第32話 怪盗”歌姫”
海斗達が眠り、夜も本格的になってきたころ、未だに世間を騒がせている怪盗が動き出す。その名は、”歌姫”ー
ここはとあるビルの一室。灯りは無く、目を凝らしても壁がやっと見えるか見えないか、というほどに暗い。
突然、誰もいないその部屋に、鉄を鉄で殴るような高い硬質な音が響き、部屋の天井を通っていたダクトの格子が外れ、中から影が降り立った。
「潜入完了。楽勝ね」
影は一言呟き、音が出ないよう慎重にドアをあけ、そこから出た。
真っ直ぐに進み、右に曲がり、また進む。迷路のような通路を凄い速さで駆けていく。
エレナ・サブナック。もとい、怪盗”歌姫”が現れた。
*
喫茶・鳥の巣にあるテレビから、とあるニュースが流れていた。
先日、ビルの一室に飾られている、大きなダイヤモンド。「星のラクリマ」を盗むというカードによる犯行予告がありました。
カードには怪盗”歌姫”のトレードマークである、音符が描かれており、警察は今度こそ歌姫を捕らえるつもりで、警備を強化しています。
怪盗”歌姫”による犯行予告。事件の始まりは一年前、大企業の社長室のデスクに一枚のカードが置かれているのが始まりだった。
*
「本日中にあなたの部屋にある「黄金のルギア」をいただきに参ります」
怪盗”歌姫”♪
カードにはこう書かれており、社長であるオーダイルは直ぐに警備の強化を命じた。オーダイルは黄金の象に近寄り、それが本物であることを確かめた。象は、伝説のポケモン、ルギアをかたどった、どちらかと言えば小さめな象である。しかし、金であるため重く、そう簡単には持てない重さだ。
「いったいどこのどいつか知らんが、俺の物を盗もうとするなんて良い度胸だ。久し振りに腕が鳴る……!」
実はこのオーダイル、救助隊上がりで自らの腕に自信があるのだ。しかもビルの一階ずつに配置された屈強な警備員は、代物は違えど、このビルに侵入した泥棒を幾度も捕まえたことがある。
もちろんそんな警備員を倒して社長室に辿り着いた者は何名かいる。それでも最後は社長であるオーダイルの手によって御用となるのだ。
最初こそテレビ局のPTV(ポケモンテレビ)や、ポケモンニュースも騒いでいたが、みんな捕まってしまうのでポケモンニュースの端っこにほんの少しだけしか載らなかった。
しかし、そのビルから唯一盗みを成功させたのが、怪盗”歌姫”だったのだ。
*
「観念するんだな。もう逃げられねぇぜ」
少々ガラの悪い警備員のゴーリキーが一歩前に進み出る。警備員たちが包囲しているのは白い仮面と、表は白、裏地が黒のマントを身に着けた歌姫だ。
しかし、歌姫はそんなゴーリキーを嘲笑した。
「何がおかしい!」
真っ赤になったゴーリキーは”歌姫”を怒鳴りつけた。それでも歌姫の口元に笑みが浮かんでいる。
「ごめんなさいね。お詫びと言ってはなんですが、一曲歌わせてもらいましょう」
礼儀正しい口調だが、どうぞ、と言うものは誰一人としていなかった。
そんなことはお構い無しに歌姫は歌い始めた。
「♪♪〜♪♪♪♪♪〜〜♪〜〜〜♪〜♪〜♪」
曲名はわからないが、歌姫の透き通るような声とその曲の雰囲気に一瞬で呑まれ、その場にいた全員が歌に心を奪われかけた。
しかし、すぐに一部の警備員が心を取り戻し、他の者に呼びかけ、意識をもどしていった。
「全員突撃!必ず確保せよ!」
警備員の一人が叫ぶと同時に歌姫を包囲していた警備員たちが一斉に走り出した。
「
迷える子羊たち」
歌姫は体を宙に踊らせ、歌い続ける。広間は追い掛ける大量の警備員と逃げ回る一人の怪盗によってとんでもない大騒ぎになった。「あっちだ!」「いや、そっちだ!」「どこだ?」「向こうだ!」「違う、こっちに行ったぞ!」「あーもう!どこだ!」
しかし、そんな騒ぎはすぐ終わることとなる。
なんと次々に警備員たちが倒れ始めたのだ。それは限りなく早く、10秒足らずで全員が倒れた。
「作成成功。お疲れでしょうから、ゆっくり眠ってくださいね」
警備員は全員眠っていた。いや、眠らされたと言うべきだろう。それが歌姫の歌であるのは、想像に難くない。
歌姫は余裕を持って広間から出て行った。
機械的防犯設備もあったが、あるいはしゃがみ、あるいはくぐり抜け、あるいは無理やり破壊もした。
一階、また一階と、順調に階を踏破し、そしてとうとう、目的の物がある場所にたどり着いた。
ゆっくりとドアを開け、お宝を視認する。部屋を見渡したが、社長はいなかった。
「(これはチャンス……!)」
歌姫はゆっくりとルギアの象に近づき、優しく触れた。その時だった。
「かかったな!」
「!?」
声のした方を見ると、入り口にオーダイルが陣取っており、その手には何かのスイッチが握られていた。
そして、突如として降ってきた檻に歌姫は閉じ込められてしまった!
オーダイルは捕らわれた歌姫にゆっくりと近づき、かくも自慢げに言った。
「お前がこの部屋に来るこたァわかっていた。先に罠を仕掛けさせてもらったぜ。残念だったな、歌姫さんよ」
めいっぱい鉄格子に顔を近づけ、歌姫を嘲笑った。ただし、その余裕はすぐに覆されることになる。
「残念なのはあなたですよ。こんな物で私を捕まえられるとお思いで?」
「なにィ………!?」
歌姫はゆっくりと手を出した。するとどうだろう、なんと、手が檻をすり抜けて、外に出たのだ。
「な………!!」
手を出し、そのまま顔を近づけると、同じようにすり抜けた。順に体、足、最後に尻尾がすり抜け、歌姫は完全に自由になった。
「そんなバカな……!」
「楽しませてくれてありがとう。最後に取って置きを歌ってあげましょう」
「や、やめろ!」
オーダイルの言葉を無視し、歌姫は歌った。
「
罪と罰と永遠と」
「かっ………!!」
一抹の声と共にオーダイルは意識を失い、その場に倒れた。
「残念。それではお疲れ様」
歌姫は外に出た。部屋に一枚のカードを置いて。
「今回は私の勝ち。残念でした☆」
怪盗”歌姫”♪
*
「(初めては一年前。あの時が一番上手にいったなぁ)」
顔には仮面をつけ、颯爽と翻るマントはあの時と同じ、白と黒で表裏が違うマントだ。
「(我ながら上手くいったなぁ。空気中の水分や光の屈折を変えて蜃気楼を作り出すなんて。あのオーダイルの驚いた顔といったらなかったな。捕らえたのは私のニセモノだもの)」
そんなことを考えていると、遠くに警備員を見つけ、足を止めて壁にぴったりと張り付く。視認したわけではないが、懐中電灯の明かりが目の前の曲がり角を照らしていたからだ。
「(マズいわ、このままじゃ見つかる)」
辺りを見渡し、身を隠せる場所を探すが、ここは通路。扉も無く、後ろの通路の先には曲がり角があるが、そこに隠れるには如何せん遠すぎた。恐らくだが、絶対に間に合わない。
「(でも、なんで?事前に調べた時に、この時間帯ここは誰も通らないはずなのに……!)」
警備員が来る方の壁に身を寄せ、応急処置で隠れる。少なくとも隙を付けて、あわよくば見過ごしてくれるかもしれない。
「(そんなこと考えている暇はないわね。もし見つかったとしても、眠らせば……まさか、こんなことがあるなんて……!)」
そんなことを考え、迎え撃つ準備を整えた。悔しさと詰めの甘さに思わず歯を軋ませる。自分の計画が失敗したことのない歌姫にとって、この想定外のミスは歌姫のプライドを傷つけた。そして警備員が歌姫の視界に入ると同時に__
「アホめ」
という声と共に歌姫の頭にあるポケモンの手が振り下ろされた。
唐突な出来事に歌姫は思わず身をすくめさせた。そして、目の前にいる警備員をまじまじと見つめる。
警官のトレードマークの青い帽子の下には、赤いほっぺと黄色い顔。視点を下げると、また黄色い体とギザギザのイナズマのような尻尾。
「怪盗辞めたんじゃねぇの?」
警官であるはずのポケモンが帽子を脱ぐ。その下にあったのは__
「カイト……」
歌姫こと、エレナ・サブナックが所属する救助隊リーダー。小鳥遊 海斗だった。