最終話 それから
世界は救われた。そこにあるのは平和な日常、いつもと変わらない時間。たまに変なことが起きて、それを自分たちで解決したりしなかったり。今までが忙しすぎたのかもしれないー
「………北の森が灰色になり、植物の動きが止まる、ねえ。また物騒なことだな」
海斗は緑色のソファに座りながらポケモンニュースを広げていた。呆れたようにニュースを畳むと、甲賀の近くに投げた。紙束が投げられた音に気付くと、甲賀は剣の手入れを止め、隣に落ちたニュースに手を伸ばす。
「暇だな…外でも行くか」
海斗はおもむろにソファから降りると、甲賀に少し出かけてくると伝えて外に出た。その際、昼食には帰ってくるようにと甲賀に釘を刺された。
行先なく歩くと、気付いた時にはポケモン広場に来ていた。何かやれることを考えるが何も思いつかない。道具はガルーラおばちゃんの倉庫に大量にあるし、現状何か欲しいものもない。海斗は回れ右をして、そのまま家の方向へと戻っていった。家には帰らず、その隣にある芝生に踏み入れると、そこにゆっくりと横になった。いつもの場所には自分の墓がたてられているため、少し隣に。
海斗が生きているのでこの墓はもう必要ないのだが、ただ、何となくと。海斗が壊すのをためらったのだ。以来、海斗はお気に入りの場所から少しずれた場所で昼寝をしている。片腕だけだが、そこには二年前の自分が眠っているのだ。起こしては悪いと、海斗なりの気遣いだった。
「い〜い風だと思わねえか。こんな日は汗水流して動くより、こうやってのんびりと過ごすのも悪くないと思うんだ」
誰に話すでもなく、独り言をつぶやく。話し相手は、今となりでお気に入りの場所で安らかに眠っている自分自身以外他ならないから。
「…甲賀が起こしに来るまで、ひと眠りするか」
海斗は青空に顔を向けた。白い雲が流れている。ゆったりとした時間の流れが心地いい。海斗は眠気に身を任せると、そのまま瞼を閉じた。
*
「…あ〜……うん。起きよう。よっと」
私は藁束に布をかけた、ちょっとだけ豪華なベッドだから降りた。眠れなかったわけじゃないが、まだ少し眠い。これは多分、寝すぎて眠いというやつなのかな。
「みんな〜、おはよう〜」
「おう、おはようティーエ。まだ眠そうだな?」
決まって一番に挨拶を返してくれるのはロイ兄ちゃんだ。とっても強くて頼りになる自慢のお兄ちゃん。
「ちょっと目を覚ますの遅いわよ。朝の陽ざしが一番気持ちいいんだから」
ジスト姉ちゃんがまだ目の開かない私のおでこをぐりぐりしてきた。とても気持ちがよくて、少しずつ眠気が消えていく。
「だってお姉ちゃん、日の出とともに目を覚ますから…そんな時間に起きたら私夜になる前に途中で寝ちゃうよ」
「その分夜ぐっすり眠れるようになるわよ?」
悪びれもせずそう返してきた。いつも通りのことだけど、たまには早起きも悪くないかもしれない。
「おい、月の光の良さも忘れてくれるなよ。あれはとてもいいものだ。見ていると心が落ち着く」
そう考えていたらクラブ兄ちゃんが乱入してきた。好みや趣味が正反対なのに戦闘になると息がぴったりなのが驚きだ。
「あはは…ケンカはしないでね」
「あら、ティーエの前でケンカはしないわ」
「無論だ。やるなら別のところでやる」
そういう意味で言ったわけじゃないんだけどなぁ…。ルー姉ちゃんやレイト兄ちゃんは私の前でケンカするけど、確かに二人のケンカって見たことないかも。今の言い方だと、隠れたところでケンカしてるのかな…。少し不安になってきた。
「私が見てなくてもケンカしちゃダメだよ。危ないから」
「はーい」
「…ふん、考えておく」
とりあえずケンカしそうな二人をなだめておくと、今日のお昼ご飯は何かとステン姉ちゃんに聞いた。お昼ご飯はたっぷり野菜の木の実サンドイッチだって。とてもおいしそう!
*
僕は目標の木の枝に向かって"いあいぎり"を放った。
_ザンッ。
目に見える程度の速さから抜かれた剣戟は空を飛び、甲賀から離れた位置にある木の枝を見事切り落とした。
「ふう…技マシンのいあいぎりを習得してみましたが、問題なく使えそうですね」
いあいぎり。鎌や爪などの体にある鋭い部位をつかって、対象を切り裂く技。本来ワニノコが習得できる技じゃないが、白銀の剣と契約している甲賀にとって造作のないことだった。
「ヘェ、さっそく使いこなしてんじゃねえか。相変わらず技マシンてモンは便利だなァ。お?」
「…誰かと話すときは姿を現せと、僕は何回あなたに言えばいいんですか?」
どこからともなく聞こえた声に甲賀はそう返すと、何もなかった空間に突然光が集まりだし、あるポケモンの形へと姿を変えた。
「へいへいーっと。姿を維持すんのにも消耗するんだぜーコレ」
悪態をつきながら姿を現したのは、甲賀の契約相手、ギーガネク・アヴィアローナだった。
「なぜ急に話しかけて来たんですか?」
普段、あちら側から話しかけてくることはない。それは彼らが、あくまで自分たちは実体のない思念だけの存在であり、姿をあらわすどころか言葉を伝えるだけでかなり消耗するからである。因みに消耗は、契約者と共に真っ白な精神空間にいくことでかなり軽減できるらしい。
「…簡単な話だ。進行は遅ェが次の災害の前兆がもう起きてる。気をつけろよ、気づいたらお前と一緒に動けなくなってましたとか、俺はイヤだゼ」
ギガはそれだけ言うと、すぐに引っ込んでしまった。甲賀はその言葉に驚きを隠せないまま、思考を巡らせた。
「(聞いていたよりずっと早い…。どうして…やはり、僕が来たせいか?)」
甲賀は焦る。以前よりこのことは知っていたが、聞いていたよりずっと早いその災害に、困惑と驚きを隠すことができない。
「(…いや、今更ためらって何になる。この二年間、僕だって何もして来なかったわけじゃない。やらなくちゃ…この世界が終わるんだ)」
甲賀は人知れず覚悟を決めた。
*
「♪〜〜♪♪〜、………これで良し、と。後はCDに移してコピーするだけね」
自室で歌を歌っていたエレナはヘッドホンを外し、機械を止めた。
以前、どこで聞いたかはもう思い出せないが、"歌姫の歌が聞きたい"という話を聞いたことがある。試しに一曲だけ録音したものを何枚か配ってみたら、自分でも驚くほどの反響があった。それ以来、たまにこうやって歌を歌い、また同じように配っているのだ。
「ファンサービスも大切に、と。フフ、なんだかくすぐったいわね」
録音が終わり一息ついたところで、コンコンと、木の扉を叩く音が聞こえた。
「エレナさん?お目覚めでしたらこちらに。昼食の準備はできております」
「ありがとう、すぐ行くわ」
声と喋り方からすぐにステンだということが分かった。誰に対してもこの口調だったが、二年も経てばさすがに慣れる。エレナはゆっくりと立ち上がった。
*
太陽が空の頂点に登った頃、食卓の上には空の皿が大量に残されていた。それらは誰の手に取られることもなくひとりでに浮き、次々にキッチンの流し台に重ねられて行く。
「ジスト、これで全部?」
「そうね。それじゃああと任せたわよ」
そういうと、ジストは"サイコキネシス"を解いた。淡い紫色が食器から剥がれ、支えを失った皿はステンの手に落ちる。
カシャカシャと音を立てて、食器が次々に綺麗になっていく。
「……あー、ティーエ。今日これから何か予定はあるか?」
食後の気だるい余韻から立ち直り、覚悟を決めてティーエに聞いた。
「え…?あ、ああ、うん。今日はお休みだから、特に予定はないよ」
読んでいた本から顔を上げると、少し戸惑いながらそう答えた。焦るな、落ち着け。
「そうか、なら付き合ってくれないか?…少し、話があるんだ」
少しじゃねぇだろ、自分に少し悪態を吐いた。ティーエの反応はあまり良くない。
「あ…うん。わかったよ。どこに行こう?」
「あ、ああ、そうだな。鳥の巣でも行こうか」
思ったよりも早い返事に戸惑いつつとりあえずの行くところを決めた。
〜喫茶・鳥の巣〜
カイトから呼び出された私はうつむき気味に鳥の巣に来た。マスターのマメパトから挨拶されるカイト。よどみない対応が不安を駆り立てる。せっかく平和になったのに、せっかく一緒に居られるのに、今度はいったいどんなことが起きるっていうんだろう。
「……………………」
「………………」
私は黙っている。きっと、カイトが話してくれるから。カイトは黙っている。きっととても言いにくいことなんだろう。たとえどんなことでも、受け止める覚悟はできている。
「とりあえず何か頼むか。ティーエは何にする?」
「あ、私は___
とりあえず、飲み物を頼むことにした。二人とも紅茶を頼み、案内された席に着いた。できることなら、海斗の話は聞きたくない。けど、聞かなくちゃ。きっとこれは大切なことだから。
「………俺がいない間に二年か。知らない間にそんな時間が経ってるとはな」
皮肉っぽく、カイトが笑う。私はその皮肉な笑いに、無言で返すことしかできなかった。カイトも私も何も言わないまま時が過ぎていく。そうやってるうちに、頼んでいた紅茶が来た。透き通った赤い液体がカップの中で揺れている。その中に一瞬だけ映った私の顔は、ひどく薄暗かった。
「本当はあの時伝えたかったけど…いろいろあって言えなかったからな」
このまま耳を塞いでしまえたならどれだけ楽だろう。でも、それはしたくない。私はカイトのパートナーだから。
「俺はもう…後悔したくない。ティーエ、好きだ。俺はもうティーエを一人にしないって約束する」
「え…」
言葉を失った、というのが一番正しいと思う。カイトがいなくなってからずっと抑え続けてきた何かが、音もなく弾けた。
「えっ、ど、どうした?なんで泣いているんだ?嫌だったか?」
「あ…違う、違うよ…」
気付けば、泣いていた。悲しいわけじゃない、けど、涙が止まらない。胸がギューって、締め付けられるようなのに。
「私…カイトのこと好きでよかった…」
どうしようもなく、嬉しいんだ。