I:ミオの大図書館
「神と人」より:
【人は神を信じた。
そして神は人の前に姿を現した。
されども神は再び姿を消す。
そして神は二度と人の前に姿を現すことはなかった。】
文献「神と人」序章より抜粋―――。
「寒い……」
「涼しいだろ?」
「寒い……」
「そうかい」
シンオウ地方、ミオシティ。ここは昔モモが捨てられた街。
だがミオダウンタウンの存在を無視するのであれば、ここはシンオウ地方で最大の港町。常に活気と陽気に溢れている、そんな街なのである。
季節は冬真っ盛り。それはシンオウが一番の寒さに見舞われる時期。そんな季節でも、人々は寒さに負けじと往来が盛んである。
そんな港町で下船するのは二人の少年少女。そう、アユミとキリンである。
彼らは、ロケット団が行った作戦の被害を免れた若き実力者達。ケンが注意をひいてくれたおかげでなんとか逃げ出せることができたのだ、あの正月に起きた事件から。
「早く、早くポケセンに……」
「へいへい。お、あっちみたいだぞ」
アユミはシンオウに行く為に新しく調達したグリーンの長いコートを身に着けてはいたが、そんなものだけではシンオウの寒さはカントーやジョウトのとは比ではないためにしのげられるものではなかった。
しかしキリンはカントーで過ごしていたのと全く同じ服装で平然としている。それは彼が日頃から鍛錬しているせいでもあるのか、それとも感覚神経が鈍いだけなのか。とにかく、このままではアユミが早々に凍え死ぬことは確実だろう。
キリンが指さした方向にあるのはシンオウのポケモンセンター。余談だが地方によって、あるいは街・町によってポケモンセンターの外観は異なる。それは、その土地特有の建設方法もあったりするが単に特徴を出す為に外装を特殊にするという理由もあったりする。
「はぁ、ふぅ〜」
アユミは自身の両手に息を吐いて温める。彼女の吐息が白い靄となってシンオウの上空へと舞っていく。
「そんなに寒いか?」
「君は脳筋だからわかんないんだよ」
多少毒気のある言い方なのだろうが、しかしそんなのは全く意に介さないのがキリンなのである。
「まあ、寒くはないな」
「……」
相手をするのも億劫になったのだろう、アユミはそのままそそくさとポケモンセンターへと向かって行く。
「あ、おい待てって」
キリンはここ数日でアユミが調達した服や備品の入ったカバンを肩に担いでアユミの後ろを追いかける。むろん、キリンはスクールでも訓練というか自主トレーニングを率先してやっていた身である為にか身辺のことにあまり気を使わない。
それゆえにアユミから不潔と思われてもしかたないのだろうが、本人は気にはしていない様子だ。
「ふう……。温かい」
ポケモンセンターの中に入ると、すぐさまに暖色系のライトに包まれる。それはシンオウ地方の人々が好む色としても有名であり、シンオウリーグの教会旗にも用いられている。
「へえ、シンオウのポケセンも中々」
ポケセンとは主に若者達の間で使われている略語であり、ポケモンセンターを縮めた略称である。他にも様々な略語があるが、それは追々追記していくとしよう。
キリンはシンオウのポケセン内の雰囲気がカントーのとはまた異質なものであることを実感していた。
「キリン……」
「ん?」
「ココアを買ってきてくれ」
「へいへい」
すぐさまアユミの鞄を足元において、自販機の方へと歩いていく。ポケギアを自販機のセンサーに当てつけて、アユミが欲しがっている温かいココアの缶を購入する。
アユミはその間にソファの上に座りながら、天井を見上げる。
「ほらよ」
「ありがと」
ココアを受け取ったアユミは早速ポケナビでシンオウ地方の地図をポケセンのワイヤレスネットワークからダウンロードする。
ミオシティにはジムが存在している。つまり、彼らが目指すシンオウリーグ制覇と打倒チャンピオンへの権利取得はこの街で第一段階として成し遂げられるということである。
マフラーと長い前髪であまり見えないアユミの表情は、しかしある資料に目を通しながら笑みを浮かべていた。
「ねえ、キリン」
「ん?」
一方のキリンはソファに腰をかけて、さっきココアと一緒に買った炭酸飲料で喉を潤していた。
「ここ、面白いよ」
ポケギア上に浮かび上がった地図のとある一点を指さすアユミ。その場所はミオシティの遙か北方にある小さな孤島だった。
「ん、ここがどうかしたか?」
アユミは速読で資料を目で駆け抜けて、首をこくりと頷かせる。
「ミオシティはシンオウでも一番の港町。昔から多くの交流があった街。ここの図書館、一回行ってみる価値があるよ」
アユミが指さしていた孤島とは満月島。それと彼女自身がスクールで専攻していたのが神話学と呼ばれる、いわば考古学である。
そんな彼女がミオシティの誇る大図書館の存在を見過ごすわけはない。
「一度行ってみたかったんだけどね」
「いいぜ。俺は一向に構わない」
キリンは根っからの奔放主義でもあるが、放任主義ではない。面倒見が良いことを彼自身が自覚していないが、なぜか他人を放ってはおけないという心理が働いてしまうらしい。
「それよか、ここのジムリーダーって誰だ?」
「トウガン。鋼使いみたいだね」
鋼タイプのポケモン。それはカントー地方には存在していないとされてきたタイプ。すなわち、他地方から来るトレーナーとのバトル以外ではあまりお目にかかることのないタイプとなる。
「鋼ね……。授業では結構念入りにやったよな」
「そうだね。私達がいたアサギシティのジムリーダーも鋼使いだった」
「へえ」
缶から最後の一滴まで飲みほしたキリンはアユミの空の缶をも取ってゴミ箱へと捨てに行く。
アユミはスクールで唯一アルセウス教とスウセルア教に興味を持っていた生徒で、教師も彼女の影響によって更に奥深くまでその両教徒について知ることになったという程であった。
故に彼女がシンオウに行こうと思い至ったのが、彼女にとってアルセウス教発端の地が興味深かったからである。
神話学を専攻している彼女ならば当然といえば当然なのかもしれないが。
「それじゃ、早速その大図書館に行くとするか」
「そうだね」
ポケモン達の健康状態は万全であり、トウガン対策は図書館にいる間でも練ることができるであろうと踏んだ二人のプラン。
一歩外に出ると頬がちりちりと凍らされていくのが実感できる極寒の中、アユミは更に自身を服の中に埋もれさせて、迫る寒風からキリンを盾にして図書館へと向かった。
大きな運河をまたぐ橋を渡って二人が到達したのはミオ図書館と書かれた大きな建物。大きなといっても横にではなく縦にと言った方がいいだろう。しかしそれでも普通の市立図書館の倍以上の大きさであることには変わりない。
「ひゅ〜。でかいな」
「……」
キリンの感嘆する口笛に、しかしアユミは答えることはしない。
寒さによってアユミが無言であるということではなく、ワクワクが治まらないゆえの無言であった。
「それじゃアユミ、行くか?」
とキリンが言い終わる時にはアユミはすでに館内へと突入していた。
「へっ。あんなアユミ久しぶりに見るな」
もちろん幼い時から面識がある者同士である。しかし、誰がこんな状況に陥ることになると予想できただろうか。
彼らが互いを下の名で呼ぶのには訳がある。それは彼らのいたクラス、つまりケンやリョウがいたホームルームでは皆が皆仲良くなる為にと全員を名字ではなく名前で呼ぶことにしたからである。
それによって彼らのクラスはスクールの中でも一番和気藹々としている有名であった。あの事件が起こるまでは……。
しかしながらキリンとアユミにおいてはまた違う理由がもう一つあるのだ。
そんなことを思い出しながらキリンはアユミのあのはしゃぎぶりに笑みを浮かべたのであろう。彼はアユミの後を追うようにして彼女の鞄を担ぎながら図書館の扉へと向かう。
「……わぁ、すごい。予想以上」
たったの数歩館内に足を踏み入れた時点でアユミは感嘆の声を上げていた。
多数の棚が所狭しと並び、その全てが一階の天井ぎりぎりまで高い。そしてその棚全てに配列された本はどこか年季を感じさせる背表紙ばかり……。
「へぇ。俺には一生縁のないところだな」
キリンは天井高くまで伸びている棚の列を見ながら溜息混じりに漏らす。
「歴史を感じる。住みたい」
「おいおい、勘弁してくれ」
爛々と目を輝かせるアユミの語調は変わらないが、声質は微妙ながらに高くなっている。興奮しているのだろう。
同い年の女の子で言うならば平均的な彼女の身長ではもちろん、上の方にある棚の本には手が届かない。それは男のキリンでも同じことが言える。おおよそ一階だけで5、6メートルはあろう天井のぎりぎりまであるのだ……どうやって取れようか。
「しっかし、こんなにあったらどこになにがあるかわかんなくなるな」
「その心配はないよ」
アユミは図書館の隅に設置されているパネルボードの上で指を走らせて自分が求める書籍の所在を検索する。そしてお目当ての本がでてきたところで確認を押すと、どこからともなく現れたマスキッパがアユミ御所望の本をもってきた。
「あ、ありがとう……」
「マスキっ!」
「へぇ〜、考えたもんだ」
つまり、マスキッパが己の鞭を使って本を探し出してもってきてくれるシステムらしい。
だが、まあとりあえず本を入手したアユミはそれを物色する。
その背表紙に書かれていたのは「神と人」という題名。
「なんかむずそうな本だな」
「……十分でおわる」
その一言と共にキリンはアユミの特技を目にすることになる。
数百ページはあろう分厚い本をアユミはパラパラと凄い勢いでめくっていく。それは一般人であれば本がどんなものか一通りチェックするような時にとる行為だが、アユミにとってはその行為こそが読書であり彼女の速読はスクールでも断トツであった。
そして彼女は一度読んだ文面を全て記憶することができる。つまり、ここの本も一度目を通すことができれば二度とここに訪れることはないのだ。
そんな彼女が読んでいる「神と人」の文献から一部を覗き込んでみよう。
「神と人」より:
【昔、宇宙の混沌から生まれた一つのタマゴがあった。
そのタマゴから生まれたもの、それが神だった。
神は己の分身を二つつくりだした。
そして新たに三つのタマゴを生んだ。
それが世界のはじまりである。】
文献「神と人」より抜粋