PART / W
高速道路に乗ったのか、ラプチャーの耳に入ってくるエンジン音の数が増える。荒れ狂うビル群を抜け、辺りは背の低い民家と大きな道路が眼立つようになってきた。
どうやら、ヒウンシティの郊外にアジトがある。逃げ切れたと高を括っているのか、男が乗ったバイクはそれほど速くないスピードで北上を続け、目の前の地平線に見えてきたのはデザートリゾートと舞い上がる砂塵。
デザートリゾートは年がら年中砂塵に包まれ、生身での突破は容易ではない。今でこそ交通網が整備されてライモンシティとの往来がしやすくなったが、それはここ数年の話。
今でも少し道を外れれば遭難の危険があり、整備された区域や遺跡方面以外は基本的には立ち入り禁止。好んで立ち入る一般人もほとんどいない。
しかし逆に言えば、公にされたくない商談や他人に知られたくない研究者などの研究所を作るには非常に都合が良い。単に人間嫌いな人もいるが、それこそ稀だ。
「あうぅ……あ、あれ。ここどこ?」
「ようやく意識が戻ってきたか。今奴を追ってるところ、デザートリゾート方面。多分アジトに戻ってるんじゃないか。おっと、もうすぐ砂塵だが大した防塵グッズはない。ゴーグルやるから、これで我慢しろ」
ポーチから取り出したゴーグルを上にいるノアに投げ、まだ平衡感覚がブレていたが何とかそれを掴む。思考能力がどうもはっきりせず、何も考えぬままとりあえずゴーグルを装着。
眼を圧迫する感覚に徐々に意識が鮮明となり、次に感じたのは冷たい夜風。身震いするほどの寒さに、ようやくノアの思考は現実に帰って来た。今の状況を見れば、何があったのかはすぐ分かる。
「運んでくれたの? あ、ありがと。個人的に言えば、ここで水を一杯もらいたい」
「贅沢言うな。これからもっと酷くなるからな、あいつがそれほど遠くへ行かないことを祈れ。今捕まえるよりアジトごと突き止めた方が良いだろ」
「ふーん、意外と頭使ってるんだ。最初の印象じゃ、凄くバカっぽかったのに。少し見直した、褒めてつかわす」
「何様だオメーは。今すぐ落としてやってもいっと、道を外れたみたいだな。よかったじゃねーの、割と近そうだぜ。アジト」
デザートリゾートに続く4番道路方面は整備が進んだものの、自動車専用道路は出口以外は直線的なためライトの感覚が広く割と暗い。
その中でバイクが降りたかなんて、上空を飛んでいる人間が肉眼で視認できる範疇を超えている。現にノアは眼を凝らして真下を確認するが、どれがバイクなのかも分からなかった。
ラプチャーはバイクが向かった出口方面にシンボラーを誘導し、ノアは念のため取り出した双眼鏡で追い掛けている相手を確認する。だが、暗過ぎてうまく見えない。
「良くこの暗闇の中で分かるね。遺伝子にマンキーとヨルノズクでも混ぜってるのかしら」
「眼で見てるわけじゃなくて、風とバイクの音で追ってるんだ。暗いとか暗くないとかそもそも大した問題じゃねーよ。ちなみにお前がやたら寒がってるのも呼吸音から分かる」
「個人的に言えば、毛布が欲しい。それにしてもさすがは風読み、風とか音に関してはエキスパートね。その力、いつか私も欲しい。薬物投与でもしようかな」
「こええよ、お前はお前の才能伸ばせば良いだろ。おっ、速度が落ちてきたな。アジトは近いぞ」
暗闇の中を降下したラプチャーはバイクが岩山の一角で止まるのを確認し、近くの岩場に身を隠してシンボラーをボールに戻す。
どうやらここがアジトと言うことで良いようだ。岩の内部を加工して住居を作ったりする技術が最近では発達しているらしいが、男が逃げ込む先も恐らくそのような技術で作られたものに違いない。
完全に逃げ切れたと安心しているのか男はバイクを降りるとマスクを暑苦しそうに引っぺがし、その瞬間にラプチャーは暗視ゴーグルで顔を確認。この距離なら十分見える。
見た目的には、年齢は50代ぐらいであろう中年。どこかで見たことある顔だと思いラプチャーが記憶の隅を探る間に、ノアが彼の手から暗視ゴーグルを奪ってアジトに入る男を確認。
「おい、俺がまだ見てんだろうが」
「あいつ、確か夢エネルギーの研究をしてた研究者。資料室で見たことがある。名前は確か、モルハック・クチェート。個人的に言えば、大した研究はしてなかったと思ったけど」
「思い出した、確かにそんな名前だったな。夢エネルギーの研究者が悪夢使い……良い予感はしないな。とにかく、追い掛けるぞ」
ラプチャーとノアは闇夜の中を走り出し、モルハックの入って行った入口を前に立ち止まる。案の定と言えばその通りだが、電子ロックが掛かっているようだ。ボタンを押すタイプの。
「やれやれ、壊して強行突破が楽そうだな。朝まで待つ気はない」
「待って。ここは私に任せてほしい」
モンスターボールからドサイドンを出そうとしたラプチャーを右手で制しながら、ノアはポケットから1つのスプレー缶を取り出す。それを電子ロックのボタン付近に吹き掛け、軽く息で払った。
後ろからラプチャーが見ると、ボタンの表面に指紋がくっきりと浮かび上がっている。0から9の数値のうち、4つに明らかに多くの指紋の痕。これがパスワードの素材に間違いない。
問題はこれらの数値が分かったところで、パターン全てを試すのに時間が掛かることだ。量的には4の4乗、256通り。さらに通常このようなシステムは一定回数以上間違えるとロックされるか、何らかの警報を鳴らす。
だがノアの行動は止まらない。次は右手を広げながらボタンの方に向け、左手にモンスターボールを持つ。貫くような視線と集中力でボタンを睨み、次の瞬間に高速で4つのボタンをタッチ。
電子画面に『OK』の文字が表示され、岩の表面に偽装されていた扉がスムーズな動きでスライドする。ノアはどっと溜まっていた疲れを吐き出すように息をつき、モンスターボールを腰に戻した。
「閉まっちゃう前に行こう。個人的に言えば、朝の特撮が見たいから早く帰りたい」
「やるじゃねーか。さっきのスリーパーもそうだが、お前はポケモンの持っている力を借りることができるのか」
「厳密には違う。私自身、特殊な体質ではある。それに加えて、ポケモンの持つ力を高めると同時に共鳴させる。簡単に言えば、私自身がポケモンになるようなもの」
「なるほど。今のは何だ、過去でも見たのか?」
「波導……どんな生物でも、場合によっては強い想いが籠った無機物にも宿るオーラみたいなものよ。それを読み取っただけ」
「ん、じゃあ何で上空からあいつの位置が分からなかったんだよ」
「遠過ぎると分からない。伝説上の波導使いはシンオウ地方の端から端まで網羅できたというけど、私にはまだ無理。あ、扉閉まる」
2人が呑気に会話をしているうちに目の前の扉が閉まり出し、ラプチャーとノアは慌てて扉の中へ滑り込むようにダイヴ。結果的に、2人とも挟まれることなく中へと潜入した。
外見は無骨な岩だったが、中は打って変わって近代的。地面は滑らかな平行線を描き、目に優しい仄かな光が満ち溢れている。見たところ監視カメラや赤外線のようなものは確認できないが、油断はできない。
「もう少し穴倉的なのを想像してたんだけど、個人的に言えば予想外って程じゃない。予想斜め上ってところかな」
「それを予想外っていうんだと思うけどな。換気はしてるから風は通ってるし、大凡この中の構造は理解できた。モルハックは……向こうから足音が聞こえるな。あっちだろう」
「……私が先に波導で探ろうとしたのに、何で邪魔するのよ」
「俺は俺のやり方でやるんだ。お前の流儀に合わせる必要はない。逆にお前も無理して俺に合わせる必要はない。分かったらついて来い」
高圧的な態度に見えるが、ラプチャーには特に悪意はない。合わせるが指示には従わないとは、最初から言っていたこと。ノア自身それは分かっているが、分かっていても腹が立つ。
ラプチャーの背中を睨みながら舌を出し、心の中の鬱憤を少しだけ発散。歩幅が大きく歩くのが早いラプチャーはあっと言う間に曲がり角を進むがの見えると、ノアも慌てて彼の後を追うように走り出した。
少し歩いただけでも分かるが、構造は決して複雑ではない。オートウォークもなければワープがあるわけでもない上、通路も直線的。隠れる場所がないのだけが難点だが。
「ラプチャー、1つ聞きたいことがある」
「なんだよ。言っておくけど、俺の本名とか出身地とかどうでも良いこと聞くなよ」
「何で盗賊なんてやってるの。貴方程の力があれば、表の世界でだって十分通用するはず。何よりも、シリュ……社長が直々に依頼するなんて珍しい」
「俺の目的は単純だが、過程が面倒でな。表で馬鹿正直やるより裏から通った方が楽なんだよ色々。それと俺も質問だ。お前、普段社長のこと呼び捨てにしてんの」
「あ、いや、人を役職とかで呼ぶのはあまり好きじゃないだけ。名前で呼びたい。名前は……大事。ちょっと前までの私は、『実験体A32』って呼ばれてたから」
俯きながら胸に手を当てるノアを見たラプチャーは適当に相槌を打ち、それ以上特に何も聞くことなく歩を進める。ノアが何の実験体だったのかなんて、知る気もなければ知りたくもない。
「もう1つ聞いて良いかしら」
「やだ」
「何でラプチャーって名前にしたの。別にどうって意味はないんだけど、なんとなく気になって」
「大した意味はねーよ。カッコイイからぐらいか。それより、この中だ。準備しておけ」
何の準備?――ノアが聞くよりも早くラプチャーが扉を開き、暗い廊下に眩しい室内の光が流れ込む。眼を細めたノアが最初に見たものは、驚愕の表情を浮かべるモルハック。
これだけハイテクなアジトを作っているのに防犯に関する意識は低かったらしく、ラプチャー達を迎撃するための準備どころか侵入されたことにすら気づいていなかったように思われる。
悪夢使いと言うだけにもっと極悪人な顔をしているかと思ったが、写真で見た通りその辺に良そうな朗らかにも見える中年だ。
どうすればビルで対峙した時のような、アーボックの様に喉の奥からガラガラする声を出せるのか。
変なところが気になっていたノアより先に、前に出たラプチャーが一直線にモルハックを捉える。対するモルハックも驚いていたのは一瞬で、既にその表情に焦りはない。
「これはこれは、迷い込んだのかな君達。外は砂嵐が激しくなってきているから、休んで行きたまえ。なに、礼はいらんさ。困った時はお互い様だ」
「そうかい、それはありがとうよ。ついでにもう1つ頼みというか、欲しいものがあるんだが」
「……悪いが、私は研究で忙しい。こう見えて、私は科学者なんだ。ただバイクを走らせるだけの中年ではないよ。さあ、客室へ案内しよう。妙なことはしないでくれ」
「そうはいかない。個人的に言えば、無抵抗で捕まってくれると助かる。本気を出すと、ちょっと制御が利かなくなるから」
「ふん、もう全て分かっているのか。ならここで少し大人しくしていてもらおう。かは、かはははは」
うわキモい笑い方するなこのおっさん――ラプチャーと、ついでにノアもほぼ同じことを思ったらしいく、顔が不快に歪んでいる。ビルで出会った時もそうだが、科学者より声優や俳優の方が向いているのではないだろうか。
2人が若干の嫌悪感に苛まされている間に、モルハックの手にはいつの間にかまたスイッチ。しかし今回は逃走用のために焦らすようなことはせず、すぐにそのスイッチは押される。
またマルマインが降ってくることを警戒したラプチャーとノアだが、一向に天井の蓋が外れる気配はない。代わりに研究室の角に設置されていた1つのカプセルが排気音を奏で、白い煙が噴き出すと腹の底に響くような低い声が聞こえてきた。
毒ではない。むしろ、何かを眠らせていたのか凍らせていたのかの煙。カプセルの中から聞こえてくる呼吸音、唸り声。排気音が邪魔で何がいるのかイマイチ掴めない。横を向くと、ノアが掌をカプセルに向けているのが見える。
「ラプチャー、中に何かいる。これは……でかい。形状は人型にも見えるけど……ッ!? ラプチャー、伏せて!」
ノアが言葉を言い終えるよりも先に、カプセルの中から唐突に巨大な声が室内に響き渡った。次の瞬間、カプセルの蓋が猛烈な勢いで弾け飛び、いや、内側から吹き飛ばされる。
伏せていたラプチャーとノアの頭の上をぎりぎり掠めながら飛来し、後方の巨大なディスプレイに突き刺さり轟音を奏でた。食らっていたら即死、運が良くても瀕死の重傷だった。
「ひゃははは! これぞ私の夢の体現! 嬲り殺しにされるのを見れないのは残念だが、この部屋にいるわけにはいかない。せいぜい、足掻け足掻け。かはははは」
相変わらず不快さマックスの笑い声を発しながらモルハックは扉の向こうへと消え、それを横目で見たラプチャーはノアの背中を扉の方に向かって押す。
「お前はモルハック追え。どうせ、逃げるためにそれ相応のセキュリティがあるはずだ。ここに入った時もそうだが、俺よりお前の方が室内の追跡には向いている。そっちは頼んだ、こっちはこっちで何とかするし」
「2人で戦った方が安全じゃないの。モルハックは『この部屋の外なら安全』みたいな言い方をした。個人的に言えば、ここで分かれるより2人で追う方が良い」
「悪いが俺はそう簡単に安全な方法が転がってるなんて思っちゃいねーよ。この部屋の外が安全なんて保障、全くない。むしろ奴が俺達を罠に嵌めるために放った言葉だと考える方が納得いく。お前、ある意味俺より危険な方を行くことになるぞ。代わるか、俺と」
「……いや、私が行く。ラプチャーの言う通り、私の方が適任。それに、モルハックを直接捕えた方がきっと手柄が大きい。個人的に言えば、ラプチャーは私の踏み台となるのでした。めでたしめでたし」
「あーはいはい、その認識で良いよ。はよ行け、巻き込まれても保証できないぜ」
鬱陶しそうに手を振ってノアを払い、右手にモンスターボールを構えた。相手はどう考えても超重量級の巨大型、そして排気音が終わったおかげでモンスターの声もよく聞こえる。
開いた扉をノアが閉めようとした一瞬、2人の視線が重なり互いに頷き合う。この勝負、どちらが失敗してもいけない。ラプチャーは脅威の排除、ノアは諸悪の根源の排除。
「さあ、あの爺がどんな切り札としてお前を出したか楽しみだ。掛かってこいよ、バンギラス!」