I:死闘の末
ここは始まりの島。
そして今まさに三人の人間の命が終わろうとしていた。
「フシギソウ、【葉っぱカッター】!」
「リザード、【切り裂く】!」
「カメール、【水鉄砲】!」
実に何日と何時間が経過したのだろうか。
フシギソウの花と草は著しく損傷し、鞭にいたっては右の一本は切り落とされていた。
リザードの右腕は紫色に腫れあがり、尻尾の炎は明らかに衰えている。
カメールに至っては甲羅にひびが入っており、その部分は少しだけ欠けている。
公式のポケモンバトルでは決して見ることのできない死闘であることには違いないだろう。それはトレーナー達の状態を見てからもわかる。
ジンは脇腹を抱え、頭部からは血が流れている。流血しているせいで右目が良く見えていないのだろう、少し見開いている右目は血なのか疲れなのか充血している。
ガイは地面に伏しており、恐らくは脚を骨折しているのだろう……体勢がおかしい。さらに肩を痛めたのか、右手で左肩を押さえている。
モモの右頬には赤い一本の線が刻まれ、右腕をかばうようにして構えている。力無く垂れ下がっている右腕は、おそらく骨折しているのだろう。
ミュウが指定したフィールドはもはや草の一本も生えてはおらず、荒れに荒れた地面が露出している。ミュウが座っている大木も度重なる攻撃の巻き添えをくらって幹の部分が変色している。
「ふぅ〜ん、ここまでやって誰も死なないってことはもうこの先も死ぬことはないか……つまんないの」
ぽーんと枝から飛び降りたミュウは先ほど三人が指示した攻撃の最中にも構わず飛び込んでいく。
「「「!?」」」
三匹の攻撃を片手で制したミュウは人間の姿のまま目を瞑り、何かを唱える。
「癒してあげるわ」
群青色の淡い光と共に広がる可視光線が辺りを包み込む。
咄嗟に身構える三人。それもそのはず、今まで激闘を繰り広げていたのだ。自分に迫る技の全てにおいて防衛本能を起こすのは当たり前と言えば当たり前である。
ただ相手の息を狙う技を放ち、自分もかわし続ける。それがいかなる精神力を消耗させるかは殺し合いをした者同士にしかわからない。実際に近接戦闘時、ガイはジンの顔面へと一発拳を入れている。
ミュウの発する光によってポケモン達とその本人であるトレーナー達は癒されていく。傷だらけの体から痛みが消え、流血が止まる。損傷個所がバトル前の状態に戻るわけではない、身体の代謝を異常加速させることによって血小板の増量や脳内ホルモンの分泌による鎮痛作用を行っているのだ。
「い、痛くねえ?」
ガイが骨折による痛みを感じなくなり、ミュウの方を見つめる。
「なんで?」
モモは精神を集中させていたのか、自身の体から違和感が消えたことに呆けてしまう。
「……くっ」
ジンはほっとしたのか、前倒しに地面に伏すように眠りにつく。いや、意識が保てなくなったのだろう。
ミュウは遠い海原を、遠く彼方にある日本を望んでいる。そしてそのまた遠くにある地方を。
「さてと、終わりね。つまらなかったわ正直。てっきりここで寝ているボウヤが真っ先に死ぬもんだと思ってたけど」
まるで石っころを見るようなそんな目でミュウは眠っているジンを見下ろしながら、ガイとモモの方へと視線を投げる。
「でもあなた達、私の目をごまかせると思って?」
その邪険めいた瞳にガイとモモは身構える。
「こいつは殺すわけにはいかねえ。それは俺達三人が全員そうだ」
「ええ、私達はまだ死ぬわけにはいかないのよ」
ガイとモモは殺し合いをしろと言われた時に咄嗟に従った。それはジンと共に任務に赴き、結束してできて絆があるからだ。それは別に三人部隊だからというわけではない……団員という理由だけではなく、真に彼らは集められるべくして集められたわけがあるからだろう。
「面白くないわ、そんなの。でも手駒が減るのはよろしくないかもね……」
ミュウはガイとモモに先ほどの木で実っている木の実を投げ渡す。
「ここ始まりの島でしか取れない特別な木の実よ。これを食べて一晩寝れば、人間なら一日で良くなるわ。ここのボウヤにも食べさせなさい」
ミュウは手で隠しながらも大きな欠伸をする。大人らしい人間の風貌を保ってはいても、その挙動はミュウ本来のままだ。
「明日、いろいろ話すわ。じゃあね、おやすみなさい」
霞んでいくようにして霧散するミュウの体。それがミュウの成す演出だということにも気がつかない程にガイとモモは互いに顔を合わせて、その場で倒れ込む。
ジン同様に地に伏しつつもガイとモモにはまだ意識があった。
「俺達の勝ち、でいいんだよな?」
「もちのろんろん。でも、疲れた」
ミュウの殺し合いの命令の真意をモモとガイはすでに読み切っていた。それほどまでに彼らは若いながらに数々の修羅場をくぐってきたことを物語っている。
殺し合えとミュウのような存在に言われたなら実行しなければ確実に自分達は殺される。そんな状況の中、彼らは生き残った。それは彼らの勝利ということになり、それゆえにミュウにとっては退屈だったのだろう。
ガイは脚を気遣いながらもなんとか大木の幹にその背を預けて体勢をたてる。
「大丈夫?」
「よく言うぜ。お前のカメールの甲羅が当たったんだよ」
そう、カメールの【高速スピン】がガイの脚に直撃し、骨が折れたのだ。
「だってあの時は本気モードだったし〜」
とぼけるモモを舌打ちと共に一瞥したガイはミュウからもらった木の実をかじる。
「うめぇ」
みずみずしく弾力性のある果肉を噛めば噛むほどに果汁が口一杯に広がる。甘くもほんの少しほろ苦いその果汁が体の全身にしみわたる。
「本当だ、おいしい……」
だらだらと溢れてくる果汁によって手がべとべとになることなど気に留めることなどなく、二人は久しぶりに口にする食糧をむさぼっていた。
「カメールも食べる?」
「カメ!」
「ほらよリザード、食いな」
「リザァ!」
実の半分を食したところでモモとガイはポケモン達に木の実を分けてやり、モモはジンの方へと歩み寄る。
ガイは木の幹を背後に夜空に広がる満点の星空を見ながら、煙草を取り出し火をつける。
「……うめえ」
脳を駆け巡るニコチンを堪能しながら、ガイは目を瞑って白煙を吐き出す。その疲弊しきった表情からは、今までにないほどのストレスと戦っていたかがわかる。
「ジンくん、フシギソウ、食べて」
モモは持っていたサバイバルナイフで木の実を二つに裂く。そしてそれをジンのことを気遣っていたフシギソウへと先ず差し出し、モモはジンを揺さぶり起こす。
「ジンくん、起きて」
「…………んっ」
ジンは瞼を強く閉じるようにして眉をひそめながら、意識を取り戻して目を開く。
「モモ、さん……?」
「はい、あ〜ん♪」
「うぐぅぷっ?!」
目覚めた直後のジンの口にモモは木の実をめり込ませる。
木の実を絞り、そこからあふれ出てくる果汁がジンの喉を潤してこぼれていく。
「っげほ! ごぁ、ごふ、がっ!」
むせたのだろう、反射的にジンは身を起してモモさんの手首を握る。
「じ、自分で食べますから」
「あ、そう?」
モモから木の実を受け取り、ジンは辺りを見渡す。
「あ、あの……ミュウは?」
ジンがそう思うのも無理はない。ミュウが発していた言葉など意識のなかった彼には届いていなかったのだから。
「ミュウは私達に木の実を渡して、明日いろいろ話してくれるって言って行っちゃったよ」
モモは吹き抜ける風によって乱れる髪の毛を手で押さえながら、そうジンに告げる。
「そうですか……。でも、誰も死ななくて良かったです」
ジンのその一言にモモは黙って笑い頷き、ガイは一層深く煙を肺に溜めこんでから吹き出す。
「なあジン」
「はい」
ガイの突然の呼びかけに、しかしジンは即答する。
「この先俺は、いや俺達はきっと今までにないことをする。そんな気がする」
「……」
いきなり語りだすガイの普段ならばこんな神妙に言葉を発さないガイを、しかし二人は遮ることなく耳を傾ける。
「ジンもモモも覚悟だけはしとけよ。きっと俺達は互いを助け合う余裕すら持てなくなる……それでも進め。後ろを振り向くな」
ガイがジンとモモに視線を向ける。
「……はいっ!」
ジンは一瞬思いつめたような顔をするも、力強く答える。
「もおガイくんったら慣れないこと言うから〜。でも、うんわかってる」
茶々を入れるモモだが、それでもガイの言ったことに自分にも思うところがあるのだろう首肯する。
「ミュウは、あいつは何かを企んでいて俺達を利用する。別に利用されることに何も感じることはない、ただもしミュウ自体が俺達の確かめたいことを妨害するならミュウをも俺達は敵にしなきゃならねえってことだ」
ガイは煙草を地面へと擦って、捻り潰す。
「そうね。でも、まあそんなことですらミュウはお見通しだろうけどね〜」
モモの真理をつく言葉にジンは俯くも、だが毅然と顔を上げる。
「でも、でも僕はミュウに付いていきます。僕にはやらなきゃならないことがあるからっ!」
そう、この三人にはそれぞれ野望がある。だからこそサカキの言葉に乗った。それは利用され利用する為。それをミュウでも誰でもかまわない、実行するのみなのだ。
モモもガイもジンも、それぞれの野望は異なる。だが、だからこそ、その強い想いが彼らを引き合わせた。彼らは違う野心を抱いているからこそ、確固たる絆を持つことができたのだ。
「そうだね。なら、今日は明日に備えて寝よっか」
「ああ、そうだな」
「はいっ」
自分達のポケモンと共に、満点の星の下彼ら三人は眠りにつく。
温暖な気候であることもあるが、彼らの着るスーツは南極であっても寒さをさほど感じないといった特殊な生地がつかわれておりこのような孤島であるならば悠々と過ごせる。
彼らは殺し合いをした。それは本気で殺し合いながら、本気で互いを生かせるという過酷なものであった。
それを乗り越えた彼らは更なる深い絆が生まれたことだろう。それは三人にのみならず、彼らのポケモンとでもある。
それがミュウの狙いだったのか、はたまた結果としてそうなったのか。
彼ら三人を上空から観察していたミュウは人間の姿のまま、ひそりと呟く。
「待っててくださいねサカキ。今からあなたの全てを壊しにいきますから」
そう言ってミュウは楽しそうに宙で舞って、くるりと踊ったのであった。