第94話 守りたいんだ、すべてを
正義や悪なんて何かの基準でしかない。誰かの行動を測る物差しのようなものだ。私が信じる正義。私が感じる悪。なら、この行動は。正義か、悪か。
「レックウザ。私をカイトのもとに連れて行って!」ー
「なんと…正気か?」
驚いた表情でレックウザがこっちを見てる。それもそのはず、私には空を飛ぶ術はない。レックウザのように浮くこともできなければ、カイトのように翼を持つわけでもない。
「もう…見ているだけなんて…何もできないなんて嫌なんです!だから、お願いです!」
頬を伝う涙が冷たい。私は言葉を叩きつけるようにレックウザに頼み込んだ。たとえどうなってしまっても、できることならやりたい。最後まで………カイトのそばにいたかった。
*
レックウザは困っていた。普通ならこの小さき者の願いを聞き入れるべきでは無いのだ。あの者…カイトと言ったか。空を飛ぶ神器を持ち、あの巨岩でさえ破壊しうる力を持つからこそ、我はあの者に希望を託したのだ。
いや…あまり綺麗な言い方を使うべきではない。我は、自ら小さき者を死地に向かわせてしまったのだ。隕石を破壊と、あの者の命の保証はイコールではない。全力を尽くしあの巨岩を破壊した暁には、自分の力に体が耐えきれず壊れてしまうだろう。
「命の保証はできん。それでも行くのか」
「そんなの、百も承知です!」
ああ、聞いてしまった。そのような眼をあまり向けないでほしい。涙で濡れた瞳の奥に輝く、強い意思の光に魅せられてしまいそうになる。
「………ふん。死んでも恨むでないぞ」
「…!ありがとう、ございます」
我も空の神になって長いというのに、未だにこの様な強い意志には慣れぬ。
心強き、勇気携えし者が強く願う様は、我ら神にとっては無縁の存在よ。
神は常に平等であり、等しく恵みを皆に与える。ある者はそれに感謝し、ある者はそれを当然だと思い込み、またある者は際限無く求めてくる。
しかし、はるか上空にいるあの者も、目の前にいる小さき者も、そのどれにも当てはまらんのだ。与えられる恩恵を受け取らず、自分の力で運命と立ち向かってきた。
一言で言おう。神と呼ばれる者は総じて、その様な阿呆が好きなのだ。定められた運命に逆らい、何もかも覆してしまうような面白味のある者など、聞くだけで興味が深まる。
「しっかり掴まっていろ。振り落とされるなよ!」
「はいっ!」
ああ、この先の出来事はどうなるのだろうか。本来なら隕石はこの先にいる小さき者が破壊し、その反動でその者の身体は砕け散ることになっている。
だが、我の背中にいる小さき者を連れていくことでどうなるかは神の私ですらわからない。少々不謹慎かもしれぬが、どうしようもなく心が躍る。
さあ、小さき者よ。この我に束の間の夢を見せてくれ___!
*
目の前には大きな岩の塊。俺の背後には青く光る星。緑よりもはるかに多い青の面積は、生命の多さを物語っている。あっちじゃ地球は水の惑星なんて言われてるらしいが、この世界じゃどうなんだろうか。なんにしろ、多くの生物が栄えるには大量の水が必要なんだろう。
「どうにも、損な役回りだよなあ。記憶全部閉じ込めて世界救ったら、今度は何も残さずに消えろって。俺なんのためにこの世界に来たの?ってなるじゃんよ。なあ?サーナイト」
宙に浮いた状態で愚痴をこぼすのは背中に翼を広げたままサーナイトを横目で見る海斗だ。この星に近づきつつあるこの大岩を破壊する前の、残された僅かな時間。
「ふふ、そうですね。その割にはあまり悲しそうには見えませんよ?」
今、俺の隣にはサーナイトがいる。今までは夢の中の存在だったのに、俺に記憶が戻った瞬間急に外に出て来たんだ。なんでも、記憶が戻って俺の精神が安定したおかげで俺が眠っている時じゃなくてもこうやって現れることができるようになったんだとか。
「あったりめえよ。自分の最後を泣き顔で飾るつもりはないぜ。…なんて言えばいいんだろうな。今までにないほど落ち着いているんだ。このクソッタレな隕石ぶっ壊したら、俺は死ぬ。と言うか、消える。いなくなる。わかってんのに、全然怖くねえ。感情どっかに落っことして来たみたいに、何も感じない」
そう言うと、海斗は片手を隕石に向かって突き出した。分かるのだ。自分の死期が刻一刻と近づいているのが。ここに来るまでにサーナイトが口にした言葉が、嫌という程鮮明に頭の中に浮かぶ。
あなたは、ここで、消えるのだと。
「………この星を粉々に砕いちまうほどのとてつもない危険なものが、自分手の中に収まっちまうぜ。サーナイト、あれとやりあうまで後どのくらいだ?」
「ザッと十数分。つまりもう直ぐです。準備はいいですか?」
海斗はただ一言、もちろんと答えて覚醒の唄を唱えた。背中にある羽は神々しさを増し、二枚から四枚へと変わる。
「救助隊レオパルド、リーダー小鳥遊海斗。こっちの世界での最後の大しごとだ。見物人はたった一人しかいねえけど、手を抜くつもりはないぜ。しっかり見てろよ、サーナイト」
サーナイトは何も言わずにただ頷くと、少し下がって、海斗を見送ることにした。
その時だった。
「カイトォォーーーーッ!」
突如として聞こえた懐かしい声には、海斗も振り向かざるを得なかった。とても、とても懐かしい。
「ティー…エ……?」
全く、状況が理解できない。何でティーエがここにいる?しかも、レックウザに乗って。これは一体、どういうことなのだろう。
「バカッ!カイトのバカァ!どうしていつも一人で抱え込むの?私じゃ頼りないの!?」
「おまっ…なんでここに…!?どうして……」
「私はもうカイトが傷つくところなんて見たくないの!守られるだけなんてもう嫌だ!お願いだから…お願いだからぁっ!私も一緒に戦わせてよ!」
ティーエの噴き出した思いは止まらない。死んでしまったと思っていたカイトが生きていて、目の前にいる。だから本気で伝える。あの時の後悔を二度としないために、出来なかったことを、今。
「は…ははっ…バカヤロウが…俺が一人で…ここに来た意味がなくなっちまうだろうが…」
どうしてこうも考えてた通りになってくれないのか。最後に、またこいつの顔を見れるなんて思ってなかった。俺の近くにティーエがいる。最悪だが………
「………最高だぜ」
海斗は泣き顔を悟られないように自分の前髪をぐしゃりと握りつぶした。その下には、笑みと、頬を伝う一筋の涙が光る。
レックウザに運ばれて来たティーエは、足早にその背から降りると迷いなく海斗の腕の中に飛び込んだ。海斗もまた、そんなティーエを優しく抱きとめる。
「ああ…カイトなんだね。わかるよ、私、カイトが目の前にいるんだって」
「こんなところまで追いかけて来やがって、本当にお前は…。それなりの覚悟はできてんだろうな?」
海斗は自分の胸に顔を埋めるティーエの額にデコピンを喰らわせた。ぴゃっ、と変な音を出して、ティーエの体が縮こまる。
「私、もう迷わないって決めた。誰かのためとか、誰の最善とかじゃない。私が、私のために私を一番に優先する!私がやりたいことは、カイトの隣にいること!ぜーったい、ダメって言わせないからね!」
海斗はこのわけのわからない状況をかみしめていた。最初に守りたいと思ったのは、ティーエだった。時間が経つにつれて、そこに甲賀も、エレナも加わった。その場所にはいつの間にかポケモン広場にいた住民たちも一緒になっていた。俺の守りたいものの中にちょっとずついろんなやつが増えていって、今となっては俺の知ってるやつも知らない奴もいるこの星が俺の守るものになっていた。
だけど、履き違えちゃいけなかったんだ。俺が.俺が本当に守りたかったものは___
「……そうか。じゃあ、俺の側からもう離れるなよ。お前は俺が守るんだからな」
あの時は俺が不甲斐ないばかりにティーエを傷付けてしまった。だけど、二度そんなことはしない。あの時は失敗しちまったが、今度は守る!
「我、自らの名の下に自らを縛る。切り離された力は、我思う友の手に……」
海斗がそう呟くと、四枚の翼のうち、一枚が光の粒へと姿を変えた。それは雲散することなくティーエの背に集まり、また一枚の翼に戻った。
「カイト、これって…」
「ああ、俺の神器の一部をお前に分けた。これでティーエも飛べるはずだ」
ティーエが恐る恐る海斗から手を離すと、今までに感じたことのない浮遊感が身を包んだ。落ちて行く感覚などない。ティーエは今、空を飛んでいるのだ。
「すごい…すごいや。これがカイトがいつも見ている景色なんだね」
あたらしいオモチャを手に入れたように、ティーエは笑いながらあちらこちらへと空を飛ぶ。その光景を笑みを浮かべながら、焼き付けるようにその姿を記憶する。
初めはあの時、別れてしまったあの時から仲間の顔が見れないことに少しだけ安堵していた。自分一人でなんとかすると、固めた決意にヒビが入ってしまいそうだったから。しかし、そんな考えも時が経つにつれて変わって行く。少しずつだが、声が聞きたいと、顔を見たいと思うようになっていった。
叶わない。出来ないと言い聞かせて、最後の戦いに向かおうとした矢先、突如としてティーエがやって来た。しかも、俺が手紙を預けたはずのレックウザに乗って。不意にも俺は、その事に喜んでしまった。
「ティーエ、扱いには慣れたか?これ以上近づいたら破壊した時の余波で影響が出るかもしれない。余裕があるうちに行動するぞ。行こう」
俺は、仲間の安全より自分の我欲を優先してしまった事になる。それはきっと、許されない事だと思う。
少し離れたところにいるティーエにその言葉が届いたのか、先に進んでいた海斗と並走を始める。この速さなら、すぐにでもあの隕石を叩けるだろう。
「なぁ、ティーエ」
「…なぁに?」
だから俺は、ティーエには言わなくちゃいけないことがある。ここで俺は消えるが、こいつは違う。まだこの世界に居れて、その先がある。
「いいか、よく聞け。そして絶対に忘れるなよ」
だから俺はこう言うんだ。
「生きろ」
___と。
「え………」
「ティーエ。俺はお前の突き抜けるような笑顔が好きだ。…だから、どうかずっと笑っていてくれ」
「……ふふっ、ありがとう。必ず生きて帰ろう」
隣にいるティーエの笑顔に、とても心が満たされる。いつまでもその笑顔を見ていたいと思うのは、強欲なのか、普通なのか。
*
そうこうしているうちに隕石との接触ポイントまで来た。ここからは時間との戦いになる。ここから約十数分の間にこの向かって来ている隕石を破壊できなければ、この星は終わる。
「すべてを終わらせるぞ、ティーエ」
「やろう、カイト。私たちの世界を壊させないために」
もう覚悟はできている。なら、悔いのないために全力を出すだけだ。
「雷装、全。…フルチャージ!」
「青は豪雨/赤は猛火/黄は雷電/紫は閃光/黒は混沌/緑は樹木/氷は吹雪/白は勇気/八つの大地の理と/八つの空の始まりよ/今こそ一つの力となりて/契約の名の下に集まれ!発動!
元素流域!」
雷装は体の一部に電撃を纏うことで身体能力と攻撃の強化をするものだが、長時間使うと大きな負担が体にかかる。全身に纏えば、それ相応の疲労と反動が身体を襲う。
しかし、海斗はこれを全力で発動した。負担も反動もすべて無視して。強化の度合いは大幅に上がるが、そのあとはどうなるか分からない。もしかしたら、その大きな力に耐えきれず体の神経や血管が焼き切れる可能性もある。
しかし、海斗にとってその代償はためらいなく差し出せるものだった。
海斗は怖いのだ。仲間が傷つくことが。自分の力が及ばずに、守れないことが。故に、海斗は簡単に自分の体を傷つける。自ら傷つくことで仲間を守れるならそれで良いと、一切の迷いなく。
しかし、それを許さぬ者もいる。
「荒く波打つ蒼海よ/猛り爆ぜる火焔よ/輝く黄金の稲妻よ/今ここに/終結を命じる/一瞬に飛び散る閃光よ/闇を誘う混沌の黒よ/この世界の果てに/終局を始めよう/太陽に抱かれる緑陽の木々よ/銀雪に飾られる樹氷の花よ/我の立つ場所で/終焉を迎えよう/白く乱れる感情は/終わりに絡められて消える/全てを消し去り/全てを一つに/終わらぬ時を迎え/始まらぬ時を待つ/新たな理を作り出し/森羅万象を司れ!終わりを連れて永遠と共に歩もう!
一瞬の中の永遠を切り取った世界!」
ティーエは流れ込む記憶の全てを一つずつ整理していく。理由はわからないが覚醒の唄を唱える度に、頭に自分以外の記憶が常に流れ込んで来る。それは自分の視点のすぐ下からステンの声が聞こえてきたり、すぐ隣にいるロイが自分をルーと呼んでいたりと、やはり、私がいない時の家族の記憶ばかりだった。
その中には戦いの記憶も混ざっていて、ティーエはその記憶を選び、自分の神器の新しい力と組み合わせる。
「特性融合…レゾナンス!」
ティーエの体から白い波動が発生すると、黒色の丸い目に白い炎のような影が揺らぐ。イーブイの特性、適応力。それと、エーフィやブラッキーの持つシンクロ。その二つを組み合わせた新たな特性、レゾナンス。シンクロはどくやまひなどの状態になった時、相手も同じ状態異常になるものだが、レゾナンスはそれに手を加えて、強化技も作用するようにしたものだ。
「まだまだ…常に微笑みを持つ我が力は不変に非ず…
全能神の不破の羽衣!」
神器から発せられる柔らかな光は優しく二人を包み込み、円形の防護幕を発生させた。外見に変化はないが、全身に力が満ちるのを感じる。
今のティーエに圧倒的に足りないもの、それは戦闘の経験と勘である。例えどんな力を持っていようとも、使いこなせなければ意味はない。
彼女の神器はとてもシンプルなもので、複雑な能力や特殊なものは少ない。あくまでも、自分が選択できる力の延長線なのだから。なら、それを扱うには?
その力を使いこなしているポケモンを知ることが一番だろう。幸いにして、知識に困ることはなかった。
「(最初から何かを組み立てることは時間がかかりすぎる。でも知ったことを私なりにマネするくらいなら、私にだってできるはず…!)」
家族のみんなが使っていた技の数々が鮮明に浮かび上がる。その一つ一つを組み合わせ、土台として新しい技を考える。今までにない、私にしかできない独自の技を。
ティーエが新たな技を思案している時、海斗もまた自分と戦っていた。
「…足りない…これじゃあまだ足りない…!まだだ、もっと…っ!」
海斗の体には既に貯めておける以上の電気が生産されている。制限を掛けずに発電を続けたらどうなるか?当然、許容量を超えた電気は徐々に外に漏れ始める。漏れ出た電気は空気を割く嫌な音を響かせ、海斗の体を少しずつ焦がしていく。しかし、海斗はそれを承知の上で今の状態を継続していた。少しでも多くの力をぶつけるために。
そこで、海斗の体に変化が起きる。身体の様々なところで異常を訴えていた痛みが、急に波が引くように消えていったのだ。
ティーエがあの時、あの雪洞で行った治療は、自分の体のMP細胞を利用して海斗の体の細胞と融合し、治癒力を最大まで引き上げて傷を治すという方法だった。その時に海斗の体に残された僅かな量の細胞が、海斗の体の危険を感じ取り、自ら行動を起こした。体に起きている異常を読み取り、自ら耐性を持って分裂、再生を繰り返した。これにより焼き付いていた皮膚の下に新たに皮膚を作り出し、猛烈な勢いで再生。さらに自分から電気を纏うことにより親和性を獲得。電撃による怪我や損傷を大幅に軽減した。
結果、電気の生産量、蓄電量が決定的に増加、今までの限界をはるかに超えた量の電気を蓄えていられるようになった。
成長の壁を越えた二人は、自分たちでは知らないうちにその力を開花させていく。カイトの体はさらに輝きを増し、完全に電気を制御できるようになり、ティーエは考えもしなかった知恵が際限なくあふれ出てくる。
その時、ふと、ティーエの記憶の中に唐突にある記憶が浮かぶ。
「…そういえばさ、カイトの手紙に書いてあった…どんなことがあっても俺は消えるって、どういう意味なの?」
「なんだよ、手紙読んでたのか。あー…いや、この際正直に話すよ。…俺は元人間で、この世界を救うために来たってことは知ってるよな?」
「うん…でも急にあんなこと言われたってわからないよ。なんで海斗が消えちゃう必要があるのさ…」
出し渋るように海斗は次の言葉を考える。本来は自分一人でやろうとしていたことなのであの手紙を書いたのだが、ティーエがここに来てしまった。本当は言わずに終わらそうと思っていたが、こうなってしまって以上は仕方ない。
「ポケモンの世界からすれば、元人間の俺は必要ないのさ。だから俺という存在がこの世界に影響を与える前に送り返されるそうだ。心配ははしなくていい、消えるって言ったって死ぬわけじゃないからよ」
「………また、会えなくなっちゃうの?」
やめてくれ、そんな顔しないでくれ。ごめんな、こんなことになっちまって。どうしたらいいんだ、頭ン中ぐちゃぐちゃなんだ。と、海斗の心は乱れる。これは自分の使命なんだと、自分にしかできないんだと。考えたくなかったんだ。何度も見てきた君の笑顔を、自分が消してしまうのが怖かったんだ。
「多分…そうなるだろうな」
俺はそれ以上言葉を搾り出すことができなかった。きっと俺は、これ以上何かを言ったら君を傷付けてしまうから。
謝ることも、励ますことも、できない。ああ、辛いな。海斗は思った。
*
「…準備、出来てるな?」
「いいよ、いつでも行ける」
張りつめる緊張感がピリピリと肌にくる。ほんの数秒が何時間にも感じるほど長い沈黙が続き、平静とした水面のように時は流れていく。目の前に見える巨岩は大きさを増し、ビリビリと空間を震わせる。
「………後5秒。4、3、2、1…」
「「ゼロッ!!」」
二人は動き出す。眼前の災厄を止めるために。星の運命を決める戦いの火蓋が切って落とされた。
「我の覚悟と決意、ここに極まれり!翼の守護を受けし縛られた自由の鎖を解き放たん!」
シェンクから伝えられた新たな唄を唱えると、海斗の背に宿る二枚の羽がボロボロと崩れるように消えていった。両方の翼が消え去るのと同時に、海斗の体が大きく脈を打った。あまりにも強烈な衝撃は海斗の意識を飛ばしかけるが、それになんとか耐えて大きく息を吐き出す。胸を圧迫されたように思えたが、痛みはない。その代わりに、今までに感じたことのない力が体に満ちていく。
「行くがよい、主。聖戦の始まりだ!」
傍からシェンクの声が聞こえた。そこに本人はいなかったが、この声は確かにそう言った。もちろん、俺だって出し惜しみはしない!
海斗は腰だめに手を構え、存在する右腕と存在しない左腕の内側を近づけるように動かすと、手を開いて思い切り前に突き出した。
「貫け、雷虎・ブリングレイ!!」
突き出した右手、と言うよりは海斗の全身から、金色に輝く雄々しい巨大な虎が、隕石に向かって飛び出した。
「ガアアアアアアアオオオオオオオオオオオオウウウ!!!!」
けたたましい咆哮を轟かせ、隕石に向かって一直線に突き進んでいく。虎は隕石にぶつかるが、一撃で破壊することはできずに力比べを始めた。その負担は発動者の体に一気に襲い掛かる。マグマの地底で受けた大岩を受け止めた時のような衝撃が海斗の全身にひた走る。
「ふんぐぐぐぐぐぐぐ……!!」
身体に受ける衝撃は止むことはなく、徐々に海斗の体は後ろに後退していく。これは、押さえきれないかもしれない。何度も死線を潜り抜けてきた海斗の直感がそう思った瞬間、撤退の警笛を鳴らす。しかし、絶対に引くわけにはいかない。歯を食いしばって、自分の臆病な考えを蹴散らす。
その時、手の甲にふわりとした感触と柔らかな温かみを感じた。
「私もいるから…私も戦うから…!」
突然、自分の体にかかる負担が和らいだ。ふと視線を逸らすと、そこには自分の手の甲に同じように手を重ね合わせているティーエがいた。なんとなくだが、そこから力が流れ込んでいるような、そんな気がする。
「海斗は私を一人じゃなくしてくれた。だから、私もカイトを一人にはさせない!ご飯を食べる時も、探検に行くときも…
い、一緒に寝る時も…、もちろん、戦うときだって!私も隣に並んで、私もカイトと一緒に戦うの!」
ティーエは力強くそう言い切ると、さらに大きな力がティーエの手を通して流れ込んできた。その変化は実に如実に表れ、先ほどの虎が一回りも大きくなっている。
「これなら…一気に押し返すぞ、ティーエ!踏ん張れええええ!!」
海斗が手に力を込めると、さらに勢いを増して苛烈に隕石を攻撃し始めた。少しずつ、隕石が軋む音が聞こえ始める。こちらの攻撃に耐えきれず、ひびが入り始めているようだった。
「「いっけーーーーーーーーーーー!!!!!」」
虎は、すべてを突き抜けて前進していった。大きな音が響いて、空間が震えた。
空を覆う隕石は、跡形もなく粉々に粉砕されていた。
海斗には、自分を見て何かを言っているティーエが見えていた。