第83話 最大のドロボウ
カエンが連れ去られ、奪還作戦を強行する彼ら。カエンは自分の力で脱出しようと悩むが、イマイチ良い方法が浮かばない。一度は自ら手放した子を呼び戻した社長の真意とは?ー
「シバーレル社長。カエン様をお部屋へお連れしました」
「そうか…始めろ。なんとしてもあの片目を手に入れるのだ」
シバーレルの放つ言葉は冷徹で、それでいて非情だった。しかし、表情は芳しくない。
「ウフフ、あーあ。言っちゃった、言っちゃった。もうあとには戻れない?戻らない?さあどっちかなぁ〜?」
突然闇からポケモンが現れ、楽しそうにケラケラと笑った。シバーレルは、憎らしそうにそいつを睨む。
「うるさいぞ、クラウン。そうしろと言ったのはお前だろうが」
シバーレルの背中の花の根元から伸びた緑色の蔓が、クラウンと呼ばれたポケモンの足元を叩いた。
「わっ、おじさんこわぁ〜い。…心配しなくていいよ。クラウンは見ている人を喜ばせる者。嫌われたくてクラウンなんかにはならないさ。あぁ、それとちょっとしたお土産に、いいこと教えてあげるよ。この会社に誰かが忍び込んだみたいだよ?早めに対処しないと大変なことになるかもね」
不快になるような笑い方を残したまま、クラウンは闇に消えた。
それを見届けると、シバーレルは堪えていた笑いを解放した。
「くっくっくっ…もう少し…もう少しだ。もう少しでわしの望みが叶う…!絶対に…誰にも邪魔はさせん!」
広い社長室の中に、シバーレルの高笑いが響いた。
*
「いやだからよ、あれはな?〜」
「へぇ、それ面白そうだな」
廊下の曲がり角から光が通り過ぎ、暗くなったのを確認してから、三つの影が瞬時に通り過ぎた。
それに気づいた警備ポケモンが振り返ってライトを当てた。しかし、光が何かを写すことはなかった。
「どうした?」
「いや、なんか動いたような気がしてな。気のせいか?」
「気にすんなよ。ここはマジで何もないからな。忍び込む奴なんかいないさ」
「まあそうだな。早く巡回終わらせて交代しようぜ」
その後も適当な雑談の中をしながら彼らは通り過ぎた。
「…行った?」
「ええ、もう大丈夫。さあ、カエンと書類を探すわよ」
すぐ近くの扉がほんの少し開き、中からは幾つかの話し声が聞こえた。
「これだけ大きな会社ですからね。不祥事の証拠の一つや二つあったっておかしくありません。先にそれを手に入れましょう」
甲賀の作戦が、小さく伝えられる。こっちが掴んだ不祥事の資料と引き換えにカエンを取り戻し、もう手出しをさせないためのキーアイテムとする。
「僕たちは争うために来たわけではないです。カエンくんを取り戻し、二度と手を出させないために来たんですからね」
甲賀は念のために釘を刺しておいた。資料を手に入れる前にバレてしまったら、最悪カエンを人質に動きを奪われてしまう。そうなったらアドリブでどこか隙を見つけなくてはいけない。
「わかってるわ。でもここは私も初めてなのよ。急を要するとはいえ、こんな突貫作業じゃ…最悪も考えておくことね」
いつになく焦った声でエレナは落ち着きなく辺りを見渡している。建物の構造や部屋の配置から、この場所の全体像を探っているようだ。
リハーサルやシミュレーションのない一発本番。どこかで躓けば総崩れもおかしくない。
高々所からの綱渡りみたいなものだ。少しの迷いやミスが、致命的な何かに変わりかねない。
「あの警備室がばれるかどうかすらもわからない、ということですね。迅速かつ慎重に行動しましょう」
廊下を静かに移動しつつ、部屋を見つけては慎重に調査を続けた。
時々光るライトは部屋に退避して避けた。
幾つか部屋を探索したがそれらしいものはほとんどなく、調査は難航を極めた。
*
ところ変わって、ここはカエン専用の部屋。
天蓋付きのベッドや高そうなタンスなどは無残にも入口に積み上げられ、扉からの侵入者を拒んでいた。ほとんど何もなくなった部屋の一箇所に、小さくも深い穴が掘られており、その隣には大量の土砂が積み上げられていた。
その穴はすでに奥に光が届かないほどに深く掘られていて、奥からは掘削音が聞こえてくる。それが一時的に止まると、引きずるような音と共にさらに大量の土砂が引き上げられ、隣にあった山をさらに大きくした。
「ふぅ…だいぶ掘ったのですよ。貫通まで、脱出まであと少しなのですよ」
カエンは自らの力、
千里碧眼を使い、この建物とここら一帯の地形を把握したのだ。そして見たものが正しければ、そのまま部屋どころか建物でさえ抜けることができる。カエンは積み上げた家具に蔓を絡ませ、縦穴が横向きに変わる場所まで降りると、家具から蔦を外した。
「あと少し…これ以上迷惑をかけないためにも、早く自力で脱出するのですよ」
その時、カエンの脳に最悪だったころの記憶と、言葉がよみがえる。
『どうしてそんな当たり前のことすらできないんだ!この、役立たず!』
まだ壁となっている土に手を当て、少しずつ削り取っていく。
「………違う、違うのですよ。私はもう、あの頃の何もできない自分とは違うのですよ。今だって、脱出しようと頑張っているのですよ。待っててほしいのですよ。きっと私は、みんなのもとへ…」
カエンの独白は止まらない。自分に対する失望の言葉や、この場所を抜けて、仲間たちと合流したときのことをうわごとのようにつぶやいたりと、何かに対する希望を見出そうとしていた。
それから少し経ち、そろそろ後ろに溜まった土砂を運び出そうとした時に、カエンは息苦しさを感じた。
「なんか…苦しい…?まさか、酸欠?くっ、早くこの場所から出ないと…」
自分の体に合わせて掘っていたため、トンネルは空気がうまく循環しなくなっていた。深さと狭さが災いし、トンネルからは酸素が失われていく。
少しづつ、少しづつ土を掘る手や蔓の動きが悪くなり、眼は輝きを失い、濁っていく。それを否定するかのように、カエンの口からはぼやけた独白が続いた。
「私は…まだ何も…いや、何か?何かってなんなんですよ…とにかく、早くここを抜けないと…みんなに迷惑が…待っててください、今、カエンが参りますよ…だからあ…私を笑顔で迎え…くだ…さ…」
四肢に力が籠められなくなり、濁った眼を隠すように異様なまでに瞼が重くなっていく。頭を殴りつけられたような痛みが襲い、だんだんと意識がぼやけていく。
カエンは気を失う直前で、誰かに抱きかかえられた気がした。
*
「なんでもいいです。とにかく怪しい何かを見つけたら教えてください。僕が確かめますので」
探し続けて、やっと見つけた大量に資料がある部屋。今はその資料をあさっているところだ。証拠は残さないように慎重にやっているので、なかなかはかどらない。
「…え?これなに?」
ティーエは(おそらく)資料室の片隅に何かを見つけた。暗い部屋でも物の輪郭は見分けられるが、なぜかここだけ何もないように見える。
不思議に思って、その何かに手を伸ばすと、その何かが一瞬のうちに大きくひろがったかと思うと、ティーエを吸い込んでしまった。そしてその何かは停滞することなく、収束して消えてしまった。
「……ティーエさん?」
甲賀がふと後ろを振り返ると、そこにいたはずのティーエが居なくなっていた。
*
「いたたた……なにが起こったの?」
ティーエがはっきりしない頭をなんとか正常に戻すと、さっきまでとは違う場所にいることを知った。
「え…ここどこ?コウガ?エレナ?なんで私こんなところに……」
「やあ、初めましてだね。お嬢さん」
不意に後ろから聞こえた声。ティーエが振り返ると、闇の中にぼんやりと光が浮いている。
「え?これなに…?綺麗だけど」
ティーエがそっとその光に手を伸ばすと、それはふっ、と消えてしまった。
「あ…なんだったんだろう」
「初めましてぇ〜、救助隊のお嬢さん。楽しい?楽しくなぁい?いったいどっち?なんてね」
「ひあっ………!!」
突然の声と共に真上から何かが顔スレスレのところまで近づいてきた!
唐突過ぎる出来事にティーエは言葉を失う。
「ねえねえ、驚いた?」
「お、驚くよ!いきなり声かけられれば誰だってさあ!いったい君誰なの!?」
驚かせた誰かは宙ぶらりんのまま左右に揺れながらケラケラと笑った。
「いやぁ〜ごめんごめん。僕はクラウン。時に私であり、俺であり、自分でもある。クラウンは常に誰かでいて、誰にもならない道化師さ」
一人称を変えるたびにそれに合わせて変わる声。それはただ声を変えただけでなく、全く別の誰かのような声になる。
「え、え〜っと、とりあえず君はクラウンって名前でいいんだね。私はティーエ・クリスタ。よろしくね、クラウン」
すっと立ち上がると、優しく右手を出した。クラウンはなぜか少しだけ戸惑うと、ゆっくりとその手を握った。
ニコニコと笑うティーエは無邪気な顔を見せるが、クラウンは微妙な表情をしていた。
「………君はこうやってすぐに人を信じるのかい?」
クラウンは手を離すと、鼻で笑って吐き捨てるように言った。ティーエの無邪気な笑顔に嫌気がさしたからだ。
「え?んー。今までは違ったかな。私こう見えても、昔は本当に誰も信用してなかったんだよ?」
しかし、クラウンは逆に驚かされた。今の柔らかい笑顔が、誰も信用していなかった者ができるとは思っていなかったからだ。
「それはとってもイ・ガ・イ!…なんてね。アハハ、そうかそうか。うん、なかなか面白いね、君。やっぱりやーめた。容赦しないつもりだったけど、生かしておいてあげる。感謝しなよぅ?気まぐれなんてそうそうあるものじゃないからね」
クラウンは小気味良く指を鳴らすと、その場所にティーエを吸い込んだ暗い渦巻きが生成された。
「え?え?いろいろわかんないんだけど、どういうこと?」
「さあ?そこは自分で考えてね。このことは忘れて構わないよ。君との接点はきっと、これ以上無いと思うし」
クラウンは手を広げて、ティーエに渦巻きの中に飛び込むように教えた。
元の場所に戻るにはこの中に入るしか無い。
クラウンは渦巻きだけ残して去ろうとした。
「待って!まだ言いたいことがあるの!」
しかし、ティーエは戻ろうとせずにクラウンを呼び止めた。心なしか少し驚かされたクラウンは、それを表情に出さずにわざと嫌そうな顔で振り返った。
「なぁに?早く消えてよ。僕の気が変わったらどうするつもりなの?」
「えっと…や、優しくしてくれて、ありがとう!その、またいつか、会おうね!」
ティーエは少しだけ顔を赤くしながら大きく言葉を吐いた。恥ずかしさのあまり、それだけ言い切るとティーエはすぐに渦巻きに飛び込んで姿を消してしまった。
予想外過ぎたメッセージに体を硬直させていたクラウンが正気に帰ると、口を尖らせながら渦巻きが消えるのを見送った。