第96話 祝いの宴
終わったんだ。
終わったのか?
いや、きっと
始まるんだ。
今から、これからー
日暮れ時、太陽はすでに半分ほどその姿を隠しており、赤みがかったぼんやりとした光をあたりに届けている。しかし、それに照らされるポケモンたちは一人もいなかった。いつもならカクレオンの双子の商人が店じまいを始め、ガルーラのおばちゃんが今日預かったものをまとめて、奥にある倉庫にしまう時刻だろう。しかし、そういったポケモンたちは影も形もない。
広場の住民たちはどこへ行ってしまったのか?
___答えは、一つだった。
*
レオパルド救助隊基地前にはたくさんのポケモンが集まり、楽しそうに話をしている。表にはクリスタ家お手製のテーブルとイスが持ち出されており、それに座っているポケモンも何人かいる。それぞれ何か違うことをしているが、共通しているのは、皆一様に何かを待っているということだ。
基地の入り口から、四足歩行のポケモンが出てくる。その瞬間、その場にいたポケモンの視点が一つに集まった。稀有や奇怪の視線ではなく、何かを期待しているようだ。
「え、えーと…いっ、今から、カイトが帰って来たのと、世界が救われたことについて、おおお祝いを、したいと思いますっ!」
ティーエはカチカチのままこれからすることについて大まかに説明をした。
隕石は壊され、世界がめちゃめちゃになることはなくなった。暗い影を落としていた海斗のことも、本人が帰って来てくれたおかげで誰もそのことを気に病む者もいなくなった。
「司会者硬いぞー」
「どんな料理が出てくるのかな」
「酒もっと持ってこーい!」
「まだ始まらないのー?」
「あうう…」
様々な喧騒に心が折れかけていると、急に頭の上に何かが置かれた。それは少し乱暴に動かされると、ティーエの頭の毛が少しクシャクシャになった。
「ホラホラ、緊張してんじゃねえぞ?これからじゃないか」
「か、カイト…うん、わかってるよ」
少しずつ、緊張がほぐれていくのがわかる。ざわついていた心のうちが静かになっていく。ああ、私はやっぱりこの人のことが、どうしようもなく___
ふと、海斗はティーエの頭から手を離した。手が離れた所に風が通り抜けていき、残っていた温もりを消してしまった。
「んーと、とりあえず集まってくれてありがとう。今日はみんなに伝えたいことがあって集まってもらったんだ。まあ、だいたいわかってると思うんだけどな」
ティーエは一歩前に出た海斗に付き添うように隣に移動する。それに気づいた海斗は、これから何をするのかを話し始めた。
「まず一つ目は、隕石が破壊されたってこと。まあ空を見上げれば一発でわかるけどな。もう一つは、あー………心配かけてすまなかった。失っちまったモノもあるが、俺は生きてこの場所にいる。だからぁ、そのー………もう少しだけこのバカに付き合って、一緒にバカやってくれ」
その言葉に、ドッとポケモン達が笑い出す。
「前置きはこんなもんか。それじゃあみんな、カンパーーイ!!」
ワァァァァァ、と歓声が上がり、グラスを打ち合わせる音が何度か響く。基地からは、料理を乗せた台車を押したステンと、「サイコキネシス」でいくつもの料理を浮かせたジストが出てくる。
「本当はティーエのために考えたレシピだけど…この際仕方ないですわ」
「私たちが腕によりをかけて作った料理よ。存分に味わってね〜」
宴が始まった。豪華な料理がテーブルに並べられていき、様々なきのみが盛り付けられたサラダや、彩り豊かに飾られた料理が食欲を全力で刺激してくる。
「へぇ〜、さすがに豪華だな。ティーエ、俺たちも食おうぜ」
「うっ、うん」
少し大きめのテーブルの席につくと、すでに甲賀たちが席についていた。カエンは器用に蔓を使って料理を口に運び、エレナはナイフとフォークで上品な雰囲気を纏っていた。甲賀はなんと、どこから調達したのか箸を使っていた。
「ああ、海斗さんもどうぞ。とてもおいしいですよ」
一度口の中のモノを飲み込んでから、甲賀は料理の乗った皿を進めてきた。もちろん、腹は減っている。遠慮なくいただくとしよう。
甲賀から渡された箸(木製)を使い、数々の料理を自分の手元に置かれていた皿に寄そう。腹が減っていることもあってかとても美味しそうだ。皿に盛る量はほどほどにしておいてイスに戻ると、ルーが料理を持ってきていた。
「イェーイカイトー!食べてるー?」
「ああ、料理はこれからです。てか…ルーさん出来上がんの早くないですか?」
海斗が指摘した通り、ルーはすでに頬を赤く染め、片手に酒を持っている。何杯目はわからないが、一桁じゃすまない臭いがしている。
「世界が救われたんだよー!?こんな嬉しい日は飲まなきゃいかんでしょーガッ!」
そんなことを言われながら背中を強く叩かれた。酔ってる状態じゃ力加減が出来ていないのか、結構痛い。
「いつつ……ええ、そうっスね。今日くらいは羽目を外しても怒られないと思います」
そうだ、言葉通りに世界が救われたんだ。……なんだろう、不思議な気分になる。実感が無いようなふわふわとした、浮くような感覚。これがそういうことなのだろうか。
___海斗は人知れず、覚悟を決めた
祝いの宴も中盤に差し掛かり、華やかさを増しながら様々なポケモン達の一発芸などが披露されていく。
中でも、ルーとステンの二人によるとても大きな彫刻は眼を見張る程素晴らしかった。マントを背中につけたピカチュウと、虹色の球を誂えた腕輪を身につけたイーブイが、天を見上げながら手を繋いでいる。題は『星を救った英雄』だそうだ。なんだか恥ずかしいな。
おかげで英雄サマと囃し立てられてしまった。だったら敬えこのヤロー!と、必死に声が裏返りそうになるのを抑えながら言ってみたら、今度はロイ達がふざけて崇め始めた。さすがに勘弁して欲しい、悪ノリが過ぎる。
*
「………ぁあ、寂しいもんだなぁ」
色々あって少し疲れたので、基地から少し離れた木に寄りかかりながら、甲賀が知らぬ間に作っていた果実酒を楽しむ。
「何が寂しいかな?『英雄サン』」
「やめてくれよ、恥ずかしい…」
どうやら先客がいたようだ。エレナとソルドが近づいてくる。
「いや、なんだ…まあ、あんた達には話しておくか」
海斗は、自分が姿を消してからのことを委細隠さず話した。その中には、これから自分は消えてしまうことも入っていた。
「そんな…本当なの?カイト」
「こんな時にこんな顔して嘘は言わねえさ。全く、ひでえ話だぜ。こんな短い時間の中でよぉ…ここまで俺の心を縛り付けておいて。ことが終わったら帰れって?神様ってやつがいるなら、俺はそいつを殴り飛ばしてやりたいぜ」
少々顔の赤くなった状態で、冗談交じりに海斗が言葉を飛ばす。笑ってこそいるものの、どことなく寂しさが漏れている。
「………それでいいのかい?カイト。君のやっていることはまるで自己満足のソレだ。君はまたティーエを泣かせるつもりなのか?」
ソルドの刃物のような眼光がカイトを刺す。ソルトだからわかったことだ、一見立ち直ったように見えても、その足元の骨組みはバラバラ。笑顔の裏に隠された、少しの衝撃ですぐに崩れてしまう心の柱を。ティーエがそんな風になってしまった原因の相手が、今また同じことを繰り返そうとしているのだ。
あの時は不可抗力だった。が、今回は違う。話す猶予も時間もあるのに、海斗は何もしていない。ソルドはそのことに腹を立てていた。
「ああ、話すつもりではいるけど…やっぱり怖いんだ。俺はあいつの笑顔が好きだ。俺はティーエの笑顔を守りたいんだ。だけどよ、俺がいなくなっちまうことで…それをあいつに言うことで、あいつの笑顔がなくなっちまうって考えると、どうしようもなく震えちまうんだ。…こんな瞬間まで来て、弱虫だよ、俺は」
「そうやって君は逃げるのか?伝えなくちゃいけないことも言わないままで、この世界から消えるつもりか?そんなことしたら、余計に彼女を悲しませるだけだ。それは君のことを信じている、彼女に対する冒涜だ!」
「あのさぁ、二人で話してるところ悪いんだけど」
そこに、急にエレナが割って入って来た。表情を見る限り、呆れているようだ。
「あんたたちちょっと自分を中心に考えすぎじゃない?女ってのは強いもんよ。ソルドも言い過ぎ。自分から別れを言わなきゃいけない辛さとか、そういうものもあるのよ。海斗も。こんなところでビビってないで、早く伝えて来なさいよ。あの子は大丈夫。ホラ、行きなさい。時間がないんでしょ?」
エレナはそういうと、海斗の右手を指した。
海斗の右手はすでに薄くなっていた。
「ああ、もうか。早いな………わかった、行ってくる。悪いな、こんな時まで…リーダー失格だな」
「そうね。仲間を残して黙っていくリーダーは最低よ。そうならないためにも、あなたはあなたにできることをやって来なさい。そうしたら、最高のリーダーって呼んであげる」
海斗は「それは楽しみだな」と言うと、二人の元から去って行った。覚悟を決めた男の顔をしていた。
*
ティーエは困惑していた。急にカイトのがこっちに来たかと思うと、自分の手を引いて基地の裏まで連れてこられたのだ。しかし、ティーエは分かっていた。それは、とてもとても重要な話だと言うことを。
「カイト、どうしたの?ほら、お祝いの席だよ。カイトも楽しもうよ、そんな暗い顔してないでさ」
ティーエにはカイトがひどく落ち込んでいるように見えていた。それは余計にティーエの不安を掻き立てる。何かあったのか、まだ終わっていないのか、あるいは___
様々な憶測が流れては消えていく。嫌なことしか浮かばない。カイトがこういう顔をしているときは、大抵何か良くないことがあった時だ。
「ああ、いや、大事な話ってのは…」
妙にお茶を濁すカイト。やっぱり、何か不自然だ。カイトはこういう時すぐにモノを言うのに、こんなにも歯切れが悪い。
「どうしたのさ、大事なら早く言ってよ。また何かあったら大変でしょ?」
それでもカイトは話してくれない。どうしたらいいんだろう、このままじゃ、私の悪い予感が当たってしまう。何か言ってくれなきゃ、何もできないよ。お願いだから………
「何か言ってよ!」
その言葉が聞こえた瞬間、ティーエはしまったと思った。いつの間にか、口から出てしまっていた。
「わりィ、こんな時まで…。ティーエだけには伝えなくちゃいけないからな…」
カイトは、意を決して口を開いた。
*
いったいどれだけ怖がればいいんだ。いざティーエを前にすると、言い知れない何かに押さえつけられたように口が開かなくなる。
「カイト、どうしたの?ほら、お祝いの席だよ。カイトも楽しもうよ、そんな暗い顔してないでさ」
暗い顔、暗い顔か。今の俺はそんな風に見えるか。ダメだな俺は、こんな時まで。何か、何か言わなきゃ。
「ああ、いや、大事な話ってのは…」
振り絞って出た言葉は、他愛ない、最悪のものだった。今言うべきなのは、こんなもんじゃない。もっと、もっと大事なもんがあるだろうが。
「どうしたのさ、大事なら早く言ってよ。また何かあったら大変でしょ?」
ティーエも、何かに怯えてるように見えた。いつもなら俺が話すまで待ってくれているのに、今ばかりは逃れるように聞いてくる。そうだ、早く言わなきゃ、早く、早く。言わないと、伝えないと、大切なことなんだ。だから___
「何か言ってよ!」
………………………………………。
何やってんだ俺は。焦って、大事なことを一つも伝えられずに終わるところだった。
「わりぃ、こんな時まで…。ティーエだけには伝えなくちゃいけないからな…」
今だって、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。最後にこいつに、俺は何をしてやれるのだろう。
「俺は……….俺は」
嘘は言わない。俺のために、ティーエのために。言ってからいなくなるのと、言わないで消えてしまうのは、どっちが残酷なんだろうな。
「俺は、もうすぐ消えちまう。元の世界に、人間の世界に帰るんだ」
俺は自分の残っている右手を見せた。時間が経ったせいでさっきよりも薄くなっている。もう何かを触ってもわからない。ただ自分が力を入れていると言うことだけがわかる程度にしか、感覚は残っていなかった。
「…そっか、カイト、帰っちゃうんだ?」
言葉を返すことが、できなかった。ただひたすらに、申し訳なかった。どんな顔をしていいか、わからなかった。
「…カイト、ねえ。私にできることはない?なんでもいいよ…カイトになら私…」
ティーエの顔はとても寂しそうだった。とても、どうしていいか分からなかった。君を守るといったのに、結局、傷つけてしまっている。でも、どうか、最後は…
「そう、だな。あの時も言ったように、俺は君の笑顔が好きだ。だから…どうか、笑ってくれ」
ティーエはゆっくりと、
にっこりと笑った。
少しづつ涙を流しながら。
何かを見たくないように目を閉じながら。
そうするうちに体は倒れ、
カイトにもたれかかった。
「カイト…やだよぉ…カイトォ…離れたくないよ…!」
「…………………………………………」
カイトは無言でティーエを抱きしめた。ティーエも負けずと抱きしめ返した。
「あうぅ……うあぁ、うああぁぁぁ…あああああああ…うっ、ひぐっ、カイトぉ…やだぁ、やだよぅ……」
「よしよし。あんまり泣かないでくれよ、余計辛いじゃねえか」
海斗の体はさらに薄くなり、光に包まれていく。感覚は穴が開いたようになくなった行き、今となっては感じるところを探す方が難しい。分からないはずなのに、海斗はしっかりとティーエのぬくもりを感じていた。
「だってぇ…だってぇぇぇ、バカァ、カイトのばかぁぁ…」
少しずつ、大切な人が消えていく感覚がわかる。分かってしまう。分かりたくない。
だんだんと触れている感覚が分からなくなる。まだ、もう少しだけ。
「元気でやれよ。今度はお前がレオパルドを引っ張っていくんだからよ」
「ううぅ…カイト……………」
「じゃあ、な。…また会えるといいな」
海斗を包む光は強さを増し、だんだんとカイトの体が消えていく。ティーエの腕が空を切った時、海斗は穏やか笑顔を見せていた。
ティーエは、海斗を消してしまう光をひどく恨んだ。自分の手が光をつかめないことを強く後悔した。
「あ…ああ……………………ああぁぁ………………………………」
ティーエは、ただその場で、泣き崩れることしかできなかった。