
しかしながらミュウの言葉を簡単には鵜呑みにはできない。いや信じられないのだ。
「じゃあ順に話そうかしら。まずは私とアノ人との出会いを」
ガイの脚から自分の足をどけて、ミュウは三人に昨日と同じ木の実を与える。
「ざっと数十年前かしら、寝ていたところを訳のわからない連中に捕まったわ。今考えれば、人の科学力というのを見くびっていた罰(ばち)があたったのかしらね。それで私は研究の対象として様々なデータを取られたわ」
それはここ数世紀の人類の発展スピードを見てとれば理に適っていた。ポケモン転送技術やモンスターボールという収容道具の安価水準、人を特定位置まで転送するワープ装置、ポケギアからライブキャスターに至る携帯機器の万能性など例をあげればきりがない。
そんな技術を人はポケモンを介して手に入れたのだ。見事なまでに、そう見事過ぎるといっても過言ではないほどまでに。
「その時改めて知ったわ、いかに私達ポケモンが人のいいように使われてきたかをね。ポケモンは人と違って意志の疎通を行わない。なぜだかわかる? それはね、未だに自然こそが人より勝っていると本能で理解しているからよ」
モモ、ガイ、ジンの三人は黙ってじっとミュウの言葉に耳を傾ける。
「でも人間はそうは思ってないわ。自分達の可能性をどこまでも追及する。それはね、人間のつくりだした社会というものに自然は絶対あってはならない存在だからよ」
そう、人の社会に自然は存在してはいけない。それは何百年と掲げ続けられる心得である。今ではポケモンを人間が道具で制御できるからこその共存がなされているが、ポケモンという自然の脅威を人が克服できたからこそ共存しているだけなのだ。
「人の社会には自然現象への歓迎は成されないわ。それはそうよね、地震や台風なんて人はいつでも歓迎はしないのだから」
ミュウは物悲しげそうに、でも続ける。
「まあデータを取られるだけ取られた私はもはや伝説の存在ではなくなったわけ。だからいらなくなった……。でもね事件は起きたのよ」
事件。それはミュウの研究を行っていた施設が何者かによって破壊されたというものであった。
「今でも良く覚えてるわ、あの時私を連れだしたのは……あなた達の言葉でいうならポケ人ね」
「「「っ!?」」」
ポケ人……それは人とポケモンの間に生まれた者に使われる用語である。そんなことはありえない、そう思うものいるかもしれない。だがしかしポケモンという動物からの特殊な進化を遂げてきたもの達の中には人間と融合することでより良い種族になろうとしたポケモンがいたのだろう。
今でこそそういったポケ人自体が法で禁止されており、ポケモン界でもポケ人の存在は確認されてはいない。だがどこかの科学者で人工的にポケ人をつくりだしたというニュースが十数年前に起こり、パニックを引き起こした。
「まあ私は弱っていたから彼女の言うなりになるしかなかったんだけど、何を思ってかしらね私をアノ人に渡したのよ」
アノ人、つまりはサカキである。
「私が前いた研究所はデータと共に壊滅されたから彼らは事実上誰だったかは覚えてないけど、私はアノ人に私の全てをささげたわ。人の悪と善の極端を知ったからかしらね……アノ人に自分を研究材料として提供したわ」
サカキが成人し、ミュウのデータによって彼は様々な力を手に入れた。それによりハイアで巨万の富を得た彼はミュウと共に頂点を取ろうと言ったらしい。
「アノ人の傍でなら不可能はないと思ってたから、だからついていったわ。でもアノ人が組織を設立して、様々な人を下につけるようになって私の存在は邪魔になる一方だった。そしてそれはアノ人を苦しめていることも承知していた、だからここに身を潜めることにしたのよ」
段々と口調が柔らかくなるミュウに、モモは突っ込みを入れる。
「ならなんで復讐なんて……」
「ふふっ、そうね。また昔の二人に戻りたいからかもしれないわね」
ミュウはただ純粋なのだろうか? 人に良いように利用され、それを助けられ、自分を託された少年時代のサカキに介護され彼に身も心をも許すようになったミュウ。ミュウにとってサカキとの記録は、忘れたくても忘れられないかけがえのないものなのだろう。
そんなミュウが何年間この無人島で過ごしてきたのだろうか? 今の今まで誰にも束縛されず、世界を奔放してきたこのポケモンが同じ場所にとどまり続けたのだ、一人の人間のことを思い馳せながら。
「ミュウさんっ……」
それはこの中で一番若いジンでもくみ取ることができた。
ミュウがあんな毒舌めいた口調なのは、不器用なミュウがサカキにしか心を許していないいからという単純めいた理由がある裏付けなのだろう。
「けっ、くだらねえ。でもよ、俺はお前についていく」
そしてそれはガイにも言えることだった。故郷ヤマブキにいた自分の幼馴染……。自分もいつかあの街に帰って、彼女に自分の気持ちをぶつけたいと密かに想っているのだ。
それも自分が一番納得できる形になってから。
「どんな理由があったって、私はあの方に直接会いたいの。会わなきゃいけないんだから!」
妙に語尾が強くなるモモは、彼女に彼女なりの事情があるのだろう。サカキに会わなければならない事情が。
「それにこの任務が成功すれば、代償は大きいですしね」
ジンは少しでも場を和ませようと言葉を選んだつもりだが、逆に場を白けさせてしまう。
「物好きな人間もいるものね、こんな私にもまだついてくるだなんて」
「俺達も似たようなもんだからだよ」
「そうね、それに手駒がほしいんでしょう?」
「僕はあなたに付いていきます」
ミュウは、サカキ以来なのだろう、ここまで人に良くしてもらったのは。自分の中で芽生える温かい感情を、ミュウは懐かしく感じた。
「ありがとう」
そう言って笑う人の姿をしたミュウを、三人は微笑み返す。
「それにしてもあなたが見たポケ人って、本当にわからないの?」
モモはミュウが先ほどまで語っていた内容を掘り下げていく。
「そうね。ポケ人の存在は人でもポケモンでもなく、社会でも自然でもないわ。だからこそ、神といわれる存在でもわからない」
ガイとジンは多少おいてけぼりになりながらも、自分のわからないところを補充していくように問いかける。
「ポケ人ってのはポケモンと人間の間にできたやつらのことだろ? そりゃ確かにグロイけどよ、そんなに危惧しなきゃなんねえのかよ?」
確かにガイの言うことにも一理ある、しかしポケ人というものはポケモンと人の理解を遙かに凌駕する生物であるのだ。
「ポケ人というのはどんな形状をしているのかわからないのよ。唯一わかっているのは、彼らにはあるシンボルが刻まれているということ。私の額にあるシンボルがこれよ」
ミュウのおでこ部分には三叉槍の黒い印が刻まれていた。
「つまり、あなたの姿って……」
「そう、あの時私を研究所から救ったポケ人のものよ。彼女の場合、時間を操ることができたみたいね……。アノ人に出会い、私を手渡す時は老婆の姿をとっていたわ」
モモの見解をミュウは肯定する。
「彼女の場合って……」
そしてジンはミュウが漏らした不可解な言葉にくいつく。
「そう、ポケ人がどんな形状を取るかわからない上に、どのポケモンと人の間に生まれたかはわからない」
「おいおい待てよ、それってどのポケモンと人の間にでもポケ人ができるってことかよ!?」
ガイの驚きっぷりも納得がいくものがある。
「だから少し前に起きた事件が衝撃的だったのよ」
そしてモモの言うことが核心をついたのだ。はじめてポケ人が自然界に存在していたのは特殊稀なるポケモンの進化過程おけるイレギュラーとして文献に残っているが、今の時代でポケ人を人工的につくれるという技術は完璧なタブーなのである。
このポケ人という存在を裏付けするのは、ポケモンのタマゴグループにある人型グループの存在も理由としてあげられる。しかしながら根本的な仕組みは公表されておらず、一体全体誰が人工的にポケ人を生み出したかでさえも公表されることはなかった。一部都市伝説として世間に広まっただけともされているのが協会側の発表ではあるが、事実そのポケ人を生成していた研究所跡が発見されたことからその噂の信ぴょう性が増したのだ。
「もう私の話はここまででいいでしょう。なら次はあなた達が何をしなければならないのか、教えるわね」
少しだけ、少しだけではあるが彼らの心の距離は縮まった。同じ志しを掲げる三人と一匹、それぞれの目標は違えど、向かう場所は一緒なのである。