後篇T
光が遮られ地面がじめじめとし、鬱蒼とした風景の中に響くポケモンたちの囀り。深く暗い『ウバメのもり』の奥、エレネスとラプチャーは『この先危険』の看板を無視してただひたすら進んでいた。
目的地はウバメの森の奥地に存在すると言い伝えられている祠。今も残っているのか、そもそもそんなものが本当に存在するかも世間一般には噂程度にしか知れていない。一応調査資料なども存在しているが、ポケモン協会が幻級のポケモンに関する資料の公開は控えている。
ホウオウやルギアとは違って、ひっそりと受け継がれていく伝統や噂などには一部の物好きしか寄り付かない。これを公的機関が大々的に認めてしまえば、よからぬことを企む連中が必ず湧く。人間とはそういうものだ。
しかし2人が祠を目指すのは別に金儲けなどが理由ではない(少なくともエレネスは違う)し、確証がない噂や世間話を真に受けたからではない。情報屋カティアが裏を取り調べた確かな情報に基づき、この道を進んでいる。
「いや、ウバメの森って意外と広いね。正直ちょっと嘗めてた、地方的に。オーレ地方みたいに全体が砂漠とかじゃなきゃそれほどでもないと思ってたけど、森は森で辛い」
「高温多湿だからな、この辺は。下手しなくても砂漠いるより暑苦しいさ。それよりちゃんと持ってきたよな、ボール。ホテルに忘れてねーか。また作るとなったら素材集めから頑固な爺への依頼まで面倒だぞ」
「ポーチの中に入れてる。いや、あのガンテツって人は中々良いもの作ってくれるね。私の目から見てもこれは一級品だよ」
「俺は気に食わねえ。あの爺、俺のことを『いい加減そうな若造』とか抜かしやがった。あいつの家のボール全部盗んで競売にでもかけてやろうか」
「気にしない気にしない。ラプチャーは見た目がいい加減そうで言動もいい加減そうだけどちゃっかりしっかりしてるってところ、みーんなわかってるって」
「ちゃっかりしっかりってなんだよ……」
笑顔で意味不明なことを言うエレネスに溜息をついたラプチャーは大きな段差を一段超え、エレネスに手を伸ばして引っ張り上げる。
かなり起伏が激しくなってきた。カティアの情報によれば、起伏の上下が大きくなると祠へ近づいている証拠らしい。神秘的な場所に近づいている影響だろうか、心なしかポケモンたちの声が消え、木の葉の舞う音や小川のせせらぎが耳に入るようになってきた。
2人の地面を踏み抜く音すら鮮明に響く。不気味な静寂、1人で来たら少々不安になるほどに。とてもではないが、『この先危険』の看板が必要な場所には思えない。やはり、このエリアに祠が存在するということか。
「そう言えばエンジュで注意を引くためにラプチャーが出した犯行声明、悪戯ってことになってたね。本人なのに」
「だな。なんかニュースじゃ『北風』って奴と関連があるかとか言われてたけど、何だ『北風』って。要するにあれか、寒い風ってことなのか」
「ジョウトにいる盗賊グループの名前だけど、そのリーダーも確か北風『スノウ』じゃなかったっけ。風繋がりで間違われっ!?」
話している最中にラプチャーがエレネスの口を塞ぎ、声を潜めるとその場に立ち止まる。何かを感じ取ったのか、遥か遠方の地を千里眼でているかのように、黙って森の奥を見ていた。
「人がいる。大体、20人。隠れてるつもりだろうが息遣いや足音、会話の声でもろばれだ。このタイミングでこんなところにいる奴ら、ひょっとしたらロケット団かもな」
「私たちがここに来るのがばれてたってこと? でも、私とラプチャーが協力体制だってわかるものなのかな。2人が協力していて、いずれ祠に来ることが分からないとこんな辺鄙なところ来ないよね」
「さぁな、来なければ来ないで何かしてたんじゃねーの。不確かだが、あいつらも祠の正確な場所はわかってないらしい。慎重に進んで先に見つけるか」
「カティアの情報が正しければ、縄がまかれてる御神木がもうすぐ見えてくるはずなんだけどね。地形的に。それが見つかれば、あとは祠までの道のりも簡単にわかるはずだよ」
「よし、祠と同時に御神木も探すか。この場所じゃポケモンも目立つ。人力で地道に行くしかねーなこりゃ」
ラプチャーの感覚で言えば、声が聞こえた相手がいる位置はここから遠方に3キロメートルほど。近いわけではなないが、決して遠いわけでもない。幸い木陰で全体の視界は割と暗いので、慎重に進めばかなり接近しない限り気づかれないはずだ。
足音を殺しながらラプチャーの耳を頼りに、2人は起伏の激しい道をゆっくりと進んでいく。相手の集団は隠れているつもりがないのか、大して警戒している様子もなく足音もよく聞こえる足取りだ。さらにばらけることなく集団移動。ラプチャーにとっては都合が良い。
「相手の動きが止まった。聞こえにくいが、何か見つけたのかもしれない。まずいな、祠だとしたら――」
「ラプチャー、ラプチャー。あれ」
服の裾を引っ張られたラプチャーは足を止め、エレネスが指差す方を見る。縄が六つ巻かれている巨大な御神木がそこにあり、雄大な姿を晒していた。これもカティアの情報通り。
彼女の情報によれば祠の周りには12本の御神木があり、それぞれ時計回りに縄の数が増えるという。つまり目の前にある御神木は時計回りから見て6番目、祠は近いようだ。しかし、この1本だけでは祠の方角はわからない。あと1本必要だ。
2本あれば縄の数と角度から祠への方角が分かる。2人は周りを見渡すが、暗いせいか遠くまではよく見えず、近くに御神木らしきものもない。どうやら木と木の間隔は思っていたよりも遠いのだろう。
「でも、1本でも見つけたなら有利になったはずだよね。情報的に。時間が掛かるだろうけど、あと1つ見つけることが出来れば祠の場所が分かる。図形的に」
「大した時間は掛からないかもしれないぜ。連中、俺たちから離れるように動き出した。奴らも何か見つけたみたいだったし、ひょっとしたら御神木かもしれない。そこに行こう」
「うん、じゃあ道案内よっろしくー。焦らず急ごう」
急ぐことは焦ることとほぼ同義なような気もするが、そこには突っ込まずラプチャーは耳と風の流れを頼りに集団との距離を取りつつも確実に前進する。向こうも仮に祠を探しているなら、必ず先に見つけなければならない。
起伏がさらに激しいというか、既に軽い崖が連続して現れるような地形になってきた。どうやら随分前に見た『この先危険』の看板は嘘ではなかったらしい。これは確かに危険だ。人も来ないだろうし、滑って転んで致命傷でも負えば命に関わる。
たった数キロだが数十分掛けて到着したラプチャーとエレネスはそこに縄が5本巻かれている御神木を見つけ、先ほど自分たちが見つけた御神木の方角を見て位置関係を確かめる。
「さっきの御神木が西南西にあるから、祠は北西、距離は大体7キロメートル前後か。連中が進んだ方角は僅かにずれているな、俺たちが先に着けるぜ」
「へえ、距離までわかっちゃうんだ。やっぱりちゃんと数学系は勉強しておくべきだったかなぁ、でもまあ今頃仕方ないよね」
「過去を顧みるより、未来を見据える方が人間幸せだろ。ま、俺は幸せになるつもりなんてないから固執してんだけどさ。連中、思ったよりも足取りが早い。急いだ方がいいかもな」
「方角分かったんだから、きっと大丈夫だよ。それでは、引き続き道案内をよろしくなのだー」
「お前も少しは自主的に進め」
陽気な声でウインクするエレネスの頭を叩いたラプチャーはそれでも言われた通り先導を切り、激しい起伏の中で比較的緩やかな場所を見つけて進んでいく。一歩一歩と進む度に、エレネスの心は不安とも歓喜とも取れない不思議な気持ちが沸き上がった。
鼓動が早まる。心臓を締め付けるような感覚が走る。不安なのか、期待なのか、分からない。気持ちが落ち着かないエレネスはラプチャーの差し出した手に気づかず苔で足を滑らせるが、間一髪のところでラプチャーが彼女の体をキャッチ。
「おい、セレビィに会えるから色々思うところはあるだろうけどよ、ボーっとすんのは止めてくれ。自分から怪我しようとまでは言わないまでも、注意しない人間を何度も助ける気はないぞ」
「う、うん、ごめんね……ラプチャーはさ、自分の人生というか運命というか、全てに関わるものを目の前にしたとことってある? 分からないの、この気持ちが。怖いのか嬉しいのか、自分からここに来ようって思ったのに、後悔してるかもしれないし、ひょっとしたら早く進みたいって思ってるのかもしれない。でもなんでか、苦しい」
「さあな。俺は何かを求めるときに緊張することはあっても、そういう気持ちになったことはない。自分の求めるものが目の前にあるなら、迷わず進むべきだ。希望を抱こうが不安に飲まれようが、進まないのが一番ダメだ」
「だよね。ところで、ラプチャーはなんで私がセレビィを求めてるのか聞かないよね。幻のポケモンだよ。普通はなんでそんなの求めてるか知りたくない」
「それはお互い様だ。エレネスだって、俺がなんで『てんくうのふえ』を探してるのかとか理由は聞かないだろ。それに俺には他人の過去をあれこれ詮索する趣味はない。俺が知ったって意味ねーし」
あっさりとした物言いに、エレネスは苦笑しながらラプチャーの後に続く。彼はこういう性格だ。悩みや相談なんかには何だかんだ言って乗ってくれるが、自分から相手の過去や秘密を探るようなことは滅多にしない。それがどれだけ重要なことであっても。
なんとなく心のどこかが軽くなったのを感じ、エレネスは一度大きく深呼吸。先ほどまで震えていた心や早まる鼓動は影を潜め、根拠不明な『何とかなるさ』的な気持ちが強くなる。実際問題、少し時間が経って何かが分かるわけではない。
方角がはっきりしたことでラプチャーの足取りは進路を考えることがない分早く、何時間も掛かるかと思っていた距離もあっという間に踏破。彼の予想は間違っていなかったらしく、暗闇の中で仄かに光る祠が2人の前に姿を現す。間違いない。目指していた目的地だ。
仄かな光を纏った古い祠、その様相が逆に神秘的な雰囲気を醸し出す。2人が視線を合わせると頷き合い、エレネスがポーチから取り出したのは金色に輝くモンスターボール。GとSの文字が崩れた形で打刻されている。
会える、もうすぐ――エレネスがボールを祠に向かって掲げたその瞬間、彼女の手を取ったラプチャーが急に姿勢を低くしてその場にしゃがみ込む。一瞬驚いたエレネスだが、彼の真剣な表情を見てすぐに状況が変化したことを理解した。
「気づかなかった。いつの間に近づかれていたのか知らねえが、囲まれてる。不自然だな、いきなり気配が現れた感じってのかね。数は大体10人ぐらい、なんか減ったか?」
「私たちのことを尾行してたってこと? でないと、こんなすぐ追いついてこれるわけないし。距離的に」
「いや、俺が聞いてた感じ、奴らは俺たちには絶対に気づいていなかった。そもそも自分たちの存在を隠す気すらなかった奴らが、尾行なんてできるわけがない。何かが起きた。妙な感覚だ。時間が削られた気分だぜ」
「時間が……思い出した。そうだよ、今の感覚は時間を飛んだ感覚と同じだった。体感的に。もしかして、今のここら一帯は時間が歪んでるのかも。多分、祠とこれのせい」
エレネスが右手に持つ金色のモンスターボールを見下ろし、ラプチャーは周りに隠れられる場所はないか探したが、それらしい場所はない。このままでは見つかるが、隠れる努力をするだけ無駄かもしれない。
「はぁ、よくわからないが逃げ場なしだな。毅然と迎えてやるか、怯えてると付け込まれる」
「う、うん」
またいきなり『スモッグ』と『かえんほうしゃ』で爆発でも発生させられるかと思ったエレネスは少し緊張したが、暗闇から出てきたのは何とも覇気がなく、くたびれた様子の男達。
その中の1人、漆黒のスーツに身を包む男のみが鋭い視線と覇気を放ち、圧倒的な存在感を放つものの暗闇に黒いスーツのせいで影は薄い。
「ロ、ロード様。祠です。ほ、祠やっと見つけました」
「ご苦労。何やら途中で半数ほど消えたが、まあいいだろう。ところで先客がいるようだな。何者だ、貴様ら」
「お前らの方が怪しいからお前ら先名乗れよ。人に聞くときは自分からだろ。親から習わなかったか」
「ははっ、この状況で鼻っ柱が強い若造だ。だが、正論だ。我々はロケット団、用あってこの地に来た。私は幹部のロードだ。さて、君達の素性を聞こう」
「俺はラゼッタ、こいつはエリアル。セレビィに会うためにここに来た。セレビィに用があるなら後にしろ、無用な戦闘は面倒だから」
ラプチャーと言う名は大々的に知られているが、彼の本名を知るものは極僅か。必然的に、本名がそのまま偽名と同じ役割を果たす。エレネスの場合も鑑定士としては有名なため、本名は伏せた。
馬鹿正直に本当のことを教えるほど、ラプチャーは能無しではない。ロケット団など元々悪の組織、嘘をつくのに抵抗なんて微塵もないし、それぐらいの注意深さは必要不可欠。数年後に報復されたりなど、たまったものではない。
疲労困憊の下っ端たちは何とか気力を振り絞ってモンスターボールを手に取るが、まともにバトルできる状態には見えない。おそらく、人海戦術でかなり無茶苦茶に祠を探したのだろう。彼らの体中は怪我だらけ。
高圧的な態度を崩さずロードはラプチャーとエレネスを観察すると、その目がある一点で止まり見開かれる。エレネスが持っている金色のボール、それを見た瞬間、ロードの視線が殺意にも似た迫力を載せて2人を包み込んだ。
「なるほど、貴様らかホウオウとルギアの捕獲作戦を邪魔した者達は。ならば理由はどうあれ、我々の敵。殺しはしないが、痛い目に遭ってもらうとしようか」
「へえ、殺すつもりがないなんて極悪非道なロケット団にしちゃー優しいじゃねーの。部下のフォローがなきゃでかい口も中途半端なんじゃねーの」
「いやぁ、優しくなどないさ。生きながらにして、絶望を与えることは死よりも辛い現実だ。それに、被害に遭った人間がいてくれた方が我々ロケット団がどういう存在なのかを世間が独り歩きで認知してくれる。お前たち、奴らが逃げぬよう取り囲め。ただし手は出すな、邪魔になるからな」
「タイマンかよ、おもしれー。エリアル、お前はセレビィ呼んでさっさと用事済ませちまえ。こいつらは俺が相手しててやる」
「……あ、私か。うん、気を付けてねラプっじゃない、ラゼッタ」
自分が呼ばれたことも一瞬わからず、危うくラプチャーの名前を出しそうになったが慌てて口を紡いだ。金色のモンスターボールを祠の前に掲げ、祠の光が少しずつ明るさを増す。
「『うずまきじま』にいたヴィーナってのはテメーの部下か? 弱すぎて話にならなかったぜ、あんなのが幹部クラスじゃロケット団も先行きが怪しいねえ」
「御託は結構だ。言っておくが、私はタナトスのような金にものを言わせる成金でなければ、ヴィーナのように口が悪いだけでもない。一団員から、実力でここまで上り詰めた。そう、だからこそ、今のロケット団は軟弱過ぎて反吐が出る! 今こそ必要なのだ、サカキ様が!」
「なーる、お前らがセレビィを求める理由はそれか。こりゃ、意外と面倒なことに巻き込まれたらしい。サカキが戻ってくれば、必ずイッシュにも影響を及ぼす。プラズマ団が壊滅した隙を狙うはずだ。それは俺の邪魔になる。その野望、俺の突風で吹っ飛ばしてやるよ!」