「番外編」:在りし日のバレンタイン
これはこの物語が始まる前の冬に起きた出来事である。
本来ならば新春を迎えたはずの二月中旬。しかしまだまだ寒い日は続き、たまにではあるが降雪も珍しくない。
冬休みも明け、そろそろクラスの女子が俄かに騒ぎ出し始める。そう、二月中旬にある女子達の一大イベントといえばバレンタインである。日本では、女子が男子へとチョコを贈るというのが定番になっている。
だがイッシュの方へ赴けば、そこは国際交流が盛んなためにバレンタインでの趣向は異なる。異性へ対する贈り物をするという点では同質ではあるが、日本ではチョコレートを愛の告白として異性へとプレゼントする傾向にある。イッシュでは、異性がお互いへと贈り物をしたり、尽くしたりするのが主である。
そしてこのカントー地方、ハナダシティのスクールで女子生徒たちはバレンタインの話題で持ちきりだった。誰にあげるだの、誰が好きだの、誰に対しては義理をあげるのか。
「ねえ、カナー」
「なーに?」
スクールのカフェテリアで、二人掛けのテーブルに腰かける二人の少女。彼女たちは共に13。まだまだ思春期、青春ともにまっただ中である。
茶髪の快活そうな少女の名はハヤミ ルカ。腕をテーブル端まで伸ばし、両脚をぱたぱたと交互にぶらつかせながら親友の名を呼ぶ。
「カナは誰かにチョコあげる〜?」
ここ最近、女子の間で開口一番に発せられるこの文句に、しかしカナは顔を赤らめてうつむいてしまう。
「えっと、ケ、ケン先輩に……」
「えええ!?」
細くなっていくカナの語尾に、ルカは驚嘆の声を上げてしまう。当時、ルカはカナが自身の兄に好意を抱いていたことを知らなかった。というより、今知ったのだ。
そしてルカがいきなり放った大声に、カフェテリア内は一瞬硬直して彼女へ視線を集める。だが、何事もなかったかのように再びガヤガヤ言い始める。
「ちょ、ちょっと、待って。ああ、わかった、今年卒業するっていう最終学年のケンせんぱ」
「ううん。ルカちゃんのお兄さん」
ルカはまるで世界の終りでも目の当たりにしたかのように、絶句する。開いた口がふさがらず、パクパクとしたまま頭の整理が追い付かない。
そしてカナがこんなにまで素直に告白していることに、さらに驚かされる。
そんなに好きなのか、とルカは思わずにいられない。
「や、やめようよ。あんな守銭奴、相手にするだけ無駄だって!」
「そ、そんなことないよ!」
「ふぇ!?」
テーブルを思いっきり両手で叩いて立ち上がったカナに、ルカは意表をつかれて驚いてしまう。ここまで攻撃的なカナをルカは見たことがなかった。そして、思うのだ。
愛って怖い、と。
「ルカちゃん、ケンさんのことなにもわかってない!」
体いっぱいにルカに対する怒りを表して(とは言うもののかわいいものだが)、カフェテリアから去って行ってしまう。
「あ、ちょっとカナ!」
「ルカちゃんのばかっ!」
一人取り残されるルカ。彼女はテーブルに残った自分の昼食を見下ろして、一息吐き出す。
「女ってこわい」
あなたも女ですよ、という言葉は野暮なので黙っておこう。
ところ変わり。
「な〜ケンケン〜」
「ええい、まとわりつくなリョウ」
スクールの学年制度は一年生から十二年生となっており、ケンらは高等部に所属している。ルカたちは中等部にいるということになる。
「ええやんけ〜、おごってごしない」
「だから離れろ!」
両肩に腕をかけながら、リョウは駄々をこねる。今は昼時であり、腹を空かせたリョウがケンへと食べ物をせがんでいる最中であった。
「だってケンケン儲けまくっとるがん」
「何の話だ、何の!」
「そりゃ決まっとー。毎朝やけになってバトルで稼いどるがん」
「あれは違うっていつも言ってるだろ!」
えぇ〜、と引き下がるリョウをケンは引きはがして先へと進んでいく。
「あ、ケンくん」
「ん? ああ、アユミか。どうした?」
「これを君にあげよう」
「カフェテリアの食券じゃねーか。いいのか、お前が?」
大食漢として有名なアユミがただで食券を他人に譲ることなど前代未聞である。だがアユミは冷めた声で淡々と告げる。
「ついつい大食いチャレンジをしてしまったものでね。今日中しか使えないみたいだし、通りかかった君は運が良い」
小さく口の中でうっぷ、とどれほど大食いしてきたかをアピールしながらも、アユミは食券を一枚ケンへと手渡す。彼女はケンのクラスメイトであり学年一の秀才としても知られている。
「そうか。ならありがたくもらっとく」
「せいぜい感謝したまえ」
彼女の紅蓮の髪が横切っていき、ケンは自分の後ろから追いかけてくるリョウへと目を配る。
「ケンケーン、頼むけー」
「はぁ。ほらよ、食券だ」
床を這いつくばって現れるリョウに、アユミはギョッとして避けるようにして廊下をわたっていく。
「まじ!?」
ぴょんっと飛び上がり、リョウはご機嫌良くケンへと駆け寄る。
「ケンケンから食券券〜」
「歌うな!」
と、怒鳴りつつもケンとリョウは肩を並べてカフェテリアへと向かっていく。なんやかんや言おうと、この二人もまた同級生ならば知るぞ知る仲の良い者同士なのである。
「きゃっ!」
「おっと」
二人がカフェテリアへと階段を下りて向かっていると、突然ケンの胸下にぶつかる生徒がいた。
小走りだった為、ぶつかってきた女生徒はよろけて尻餅をつきそうになる。しかしそれをケンが受け止める。
「お、カナじゃないか。どうした?」
「あ、あ、あ、あ……」
「あ?」
「ごめんなさーい!」
顔が沸騰するほどに真っ赤にしたカナは、そのままケンの腕を振り払って走り去っていく。
「あ、ふられとー」
「うっせえ!」
手のひらをでこへと当てながら、リョウはそうつぶやく。ケンからの怒りを買いながらも、二人はカフェテリアにて食事をとるのであった。
さて、昼休憩も終わり授業が再開される。普段は隣り合わせに座るルカとカナであるが、今日に限っては離れ離れに座っていた。
スクールで行われる授業は、ほとんどの生徒が一度に同じ科目を受けるシステムを取っている。そのため、毎回主要な授業は大講堂でするようになっている。
定位置を各自が授業の行われる度に確立していくのだが、今日に限ってカナは普段とは離れた場所に座っていた。そのことに、周りの同級生が動揺を隠せないでいた。なぜなら、ルカとカナの仲が良いことは同学年には知れ渡っている事実であるのだ。
「ねえルカ、あんた何かしたの?」
いつもの場所を陣取るルカのそばに座る女生徒の一人がそう寄り添って尋ねる。
「んー、まあいろいろとね」
眉間のしわを寄せて、小難しそうな表情を浮かべながらルカは答える。
「しっかし、あんたたちも喧嘩するんだね」
「そりゃするでしょ」
と、反論するルカだが、記憶を辿ってもカナからいきなり反発されるのは初めてのことだった。大抵の場合は、ルカの自分勝手な性分が暴走したりするというパターンが常であったからだ。
「でもカナはあんたと違っておしとやかだし、よっぽどのことがあったんでしょ?」
「え、なになに、聞きたーい」
次第にルカの周りには人が集まり始め、やんややんやとルカを問いただし始める。
「ちょっ、席に戻りなさいっての。ほら、散った散った!」
そうやって少し騒がしくなりつつあるクラスの中で、カナはちらっとルカの方に視線を配る。その時、ルカとカナの視線が交錯しお互いの目が合うのだが。
「ふんっ」
と、首を回してカナはクラスの正面へと向いてしまう。
それを物悲しげに眺めていたルカは、深いため息をつくのであった。
ちなみに誰もカナへと近づかないのは、彼女がハナダのジムリーダーであるカスミの妹であるということ。それにもう一つ、彼女に何か起こった場合、ルカが黙ってはいないからである。
今日は二月十三日。
バレンタインまで、あと一日。
「はぁ〜あ」
「どうしたの、ルカちゃん?」
ここはハヤミ家。
リビングで、ルカはカフェテリア同様テーブルへと突っ伏したまま呻く。ルカの母親が反対の椅子に座って編み物をしている。
「なんか、カナを怒らせちゃったみたいでさー」
「あらら」
編み物用の棒をいったんテーブルへと置いて、右手を頬へと添える。
「なにかしちゃったの、ルカちゃん?」
「なんかねー、カナがバカ兄のことが好きみたいなんだよねー」
面白くなさそうに、漏らすルカに母親は、
「あらら、そうなの?」
「バレンタインにチョコあげるみたい」
「ケンくん、人気者ね。去年もたくさんもらってたわ」
「だよねー。結構くすねたし」
去年のバレンタインを振り返る。ケンはあのような性格だが、顔は良い。おまけに面倒見が良いので、同級生からも下級生からも人気がある。それゆえに本命であろうと義理であろうと、受け取る量は半端ないのである。
それゆえに、抱えきれないほどのチョコを家へと持ち帰った時、ルカはその恩恵を授かったのだ。毎日食べても飽きないほどのチョコレート。でもたまに、中に髪の毛が入っていたりしたのもあったのは、ルカは黙っておいた。まあ言ったらパクっていたのがばれてしまうのだから仕方がない。
「でも、なんで今年になってバカ兄にチョコなんて……」
「あれじゃない、シャワーズちゃんを助けてあげたときの」
「あー」
母からの一言にルカは納得のいったように頷いた。
昨年の授業で、カナは先生からお咎めをくらったことがある。その教師が新任だったこともあるのだが、バトルの基礎を教える授業でカナが高度なトレーナー技術を使ったのだ。それはジムリーダークラスのトレーナーが使うほどのものであり、もちろんカナはカスミの妹であるために教わっていたスキルであった。
しかしこれは素人が使ってしまえば危険を伴う為に、教師がカナを呼び出してこっぴどく叱責したのだった。まあそんなことをしてしまえば、その教師にハナダに居続けることなど叶わず、あっさりと左遷されてしまった。もちろん授業中に生徒にもポケモンにも支障は及ばなかった。
だが繊細なカナに及ぼした影響は大きかった。クラスの前で、なにも悪いことはしていないのに叱られたことは、なによりも気遣いのできるカナにとっては辛かったのだ。さらにふさぎがちになってしまったカナではあるが、ルカは常に傍で支えていた。それでも彼女が抱えた傷は深かった。
「あの時はちょっと大変だったなー」
テーブルの上に置いてあったチョコ菓子をつまみながら、ルカは記憶を遡る。
「どんなに慰めても、全然気晴れなかったし……」
椅子から立ち上がってルカはジャケットを羽織って、扉へと向かう。
「どこか行くの?」
「カナの家。一緒にチョコ作ろうかなって」
「そう。仲直りしてきなさいね」
「がんばりまーす」
ルカは外気に触れながら、黄昏に色褪せつつある雲空を眺めていた。そしてカナがあの日、立ち直った時を思い出していた。
「あの時は、でもバカ兄には助けられたなー」
そう。カナの心に深く刻まれた辛辣な教師の暴言を取り払ったというより忘れさせたのはケンであった。
夕暮れ時、そう、ちょうどこんな時間だったのをルカは思い出す。
ハナダ中心部にあるセントラルパークのベンチでルカとカナはクレープを片手に安らかなひと時を過ごしていた。いや、安らかなひと時を過ごそうとしたかった。
未だ立ち直らないカナをルカは甘いものでなんとか持ち上げようとしたが、それもまた失敗に終わった。公園の片隅では二人のガーディとシャワーズが戯れていた。戯れてはいたが、シャワーズは主のことが気が気でなかったのだろう。
顔を中々上にあげない主人のそばでシャワーズは鳴いて呼びかけるも、カナは感情のこもっていない手でシャワーズを撫でるのであった。そしてシャワーズは悲しみに暮れた表情を浮かべる。
「あ、シャワーズ!」
「え?」
そして意を決したかのようにシャワーズは突然公園の外へと走り出したのだ。そのあとをガーディが鳴いて追いかけるも、追いつきそうにはない。突然のシャワーズの行動にカナは面喰ってしまい、気が動転してしまって立ち上がれずにいた。
だが彼女の目はしっかりとシャワーズを見つめており、公園を出たところの車道を一台のトラックが接近しているのが確認できたのだ。
「危ないっ!」
ルカがそう叫ぶも、去りゆくポケモンの耳には届かなかった。シャワーズは一目散と駆け、道路へと飛び出してしまう。
「いやぁ!!」
耳をつんざくブレーキ音に、畳み掛けるようにしてタイヤがアスファルトを焼く摩擦音が響き渡る。カナの叫びもそれによって掻き消される。
だがいくら待てどもシャワーズの身体を弾き飛ばす、鈍い音が聞こえることはなかった。そう、シャワーズは衝突からの難を逃れたのだ。
「ひゅー、危なかったな」
トラックは反対車線へと乗り出してはいたが、向かってくる車体はおらず大事には至らなかった。シャワーズを守るようにして前に立ちはだっていたのは黄金に光るキュウコンだった。
【神通力】によってトラックの軌道を変え、シャワーズは危機から逸した。
この後、ルカに連れられてカナはトラックの運転手へと謝罪をした。寛容だった運転手によってその場はなんとかなった。そしてカナはシャワーズを抱きしめては泣きやむことはなかった。
ルカとケンは一緒にカナを家へと連れて行き、なんとか彼女を落ち着かせようと努力した。ルカはカナが泣き止むまで介抱し、ルカの母親も助力した。そしてシャワーズがいきなり公園から飛び出した理由もわかった。
「え、わかったの。お母さん?」
「ええ、任せなさい」
温かいココアを両手に握って、カナは前よりはるかに落ち込んでいた。一気にいろんなことが起こりすぎて、カナのメンタルでは抱えきれなかったのだ。
「カナちゃん」
「……はい」
ルカの母親は優しくカナへと語りかけながら、シャワーズから感じ取った心情を導き出した。
「カナちゃんが元気がなかったから、シャワちゃんは家から木の実を持って来ようとしたのね」
「え?」
「お庭で育ててるんでしょ?」
「はい」
テンドウ カナミは無類の木の実マニアだ。栽培の難しい木の実であろうと、取り寄せては育てていた。そしてこの日はカナが大事に育てていたズイの実が熟すのをシャワーズは知っていたのだ。
「シャワちゃんのこと、怒っちゃダメよ?」
「はいっ。はいっ……!」
顔をくしゃくしゃにしながらカナは涙を流した。伝った涙がココアのカップへと吸い込まれて、水滴を鳴らす。
「今日は泊まっていきなさい。ね、ルカちゃん?」
「うん、そうだよ! 一緒にバレンタインのこと話そう!」
「うん。うんっ……!」
その日、カナはハヤミ宅にて一晩を過ごすこととなる。そして彼女を気に掛けるのは、ハヤミ家の全員である。つまりケンもまた例外ではない。
「なあ、カナ」
「な、なんですか、先輩」
この頃のカナは、まだケンに対する好意を恋愛へとシフトしてはいなかった。この時、までは。
「今日はいろいろと災難だったな」
「いえ。あ、あの!」
「ん?」
「ありがとうございました」
風呂場から出てきたカナが二階のルカの部屋に戻る時、台所で水を飲んでいたケンと出くわしたのであった。
「いや、いいんだ。それよりも」
コップの中の水を飲み干して、ケンはカナへと告げる。
「例え自分になにが起きても、ポケモンだけは放っておくな。あいつらはなんでも応えようとする。トレーナーのためならどんなことでもな」
今のカナには多少厳しい言葉なのかもしれない。だが彼女にはしみじみとその文句が心に響いた。
「それはお互いの絆が強ければ強いほど大きくなる。だから辛くても、悲しくても、死にかけてても、ポケモンのことを大事にしろ。いや、してやってくれ」
「…………」
「わり、ちょっと言葉が過ぎたな」
「い、いえ。ありがとうございます」
頭をぽりぽりと掻きながら、ケンはカナへと水を手渡してやる。
「まあ、頑張れよ」
「あっ」
ケンは右手でカナの頭を撫でてやる。未だ乾ききってない髪の毛を気にしてか、カナは身を引こうとする。しかし羞恥心とが邪魔をして動くように動けず、顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。しかし風呂上りゆえに上気した顔はすでに朱を帯びている。
両手で握る冷たい水に映る自身の顔を見ながら、カナはその時ケンに恋していることを自覚したのだ。
そんなことがあったことなどルカは当然知らない。だがシャワーズのことを救出され、母から諭されたことで気が晴れたと思っていたのだ。
「んー、どうしよ」
威勢良く家から出たはいいものの、ルカははたしてカナと仲直りできるのか自信を持てなかった。なにせこういったパターンで喧嘩したことがないからである。
だが昔の思い出を掘り返している間に、ルカはカナの家まで来てしまう。
ベルを押し、中から現れたのはカスミの姉であるアヤメであった。
「あ、ルカちゃんじゃない。いらっしゃーい」
「アヤメさん。お邪魔します」
「カナー、ルカちゃんよー」
アヤメがカナの名を呼ぶも音沙汰無い。
「おかしいわね、カナー」
声を張り上げるアヤメに、ルカは
「あ、いいですアヤメさん。私行きますから」
「そう? ゆっくりしていってね」
「はい」
おじゃましまーす、と言いながらルカは靴を脱いで、慣れた足取りで二階へとあがっていく。カナミとかわいらしい字がぶらさがっているドアにノックして、ルカは友の名を呼ぶ。
「カナー、私」
「…………」
返事はない。だが雰囲気から、そしてアヤメの態度から、カナはこの部屋にいることをルカは悟っていた。
「入るね」
「……」
そしてルカは喧嘩時におけるカナの態度を熟知していた。今回は経緯は違えど、カナがとっている態度はなんら昔と変わらない。
ノブを回して部屋へと入ると、カナはルカに背を向けるようにしてシャワーズのスキンケアを行っていた。ルカの入室に気が付いたシャワーズが優しく挨拶するように鳴いたのにルカは手を振って答える。
「あのね、カナ、私、知らなくてさ、その」
それでもやはりルカは緊張していた。このような場合、大概はすぐに仲良くできるというジンクスがあるのであった。だが今回はカナの方から切り出したために確信は持てなかったのだ。
「カナが、バカあ……じゃなくて、お兄ちゃんのことが好きだったなんて」
「…………」
手振り身振りであたふたと宙で躍らせながら、
「でも、もっと早く言ってくれたなら協力したのに」
と、ルカが言うと同時にカナは椅子から立ち上がった。
「本当?」
「え?」
「協力してくれるって」
「そりゃ、もちろん。だってカナは私の親友だもん、協力しないわけないじゃん」
「ルカちゃん、ありがとう!」
「わっ!」
飛び込むようにして、カナはルカへと抱きつく。
「ごめんね、ルカちゃん。怒鳴っちゃったりして」
「え、いやー、別に大丈夫だって。それに、私の方こそカナのこと考えてあげれなくてごめんね」
カナは怖かったのだ。というよりも、ルカとの仲が悪くなるかもしれないという危惧を抱いていた。なぜならカナは、もし彼女がルカの兄のことを好きだと言ったら幻滅されるかもしれないという不安があったのだ。
そもそもカナには男の友達がいない。一家全員が女姉妹なカナにとって、友人が家族の誰かを好きになるというケースが想像できなかったのだ。まあ、そうはならないのだから当たり前であろう。
「なんだ、そんなことで悩んでたの?」
「そ、そんなことって!」
ルカに打ち明けて、最初にそう言われてしまってカナは半泣き状態になる。
「あああ、ごめんごめん。そんな、だって、そんなことがあっても私はカナの親友だよ?」
「本当?」
「本当本当。ワタシカナニハウソツケナイ」
喉に手のひらを当てながら、ロボットのようにルカは声を発する。そんな親友に、カナは小さな笑い声をあげながらガールズトークに花を咲かせるのであった。
「カナは明日バカ兄になにかあげるの?」
「うん、チョコつくろうかなって。ふつう、すぎるかな?」
「そんなことないよ。私も一緒にいいかな?」
「もちろん」
そうして二人は台所で数々のチョコ菓子へと挑戦し、カナがルカの失敗へとフォローをいれていくという形となっていた。ルカが納得のいくものができたのはその日の夜遅く。ケンに迎えに来てもらって、ルカは帰宅する。
「それじゃカナ、がんばってね」
「うん、ルカちゃんもね」
「まっかせなさーい」
別れ際にこそこそとはしゃぐ二人を遠目に、ケンは怪訝そうな顔で尋ねる。
「おい、なにしてんだ?」
「なーんでもない。それじゃねカナ」
「うん、バイバイルカちゃん」
こうしてバレンタイン前日は、波乱と呼ぶかどうかは別として、忙しい一日となった。
そして、バレンタイン当日。
「あ、あの、先輩」
「ん? おお、カナじゃないか」
両腕に抱えきれなくなった包み箱を山盛りにしたケンは、それによって遮れそうになっている視界でカナを識別する。
「た、たくさん、ありますね」
「ああ、まあ、毎年こんなもんさ」
と、なにも悪びれなく言ってのけるケンに、やっとの想いで話しかけたカナは怖気づいてしまう。
「頑張れ、カナ!」
そして廊下の角でカナのことを見守っているルカは、心の中でエールを送っていた。
「えっと、その、これ……受け取ってもらえますか?」
「俺に、くれるのか?」
「そ、その、シャワーズを助けてもらった時のお礼です」
「シャワーズ? でも、たしかあの時にはお礼をもらった気が」
「受け取ってください!」
「おわっ!」
突き出されたようにして山のような包み箱の中へと侵入したカナのチョコは、もはやどこにあるか検討がつかない。
だが言うことを言い、律儀にお辞儀までしたカナは足早にその場を離れてルカと合流する。
「カナ、頑張ったね!」
「うん、ありがとうルカちゃん」
お互いに手を取り合い、笑みを浮かべ合い、カナは初めてのバレンタインを経験した。そして残るは、ルカの作ったチョコであるが……。
その日の夜。
「うわー、バカ兄。いつか殺されるんじゃない?」
「女に殺されるより先に、血糖値が上がりすぎて死にそうだな」
「あははーバカバカ〜」
いつものように兄妹の会話を繰り広げていると、ルカは去年とは違うケンの行動が目についた。
「今回は律儀に全部見てるんだね」
「ん、あ、ああ、まあな」
ちなみにケンは今までチョコはもらっても、同封されている手紙やメッセージには目もくれずチョコやお菓子のみを食べていた。それゆえにルカはくすねることができたのだが、それは言わない。
しかし今日にいたっては、ケンはきちんと包装紙を外してはメッセージや文章の類に目を配っていた。
「あ、もしかしてもらいすぎて本命の子からもらったの忘れたとかー?」
ケタケタ笑いながらルカがソファの上でごろごろしていると、いつもなら笑い飛ばす兄のセリフがなかったのだ。
「なに、言ってんだよ」
内心図星であることをケンは隠そうとするが、ルカはそれを手に取るように察した。女の勘というやつであろう。そしてそれをあえて口には出さず、心中でニヤニヤと自分の兄を眺めるのであった。
「んだよ、なにか言いてーのか」
「ううん、なんにもー。あ、そうだ、これあげるよ」
「あ?」
「チョコ」
「ふーん」
ルカは鞄の中から昨日カナと共につくったチョコ菓子をケンへと手渡す。
「お前が俺にチョコね」
「日頃のお礼だよ、受け取りたまえ」
どこぞの女王っぽく、顎をあげてルカが言い放つのを、ケンは黙った聞いた後、その菓子を受け取る。そして、
「ありがとよ」
と言ってそのままぽいっとソファの端にケンは投げ置く。
「ちょっと!」
「あとで食うからいいだろ。ありがとよ」
「もうあげないんだから! いー、だ!」
ルカはケンへと舌を出して、そのまま部屋へとあがっていってしまう。
「へーへー、とっとと上あがれ」
妹がいなくなり、ケンはルカからもらったチョコを手に掴んで、そっと鞄の中へとしまう。どうこう言われようと、毎日くだらないことで喧嘩していても、ケンはルカのことが嫌いではない。家族として、ケンはルカのことを大事に思っている。ただ、それだけだ。だからこそ心の底ではうれしかった。
だが、今は。
「カナのくれたやつ、一体どこに隠れてんだ……」
ケンがさっきから躍起になって探しているもの。それは、カナが勢いに任せるまま他のと紛らせたバレンタインプレゼントであった。他の女子のものはどうでもよかったケンだが、面識のあるカナからもらったものは礼儀としてちゃんと味わいたかった。それにカナの料理の腕は、ケンも知っている。
しかしカナの恥ずかしがりな性格が全面に出ているのか、彼女は名前はおろか、メッセージも添えていないため今日中にカナのチョコをケンが見つけることは不可能であろう。
そうこうして、在りし日のバレンタインはここで幕を閉じるのであった。
この後、ルカがケンに協力してカナのつくったチョコの箱に名前を書き入れたというのはちょっとしたおまけ話である。