第88話 終わりの始まり
全て消えたはずだった。何もかも失ったはずだった。復讐のために生きた世界は、灰色だった。だけど、今は違う。この世界に、ようやく色がついた気がしたんだー
あれから数日が経った。いろいろなことが変わって、終わって、また始まった。
「…おはよう、ソルド」
「ああ、おはよう、エレナ。よく眠れたかい?」
「………まあいつも通りね。普通よ普通」
寝起きということもあり頭は若干ボヤついている。私は洗面台にあるタオルを冷たい水で濡らし、よく絞った上で顔を拭いた。うん、気持ちいい。
「エレナさん?これ、自信作なんですがどうでしょうか?」
何かを切る音と共に、ティーエの姉弟のステンが朝食を作ってくれていた。簡素なものだが、私はそれの方がいい。
ウサギ型に切られたリンゴと、一切れのアップルパイ。リンゴはよく冷えていて、アップルパイは香ばしく、とても美味しかった。
「どうでしょうか、お口に合いましたか?」
「ええ、とても美味しかったわ。ありがとう」
そういうと、ステンは満足そうにまた料理を続けた。この時間帯だと、そろそろティーエが起きてくるのだろう。
そこに明らかに多い量の材料が存在していることは触れないでおく。
「(やることもないし…少し散歩でもしようかしら)」
そう考えた私は、特に何気なく外に出た。
それが、終わりが始まる合図だとも知らないで。
*
それから少しして、顔色を変えたエレナが息を切らして基地に戻ってきた。
「え、エレナ?そんなに慌ててどうしたの?」
様々な料理を目の前に、困り果てていたティーエは、ちょうどいいとばかりに料理から目を外した。
「みんな…!大変なのよ!早く広場に来て!」
エレナのただならぬ雰囲気は、その場に居た者を動かすには十分すぎるほどに気迫をまとっていた。
*
場所はポケモン広場。普段は人影がまばらな所だが、今日は様子が違った。いつかのあの時のように、数多くのポケモンたちが集まり、一様に誰かの話を聞いている。
「…………………。……………!………」
「あの声は…」
その騒ぎの中心で、誰かの声が聞こえる。群集は皆その声に聞き入り、ひどく焦燥している。
「ノーム!」
「む!ティーエか!ちょうどいい、そのまま聞いててくれ」
ノームの隣には、ネイティオのシンがいた。せいれいのおかからこの場所まで移動してきたのだろうか。
「さっき話した通りだが………
この星に巨大な隕石が接近している。
おそらく、様々な自然災害もこれが近づいているせいだろう」
突如告げられた信じられない真実。
それってつまり、どういうこと?
「世界のバランスが少しずつ狂っていったのも、これが原因だろう。我々、たくさんのポケモンが住める力を持つほどの星同士が干渉すれば、何か大きな異常が起こるのも無理はない」
ノームが、淡々と話す。その場に存在する恐怖という感情を増幅させながら。宇宙からの最悪の来訪者、隕石。あまりにも大きな力に、一体何ができるというのか。
「そんな…なにか、できることはないの?カイトが…自分の命をかけてさぁ、私たちを助けてくれたっていうのに…これじゃあカイトが犠牲になった意味がないよ………」
明らかに落胆の色を隠せないティーエ。
どうして。どんなに私たちががんばっても、この世界はそれを軽々と超えてしまうような出来事を起こしてしまうのだろう。
「だからとて諦めるわけにはいかない。カイトが残したバトンをワシ等は途絶えさせるわけにはいかんのだ」
ノームの目には今までにない強い光が宿っていた。その光の源は、海斗を守れなかった深い後悔と、海斗が残したこの世界を守るという一心からくるものだった。
「私はこの事を知ったその時から、ありとあらゆる資料を調べ紐解き、ある一つの伝承を見つけた。多少省略するが、そこには『空に在りし天の神、怒りの咆哮と共に天より現れし炎の矢を砕かん』と書かれている。おそらく、過去にも今と同じように隕石が近づいたことがあったのだろう。しかし、それは天の神によって阻止されている。そして私はその天の神の正体も突き止めた。その名はレックウザ。この場所からはるか上空にある、天空の塔に住む伝説と呼ばれるポケモンの一匹だ」
さっきまでの恐怖の感情は見えない。今はみんながノームの話に聞き入っている。もちろん、私だって。私はもうノームの言いたいことが分かっていた。確かに、それが上手くいけば、隕石を何とかすることだってできるんだろう。だけど私は知っている。今、ノームは耳当たりのいいことしか言っていないんだって。
「レックウザに隕石を破壊してもらうには直接会いに行って頼むしかない。シン、準備はいいな?」
「もちろんだ。私が持てるだけの力をもって作ったこの"超能力の結晶"を使えばどんなところにでも飛ばして見せよう」
ノームは満足気に頷くと、これからどうするかを説明し始めた。
「この"超能力の結晶"をつかってレックウザの元に行き、隕石の破壊を頼む。それが、我々にできる最後の足掻きだ。皆の者、どうか、希望を捨てないでほしい」
ノームがゆっくりと片手を上げるとその場には歓喜の声があふれた。安堵のため息や期待の声が聞こえている。
「………ティーエさん。どうやら、最後の時が来たみたいですね」
「そうだね…。やらなくちゃ。カイトの意思を無駄にしないために」
*
基地に戻った僕たちは、ひっそりと準備を始めた。多分、これが僕たちの最後の戦いになるだろう。
「ティーエさん、こっちは準備できました。いつでもいけます」
甲賀は荷物を詰めたカバンを無造作に置くと、神妙な面持ちでカバンの中を見つめているティーエがいた。一見、カバンを見ている気がするが、その目はあまり多くのものを捉えていないようだった。
「私ね、ずっと考えていたの。カイトならこのときなんて言ったかなあって」
うなだれたまま虚空を見つめるティーエ。この場所に来たとき、彼女は一人だったと聞いた。最低限のかかわりだけ残して、長い間一人でいたという。
「いっつも考えちゃうんだ。カイトなら、カイトなら、カイトなら…って」
その声は少しづつ震えていく。ティーエさん、僕はあなたの考えていることはわかりませんが、言いたいことなら少しだけわかる気がします。
「…こんなことばかり言ってても仕方ないよね。うん、大丈夫。私たちは戦わなきゃいけないんだから。カイトが残してくれたチャンスを、無駄になんかできない。まだ、まだ私は笑える。…さあ、行こう。カイトが残してくれた、この世界を救いに」
ティーエさん、あなたの心にはいつも海斗さんがいるんですね。
だけど、今僕の目の前にいるこの方は海斗さんが居なくなった日からどこか張りつめている気がする。
『無理をしないでください』
僕はこの時、思ったこの言葉を言うことが出来なかった。
*
ポケモン広場の喧騒は収まることを知らない。新たな星の危機と、それに立ち向かう最後の抵抗。これが失敗すれば、本当に。本当にすべてが終わる。"超能力の結晶"を片手に、シンは今か今かとレオパルドの面々を待ちわびていた。
「シン、あまり焦るな。彼らなら必ず来る。…ほら、言ってるそばから」
広場には、大勢のポケモンが何かを願うようにこちらを見ている。これから私たちは、このすべてを背負って遥か天空に住むレックウザに、命がけである願いを聞き入れてもらわねばならない。
「シン、ノーム。準備はいいよ。送って。最後の戦いに」
ノームはゆっくりと頷いた。そして、"超能力の結晶"に力を込め始める。
「一度に送れる人数は一人が限界だ。送るためには少し時間をおかないと、"超能力の結晶"が砕け散ってしまうのだ。私たちの今の力じゃこれが限界だった…すまないが、分かってくれ」
「じゃあ私が先に行くよ」
「待ってください、今回の水先案内人は僕が引き受けます。おそらく、天空の塔に住むポケモンは今までと比べ物にならないほど強いはずです。だから___
「心配してくれてありがとう。でも、私に行かせて」
まっすぐに見つめるティーエの瞳。
「…分かりました。そのかわり、僕がそっちに行くまでその場所から動かないでください。いいですね?」
「うん、わかったよ。でも、私は大丈夫だから。大丈夫だよ」
ティーエは、自分に言い聞かせるように大丈夫と言いつづけていた。
「話し合いは終わったか。ティーエからでいいのだな?」
「うん、大丈夫だから、送って。向こうで待ってるから、早めに来て」
そう言って瞬間、光に包まれたティーエはその場から姿を消した。その場所には、淡く残る光が浮いているだけだった。
「ティーエさん…どうか無事でいてください」
空を見上げる甲賀は、天空の塔に単身乗り込んだティーエの身を案じた。
〜天空の塔〜
次に目を開けると、どこか神秘的な雰囲気に包まれた光景が目に飛び込んできた。今立っている場所は雲でできており、フワフワと不安定でどことなく怖い。周囲は限りない雲海で、上空は明るいのに星が輝いていた。
その中に、ひときわ大きな星がある。すぐに気づいた。それが私たちが住むこの世界を壊そうとしている流星だって。これから起きるかもしれない事情とは裏腹に、私はその流星を見てどこか美しいと思ってしまっている。
「ごめんね…やっぱりじっとしていられない。先に行くよ私。分からないけど、そうしなきゃいけない気がするから」
ティーエは天空の塔の入り口に走った。どうしてこんなに体がうずくのだろう。何かが、私の中の何かが天空の塔に行けと言っている気がする。ただそんな理由で。自分を危険にさらす。たとえおろかだと言われても構わない。この衝動はいったい何なのか。確かめなければいけない。
「…あいつら、元気かな」