第60話 エレナの決意
ロンの口から飛び出した信じがたい言葉。海斗はその言葉か真実であることを願ったー
「ロン………おまえ、それ本当か?」
「ああ、本当だ。私が聞いた限りではな。どうした、知り合いだったのか?」
「………………………」
知り合いも何もない。おそらくそのアブソルは、前に別れたエレナだ。
エレナが、生きていた。一度過酷な現実を伝えられ、絶望もした。聞かないフリをして過ごして、ずっと生きていると思い込んでいた。だけど今、本当に生きていることを確かめた。
「そうか………そうかよ………良かった。本当に良かった………」
気付けば、海斗は涙を流していた。生きていてくれと、どれだけ願っただろう。いつになれば追い付くのだろうと、ずっと考えていた。
「その病院を教えてくれ」
「あ、ああ。向こうのペリッパー連絡場が一時的な仮設病院になってるはずだ。そこに居るはず___
ロンの言葉を最後まで聞くことなく、海斗は飛び立って行った。
*
〜ペリッパー連絡場〜
上空から見ると、確かに怪我をしたポケモンたちが居る。道中他のポケモンに襲われたり、何かしらの災害に巻き込まれたのだろう。中には自分達がぶっ飛ばしたポケモンも居るかもしれない。
海斗は無言のままわざと目立つ所に降り立った。空中に居る時点で気付かれていたのは知っているが、降り立つことで更に視線が突き刺さる。周りからはボソボソと声が聞こえてくる。
「あいつ、最重要指名手配の………」
「なんでここにいるんだ?」
「誰か捕まえろよ」
「やだよ………お前が行けよ」
雑多な声が入り混じりってはいるが、その全てが海斗を敵視するようなものだ。
無言を貫き、ペリッパー連絡場に向かう。
「待てよ。お前…タカナシカイト、だよな」
声が聞こえた方を見ると、腹部に包帯を巻いたエレキブルが話しかけてきた。海斗も振り返ることでそれに応える。
「何しに来た。指名手配のお前が。………こんな敵陣のど真ん中に来るってことの意味ぐらい理解してるんだろうな」
「………戦いなら後だ。今は優先することがある」
エレキブルはゆっくりと立ち上がった。
「はいそうですか、で引き下がるとでも?ここにはお前の首を狙う連中がワンサカいるんだぜ?」
エレキブルのこの一言で、周りが一気に殺気立つ。
「確かに………」
「この人数なら………」
と言った声まで聞こえてくる始末だ。海斗は大きくため息をついた。
「やめておけ。入院期間を更に伸ばすだけだ」
一応忠告はしておいた。しかし、そんな一言で殺気が収まるわけがなかった。
「ふん、お前を倒せば済む話だろうが。悪いがその首いただくぜ」
指をゴキゴキと鳴らし、戦う姿勢を見せる。何を言っても聞かないので、海斗は、少し本気を出した。瞬間、この空間を異様なまでの雰囲気が包む。
「…失せろ。その首刈り取るぞ」
普段の海斗を知っているものならば想像もできない程光の無い眼と無機質な声。それはその場の空気を一瞬で鎮め、エレキブルを退かせた。
「………俺を止めるつもりなら、死ぬ気で来い」
静まり返ったこの場所に、海斗の小さな声は驚くほど響いた。
*
〜ペリッパー連絡場内部〜
嫌になる程血の臭いが充満し、そこらには重傷者が転がされている。怪我している身と思えば、仮設ベッドでは非常に辛そうだ。そんな中でもテキパキと働いているペリッパー達は本当に偉いと思う。
「ここか………酷いもんだな」
どうしてここまで重傷者が出たのか、海斗には分からなかった。海斗はここまで相手を痛めつけた記憶が無いからだ。
「(これだけ怪我した奴がいるんだ。もしかしたら、犠牲者だって____)」
海斗の中に良からぬ考えが浮かぶ。しかし、海斗はそれを頭を振ることで消した。
「(今は、エレナを探さないと)」
辺りを見渡すと、思いの外簡単に見つかった。ペリッパー連絡場のカウンターの前で横になっている。そして見ただけで分かった。エレナは、とてもひどい怪我を負っていることに。
「エレナ…こんな姿になっちまって………ありがとう。帰ろうか、俺たちの居場所に」
海斗は、傷に触らぬようにエレナを持ち上げ、自分たちの救助基地へと戻っていった。
〜救助隊レオパルド基地〜
エレナを連れ帰った後は、基地は重い雰囲気に包まれた。エレナが負っている傷は予想以上に酷いらしく、リンが治療に当たっているがかなり難航しているようだ。海斗が戻って来てから既に二時間が経過している。因みに、リンを集中させるために、彼等は全員外に出ている。
「カイト………あんまり自分を責めないでね。私も側にいるから」
「………すまん、大丈夫だ。リンの力を信じてないわけじゃないんだが、それでも心配なんだ…。祈ることしかできねえけど、何もしないよりは何倍もいいと思ってよ」
祈る海斗に、気を使うティーエ。そこで急にソルドが話しかけてきた。
「聞いてもいいかい?あのアブソルは何者?」
あまり話しかけてこないソルドが自ら海斗に聞いてきた。ちょっと驚きながら返答する。
「あ、ああ。あいつはエレナ・サブナック。群青の洞窟辺りで怪我をして別れた仲間の一人なんだが…救助隊に見つかったのか、あの有様だ。エレナが簡単に倒されるわけがないって、高を括った俺がいけなかったんだ。くそっ、怪我をした奴を置いて行くなんて囮とほとんど変わんねぇ…無理してでも連れて行きゃ良かったんだ…クソっ!」
「エレナ………?」
エレナの名前を聞いた途端、ソルドの顔が曇った。それこそ仮面越しでも分かるくらいに。
「エレナ………いや、そんなわけない。いや、でももしかしたら………」
必死に自問自答を繰り返すソルドを不思議に思いながら、ただひたすらに待つ。
「(頼む、エレナ………死なないでくれ…!)」
海斗の願いは、虚空へと消えた。
*
あれからどれだけ経っただろうか。日が傾きかけたその時、基地の入り口に影が見えた。出て来たのはリンだ。エレナのことを聞こうと卒倒するが、それに驚いたリンはすぐに基地の影に隠れてしまう。
「エレナは…エレナは助かったのか!?」
「あ………うん、とりあえずヤマは越えたし、意識も取り戻したから………後は回復まで待つだけかな」
オドオドしながらリンは答え、海斗はそっと胸を撫で下ろした。
「そうか………ありがとう、リンさん。あんたのおかげで、誰も欠けることなく救助隊を再開できそうだ」
「………………………………」
俯いたまま体全体が真っ赤になるリン。口元が動いてるのが分かったが、何を言ってるかは聞き取れなかった。そんなリンを置いといて、海斗はエレナに近寄った。
「エレナ………」
「………無実は証明できた?」
「ああ。この目、この耳、この身体全てで俺は無実を証明できた。ありがとう、エレナのおかげだ」
「………プッ、なぁ〜にかっこいいこと言っちゃってんのよ。みんなのおかげでしょう?わたしはいいから、お礼言っときなさいよ」
海斗はその言葉を聞いて、困ったような笑顔を見せた。
「みんなの一人に、エレナが入ってるんだ。だから…ありがとう」
エレナは少しだけ微笑んだ。
「みんなを呼んでもらってもいいかしら。わたしの無事を伝えなくちゃね」
海斗がみんなを呼び込むと、堰を切ったようになだれ込んできた。ティーエとカエンは泣いて喜び、甲賀は少しだけ目に涙が浮かんでいた。昨日今日と続けて、なんて嬉しいんだろう。
自分が無実で、ここに戻って来れて、仲間が無事で。一生分の幸せを、この日で使い切ってしまった気がしてしまうほど、嬉しかった。ほとんど面識のないソルドやエースですら、安堵の表情を見せていた。
*
その日の夜は、エレナの復活を祝って、ちょっとした祝杯が上げられた。
甲賀とステンが腕によりをかけて作った料理が小さなテーブルにこれでもかと並べられていく。宴の始まりだ。
「お、これうまいな。甲賀、これなんだ?」
「それはカゴの実の表面を剥いて切り分けたものです。クラボの実とモモンの実を擦り合わせた甘辛いソースを掛けているんです」
「久しぶりに姉ちゃんの料理食べたよ!やっぱり美味しいなぁ〜」
「ウフフ、ありがとう。おかわりはまだまだあるから、いっぱい食べてね」
テーブルでは楽しそうに食事を楽しむ風景が見えた。別の場所では酒の飲み比べが始まっている。
「お〜い、レイト〜。イッキで勝負しねぇか?」
「酒臭いよロイ兄。第一お酒は適度に楽しむもの。一気に飲んで倒れても知らないからね」
「んだよツレねえなぁ〜。誰か飲み比べしようぜ〜?」
「よ〜し、あたしが行っちゃおうか!勝負よロイ!」
勝負に名乗りを上げたのはルーだ。お互いコップを手に取り、構える。
「行くぜ、ルー。後悔すんなよ〜?」
「ふっふっふ、あたしにコップを持たせた時点であんたの負けさ。いつでも来な!」
「「レディー………GO!!」」
お互いのスタートコールが重なると、その場に置かれたコップを次々にカラにしていく。最初はかなりハイペースでカラになったコップが増えていったが、十五を過ぎた辺りから一気にペースが落ち、最終的には二十二杯目二人とも倒れてしまった。よってこの勝負、引き分け。
部屋の隅ではソルドとエースが小さく杯を交わしていた。
「お疲れ様、エース君。君も結構大怪我をしていたと思うんだけど、もう平気なのかい?」
「ああ、もう平気さ。一杯いくか?」
「あれ、セリフ取られちゃったな。じゃあ遠慮なくいただきます」
一般的にお猪口と呼ばれる小さな器に、静かに注がれる透明な酒。
「そんじゃあ、乾杯。俺らに至っては何に乾杯か分からんけどな」
「それは言いっこなしでしょ。彼等にとってのめでたいことの中に、わざわざ暗い顔でいる意味なんてないじゃないか。今日は笑顔で行こうよ」
「ああ、まあ、そうだな」
彼等はその後も静かに酒を飲み交わした。
そんなどんちゃん騒ぎの中、フラッと基地から出て行く者が一人。
「お酒のにおいに当てられちゃったかしら………ふらふらするわ」
多少おぼつかない足取りで歩く。火照った体を夜風は気持ち良く冷ましてくれた。
「あれ?エレナさん、先に出ていたのですよ?」
エレナが振り返ると、少し顔を赤くしたカエンが立っていた。
「あら、カエンちゃん。どうしたの?」
「お酒のにおいがキツいのと、少し暑かったので………邪魔してしまったのですよ?」
「いいえ、大丈夫よ。一緒に夜風に当たりましょ」
エレナの誘いに乗り、隣に座るカエン。ゆっくりと優しく吹く風が彼らの体を冷ました。
「あのー………」
顔を赤くしながら照れ臭そうに頬を掻くカエン。それに気付くエレナ。
「お礼、まだ言えてなかったから………あの時はありがとうですよ。私一人では、どうなっていたかわからなかったですよ」
どうやら群青の洞窟で助けられたことを言っているらしい。今では立派な『仲間』だが、関心が薄かったあの時のことはよく覚えてない。
「ごめんなさいね。あの時のことはよく覚えてないの」
「そうなのですよ………でも、私が覚えてればいいのですよ。もう一度、ありがとうなのですよ」
お礼を言われて、エレナはなんだがむずがゆい気持ちになった。体の奥がくすぐられるような、変な感覚。
「どういたしまして。あの馬鹿騒ぎが収まってから戻るとしましょう。あれじゃあうるさくて休むこともできやしないわ」
感じたことのない感情から逃げるように言った。理由を問われれば分からないと言うしかないが、まだこの感情を理解してはいけないと思ったからだ。
「あのー、すいません。ちょっといいですか?」
背後から聞こえた誰かの声。聞き覚えのない声だったため、エレナの警戒心を一気に掻き立てた。
「カエンちゃん、伏せて!カオスグレイブ!」
「えっ!?あっ!はいですよ!」
エレナのツノが紫色のエネルギーで幾倍にも膨れ上がり、薙刀の様に姿を変えた。そして、声が聞こえた方に振り付けた。声の主は転ぶようにそれを避け、地面が振り付けられたツノの形に合わせて抉られた。そこで初めてエレナは相手を視認する。
「あなたは…確か…ルアン!?」
「ガタガタガタガタガタガタガタガタ」
「ああああ、ごめんなさい!大丈夫!?怪我は無い!?」
「はっ、はいっ、大丈夫、大丈夫でっ、すっ!」
体は無事でも心が重傷なルアンだった。
「僕もいますよ」
基地の陰からひょっこりと頭を出したのは歌韻だ。
*
「ごめんね。あまり聞き覚えのない声だったから、敵だと思っちゃって………」
「分かってくれればいいんです。突然声をかけた僕も失礼でした」
あれから少し時間が経ち、平静を取り戻したルアン。今はカエン、エレナ、ルアン、歌韻が外に居る。無言に耐えられなくなったのか、ルアンがエレナに話しかける。
「えっと、エレナさん。あなたは海斗さんと何処で知り合ったのですか?」
エレナと別れてから二人と出会ったので、彼等はエレナのことをほとんど知らない。ルアンは興味本位で聞いてみた。
「そうね……。私ね、もともと怪盗やってたのよ」
「かいとう………?なんですか、それ」
「警察とかに予告状出したり、変装とかしてお金持ちとかから宝石をカッコ良く頂いていく泥棒のことよ」
泥棒、という言葉に驚きを隠せないルアン。ルアンだけではなく、歌韻もカエンも驚いている。
「泥棒はダメですよエレナさん!そんなの犯罪じゃないですか!」
必死になるルアンを鼻で笑うエレナ。「だから?」とでも言いたげだ。
「ルアンの言ってることは間違いじゃないわ。人の物を盗るのはりっぱな犯罪。それが道理。それが常識。でもね、綺麗事だけじゃ生きて行けないの。私にはやらなきゃいけないことがある。その為にはどうしてもお金が必要だったの」
エレナの言ってることも、正しいといえば正しい。綺麗事だけで生きていける程、そんなに甘くない。
「………やらなきゃいけないことってなんですか。他人に迷惑を掛けてまでやらなきゃいけないことって、なんなんですか」
「未来への芽を育てることよ」
「え………?」
予想外の答えに、疑問符が頭の上に浮かぶ。
「私はここからそんなに離れてない孤児院で育った。そこは今、私の仕送りみたいなものでずっと動いてる。今は救助隊の時に稼いだお金でなんとかしてるけど、すぐにでも足りなくなる。そこにいる子達には私のようになって欲しくないから。真っ直ぐに育って欲しいから。私に出来ることは少ないけど、せめてお金だけは不自由しないようにしようと思ってるの」
「でもっ………」
開きかけた口が、言葉を発すること無く閉じる。エレナのやったことは間違っているけど、エレナなりの信念を持っているようだった。
「あのね、ルアンくん。世界には間違ったことも、間違ってる人も沢山存在するの。私もその一人。でもね、やってる事だけでその人を判断したら、きっと後悔する。ルアンくんは知ってるわよね?カイトが疑いをかけられていたこと」
「え、ええ。氷雪の霊峰というところで、キュウコンさんの真実を聞いた後ティーエさんから詳しく聞きました」
「じゃあ聞くけど、あなたは最初それを聞いた時どう思った?」
突然の質問に、少し話す言葉を失うルアン。
「ヒドイな、って思いました。そんな勘違いで命を狙われるなんて、とても悲しいです」
「それじゃもう一度聞くわ。もしその事実を知らないままティーエの言ったことを聞いたら、あなたはカイトをどう思う?」
「………………………」
返答に困る問いだ。普通なら、そう、普通ならここで「カイトを信じる」と答えるだろう。
「………分かりません」
だが、ルアンはこう言ったのだ。エレナはその答えにいかにも満足気だ。
「そう、その通り。こんなの、推理物と似てるわ。答えが出るまで長い間考えて、それで正しい答えを出す者もいれば、間違った答えに縋り付く者もいる。事実を知った以上、過去の自分を語るのは無理。分からないことは分からないままでいいのよ」
遠くを眺めるその視線に映るものは何もない。その視線を近くに戻し、三人に向ける。
「さて、ここで問題です。私が物を盗る泥棒だと知って、急に私が悪い人に見えてきた?それとも、今までと変わらない「エレナ」に見える?」
急にエレナが三人に問題をぶつけた。
「………私はエレナさんのことをあまり知らないから分からないのですよ。だけど、目の前にいるエレナさんはとても優しそうなのですよ…」
カエンはそう言ったが、実のところ三人とも同じ答えである。カエンが一番に言ったことで代表していったみたいになってしまった。
「価値観なんてそんなものよ。その人と深く知り合う関係じゃなければ、印象は初見で決まる。あなたたちの反応だと、私の印象はかなり良かったみたいね」
返す言葉が無い。見た目で他人を判断してはいけないと、痛く思い知らされた。
「………なんで、あなたは怪盗になってしまったんですか?まともに働こうとは、思わなかったんですか?」
今まで聞いていただけの歌韻が、エレナに質問した。
「働けなかったのよ。学のない私じゃ、働くことなんてできなかった。良くも悪くも、盗みの才能がある自分を恨んだわ。だけど、どれだけ恨んでもそれは消えない。それどころか今でさえその才能に助けられてる。良く言えば怪盗としての道を進んだ。悪く言えば盗むことでしか生きられなかった。何も出来ないよりはマシだったけど、何も出来ない方が楽だったかもね」
放つ言葉一つ一つに、エレナの思いが込められている。誰も救えない、掬うことのできない悲しみが。
「だからって悲しみに暮れる暇はない。私は私にできることを最大限するだけ。今更盗み云々で考えることなんてしないわ」
運命は残酷だ___
いつか、誰かが言ったこの言葉が聞こえた気がした。