第97話 空白
海斗は消えた。消えてしまった。ティーエは泣いた。とても悲しかった。大切な人にもう会えないと思うだけでひどく気分が沈んでしまう。でも、落ち込んでばかりもいられない。救助隊レオパルドのリーダーは、話し合いで私に決まった。これからは、私が海斗の代わりにみんなを引っ張るんだー
カイトが消えてしまってから、とても長い長い時間が経った。最初はとても悲しかったけど、私も強くならなくちゃいけない。
ちゃんと自分の気持ちに整理をつけて、自分の力で立ちあがるんだ。とても悲しかったけど、カイトが死んでしまうよりはるかにマシだから。
カイトはあの時、私に笑顔でいてほしいって言った。カイトはあの時泣くなっていった。
じゃあ私は泣かない。笑顔を絶やさない。どんな時でも泣かないよう、笑っていられるように、私強くなったよ。
でも、でもね。やっぱり、もう一度だけでいいんだ、カイトに、会いたいな。
*
………ここはどこだろう。なにか、また、とても広い場所にいる。光に包まれていて、温かいような、なんというか、優しい気分だ。そんな中、俺はしっかりと立っている。
俺はあの時、消えてしまった。…本音から先に言うと俺はあの世界に居たかった。俺の記憶がない時から、あの場所にいた。記憶が戻っても、その記憶の色は褪せることは無かった。あの世界に居てはいけないのは、人間からポケモンになったせいだからとも言っていた。じゃあ、本当のポケモンになれればあるいは?
そんなことを考えていた時もあった。でも、そんなことが出来るのは神様くらいだ。
だけどもし、願いがかなうならば…
俺はあの世界に居たい。あの世界で、みんなと…ティーエと一緒にいたい。
*
「……神よ、我より上位の神よ。なぜ彼の者は消えねばならぬのだ?答えてくれ、神よ」
レックウザは薄暗い空を見上げた。太陽が沈んだ後のわずかな光が残る時間。雲は青と黒に染まり、空には星が輝き始める。
運命は、変わらなかった。彼の者が隕石で死んでしまうことは避けられたが、やはり、彼の者は消えてしまった。レックウザは悲しかったのだ。
「なぜなのだ?彼の者はこの世界に残ることを強く望んでいた。教えてくれ神よ。この我の至らぬ考えをただしてくれ、神よ………!」
誰もいないはずの空間に話しかけ続けるレックウザ。それでも悔しそうに歯をギリギリと鳴らす。しかし、急にはっとしたように顔を上げると、何かを悟ったように笑った。
「そうか…。ならば我がここですべての力を使ったとしても何も言ってくれるなよ……!!」
レックウザは神としての、自身が持つすべての力を解放し始めた。
「……そんなこと知ったことではないわ。我はあの者を救う。…そうだろう、この世界を命を懸けて救い、体はおろか心さえ犠牲にして得たものが大切なものとの別れの記憶のみだと?ふざけるな!それが彼の者の運命だというなら我が変えてやろう!」
バチバチと音を立ててレックウザの手の中に大気が圧縮されていく。それは暗雲と雷雨と発生させながら急速に収束していく。それと同時に急激に周囲の温度が下がっていく。
「ここで我の力を使えば、生きてきた時も報われるか?カイト、お前が言った『生きる意味』とやらになるか?これほどまでに興味を持った相手は初めてだ…。そのすべて、見届けさせてもらうぞ!」
これは、レックウザと海斗が最初に会った時の会話である。
*
天空の塔最上階にて、そこの主と来訪者との会話が聞こえる。
幾度となく太陽が昇り、数えきれないほどの月を見たレックウザは、自分の知らぬ誰かが来たことを喜んでいた。が、もてなすことは叶わないようだった。
『わかっているとも、名も知らぬ者よ。お前はあの隕石を壊しに行くのだろう?』
『あぁ、もちろん。わかってるなら止めないでくれよな。どうしてもやらなきゃいけないことなんだ』
彼の者がこのような傷だらけの姿でここに姿を現したのには理由があった。もちろん、レックウザはそれがなんであるか知っている。
『そうか…。なら、その後の結末もわかっているのだな?』
『………あぁ。わかっているさ』
結末。隕石の破壊に全力を尽くし、力を使いすぎた体はその場で息絶えることになっている。レックウザはそれを知っているし、海斗も承知の上だ。
『…本当にそれで良いのか?破壊を行うことで、お前はこの世界での事実上の死を迎える。お前たち小さき者は死を恐れるんじゃなかったのか?例え隕石を破壊したとしても、お前の生に、命に、意味があったと言えるのか?』
レックウザは素直な疑問をぶつけてみた。自分が知る限り、彼らの多くは自分の命を大切にし、危機に晒すことを嫌う。なのに、自分の目の前にいるこの者はそれに当てはまらないのだ。自ら命を捨てようとしている、それは、レックウザにとってはとても信じられないものだ。
『さぁな、だがもちろん死ぬのは怖いさ。じゃあ、と言って、逃げるわけにはいかないんだよ。俺は別世界の人間だが、こっちの世界にちょっとな、守りたいものが増えすぎちまったんだ。俺は…あいつのいるこの世界を守る。守りたいものがあって、守れる力がある。それだけで、俺が生きる意味ってやつは十分だ』
それは、とても言葉を失うような、レックウザには理解しがたいものだった。
『…悪いな、そろそろ時間だ。話の途中だけど、失礼するぜ』
海斗はそういうと、背中にある四枚の翼を羽ばたかせて、空に浮かぶ一際大きな星に向かって飛んでいった。
*
レックウザはその時から、カイトの言う『生きる意味』をずっと考えていた。
カイトの言葉と、自分の知識を頼りに『生きる意味』とはどういうものなのかというのを。
しかし、わからなかった。どれほど考えても、レックウザにはわからなかった。
だからこそこう考えた。海斗自身に、海斗の言う『生きる意味』とやらを見せてもらおうと。
「小さき者、タカナシカイトよ!お前の望みを叶えてやる。この我の声に応えよ!オオオオオオォォォォッッ!!!」
レックウザは、自身が持つ神としての力を全て解放した。
瞬間、薄闇が包みつつある地上をまばゆい光が突き抜け、天空の塔を中心に巨大な光が柱となって降り注いだ。
凄まじい轟音と閃光を辺りに撒き散らしながら光は降り注ぎ、十数秒ほどで収束して消えていく。
その光景は数多くのものが目撃し、その中には光が降り注いだ場所を知る者もいた。
*
「おぅわ、なんだ?」
ここは光だけの空間。海斗が佇む閉ざされた世界。元の世界に戻るためにそこで待っていた海斗は、あるはずのない大きな地響きに驚いていた。
「………聞こえるか、カイト」
その声に、海斗は聞き覚えがあった。
「ん?レックウザか。あんたが俺を元の世界に戻してくれるのか?」
レックウザはその問いに答えることはなかった。自身が持つ神の力を使い、無理矢理この空間に干渉している以上、時間は多くない。
「率直に聞く。カイトよ、お前は元の世界に戻りたいか?それとも、この世界に残りたいか?」
海斗はその質問にハッとしたように驚く。
諦めていた。この世界に残ることは無理なのだと。
しかし、思いもよらぬところから手は差し伸べられた。
「…居ても、いいのか?俺は…この世界に、あいつらの隣に…」
海斗は嬉しさのあまり、涙を流していた。手は震え、言葉に出来ない感情が体の奥から上ってくる。
「水を差すようで悪いが、感傷に浸ってる暇はないぞ。我の力とて、無限ではない。速くせねば、取り返しのつかないことになるぞ」
どうやら、それは嘘じゃないようだ。徐々にレックウザの気配と声が小さくなっているのがわかる。時間がない、海斗はすぐにそれを理解した。
「…悪いな、母さん、父さん。まあ元気でやるわ。レックウザ!どうすればいい!?」
記憶の中にいる両親に別れを告げると、海斗は迷わずポケモンの世界に残ることを選択した。
「そうか…フッ、お前なら必ずそう言うと思っていたよ。目を閉じて、待っていろ。お前を必ず…救助隊レオパルドの元へ送り届けてやる」
何か手伝えることがあるなら行動を起こしたかったが、レックウザが何も言わないということは手伝えることがないということなのだろう。海斗はゆっくりと目を閉じた。