第82話 引き取り手
伝わらないというのは悲しいこと。間違ったことじゃないが、正しいことでもない。でも誤解されるくらいなら、伝わらなかった方がいいのかもしれない。言葉の正邪なんて、いくらでも変わりうるのだからー
「ですから、私はカエン・ジーニアス君を引き取りたいと言っているんです」
ある一匹のポケモンが、ここに訪問した。そしてそのポケモンは、紛れもなくそういったのだ。
カエンを引き取りたいと。
〜数分前〜
二人がポケマートから戻ってきた時、見慣れぬムウマージがいた。
「おや、こちらは初めての方ですね。どうも、初めまして。私、シバレル不動産のテク・リノーズと申します。以後お見知り置きを」
帰ってきた二人を前にお辞儀とともに名刺を差し出した。
「ふぅん。で、不動産屋が何の用?ここはそんなにいい土地ではないと思うけど」
名刺から顔を上げると、険しい顔の面々が見えた。みんながみんな、不機嫌そうにテクを睨みつけている。
「不動産屋がいつも土地の話をしているとは限りませんよ。今回はここにいるはずのカエン・ジーニアス君を引き取りに来たんです」
その言葉を聞いて、エレナはとっさに身構えた。それと同時に、彼らが何故不愉快な表情をしていたかわかった。
「『家出した息子を連れ戻してこい』ですって。社長が私に言ったんですよ。私も立場が立場なので、聞かないわけにはいかなくてね。渡してくれますか?カエン君を」
最初に見せた笑顔を貼り付けたまま、テクはそう言った。ふと。エレナの脳裏に初めて出会った時の記憶が呼び起こされた。憎しみと悲しみでゆがんだ顔に流れる涙。もう二度とあんな思いを、味わあわせてはいけない。
「それはできないことね。カエンはもう私たちの仲間。二度とそこに連れ戻させるもんですか。もう二度と来ないでちょうだい。私たちからはそれだけよ。わかったなら出てって」
自ら子供を捨てる、ましてや売るなんてことをする親の元には絶対に返せない。エレナは見事なまでに啖呵を切ると名刺を叩きつけ、踏みにじった。
「ふふっ、威勢がいいですね。でもまぁ、私も引き下がれないのでね。後日また、お尋ねしますよ。その時までさようなら。また会いましょう」
腹がたつほどに深くお辞儀をしたテクは、意外にも素直に引き下がった。
「後日出直さなくてもいいわよ。二度とあってやらないんだから。塩でも撒いときましょう」
甲賀が料理台から塩を持ってくると、玄関と外に撒いた。
基地から少し離れたところを歩くテク。肩掛けバッグから通信機らしきものを取り出すと、どこかに連絡し始めた。
「交渉決裂だ、プランBに移行しろ。ターゲットは傷つけるなよ」
テクはそれだけ伝えると、それをしまってまた元の張り付いた笑顔になった。
*
「ねー、カエンー。朝だよー。ご飯食べないと、お姉ちゃん怒っちゃうよー」
ティーエが鍵のかかった部屋をいくらノックしてもカエンの反応はない。
「ちょっとー。いくらなんでも目覚め悪いよ?鍵開けるからねー」
ティーエは壁に掛けてある鍵の束を取り、カエンの部屋の鍵を手に取った。
彼らの部屋の一つ一つに鍵が付いているのだが、もし何かがあったときのために合鍵の束が壁に掛けてある。防犯上そのままでは危ないため、その鍵とは別にまた別の鍵をもう一つ付けている(その別の鍵の束は別のところに隠してある)。
鍵穴に差し込まれた鍵は軽い音がして開いた。
「カエンー?早く起きなよ………?」
部屋の中にカエンの姿はなく、カエンが愛用していたデスクの上に二枚の紙が置かれていた。一枚は丁寧な字で書かれた手紙。もう一つは、0が大量に並んだ小切手。
『カエン君は引き取りしました。一億ポケの小切手を置いておきますのでこれで御内密に』
「大変だ…!」
ティーエはその書き置きを手に、広間に急いだ。
*
「くそっ、なんだってんだこんちくしょう!」
ロイは残された書き置きをくちゃくちゃに丸めて投げ捨てた。それでも腹の虫は収まらないようで、怒りで震えている。
「相手は昨日来たシバレル不動産で間違いないでしょうね。まさかこんな犯罪まがいのことまでするとは」
丸められた書き置きを開き、それを見て考えを巡らせる。
「相手が分かってるなら話は早いわ。とっとと連れ戻してしまいましょ」
いつもは冷静なエレナが真っ先に強行突破を提案した。表情こそ変化はないが、冷徹な怒りを感じる。
「いいえ、ダメです。相手は大企業ですよ。我々が殴り込みに行けば十中八九勝ちが見込めますがそんなことをしては我々の信用がガタ落ちします。………そうですね。良い案が浮かびました。エレナさん、いいえ、歌姫さん。力を貸してもらってもよろしいですか?」
甲賀が指名したのはエレナこと、歌姫。いったい何を盗むというのか。甲賀は考えてる作戦の内容を詳しく伝えた。それを聞き終えると、エレナは怪しく笑った。
「へえ、それは面白そうね。それも、とてつもなく」
作戦の全容を知った彼等は、驚く者もいれば、エレナと同じように怪しく笑う者もいた。
「時は金なり、善は急げです。決行は今日の夜。さあ、準備しましょう。僕たちの仲間に手を出したことを後悔させてやるんです」
*
「シバーレル社長。御子息をお連れしました」
いつかのムウマージ、テクが膝をついた。シバーレルと呼ばれたフシギバナはゆっくりと振り向くと、見下した。
「本当か?いつかみたいに、別人でしたなんて言ってみろ。貴様の首を飛ばすぞ」
「ご心配無く。それでは、ごゆっくり」
目には布が巻かれていて前が見えない。声で自分の嫌いな相手がいることはわかったが、それ以外の状況がいまいちわからない。昨日、というか寝る前はちゃんとあの基地の天井を見て眠ったはずなのに、目が覚めれば瞼を開けても真っ暗のままで動くことさえできなかった。
「カエン。聞こえているか?わしだ。シバーレルだ」
できることなら、二度と聞きたくなかった。二度と会いたくなかった。自分を捨てておきながら今までのうのうと暮らして、何一つしなかった父親に。
「あなたの息子であることを恥じますよ。全く、一度は捨てておいて何がおかえりですよ。反吐がでるのですよ」
「あの時は、すまなかった。謝っても許されないとは思うが、わしもいっぱいいっぱいだったのだ」
いくら憎しみを込めても聞きはしない。平然と、悲しんだような口調で喋るその口を今すぐに閉ざしてやりたかった。
「何がいっぱいいっぱいなのですよ!あなたは一方的に私を捨てた!二度と会いたくもなかったし、捨てたなら放っておいて欲しかった!今になって連れ戻して、いったい何を企んでいるのですよ!」
「………企む、か。そう言われても仕方ないだろうな。だが信じてくれ。わしはもう一度お前を息子として迎え入れたい。この気持ちに、裏はない」
表情は見えないが、聞こえてくる声は浮かない。
「っ…そんなこと言ったって、私の気持ちは変わらないのですよ。わかったなら、早く解放するのですよ」
「…そうか。…部屋の案内を頼む。逃げないように見はっておいてくれ」
「わかりました」
空気が動くのを感じると、急に体が浮いて誰かに担がれた。
「残念だよ、カエン。だが、お前はわしの息子なのだ。それは絶対に変わらない」
聞こえていた声はだんだんと遠くなる。扉が閉じられる音と共に声は聞こえなくなった。一定のリズムで体を揺られながら、二人分の歩く音が下の方から聞こえてくる。どうやら、別の場所に運ばれているらしい。
「離すのですよ。私をどこに連れて行くつもりなのですよ」
諦めつつも離せと言ってみるが、もちろん離してくれそうもない。無力な自分が少し嫌になった。
「あんたの部屋にだよ。社長は随分あんたのことを気に入ってるみたいでな。なんでも、すげえ部屋らしいぜ」
少し粗野な話し方だが、真摯に受け答えしてくれるとは思っていなかった。
「あんなやつに気に入られたって嬉しくないのですよ…」
「はっは、厳しいこと言うねぇ。俺は下っ端の運び屋だから難しいこともわかんねえし詳しいことも知らねえけどよ、社長があんたを見つけた時、すっげー喜んでたんだぜ。ま、あの様子じゃ伝わんねえだろうがな」
カラカラと乾いた笑いが響いた。が、すぐに別の誰かに「黙れ、喋りすぎた」と咎められていた。
するとしばらくもしないうちに、扉を開く音が聞こえて床に降ろされた。その時、自分の肌に柔らかい絨毯らしき何かを感じた。
「ほら、到着だ。好きにしてていいって社長が言ってたぜ。じゃあ、またな」
自身の拘束が解かれると、目の前には豪華な部屋が飛び込んできた。見るからに高価な家具が並び立ち、基地にいた時の藁のベッドなんか話にならないほどの、毛布でできた天蓋付きのベッドがあった。
多少関心はしたが、すぐに思考を脱出に向けた。まずは部屋全体を見てみる。
「(窓はなし、壁は脆そうだけど、きっと一筋縄ではいかない。扉は鍵が掛けられていて、内側には鍵穴すらない完全に外側から専用。うーん、なかなか手強そうなのですよ)」
カエンは試しに壁を叩いてみた。硬い音がして、コンクリートの上に壁紙が貼られているとわかった。
「さて、どうやって脱出しようかなのですよ」
カエンはソファに座り込み、考えあぐねていた。
*
警備室の壁には大量の映像が映し出されていて、そのひとつひとつが別の何かを写している。
警備をしているポケモンがいつもと変わらない、平和なカメラ映像をあくびをしながら見ていると、突然、右上の液晶の映像がブラックアウトした。故障かと思いため息をつくと、そのカメラを確認しに、そのポケモンはその部屋から離れて警備室の映像と繋がっているカメラを調べに行った。
そのポケモンが戻ってきた時には、変わり果てた姿になっていた。目を回して全身を縛られたそのポケモンは、無造作に警備室に叩き込まれた。そして、仮面をつけたポケモンが警備室の機械を確認すると、すべての電源を落とした。
「さあ、僕たちを敵に回したことを後悔させてあげましょう」
剣を持ったポケモンと、腕輪を付けたポケモンと、ペンダントを付けたポケモンは、一様に仮面をつけていた。