「裏」:降るは白銀の雪
まさか、まさかな。おもや、自分が負けるとは……。
そう思いながらトウガンは自分に勝利した少年の方を見る。
息子であるヒョウタとのバトルで負けた時も思っていたように、自分達の世代では通用しなくなってきたのかもしれない。それこそが若さの強さなのかもしれないな。
そう感じつつトウガンはキリンの方へと歩み寄って行く。
目を回して倒れているトリデプスの巨躯をぽんぽんと叩いて善戦の苦労をいたわってやりながらトウガンはキリンへと言葉を向ける。
「おめでとう少年。君は我々に勝利した」
キリンは観客席にいたアユミへと腕を大きく振っていたのだがトウガンの呼びかけによりすぐさま姿勢を正す。
「はは、ありがとうございます」
キリンは勝利の余韻に浸りながらもトウガンを間近で見ることにより圧倒されてしまう。身長差こそそんなに無いとはいえ、ジムリーダーたる人物である。伊達ではないことが良く分かった。
「これがミオジム制覇の証、マインバッジだ」
キリンに手渡されるのはつるはしと鉱石のようなものが特徴的なバッジであった。
「マインバッジは強力(ごうりき)の証。ポケモンのみならず君自身もだ」
トウガンがキリンの肩にそのたくましい手を載せる。
「新しいルールではリーグ制覇は難しいかもしれないが、がんばってくれ」
そう言い渡すトウガンの言葉にキリンは力強くうなずいて、笑みを浮かべる。
「もとよりそのつもりですから」
キリンはバッジを受け取って、側にいるサイドンの左腕をさすってやりながらねぎらう。
「それじゃ、ジムリーダーありがとうございました」
キリンは深々とお辞儀する。
「うむ。またバトルしようではないか」
「次も勝ちますけどね」
キリンのその真正面な瞳をトウガンは豪快に笑ってふりかえる。
『楽しみにしておるよ』
トウガンはそう心に残し、のびているトリデプスの傍で腰を下ろす。
キリンとトウガンが会話をしている間に観客席から下りてきたアユミはすでにキリンから渡された父親の本を読み終えていた。
彼女はキリンの試合中読書に明け暮れていたのだ。しかしながらにバトルの全容は把握していた。
「お疲れキリン」
「おうよ」
サイドンをボールにしまってキリンはアユミの一言に対して自分の腕を叩いて見せる。
「それじゃこれを」
そうして手を伸ばすアユミにキリンはわかってはいても渋々とマインバッジを渡す。
「キリンじゃ信用できないからね」
「へいへい」
二人はそんな会話をしながらミオジムを後にする。次に向かう目的地を話し合いながら。
そんな彼らを見送ったトウガンはトリデプスに優しく話しかける。
「修行をせねばならんかもな」
「ドォプス」
目が覚めたのか、トリデプスはトウガンに首肯する。さすがはトウガンのポケモンというだけあり、回復は早い。
そんな黄昏にも近い雰囲気を醸すトウガン達に水を差すようにして声がかかる。
「ジムリーダー」
トウガンがふりかえるとそこには審判が立っていた。
「おう、お仕事御苦労。どうした」
「いえ、久々に見ましたよ。あんなに強いトレーナーを」
審判は両手に持った赤と緑の旗を合わせて片手に持ちかえる。
「そうだな。しかしこれで君はお役御免だろう? リーグが発布した新しいルールによって私は解任だからな」
サカキ総督の下、新しく発布されたジムにおける新ルール。それはジムリーダー達はジムバッジの授与が年に一回と定められ、もしバッジを授与する事態になった場合は即解任といったものであった。
ジムリーダー達はチャレンジャーの挑戦を拒否することはできない為、これにより職を維持する為にはジムリーダー達は本気でジム戦を行う必要がある。そんなお触れ書きがなされていた。
「ええ、ではリーグ派遣審判の私が手続きをいたします」
「おう、よろしく頼む」
審判は旗をフィールド上に一旦おいてボールを取り出した。
それはトウガンが怪訝を感じるよりも早く行われ、一匹のカイリキーが現れる。
「っなにを」
「カイリキー【クロスチョップ】」
審判の一言でカイリキーは依然として床に伏しているトリデプスに【クロスチョップ】の連打を始める。
「ドォォォプス!!」
「おい、やめろ! なにをする!?」
トウガンが審判に制止するよう呼び掛けるも審判は邪悪そうな笑みを浮かべて何もしようとしない。
「ミオジムリーダートウガン。あなたはジム戦において敗北を記しました。よって今より解任作業に入ります」
審判が新たに取りだしたボールからユンゲラーとマスキッパが現れる。
「どういうことだ!」
混乱が怒りへ、戸惑いが焦りへと変換されトウガンは追いつめられる。
「解任ですよ元ジムリーダー。つまりあなたは今ここで用済みとなった訳です。それはつまりいらない処分される者ということですよ」
一歩一歩近づいてくる審判に向けてトウガンが違うボールを取り出そうとするも、それはマスキッパの【蔓の鞭】によって手が弾かれる。
「ぐっ!?」
両手を広げながら審判は、いや男は不敵な笑みを浮かべる。
「退屈してました。この時が来るまでは」
それは今までのトウガンのジム戦の審判を務め続けていた男の本音なのだろう。
「早くあなたを殺したくて殺したくて……。まあ今はあの少年に感謝していますよ」
狂喜と言えるであろう笑い声を上げる男をトウガンは異物を見るような目で見る。
「あなた個人に恨みはありませんよ、むしろ良くしてもらいました。ですがね、私達の計画に携わり支障をきたしたあなたはもう用済みなのです」
「貴様、何者だ!」
「おや見破られてしまいましたか、いやはやこれだからジムリーダーは侮り難い。最後に言い残すことはありますか?」
男はまるで時を見計らっていたかのように、ちらっとトリデプスの方へと視線を向けてトウガンもそれを追う。
そこにはぐてんと横たわったトリデプスの姿とその巨体を四つの腕で持ち上げているカイリキーの姿であった。
男が視線で合図を送ると、カイリキーは空中へとジャンプしてトリデプスの頭から地面へと【地球投げ】で叩きつける。
「トリデプス!!」
「良き遺言です。マスキッパ【パワーウィップ】、ユンゲラー【念力】」
トウガンがトリデプスのほうへと駆け寄ろうとした時、彼の視界に映ったのは世界の反転。それが男のポケモン達の攻撃によるものだと理解する前に、彼の意識は遠くの彼方へと飛び、消えた。
フィールドに横たわる、数分前までこのジムの支配者だったものを男は雄たけびを上げながら嗤う。
「やはり良いものですね、人が死ぬという光景は。くくく、くははははは!」
悦びを隠しきれないのだろう、男は前屈しながらも奇声を発し天井を仰ぐ。
誰もいないジム内に男の嗤い声がこだまする。
「お前達はジムの見張りをしておけ」
幾分落ち着いた男はポケモン達にそう指示を出した後、携帯端末を取り出す。それは配給されたものなのだろう、全体的に黒いボディに赤いRの字が浮かんでいることから彼がロケット団関係者だということを裏付ける。
「こちらミオシティミオジム、こちらミオシティミオジム」
男がそう端末に呼び掛けて、数秒後に向こうから返事が返ってくる。
「ミオシティミオジムより受理。報告どうぞ」
「ミオジムリーダートウガン、ロスト。よってジムは閉鎖、確認後処理頼む」
事務的なやりとり、そして向こう側ではしばらくの静寂。
「確認しました。それではこれより五分後にミオジムを完全封鎖いたします。任務お疲れさまでした」
「了解」
男は端末をポケットに戻してジムの外まで歩いていく。
ジムというのは一種の特殊施設であり、災害時には街の人間を収容するスペースと蓄えを保持している。つまり内部から完全に外界をシャットアウトすることも可能なのだ。
いまや全てにおけるシステムがサカキによって牛耳られている。つまり彼らがなにを行おうとしているのかはわからないが、このジムを完全封鎖することなど容易いのだ。
自分の見張りに出したポケモン達を回収し、男はジム前でたむろっていたチャレンジャーの少年少女にこう告げる。
「ただいまをもちまして、ミオジムは来年のリーグ開催年まで完全封鎖されることになりました!」
元の審判顔になって男は続ける。その間にも他者からは不満の声が上がるも、そんなのはお構いなしだった。
「なお、ミオジムリーダーのトウガンは本日をもってリーグ協会へと勤務。彼はすでに協会の方へと一足先に事務手続きを行う為向かいました。皆さまにはご迷惑をおかけいたしますが、まだ残っているシンオウの七つのジムいずれかに挑戦してください」
まるでこうなったらこう言うのだと練習されてきたように、男は淡々と必要最低限のことだけを述べてお辞儀する。
周りからは不満の声は上がるだろうが、協会の公式発表ともいえるのだ。従う以外どうすることもできない。
野次馬が去り、五分後のジムのシャッターが下りるのを確認した男は寒い冬空の下で白く息を吐く。
そしてゆっくりと歩き出す。
その姿はまるで何事もなかったかのような、普通な人の歩みそのものであった。男は自身の顎元へと手を添わせ、そこから一気に顔の皮を上へと剥いでいく。そこから剥がれていくのは変装ように用意されていたマスクであり、その下から現れたのは獰猛そうに歪められた男の笑みであった。
場所変わり、プルルルルルルとどこかの山奥で呼び出し音が響く。
「もしもし?」
自身のポケギアを取り出して耳にあてる少年。
「シロナだけど」
その向こう側から聞こえてくるのは正真正銘シンオウの現チャンピオンであるシロナの声であった。
「おー、シロナさん。どげした?」
「はぁ……。まったくあなたはどこをほっつき歩いているの?!」
明らかに剣幕をたてているのだが、少年はだるそうに答える。
「そげなもんきまっとーが。テストだが、テスト」
少年はポケギアを片手に今自分のいる状況にもう一度目を配らせる。
そこには十数人の人間とそれ相応のポケモン達が地面にひれ伏していた。いや、倒されていた。
「もしかしてまた反抗組織の一味でも実験材料に使ったんじゃないでしょうね、リョウ?」
「さすがシロナさん、ご名答」
そう、ここにいるのはリョウ。そして彼の背後にいるのはあの時のミュウツーである。
この場にいた組織を一挙に片付けたあとなのか、それともほかの原因か、若干の疲れを見せている。
「上からは機が熟すまで待てと言われているでしょう?」
「俺なんかに倒されるような奴ら、機が熟したとこーで何の価値もなーごせ」
ミュウツーをボールにしまい、リョウはサンドパンを取り出す。
「まあいいわ。それより、ミオジムが落ちたわよ」
「ほぉ……。それは楽しみになってくーな。サンドパン【毒針】」
サンドパンが放った【毒針】が先ほどミュウツーが倒した人とポケモンの背中に深々と突き刺さる。
「とにかく伝えることは伝えたからね。あなた、本当に連絡よこさないんだから」
「気をつけますわー」
リョウのふざけた返事にシロナは「もう」と言って連絡を終える。
通信が終わり、リョウたちは自分のいる洞窟らしき場所から出る。
ここカントーでも雪は降っており、シンオウではないにしろ風が冷たい。
あのハナダでの惨劇で実行部隊として隊長を務めたリョウは、今何を思っているのか。それは誰にもわかることはないだろう。
いずれ彼がケンと再会するその日まで、彼はただ―――。
第九章:完