プロローグ
ガラーンゴローン…ガラーンゴローン…ガラーンゴローン…
“ここ”に訪れた人の誰かが鳴らしたのであろう、この“塔”の最上階に設けられている鐘独特の、悲しげな音色が“塔”の隅々まで響き渡っていった。
“塔”の中でその音色を聞いた人々は、皆その場で両の手のひらを合わせ、目を閉じながら静かに哀悼の意を表する。
しかし、この“塔”の3階にいた“少年”は、鐘の音に耳を傾けてはいたものの、他の人のように手を合わせ、目を閉じるようなことはせずに、目の前に並ぶ文字の刻まれた石碑の1つをじっと見つめていた。
そして“少年”は、ゆっくり手を伸ばすと石碑のその冷たい表面に触れ、優しく撫で始める。
「…もう3年になるのか。時間が経つのは、早いもんだな…」
誰に―――いや、目の前の石碑に話しかける少年の目からは、一筋の涙が流れていた。
=====
“少年”の名は、ミヤマ・ケイスケという。
水色の髪と、黒いシャツの上からオレンジ色のベストを重ね着した、俗にエリートトレーナーと呼ばれる出で立ちをしている。
しかし、現在ケイスケの腰に、モンスターボールは1つもホルダーされていなかった。
ケイスケは抱えていた花束を石碑の前に置くと、“塔”の最上階へと続く階段に向かって歩を進め始めた。
彼が見つめていた石碑には、次のようなことが刻まれていた。
【 種族:サイドン
××××年 △月 ○日 没
ここに名を刻まれし者、この場所にて安らかな眠りにつく 】
最上階まで登りきった瞬間、強烈な風がケイスケに吹き付けてきた。ケイスケは咄嗟に風から顔を庇う。
「ふぅ…ここはいつ来ても、風が強いな」
ケイスケは一瞬だけ笑みを浮かべると、すぐに表情を引き締めて再び歩き始める。立ち止まったケイスケの目の前には、アーチ上のものかた吊り下げられた大きな鐘があった。
ケイスケは鐘に繋がった縄を持つと一度だけ鐘を見つめ、勢いよく引っ張った。
ガラーンゴローン…ガラーンゴローン…ガラーンゴローン…
青く澄み渡った空に、再び悲しげな鐘の音が響き渡る。ケイスケも今度は目を閉じ、両の手のひらを合わせて静かに哀悼の意を表した。
=====
鐘の音が完全に鳴り止むと、ケイスケは鐘に向かって一礼し、“塔”を降りるため階段に向かって歩き出した。
台座の短い階段を降りきったその時!
ビキキキ!!
氷にヒビが入ったような音がケイスケの耳に聞こえてきた。
「?!」
ケイスケは咄嗟に身構え、音の原因を見つけようと周囲を見回す。そして、何かの気配を感じて後ろを振り向いた瞬間、その光景が目に飛び込んできた。
自分と鐘の間の“空間”に―――比喩などではなく、まさに言葉どおりの意味で―――ヒビのようなものが生じていたのだ。
「な、何だ…!?」
ケイスケは目の前の光景に驚きを隠せず、それでも何とか冷静になると、ヒビ(のようなもの)から離れようと少しずつ後ろへ下がり、様子を窺う。
そしてヒビは、収まるどころか徐々に広がっていき、縦の長さがケイスケの身長を越えたくらいになりようやく収まった。
(ま、まさか…このまま割れたりは…しない、よな…?)
しかしその希望的観測は、あっけなく打ち砕かれた。
ケイスケがわずかに気を緩めた瞬間、それを見計らっていたかのように石をぶつけられた窓ガラスのような音をたて、“空間”は砕け散った。
割れた“空間”の向こうには漆黒の闇が渦を巻いており、いきなりケイスケを吸い込み始めた。
「!?…吸い込まれてたまるか!!」
ケイスケは咄嗟に“塔”の縁を掴みその場に伏せる。
しかしそれも、つかの間の抵抗に過ぎなかった。“闇”の吸引力に耐え切れず、ケイスケがしがみついていた部分のレンガが剥がれ、ケイスケはそのまま“向こうの空間”へと引き刷り込まれてしまった。
「うわあああああぁぁぁぁぁ―――――!!!!!」
“向こうの空間”に吸い込まれる瞬間、ケイスケの頭に浮かんできたのは空間を司ると言われているシンオウ地方の神話に登場するポケモンのことだった。
ケイスケを吸い込んだ後、ヒビは勝手に閉じる。そして“塔”の最上階に、彼がいたことを残す痕跡は何も無かった。