II:すべてを知る場所
「ここ、ここはすごいよキリンっ」
やけに昂揚とした声をあげているのは有無を言わさずアユミ。
彼女がこの一時間、図書館一階で読み終えた本は二十に差し掛かろうとしていた。さしずめ館員もそんな少女に興味を注がれたのだろう、一歩一歩と熟読している彼女に近づいていく。
「ふぁ〜あ。そんなに面白いかねえ」
キリンはアユミが読み終えていない本の一つを手につまんで表紙を見る。それはアユミがマスキッパを数匹駆り出させて積み上げさせた本の山……何十冊とあるが、彼女の手にかかればそんなに時間がかかることはないだろう。
「始祖と進化……おっ」
キリンが題名を読み上げた途端にその本はアユミによって取りさらわれて、彼女の速読術がはじまる。
「始祖と進化」より:
【はるかかなた、ポケモンが存在するよりももっと前のこと。
この世には動物という生命体が暮らしていたという。
しかし動物達は過酷になっていく自然界において、急激なる進化を遂げる必要性があったのだ。その急激な変化を人は知らない。なぜならそれはイニシャルインシデントよりももっともっと前のことであるからだ。
わたし達がこの変化が起きたことを知ったのはポケモンの遺伝子を解析することに成功できたからである。
そして奇しくもわたし達人間が人間としてこの世に存在しはじめたのはポケモンが存在するのと同時期なのである。それはなぜか?
研究はまだまだ続く。】
文献「始祖と進化」より抜粋
そしてアユミは次の本を手に取る。
「人とポケモン」より:
【アルセウス教において人とポケモンの誕生は謎多い。
アルセウス教の伝承によればはじめ神が生まれた。そしてその神が生み出した分身二つと三つのタマゴによって世界が構築されたという。
しかしながら神は最初にポケモンをつくることはなかった。
神はポケモンの基礎となる動物を生み出したといわれている。それが神による気まぐれなのか試練なのかはわからないが、満を持して動物達はポケモンへと進化を遂げた。
それはスウセルア教によって発展した科学技術をもってしてでも、進化の理由はわからずにいた。
そして今もわからない。
我々は動物がポケモンへと進化を遂げた時期と人間が生まれた時期をシンクロニシティと呼ぶ。
この語源の由来は誰もが知っていることであろう。しかし、おかしいのはなぜ動物が一斉にポケモンに進化した時期と人間が誕生した時期が重なり、そしてなぜ同じタイミングでそうなったのかわからないのだ。
そしてアルセウス教によれば、これこそが神の望んだ世界だという。
シンクロニシティの謎、それは神を証明するよりも難しいことなのかもしれない。】
文献「人とポケモン」より抜粋
「しっかしお前、本当に読むの早いよな」
「気が散る」
「へいへい」
一瞬にして蹴散らされるキリンの戯言をよそにアユミは次の本へと手を伸ばす。
「それにしても……とんだ場所だぜ、ここは」
気圧されているのだろうか? キリンは口笛を一つ吹きながら図書館をまた一望する。見渡す限りの蔵書の数に、誰しもが圧倒されるのだろう。
「俺は二階上がってくるけど、いいか?」
キリンがアユミにそう呼び掛けるも、彼女からは無言の一点張り。それを了解の合図だと認識したキリンは上へと続く螺旋階段を上っていく。
その階段一段一段に図書館の歴史が刻まれていくような、そんな錯覚を覚えさせるのは階段の一つ一つが違った材質と模様でつくられているからであろう。
螺旋階段の上から鳥瞰する一階の図書館もまたキリンにとっては目を見張るものがあった。それは本に興味がなくとも、本棚の配列が生み出す幾何学的空間がそう感じさせるのであろう。
「歴史を感じざるをえないねぇ」
などと感慨ぶかけにぼやきつつもキリンは二階に上がって、更なる凄みを感じる。
なぜならば、二階で陳列する本棚には一階のよりも分厚く、そして文字の濃縮されまくった辞書ともいうべき重量感を放ちながら本が並べられているからだ。
「アユミをここに連れてきたくはないな……」
などと内心思いつつも、キリンは更に上へと上がって行く。
そしてなぜなのかは知らないが、ここミオ図書館は三階が最も一般人に使われているフロアらしい。なぜそのような場所が最上階なのかは、ミオシティ七不思議の一つにも入るそうだ。
「なんか一気にお手軽なバージョンになったな」
本棚から一冊キリンが取り出してみても、その表紙には「国の歴史」などといった参考資料などが多く見られる。つまりスクールでいう上級生(主に十年生以上)が使うようなレベルのものが多い。
それすなわち脳筋なキリンでもそこそこ読めるものである。
「おや、あなたはさっき一階にいた……」
ぐるぐるメガネとしか言いようのないものを着用しているハゲっつるの男性がキリンに詰め寄ってくる。
「ん、お、おぉ……」
メガネをくいくいと人差指で調整しながら近づいてくるその人物にキリンはたじたじとなる。
「いやはや、若い子達がこの図書館で自主的に勉強しにくるのは感心感心」
「は、はぁ」
この人物も館内関係者なのだろうか。脇に抱えるクリップボードはここの書物在庫のチェックでもしているのであろう。なにごともデジタルだけでは済まされないということなのだろうか。
「私は館長のスメラギと申します。今日はこの図書館になんの御用で?」
低姿勢なのだろうが、ぐいぐいと迫ってくるスメラギにキリンはさらにたじたじと後退していく。
「いや、俺はただの付き添いだから」
「ほぉ、さようですか。しかしお目にするところ、トレーナーを目指していらっしゃる?」
図書館の館長ともなると高い洞察力が必要とされるのか? あっさりとキリンの風貌から彼がトレーナー志望の学生だと見抜く。
「なんでそれを……」
キリンは野生の勘が働いたか、瞬時に目の前の男に対して警戒心を強くする。
「ほほほ、そんなに身構えますな。そうですな、あなたは見た所まだトウガンとは戦ってはいないようですな」
「トウガンって、ここのジムリーダーか?」
スメラギはこほんと一つ咳き込み、頷く。
「その通り、鋼タイプ使いのトウガン。あやつは中々に手強い男ですぞ?」
キリンは不敵な笑みを浮かべると、親指で鼻をはじくような仕草を取る。
「へっ、上等だな。バトルは手強い方が俺には丁度良い」
そんな勇猛果敢なキリンを見定めるようにスメラギも不敵な笑みを浮かべる。
「ほほほ、威勢の良きかな良きかな。しかし、今のジムでバッジを取ることは困難極まりますぞ?」
そのスメラギの言葉にキリンは眉をしかめる。
「どういうことだ?」
「おや、ご存知ない? 新総督となった今、ジムリーダー達は挑戦者のレベルに合わせてのバトルとバッジ授与をしなくなったのですよ」
スメラギが言っているのはサカキがこの国のトップとなってからの話。つまり、以前までのバトルジムは挑戦者のレベルによってジムリーダーがバトルをし、トレーナーとしての素質を見定めるものであった。しかし今は違う。
「つまり、ジムリーダー達は全員が本気でバトルするってことか……?」
「ご名答」
キリンはその時何を感じたのだろうか。恐らく自身の中の血液が昂揚感によって沸騰するような錯覚に陥ったのだろう。そう、キリンは悦んでいた。
「そうか……。そうか」
スメラギはそんなキリンの本質を見抜いているのだろう、彼に近づいて一つの本を差し出してそのまま歩き去って行く。
「あなた達が世界を変えてくれることを願っていますぞ?」
キリンは咄嗟に受け取った本を見つめ、スメラギの一言に背後を振り向くがそこにスメラギの姿はどこにもなかった。
キリンが手に持った本は「真実・反真実」と書かれた本。ぱらぱらとページをめくるも、キリンにとっては奇怪な文字の羅列としか表現できなかった。いや、わかりやすくいえば難しすぎて理解できないのだ。
「真実・反真実」より:
【みなさんは真実とはなんだと思いますか?
真実とは嘘ではない本当のこと。勿論その通りです。しかし、何をもって本当だと思うのでしょうか?
周りが、それが本当だと言っているから? 辞書にそう書いてあるから? 当然のことであるから? しかしそれはどれをとっても一般論に過ぎません。
もし仮にピカチュウの皮膚の色が灰色だと言ったら、みなさんがそれを嘘だ、真実ではないと言うでしょう。しかし、もし色盲の人がいたり、ピカチュウは灰色の皮膚を持っていると言い続けられてきた人がいましょう。その人にとっての真実とはピカチュウが灰色の皮膚を持っているということなのです。
嘘ではないけれど本当でもない真実。いえ、言いかえれば嘘でも本当でもある真実……それが反真実です。
それは真実と常に存在するものであり、誰にも反論することが不可能な絶対真理なのです。
わかりますか? つまり今記述されていることも真実であり、反真実なのです。
あなたがこれから世界を新たな角度から体験することになるでしょう。それを忘れてはいけない。
なぜならあなた自身も真実でありながらも反真実なのですから。】
文献「真実と反真実」より抜粋
キリンはその本を担いで一階へと下りていく。
「俺には難しすぎるな」
そう漏らしながらアユミの姿を螺旋階段の上から見かける。
彼女はまだ一階にいて、更なる本の山が積み重なっている。最初はまばらにしかなかった視線が今やアユミに集中している。それもそのはず……凡人にとってアユミが読了してしまった本はせめて読み続けても一カ月はかかる程の量に達しているのだから。
「アユミ、ほらよ」
「なに? 邪魔しないでって言っ―――」
キリンが差し出した本をアユミは振り払おうとしたが、その題名を見て息をのみ込む。
「キリン、これどうしたんだい?!」
珍しく声を荒げる彼女にキリンは驚きつつも、ここの館長だという話をして、そしてなぜかを聞く。
「どうしたアユミ?」
「……パパ」
彼女の漏らした言葉を即座にキリンは理解できなかった。
「……え?」