第79話 心の闇
誰にも言ったことがないという過去を、ソルドは語り始めた。語り手は一人、聞き手も一人。これからホントウの話が始まるー
これはボクがまだ小さかった頃の話。まあ簡単に言えば、ボクはごく普通の家族だったんだよ。普通に暮らしてて、普通に楽しくて、普通に幸せだった。
でも、ボクは一瞬で自分の全てを奪われた。家族を眼の前で殺され、家も破壊された。あいつがなんて言ったのか覚えてはいないけど、ボクは絶対にあいつを許さない。
あいつの言葉はうまく聞き取れなかったけど、その声を聞くたびにボクの中で負の感情が湧いた。悪意、憎悪、悲しみ、恨み、そして何より、殺意。
ボクはその時どんな表情をしていたんだろうね。あいつは笑っていたから、どうもあいつ好みの顔をしていたらしい。
ボクは何も出来なかった無力な自分を憎んで、体を鍛え始めた。自分の中の感情を押し殺して、殺意に向かって走った。強くなれるって言うならなんでもやった。ボクは有名になるほど強い誰かと戦ったり、一人でダンジョンにも入った。炎の山で死にかけたのは、今はいい思い出になってる。
それからボクは___
ティーエは黙って彼の話を聞いていた。感情を押し殺し、とは言っていたが、今のソルドは表情がころころ変わっている。
ティーエはソルドを過去の自分を重ねていた。
自分も同じようにあいつを、ジュリアスを憎んだりしたこともあったからだ。
憎しみという過去の鎖に繋がれたままのソルドを見ていると、どうしても過去の自分と重ねてしまう。同じように憎む相手がいて、負の感情に縛られている。私は家族のおかげでその呪縛からは逃れたが、目の前にいる彼はそのままで時を経たせてしまった。止める者はおらず、悲しくも真っ直ぐに生きてしまった。
「___それからボクは未だに何もつかめないままその復讐の相手を探してる。きっとこれからも、ね」
そこで、ソルドは口を閉ざした。それ以上話すことはないとでも言いたそうに。
「………そう、なんだ。なんか、悲しい話だね、とても」
そう言った瞬間、硬質なものが擦れる音と、鈍い音がした。驚いて隣を見ると、歪んだ口元と地面を殴りつけているソルドの手が見えた。
「…すまない。でもそれがどんなに悲しいことでも、先に進まなければ何も出来ない。何も見つけられない。何も始まらない…!ボクはあの日からずっと、先に進むことを決めたんだ。ボクはもう、立ち止まることなんて出来ないから」
それはまるで自分に言い聞かせるようだった。表情は苦く、瞳の奥には悲しみが見える。
「ソルド…。あなた、本当は…」
「…だからわからなくなったって言ったんだ。ボクはこの場所で復讐する以外の生き方を知った。そしてそれは、何年も過ごした時よりもこの短い期間の方がはるかに楽しくて、優しくて…暖かかった」
胸の中のモヤモヤは、広がったまま収まることを知らない。不快なはずなのに、もやの中にはどこか懐かしい感覚が存在していた。
「だったら復讐なんてやめればいいよ。ソルドは辛かったと思うけど、過去で未来を潰すことなんてないよ。今からでも遅くないから、今を楽しもうよ。ね?」
ソルドの心に、何か暗いものが走った。その気配は一瞬で、ソルドは自分でも何を思ったのかわからなかった。
「ああ。そう、だね。でもそれはなかなか変えられないんだよ。確かにボクは今を楽しみたい。だけど今この瞬間にその仇が出て来たりでもしたら、きっとボクは真っ先にそいつを殺しに行くと思うよ」
それだけ言い残すと、ソルドは基地の中に戻っていった。
ソルドは、今まで生きてきた全ての時間を憎しみだけで過ごしたと言った。
それはきっと、想像もつかないほどに苦痛で空虚な日々だったろう。
朝特有の清々しい空気を吸うこともなく、昼頃の暖かな日の光に触れることもなく、夕日の赤く燃えるような美しさに目を留めることもなく、夜の雲間から頭を出した月に照らされることもなく生きた。
憎しみと悲しみが巣くった心は、並大抵のことでは溶けない。それはティーエが最もよくわかっていることだった。
憎しみとは偏に原動力であり、脆さである。
それもまた強い意志であることには変わりないが、同時に弱い部分でもある。ソルドはまだ、自分の弱い部分に気づいていなかった。