第78話 犠牲
マグマの地底でグラードンを静めることに成功したレオパルド。しかし、失った代償は大きくてー
穏やかな風が吹く中、丸い平らな石の前にひと束の花が置かれた。
周りには何匹かのポケモンが集まり、皆一様に黙り込んでいる。なかには泣く者や、手を握りしめている者もいる。
「………本当に死んでしまったのか、カイトは」
ノームが唖然として呟いた。まだ自分でも信じられずにいるからだ。ここは救助隊基地のすぐ隣の場所。海斗が気に入って、よく昼寝をしていた場所だ。今はそこに、海斗の墓が建てられている。墓と言っても簡素なもので、海斗の左腕が埋められた場所を盛り上げ、その上に石を置いたものだ。名前が書いてあるぶん一目でわかるが、遠目で見たらわからないだろう。
「僕がもう少し早く、気を取り戻していれば……!」
甲賀が拳で思いっきり地面を殴りつけた。ドス、と少し重い音が響くと、ほおを流れる涙が地に落ち、茶色いシミを作った。
「また…何もできなかった…。僕はっ、どれだけ無力なんだ……!」
「何もできなかったのは違います、ルアンくん。僕たちは救助対象のFLBの救助に成功しました。それが…それが本来の目的ですから」
ルアンもまた、涙を流していた。その背を歌韻が優しくさするが、涙は止まらない。
「バカヤロウ…死んじまっちゃ、何の意味も無いだろうが……。なんのためにお前は辛い思いをして、旅に出たんだよ…なんのために真実を知ってここに戻って来たんだよ……バカヤロウ…バカヤロウ…!」
リザードンのルチルが、しかめっ面で嗚咽を漏らした。何もできなかった自分に打ちひしがれ、最後まで人のために散っていった英雄を思って。
「ルチル。何も自分を責めることは無い。カイトは、自分にできる最大のことをやってのけたのだ。この世界を救う。それは、救助隊としては最大の誉れだ」
ルチルの隣にいるビギンは、やけに落ち着いた口調だった。感情が感じられ無い話し方に、ルチルが怒らないはずがない。ルチルはビギンの胸ぐらを掴んで、拳を振り上げた。
「だが、とても悲しくもある。どうしてだろうな。頬を伝うこの滴は耐え難いほどの冷たいのだ。私が弱かったからか、カイトを助けられなかったからなのか……」
ビギンの目からは、涙が流れていた。ルチルもそれを見せられては、振り上げた拳を下ろさざるをえない。
「…そろそろ、我々は行く。今この間にも、救助を求めてる者がいるのだからな」
ノームはそう言うと、海斗の墓の前で一礼してからどこかに行った。それに続いてルチル、ビギンもついていく。
「僕たちも、新しい基地に戻りましょう。彼等が見ているとはいえ、ティーエさんが心配です」
甲賀は涙を拭って、基地の中に戻っていった。
*
今までの基地はもともと数人用の大きさだったが、ティーエの家族が建てた新しい基地は何倍も広かった。広間には大きなテーブルやソファがあり、全員が入っても余裕のあるスペースになっている。
奥と二階には個人部屋が作られていて、まだ誰もいない部屋もあるほどたくさん用意されていた。
その部屋の中には、海斗のために作られた部屋もあった。
「新しい基地は…とても広いですね」
甲賀はロイに笑いかけた。作り笑いだった。
「ああ、そうだな。我ながらずいぶん広く作っちまったもんだぜ。……予想より広く感じらあ」
ロイは自嘲的な笑みを浮かべると、気まずそうにつぶやいた。
海斗がいない。
そのことが彼等の身体と心に重くのしかかっていた。
「…そういえば、ティーエさんは今どこに?」
ロイは黙って、奥の扉を指した。どうやらティーエの部屋は奥の方にあるらしい。
「あんまり刺激しないでやってくれ。カイトの一番近くにいたあいつが一番責任を感じてるはずだ」
甲賀は奥の扉を開けて、『ティーエ』と書かれた扉の前に立った。中からは小さく涙声が聞こえてくる。そんな扉を、甲賀は叩いた。涙声が止まり、ひどく沈んだ声が聞こえてくる。
「………なに?」
「いつまでも泣いていては体に障ります。少し、話をしませんか」
「………お願いだから、一人にさせて。今は誰の顔も見たくないの」
「…そうですか。でしたら、僕の話だけでも聞いてください」
甲賀はティーエの部屋の前の壁に寄り掛かると、あることを話し始めた。
「僕がこの世界に来た理由は、神器の回収と使用できる者を探すことです。前はそう言いました。ですが、本当はそこから先があるんです。それは、『神器と契約者を集め、それらを味方につけて来たるべき時に備えよ』、それが僕の本当の使命です。確かに僕らはグラードンを静め、この世界がめちゃめちゃになるのを防ぎました。防いだはずなんです。しかし、僕の予想が正しければ、カウントダウンはまだ止まってない………!」
甲賀がそう言った瞬間、二つの扉が音を立ててひらいた。その扉の向こう側には、エレナとカエンの姿があった。
「その話、本当なのですよ…?」
「…立聞きはあんまり良くないかと。まあ聞かれた以上黙って居られませんか。おそらくですが、まず間違いないかと」
エレナの口から、大きなため息が漏れた。
「この救助隊に入った時点で乗り掛かった船ね。最後まで乗船してあげるわ。それで?私達はどうしたらいいの?」
「詳しくはまだわかりません。ですから、とりあえず僕たちは休むことにしましょう。万全の状態でなければ、即座に対応出来ませんからね」
甲賀はそう言うと、広間に戻って行った。エレナも甲賀の背中を見送ると、自らの部屋に戻った。カエンも戻ろうとした時だった。
「ねえ、カエン。ちょっと来てほしいんだけど、いいかな」
突然ティーエに声をかけられ、少しばかり驚きながらも、開いた扉からカエンはティーエの部屋に入った。
内装は全ての部屋共通らしく、別段変わったところはない。
「ごめんね、急に呼んで。きみ以外に話せそうな人がいなかったから…」
基地に戻ってきてから一度も見ていなかったティーエの姿は、少しやつれていた。
「なんで、私なのですよ?甲賀さんもティーエの家族の人たちも、話を聞いてくれる人はたくさんいるのですよ」
「あなたになら話せそうな気がしたの。嫌なら嫌だって言ってね。無理に聞いてもらうつもりはないから」
海斗がいなくなって塞ぎ込んでしまったティーエを、部屋から連れ出すチャンスだど思ったカエンは、黙って床に座った。
「…ありがとう。聞いてくれるのね。うん、わかってるよ。本当はこのままじゃダメなんだって」
カエンはいきなり考えていたことを読まれた気がした。
「頭じゃわかってるの。このままここにいても何も変わらないって。でも、体が動いてくれないんだ。この部屋から出ようとすると、カイトのことを思い出して体が言うことを聞かなくなるの。何かを考えると必ずカイトが出て来て、そのカイトが私のことを責めるの。『お前が戸惑ったから』って、『お前があの岩を壊せなかったから』って。でもあの時カイトは怪我をして動けなかった。私はカイトを見捨てるなんて出来なかった。でも、助けようとしたら助けたかったカイトが死んじゃった。私はあの時どうすればよかったの?ずっと、ずっと考えてたけどもうわかんない…あの時正解の行動はなんだったの…どうすればカイトを助けれたの…」
途中からティーエの声は涙声に変わっていた。涙は頬を伝い、ぽたぽたと落ちた。
「もう私、わかんないよ!あの時どうすればよかったの!?みんなが助かる方法は一体どれだったの!?誰か教えてよ!カイトが死んじゃうくらいなら、私が死ねばよかったんだ…!そうだよ、私が生き残ったからカイトが死んだんだ。だったらあの時、私が死ねばカイトが生き残ったはずなんだ………私なんて、私なんて死ねばよかったんだ……私が…うぐぅ……ううっ………」
カエンは見ていられなかった。駄々をこねるように騒いで、何かを押し殺すように泣くティーエを。
「そんなこと言ってはダメなのですよ。カイトさんは多分…もうこの世には居ないと思いますが、カイトさんはあなたが生きることを強く望んでいたはずですよ」
カエンはティーエの手を強く握った。ティーエは少しだけ顔を上げると、力強い意思を持ったカエンの顔があった。
「カイトさんはこの世界にいなくても、カイトさんはティーエさんの心の中で生きていますよ。ティーエさんが、グラードンを静めて世界を崩壊から救った英雄のカイトさんは、ティーエさんの中で生きているのですよ。ティーエさんがそのカイトさんを知らない人に教えてあげれば、その人もカイトさんを知ることができますよ。そうやってみんなにカイトさんを伝えていけば、カイトさんはその人たちの中で生きていくことができるのですよ!カイトさんは死んでなんかいないんですよ!カイトさんは不滅なのですよ!」
ティーエは顔を伏せてしまった。カエンから何を感じたのか、それはカエンにも分からない。余計落ち込ませたか、元気づけることが出来たのか。
「………ありがとう。うん、カエンのおかげで元気が出たよ。でも、今日だけは一人にさせて?気持ちの整理とかしなくちゃだし…。大丈夫、心配しないで。明日からは私も救助活動に参加するから」
ティーエはそういうと、せいいっぱいの笑みを見せた。
「わかったのですよ。明日は…明日はティーエさんの顔を見せてほしいのですよ。それじゃ、また明日なのですよ」
カエンは一礼すると、ティーエの部屋から出て行った。部屋にはティーエだけが残った。藁のベットに体を投げ出し、顔をうずめる。息が苦しくなるまで押しつけ、離す。
「…カイト………会いたいよ……!」
カイトに会えない。ただそれだけで、それ以上にない感情がティーエの胸を締め付け続けていた。
*
その日の夜、ティーエは久しぶりに外に出た。夜空には星が広がっており、一つ一つが綺麗に輝いている。時折見える尾を引いた星は、すぐに消えてしまう。一つ見つけては目で追って、消えるたびにどことなく悲しくなった。
「………あれ、珍しい先客が。もう大丈夫なの?」
頭の上から、覗き込むように誰かの顔が見えた。最初は暗くてわからなかったけど、すぐにそれがソルドだと気付いた。
「大丈夫……とはまだ言えないけど、今までよりはずっとマシになったよ。気を使わせてごめんね」
「いやいや、気にしないで。一人で引きこもってるよりはこっちのほうがずっと良いよ。考え過ぎは心に良くないから」
ソルドはティーエの隣に横になり、一緒に夜空を眺めた。
「そういえば、なんでソルドは仮面を付けてるの?もしかしてそれも神器?」
沈黙が少し寂しく感じたか、ティーエはおもむろにソルドに聞いてみた。
「ああ、これかい?そうだな、ボクなりの決意の象徴みたいなものかな」
「決意?」
「そうさ、ボクはあの時から家族の仇を討つと誓ったんだ。それだけはずっと変わらない」
ソルドは夜空に手をかざし、ぐっと、握りしめた。
「………でも、君たちと出会ってからどんどん自分がわからなくなっていく。君たちはきっと、君たちがわからないほどに輝いている。ボクは君たちのその光につられてやって来た、醜い蛾だ。ボクは憎しみに汚れて、憎しみを生きる糧にしてきた醜いポケモンだから」
私は黙って彼の話を聞いていた。何か、声が震えているような気がしたから。
「ここから先は、誰にも話したことはない。ボクの過去さ。聞いてくれるかい」
ティーエは何も言おうとしなかった。ソルドは少しだけ和らいだ笑顔を見せると、自らの過去を語り始めた。