第87話 氷のような私に
ぼやけたままだった過去を取り戻し、自分を認めてまた前に進むカエン。今、決着をつけるためにまた歩き出すー
どれだけ長いこと夢を見ていたんだろう。一瞬かもしれないし、もっとずっと長かったのかもしれない。でも、それももう終わり。私は約束を果たすために、目を覚ました。
*
「あ………うん…?」
「カエン!目を覚ました!?大丈夫?」
ぼやけた視界はすぐにはっきりし、目の前には少し涙を浮かべたティーエが自分の顔を覗き込んでいる。
「あれ…ティーエさん?どうしてここに?」
「あなたが連れ去られたと聞いて、助けに来たんです。エレナさんもいますよ」
顔を動かせば、甲賀の顔が見える。みんなして、わたしを見ていたみたいで、少し恥ずかしくなった。
「良かった…カエン、覚えてる?抜け穴の中で倒れていたんだよ。大丈夫?痛いところはない?」
ティーエの問いに、大丈夫と言って答えた。軽快に体を動かして具合を確かめるが、別段気になることはない。
「さて、資料も掴んだことだし、早速脱出しましょ。ちょうどいいからその抜け穴を使ってね」
エレナはぴらぴらと少量の紙束を仰ぐように振ると、カエンが作った抜け穴に向かって歩いた。しかし、それをカエンが止めた。
「待って欲しいのですよ。少しやりたいことができたので付き合ってもらってもいいですよ?」
そのやりたいことは、シバーレルと話したいということだった。理由を聞かれたが、それは答えなかった。
少し疑問を持ったままだが、彼らはそれを引き受けてくれた。抜け穴はそのままにして、カエンの案内のもとシバーレルのいる場所を目指した。それは意外にも近く、彼らは勢いよくその扉を蹴り開けた。
「む…?なんだ、カエンか。探す手間が省けて良かった。さあ、カエン。こっちに来るんだ」
貼り付けた笑顔ととってつけたような言葉。もうそんなものには惑わされたりしない。自分は今、シバーレルと決別するためにここにいる!
「あなたに言っておきたいことがあるのですよ。私はあなたの自由なんかにはならない!この片目に誓って、私は私の好きなように生きるのですよ!なので、もう二度と関わらないで欲しいのですよ!」
言った。確かに言った。だけど、シバーレルはそれを鼻で笑った。
「フン、何かと思えばそんなことか。だったらその目をよこせ。それさえあればワシの望みは叶う。さあ、ワシにそれを渡すのだ」
もちろん、そんな望みに答えることなんかできない。これは名もなき親友の唯一の形見。絶対に渡してたまるか。
「断るのですよ!これは私の宝物なのですよ。あなたなんかに渡してたまるかってんですよ!」
「聞き分けの悪い子供は嫌いだな。仕方ない、力づくでも奪わせてもらうぞ」
シバーレルが四肢に力を込めると、幾つものツタが現れた。それを手足のように操り攻撃してきた。
「単調です!剣技、十二月が一つ。葉月!」
甲賀は一瞬のうちに剣を振り抜くと、瞬く間にツタを微塵にまで切り刻んだ。
「ぐあああああああああ!?」
それを捉えきれなかったシバーレルは攻撃された事も分からずに沈んだ。
「くっ…いったい何が…」
「シバーレルさん。もうこれ以上我々には関わらないでください。カエンくんはあなたの元に戻ることを望んではいませんし、僕たちも渡す気はありません」
倒れているシバーレルにはっきりと言う。もう勝ち目はないことを。しかし、それを認めようとはしない。
「まだ、負けたわけではない!わしは…!」
異様なまでにカエン、そして会社の存亡に執着を見せる。彼に何をここまでさせるものがあるのだろうか。
「あなたを父とは呼びたくないですが…私はあなたのことが大っ嫌いなのですよ。いつもそうやって会社のことばかり考えていて、挙句私まで捨てて…。私はあなたと関わりたくないですよ。なのであなたも私と関わらないでください。今日限りで私はジーニアス性を捨てさせてもらいます。私はこれからはただのカエンとして生きていくのですよ」
カエンは毅然とした態度で言い放った。
その言葉にシバーレルは動けないでいた。言葉を発することもできずにただそこに倒れていた。
カエンはそんなシバーレルを一瞥すると、そこから立ち去ろうとした。
「ま、待て!カエン待つんだ!」
「その名をあなたに呼ばれたくないのですよ。さようなら。二度と会うことはないのですよ」
それに合わせて、甲賀やエレナもその場から去る。誰もいなくなったその場所では、シバーレルの雄叫びのような声が響くだけだった。
「ププッ、逃げられてんの〜?ダッサーい」
その時、闇の中からふらっと、誰かが出てきてシバーレルを嘲笑った。
「貴様…助けろ!わしは…!
「黙れよ、死に損ない」
おどけた表情から一転、無慈悲なまでに冷酷な殺気を見せると、シバーレルをまるで虫のように踏み潰した。
「ガッ!?」
「僕はねぇ〜、新しいおもちゃを見つけたんだ。あの子はどんな顔で笑ってくれるのかな?クフフ…!」
溢れ出るような何かを抑えるように笑うと、そのまま放置してまた闇に消えた。
*
あの日から数日、カエンは変わらず救助活動に精を出していた。カエンが掘った抜け穴を広げて全員が通れるようにして、そこから逃げ出した。誰も追ってくることはなく、ポケモンニュースにもシバレル不動産関連の記事が並ぶことはなかった。
「カエンー。甲賀ー。新しい救助依頼来てるよ。みんなで行こうよ!」
ティーエさんの元気な声が届く。それを聞くと、私は立ち上がった。甲賀さんも手入れしていた剣を仕上げて、それを持って外に出た。今日もまた誰かを助けにダンジョンに潜る。
「炎の山で依頼が三件!あそこは大変だったからね。早くいこっ」
「ええ、行きましょう。カエンさん?」
「今いくのですよー!………ん?エレナさんは行かないのですよ?」
ふと、何もしていないエレナが目につき、軽く誘ってみた。
「…いや、わたしはいいわ。なんかそんな気分じゃないから」
肘をつきながら軽く手を振り、自分は行かないという意思を示す。
「そうなのですよ。じゃあ行ってくるのですよ!」
それになんの疑問を抱かずにカエンは元気に手を振って彼らについていった。それを笑顔で見送る傍、ため息をついている自分がいた。
「おや、君がため息なんてらしくないね。何かあった?」
ルアンと歌韻と共に何やらよくわからないものに挑戦していたソルドが顔を上げた。
「べーつーにー。ただ最近刺激がなくて退屈なのよ。何か楽しいことないかなー」
「盗みはダメですよ!」
「わかってるわようるさいわね」
大きく息を吐いた時点で、ルアンが先手を打ってきた。少しばかりその気はあったのだが今の一言で一気にやる気が失せる。
おかしい。カイトに止められても誰に何を言われても気にしなかったのに、なぜルアンに言われるとこうも萎えてしまうのか。
自分の感情を操作できないことにエレナは苛立ちを覚えた。
「ねえ、エレナ。退屈してるなら僕とすこし出かけないかい?話したいこともあるしね」
珍しくソルドから誘いを受けた。別段したいことも無かったし、話があると言われてそれも気になったからだ。
「そうね…いいわ。どこに行くの?」
「どこ…ってこともないな。そうだ、カイトから教えてもらった鳥の巣に行ってみたいな」
カイト。その名前に少し引っかかるものがあったけど、今は気にしすぎないようにする。机に伏せるように倒れていた体を起こし、誘われるままについていくことにした。
*
久しぶりに来たこの場所。いつもは基地の中で自分で紅茶を入れたりして、午後の時間を味わっていた。しかし、今日は違う。
「いらっしゃいませ、何名様でしょうか?」
目の前に立つスバメからはとても響きのいい声が発せられる。
ソルドが「二名で」と答えたので、小さめのテーブルに案内された。
他の所と仕切りで分けられているが、他の場所と大して差は無かった。
私は注文を取りにきたスバメに、紅茶を頼んだ。ソルドはコーヒーを頼んでいた。
「で、話ってなに?唐突にしてはそれで呼び出すなんて、実は結構前から考えてたりした?」
スバメがいなくなり、こっちから話してくれるよう促した。それに気づいたソルドは迷いながら口を開く。
「うん。でも、話をする前に少し聞いてもいいかな?君の過去のことについてなんだけど」
エレナは少し体を硬くして身構えた。自分の過去。霞がかかったようにあいまいで、今一つ思い出せない。
「ええ、いいわ。私もそろそろはっきりさせなくちゃいけないと思っていたの」
ここ数日、カエンが過去と折り合いをつけてきたことを妙に意識していたと気付いた。同じ過去というテーマでは私も似たようなものだからだ。らしくも無い。一日を生きることしか考えられなかった自分が、今更になって過去のこと?ずいぶんと余裕が出来たものだと、嘲りを込めて笑うしかなかった。
「君にはまだ話していなかったよね、僕がこの仮面をつけている理由。それについて君知ってもらったうえで、話したいことがあるんだ。かいつまんで話そう」
ソルドは以前に話した。自分には一人の妹がいたこと、それが黒い翼を持つピカチュウによって殺されたこと、そして、その黒いピカチュウを今でも追っていること。ソルドは、まず知っておいてほしいことを話した。
「ふぅん…それは災難だったわね。それで?」
「…勘のいい君ならもう気付いているだろう?会った時から考えていた。君が僕の妹なんじゃないかとね。どうだろう。何か思い出したりはしないかい?」
彼はいったい何を言ってるんだろう?そんな話を聞かされたとしても、私が思うものは何もない。やっぱり、過去なんて分からない。思い出す物なんて、あるわけない。
「そうね…特に思い当たることは無いわ」
その時、急にソルドの視線が鋭くなった。
「君は嘘をついている。悪いけど、僕に嘘は通じないよ」
嘘?おかしなことを。ちっとも話にならないわ。嘘はついてない。これが私の本心。何も隠すことは無いの。
「あら、嘘をついているように見える?悪いけど、そんなことはないわ。自分の過去に嘘をつく必要性なんてないもの。それで?話はこれだけ?」
「そうかい…いや、違うならいいんだ。話はそれだけだよ」
「そう。じゃ、私は先に戻るわ。お金は払っておくから」
私はそういうと、足早に喫茶から出た。一人、残されたソルドは悲しく笑うと、少しだけコーヒーを口にした。ああ、苦いな。ソルドはふと、そう思った。
*
どうしてだろう、もやもやとした気持ちが晴れない。私は今どこかの森の中にいる。そこにいるポケモンたちを次から次になぎ倒し、果ては襲い掛かってこない相手まで引きずり出しては打ちのめした。
技に精度がない。威力の押し付けだけでなくたたかっているようなものだ。少し知恵があるポケモンが来れば簡単に避けられてしまうだろう。いつもの私らしくない。
「(なんなの?この気持ちは。ソルドの言いたいことはだいたいわかった。私が、彼の妹じゃないかということだった。そんなの、急に言われて信じられるわけないじゃない。仮にそれが正しかったとして、私はどうすればいいの?今更増えた家族を、『兄』となんて言えない。言えるわけない)」
自問自答は止まらない。なにも考えたくない。これ以上の答えにたどり着きたくない。こうまでして否定したいってことは、信じてしまっている自分のもいるのだろうか。
「(私、どうしたらいいんだろう。…いや、違う。どうしたいんだろう。家族とは一体どんなもの?なにも…なにもわからない)」
ひとしきり暴れた後の森は、酷いことになっていた。そこかしこに強力な技がぶつかって、抉れた地面や、倒れてしまった木が散乱している。
これ以上この場所を荒らしてはいけない。私は、金色に輝く救助隊バッジ。掲げて、基地に戻ることにした。
*
空高く昇っていた太陽はもう既に傾きかけている。彼らの姿が見えないあたり、まだ戻って来ていないようだ。
ふと、基地内を見渡すと、何かにチャレンジしていたはずの歌韻とルアンが寝落ちしていた。なんとなくそれを覗き込むと、どうやらクロスワードパズルをやっていたらしい。ところどころ埋まっていたり、抜けていたりしている。
「気持ちは落ち着いたかい?エレナ」
ドキッとして振り向くと、後ろにはソルドが立っていた。
「………結論は出たわ。悪いけど、変えるつもりはない。それが私の出した答えよ」
しっかりと、自分の思いを伝えた。考えに考えた末、出した答えは、変わらない。そう、なにが変わるというのだ。私は今までもこれからも同じように生きていく。救助隊として活動して、時々美味しいご飯を食べて、スリルが欲しくなったらまた怪盗になって。
「例え私が…ソルドを兄として、家族として認めたとしても、きっとなにも変わらないって。そう思うの。あなたはあなたのまま。私は私のまま。それぞれ別の時を生きていく。無理に交わる必要なんてないわ。少しずつ、お互いを分かっていけるのが一番いいんじゃないかしら」
いつまでも悩んだままでは終わらない。優柔不断な心に蹴りを入れて、冷えた頭で答えを出した。
そう、無理に変わることなんてない。急に家族なんて言われても、ただ顔見知りだった今までから急に距離が近くなるなんてことはない。
だから少し突き放すような言い方をした。勘違いはしてほしくない。だけど、だからこそ、もう一度___
「私みたいな女、家族にしても手を焼くだけよ?それでもいいって言うなら…まあ、話くらいは聞いてあげるわよ」
誰かを信じてみてもいいじゃない。