第80話 もう大丈夫
人は一人で生きることはできるけど、一人で変わることは出来ないと思う。それを理解してくれれば、きっとー
その日は、太陽光が私の顔を照らし、眩しくて目を覚ました。暑かったからすぐに布団から降りて、大きく伸びをした。
それがいつものことのように部屋を出て、なんでもないように広間に歩いた。ステン姉ちゃんが作ってくれた朝食を食べて、なんでもないように振る舞った。
「おう、ティーエ。おはよう。昨日はよく眠れたか?」
ロイ兄ちゃんが、いつもと変わらずおはようと言ってくれた。あくびをしていたわけでもないのに、目には少し涙が見える。
「おはよう、ロイ兄ちゃん。その…心配かけてごめんっ!私っ、これから頑張るから!だから…だから…その…」
なんとか言葉を紡ごうとしたけど、頭の中がぐちゃぐちゃで次の言葉が出なかった。そんな私を、懐かしくて柔らかい感覚が包んだ。
「よく頑張ったな。なぁに、謝ることなんかねぇよ。また俺たちに顔を見せてくれてありがとよ。………あの時みてえに、急にいなくなったりしないでくれよ。俺たちは、お前が全てなんだからな…」
カイトが死んでしまった。それが私の心を氷に閉じ込めて、周りの全てを拒絶していた。マグマの地底から帰った時から、何もかもが悲しくて虚しくて、投げ出してしまいそうだった。
誰かに違うと言って欲しかった。みんなは気を使ってそっとしておいてくれたのだろうけど、その優しさが余計に辛かった。それでも、自分から誰かを呼ぶなんて出来なかった。責められるのが怖くて、自分のせいでカイトが死んだのだと認めるのが怖くて、前に進めなかった。
でも、甲賀の言葉を聞いた時、そうも言っていられなくなった。私は覚悟を決めて、カエンに自分の思いを吐き出した。………言った後はすごく後悔した。覚悟したはずなのに、体の震えが止まらなかった。本当はカエンに手を握られた時さえ、恐怖した。
だけど、カエンは違うと言ってくれた。怯える私を、違うと言って励ましてくれた。後で気づいたけど、ソルドも私のことを励ましてくれていたんだと思う。
「ロイ兄ちゃん………ううっ…ぐすっ…」
「やれやれ、困った妹だ。ほらもう泣かないで。僕たちはそばにいるよ」
レイト兄ちゃんも私のことを抱きしめた。
「ほーら、もう泣くのは終わり!早く泣き止まないと、いつまでも前が見えないぞ?」
ルー姉ちゃんも抱きしめてくれた。
「全く…心配ばかりかけて。このバカ妹め」
「本当ですわ。本当…困るくらいに可愛い妹ね」
「イジる相手がいなくて退屈なのよ。その点、ティーエちゃんはいい相手よね〜」
「私は、純粋にティーエが好きだよ。ティーエが自分のことを嫌いでも、私は嫌いにならないからね。どんなティーエでも、私は好きだよ?」
みんな、みんなが抱きしめてくれた。いつもと同じはずなのに、いつもよりずっと暖かく感じる。
「ごめんなさい………ごめんなっ、さいっ………」
大丈夫だよ、カイト。こんなに、私を心配してくれる人がいるんだもの。もう折れないから、もう泣かないから。カイトは安心して天国に行っていいよ。カイトが引っ張っていったみんなを、今度は私が引っ張る番。きっとやり遂げてみせるからね、カイト………。
私は、心に新たな誓いを立てた。もう二度と、くじけないと。
*
その日はいつより多くの依頼をこなした。人数が増えた分、より多くの依頼を受けられるようになったから。私と甲賀、歌韻とルアンとソルドのチームに分担して救助に行った。本当はソルドの代わりにエレナが行くはずだったんだけど、今日は無理だって言ってた。エレナが断るなんて珍しいけど、どうかしたのかなあ。
___その日の夜___
とある美術館の窓の一つに、丸い形の穴が空いた。その穴から白い手が差し込まれ、内側から鍵を開ける。
「フフッ、侵入成功。久しぶりだからって、警備が甘いんじゃないかしら」
怪盗、歌姫が現れた。
実はエレナは、数日前にこの美術館に予告状を送っていたのだ。
「うん、復帰一回目としてはいい手際かな。さて、ササッといただいて帰りましょうか」
そう言って床に足をついた瞬間、警報が鳴り響いた。暗かった室内も一瞬で照明が輝き、昼間のように明るくなる。
「もう見つかっちゃった。これは少し急がないといけないようね」
歌姫は余裕の笑みを浮かべて、今回の目標がある場所に走った。
今日の目的はサファイアとルビーが混ざった、学術的にも貴重な宝石、『パーティア』を盗む。
他の怪盗たちみたいに警備員とかに変装して忍び込んで、中から撹乱するのもいいけど、アブソルという種族上なかなか上手くいかない。まあわざわいポケモンと呼ばれてるくらいだからそんな街中にほいほいいてもおかしいとは思うけどね。
まあそんなわけで、私はいつも強行突破かこっそり忍び込んでからの大暴れになるのよね。
これ以外に方法が思いつかないからいいけど…もう少しスマートにやってみたいものね。
そんなことを考えているとあっという間に目的の品がある場所についた。警備員と戦うこともなく楽に来てしまったのでいささか拍子抜けだが、サクサク進むのは初めてじゃない。
「拍子抜けねぇ…。もう少し楽しませてくれると思っていたんだけど」
パーティアが展示されている部屋に入った時だった。
急に風を切る音が聞こえ、急いで扉を閉めた。しかし、それは扉を切り裂いて突き進んだ。横に飛んでいなければ、今頃切り刻まれていただろう。
「手荒い歓迎ね。一体誰かしら?」
「………怪盗歌姫だな。貴様と果し合いを所望する。大人しく出てこい」
警備員としては聞いたことのない声。まだ若さを感じられるが、緊張している様子は微塵もない。
切られた扉をちら、と見るが、なにで破壊されたかわからない。鋭利な何かで切られたのは確かなのだが。
「新人さん?なら止めたほうがいいわ。盗みだけじゃなくて、実力もかなりあるのよ」
「ならば好都合。早く姿を現して俺と戦え」
姿の見えない相手とのやりとりはいくつか言葉を投げ合っただけで終わった。
「来ないか。ならこちらから行くぞ」
その声と共に、またも風を切る音が聞こえた。それは正確に歌姫のいる場所を撃ち抜いた。しかし、それが扉から襲撃してくる寸前で、すれ違うように部屋に侵入した。
「残念、相手は動くものよ。そんなんじゃ当たらないわ」
警官側は聞いていた情報と写真を思い出し、歌姫は初めて見る相手に少し興味を持った。
「ベイリーフ………。なるほど、さっきのははっぱカッターってところ?良いコントロールをしてるのね」
ふと、歌姫がベイリーフを見ると、少し様子がおかしい事に気づいた。口元は気味悪く持ち上げられ、息が少し漏れている音が聞こえる。
「薄気味悪いヤツ…。いったいなんなの?」
「フ…フフ…待ちわびたぞ、歌姫!こうして再び巡り合えたのも運命の気まぐれというものだ!!参る!」
ベイリーフは一気に歌姫に近づくと、頭の大きな葉を刃に替えて切りかかった。歌姫はそれを宙返りでかわした。特徴的なしゃべり方が頭の片隅にあった記憶を呼び起こした。
「まさか…、フィリア・ブレイヴ!?」
「そうさ、俺の名はフィリア・ブレイヴ!貴様に心奪われたと男の名だ!よく覚えておけ!」
堂々と仁王立ちをしてみせ、高らかに自らの名を言い放った。
昔、武者修行を語って歌姫、もといエレナに挑み、ボコボコにされた男だ。
「いろいろ聞きたいことはあるけど、なんでこんなところで警察やってるの?つくづくわけのわからない男ねぇ…」
「フン、今は歌姫を名乗っているらしいが、俺の目は誤魔化せん。一目見て貴様だということに気づいたわ。さあ、俺と戦え!あの時の屈辱、ここで晴らしてくれる!」
「あーはいはい。そういうのはいいからどいてくれない?私が必要としてるのはあなたじゃなくてその後ろにある宝石なの」
ブレイヴが激しく戦いを望むも、かなりあっさりとした対応で流す歌姫。
「やはりそうきたか。ならばこの宝石を守ってみせようではないか。そうすれば、貴様も俺と戦わざるをえまい?」
怯みもせず、変わらず戦いを望むブレイヴ。その口ぶりから過去に何度も断られては無理やり戦わせたことがあるようだ。
「ハァ…いいわ。全力で相手してあげる。その代わり、後悔しないでね?本気を出させたのは、そっちなんだから!」
言い切ると同時に"かまいたち"を側頭部のツノに纏わせ、叩きつけた。
「フハッ!いいぞ、それこそが俺の望んでいたもの!怪盗歌姫!貴様との果し合いを所望するッ!!」
最小限の動きでそれをかわすと、"リーフブレード"で頭の葉を刃に変えて切りかかった。歌姫も負けじと"かまいたち"をまとったツノで受け止める。
本気のつばぜり合いが何度か起こり、たまに光る剣線は鋭い。その時、喧騒が入り口から近づいてきた。今更だが警官隊が集まって来たようだ。部屋に入るなり、歌姫と一人の警官が一騎打ちをしている場面が繰り広げられていた。
唐突な事象に戸惑いは隠せなかったが、歌姫を捕まえるまたとないチャンス。
「全員突撃!!」
掛け声と共に部屋に警官隊がなだれ込み、それが二人の激闘を妨害した。今という瞬間まで歌姫との戦いを望んでいたフィリアが、邪魔をされて怒らないわけがなく、烈火の如く激怒した。
「一対一の勝負に水を差すな!ええい、邪魔だ!どけ!」
"リーフブレード"の軌道は警官隊に狙いをつけ、一気に何人もの警官を薙ぎ払った。
「あなた、警官なのに警官ぶっ飛ばしていいの?」
「フン!身の程知らずが邪魔をするなど言語道断!我が刃のサビになれたことを光栄に思え!」
彼の中には敵も味方もなく、ただ歌姫と決着をつけるために戦っているらしい。だからと言って立場上の味方を蹴散らすのは如何なものか。
「まあいいわ。あなたのおかげですんなりパーティアが手に入りました。それじゃあね♪」
ブレイヴが焦って後ろを見ると、割られたガラスケースの中にはすでに宝石はなく、歌姫の手の中にあった。
しかも、肝心の歌姫は窓から顔を出しているにすぎない。体の半分は外に出ていた。
「貴様っ!逃げる気か!」
「これさえ手に入っちゃえば、戦う理由なんてないもの。バイバーイ」
歌姫はそれだけ言い残すと、窓から手を離して真下に落ちた。
ブレイヴは急いで窓の下を覗くが、そこにはもう歌姫の姿はない。
「くっ、逃げられたか。だが今までの俺と違うことを忘れるなあああああ!!」
誰もいない夜の暗がりへ、ブレイヴの声は響いた。
「おーうるさっ。ここまで届くって、どんな声量よ」
実はしっかり聞こえていたりするのだが。