番外編――エレネスの時渡り――
前篇T
 歴史、それは過去の景色。ジョウト地方、エンジュシティ。古風かつ独特の作りをした縦に伸びる木製の建物、イッシュ地方に存在する石造りの遺跡とは全く違う文化体系を感じさせる。
 石造りの持つ質実剛健的な作りも彼女にとっては芸術を感じさせるが、木と言う自然物だけで作られていながら、大量の貴金属による装飾を施す豪華さも感性を刺激した。木と金属の調和、とも言えるかもしれない。
 普段は人が多く行き交い、しかし静かな通路。だが今日に限っては違う。そこらじゅうに雪洞や提灯が並び、ピカチュウやスイクンのお面が並ぶ。こちらではイッシュ地方のポケ面はメジャーではない。お面がないからだ。
 はしゃぐ子ども達を横目に、エレネスは人にぶつからないよう気をつけて進む。これだけ人が多いと、眼帯で生じる死角も大きい。面倒事が起きる可能性は極力避けたい。
 正面に見える巨大な塔。夕陽を背景に輝く荘厳な景色を眺めているとポケットのスマートフォンが鳴り、彼女は慌てて電話を取り出す。慣れていないのか、その動作は非常に緩慢。
 数個しかボタンがないのに戸惑う始末。数回コールしてからようやく通話ボタンを見つけ、画面に表示された名前を嬉しそうに眺めながら電話に出た。

「はいはい、エレネスだよ。いやースマフォって難しいね、どれがどれだか全然分からない。らくらくフォンとかその辺で良いかもしれない。個人的に」
『そのうち慣れるだろ。直感的に操作できるのが売りだからな、直感を習得するまでの辛抱だ。さて、こっちは着いたぞ。そっちはどうだ』
「もうすぐ。ごめんね、大変な方の仕事任せちゃって。難易度的に」
『金貰ってるから問題ない。エレネス、俺としてはそっちの方が難しいと思っている。ルギアからは無理やり羽を頂戴するとして、ホウオウはどうする。奴は認めた人間以外に接しないって聞くけど』
「何とかするよ。ラプチャーの方が肉体労働なんだから、死なないでね。帰りの便でお話し相手がいないのは辛いもん。移動時間的に」

 適当な返事と共にラプチャーは向こうから電話を切り、エレネスは終了ボタンを押して電話をしまう。どうやらラプチャーの方は目的の場所、『うずまきじま』に到着したらしい。
 エレネス自身も直に到着する。エンジュのスズの塔、年に一度ホウオウが降り立つ神秘の地。今宵はホウオウが塔の頂上に舞い戻り、人々の前にその存在を示す日。
 ホウオウは世界中を飛び回る存在故、チャンスを逃すと再び捕捉するのは不可能と言っても過言ではない。だが誰でも会えるかと言うと、それは間違いだ。ラプチャーの言う通り、ホウオウは自分が認めた心正しき者としか接触しないと言う。
 さらに感謝祭の間、スズの塔は厳重な警護を敷いている。ホウオウはスズの塔の頂上にいるため、会うためにはその警備を突破するしかない。

「さてと、とりあえず日没まで待つかな。どうせホウオウが来るのは夜だし、『聖なる焚火』の時間が一番目立たないもんね。それに久々にエンジュに来たんだし、有名な老舗のうどんとか和菓子とか食べた……ん?」

 観察、それは鑑定士であるエレネスとしては常日頃から心掛ける所作。そんな鍛え抜かれた洞察力は見逃さなかった。視野の限界ギリギリの場所、不審に蠢く2つの影。
 もちろん見た目で変な点はない。ただ裏路地に入ったと言うだけだ。しかしその動きはどこか不自然、周りを警戒しているのが一目瞭然。一般人には分からないかもしれないが、分かる人間にはすぐ分かる。

「触らぬ神に祟りなしって言うけど、別に神じゃなければ良いよね。それに神が来るんだし、祟りの元は叩いておいた方が良いはず。心証的に。もしかして、ロケット団」

 いつ頃だったか、ちょっと前にラプチャーから聞いた情報がエレネスの脳裏を横切る。カントー地方において、ロケット団が再び水面下で動いていると言う情報。国際警察から聞いたと言うので、信憑性は高い。
 その時はジョウトに行く機会が少ないと思っていた為あまり気にしていなかったエレネスだったが、考えてみれば今いる場所はジョウト。思い出して気に留めておくべきだった。
 追うべきか、追わないべきか。別に彼女は正義の味方でもなければ、警察組織の組員でもない。だがロケット団がこの場所にいるという事実、それが気になる。最悪、今回の目的達成の障害になることも考えられる。
 今日は祭りだ、人が多い。一度見失ってしまえば、再び見つけるのは困難。エンジュ警察や主催の自警団も徘徊しているが、知らせているうちに逃げられたら意味がないし、自警団は覆面だ。
 何よりロケット団は周辺への根回しが非常に狡猾なことで知られる。自警団、最悪エンジュ警察にもスパイがいる可能性も否定できない。エレネスがここで通報すれば、そのまま相手は策を練るだろう。

「なら、私と言う存在が闇に蠢く何かって感じにした方が良いかな。立場的に。自警団でも警察でもない第三者、ロケット団がどう動くかも観れる。行こう」

 道の隅を駆け、エレネスは2人の男達が消えていった路地を徐に覗き込む。細く長い道だが、西日のおかげで奥まで良く見えた。2人は突き当たりを右折し、さらに裏路地へ。
 自然体のまま通路に入り、気配を消しつつ駆け足気味に後を追う。エレネスはラプチャーやフィアーのように盗賊ではない。心臓の鼓動が高鳴る。不安と僅かな恐怖が心の中に渦巻くが、過去のトラウマ程じゃない。
 男達が曲がった建物の角から通路の先を覗き込むが、日差しと直角に曲がっているので当然ながら結構暗い。片目を凝らし、奥に1人の影を捉えた。声が聞こえる。どうやら、無線機で通信しているようだ。

「こちら南エリアA5、団員コード110218。巡回結果、異常無し。自警団、およびエンジュ警察の巡回ルートと人相を確認。情報通り。このままなら、ホウオウ確保まで問題ないと思われる」

 エレネスは苦笑する。どうやら本当に先ほど思った通り、エンジュ警察内部にもスパイを送り込んでいたようだ。厄介と言わざるを得ない。

「どうしよう……とりあえず、一度戻った方が良いかな。タイミング的に。ホウオウをどうするつもりか知らないけど、ロケット団に私の存在が知られるのは良くな――」
「ホウオウがなんだって、お譲ちゃん。こんなところで何をしている!」
「ッ!? ヨルノズク、『エアスラッシュ』!」

 背後から声が聞こえた瞬間、弾けたように身を翻す。首元を掴もうとしていた手を弾き飛ばし、反対の手でモンスターボールを投げた。出て来たのはふくろうポケモン、ヨルノズク。
 放たれた空気の刃は男の帽子を一部切り裂き、エレネスは咄嗟にバックステップで距離を取る。だが突き当たりの家に背中からぶつかり、さらに通信していた男もその音でエレネスの存在に気がついた。

「通信を切る……お譲ちゃん、何か聞いたかな」
「そいつ捕まえろ! くそっ、便所から戻ってきたらいきなり攻撃されたぜ。ただじゃおかねえ!」
「はは、まずいかな。人数的に。雑魚だったら良いんだけどなぁ」
「雑魚だと思うかい、俺達を。行けヘルガー、そいつを焼き鳥にしちまいな」

 1人はヘルガー、もう1人はマタドガス。恐らくロケット団団員としては中堅辺りの実力。T字路の2方向から迫られ、必然的にエレネスは残った通路にゆっくりと後退する。
 彼女は鑑定士だが、その辺のトレーナーより強い自負はあった。だがロケット団のような荒事専門の人間、しかも2人に挟みこまれるような状態で追い詰められる中、平常心を保っていられるほど場馴れしていない。
 飛んで逃げてしまいたいが、中途半端な逃亡ではヘルガーの機動力に捕まる恐れがある。出来る限り余裕を持って、確実に逃げれる時間が必要だ。

「マタドガス、『スモッグ』」
「ヘルガー、『かえんほうしゃ』だ」
「ちょっと、ガスが充満するのに『かえんほうしゃ』なんてしたら!」
「どうせ祭りだ、多少の火事は華ってな。消し飛びな」

 エレネスの周りをマタドガスの放った『スモッグ』が包み込んだ直後、別の方向から放たれた『かえんほうしゃ』が発射。ヨルノズクをボールに戻しつつ、『スモッグ』から抜け出すように真横へジャンプ。
 強烈な光、爆音、衝撃。発生した爆発に吹き飛ばされたエレネスは何メートルも離れた家に叩きつけられ、悲鳴と共に肺の中の空気が漏れ出す。反動で跳ね返され、地面に落ちてさらに前進に痛みが走った。

「よし、ずらかろうぜ。死んでようがいまいがもう動けないだろ」
「エンジュ警察がすぐに来るはずだ。エリアA3のポイントEで落ち合おう」

 硝煙が立ち込める中、2人の姿が歪むエレネスの視界から遠ざかる。近隣一帯は恐らく大混乱だろうが、意識が混濁する彼女の耳には雑踏の音が聞こえない。
 初っ端からここまで危険なことを仕出かすことはさすがに意外だったが、予想外とも言えないだろう。相手は自警団からエンジュ警察までスパイを送り込んでいた。つまり、実質余程のことでなければ何をしても問題ないと言うこと。
 祭りで不審火や妙な騒動などはざらだ。この爆発も恐らく、大した事件にはならないだろう。むしろ問題は姿を晒してしまったこと。正体がばれたのとばれないのとでは、今後の身の振り方は雲泥の差だ。
 後ろから団員に掴まれそうになったとき、そしてそのあと通信していた男に見られたとき。共にエレネスは顔を隠すように努めた。緑神のツインテールは目立っただろうが、他にもいないわけではない。一番知られたくないのは眼帯。これは目立つ。
 仮にばれたなら外すしかない。だがそれでも、彼女の得意な瞳は人目を惹く。そうでなくても、見えてくる景色が膨大な量の過去と未来が彼女の脳を襲うのだ。
 そこまで考え、エレネスは這いつくばりながら進んだ。色々考えるのは後回し、この場から離れることが最優先。最悪、先ほどの爆発事件を冤罪扱いで逮捕されてしまうかもしれない。

「ホウオウだけが……目的じゃ……はぁ……ルギアは? もしかして……ラプ……チャー……」

 頭痛が酷い。全身の骨が張り裂けそうなのか、圧縮して軋んでいるのか、どっちなのか。ようやく戻って来た世界の音の中に、野次馬か警察か数名の人間の足音響く。
 何とか民家の軒下に逃れたエレネスは弱々しい呼吸で息を殺し、スマートフォンを取り出してラプチャーに電話を掛けた。嫌な予感がする。当たらない方が、当たって欲しくない予感。
 普段は割とすぐに出る律儀なラプチャーが電話に出ない。万が一の光景が脳裏をよぎり、胃が直接握られたような嘔吐感が込み上げた。
 嫌だ、嫌だ――心の中の叫びが届いたわけではないだろうが、スマートフォンが手から滑り落ちる……直前に、ラプチャーが通話に出る。ただし、声が小さい。

『おう、悪いな。少し距離を取ってた』
「きょ、距離?」
『妙な連中がいる。あの服装、多分ロケット団だな。ルギアとホウオウとか言ってるが、そっちは大丈夫か。危なそうなら無理するなよ』
「ありがと。でも、もう遅いかな。タイミング的に……はぁ、くぅ……」

 ラプチャーが電話に出たことに安堵し、ほっとした瞬間に痛みが戻ってきた。極度の緊張は、どうやら痛みを忘れさせてくれていたようだ。

『おい、どうした。おい、おい!』
「だ、大丈夫……少し休めば、治るから。それより、面倒なこと……なっちゃった」
『取り敢えず、危険そうなら無暗に動かない方が良いぞ。今の状況、簡単に教えてくれ。あっ、こっちは気にするなよ。そっちだけで十分だ』

 心配掛けたくないのか、強がりなのか、とにかくラプチャーらしい。そんな事を思いながら、痛く苦しいはずなのに思わず笑みが零れる。通話していることもあるが、言われた通り軒下で身を潜めた。
 互いに報告しあった情報から両者とも察したが、状況は芳しくないようだ。ラプチャーの方は無人島の『うずまきじま』だから、暴れることが出来る分まだ良い。だがエレネスの方は場所が場所だけに動員された団員も多いと推測される。
 さらに祭りの自警団とエンジュ警察にすらスパイがいることは明白。先ほどの連中から、エレネスの目的もホウオウであることがばれた可能性は高い。
 そうなれば必然的にスズの塔の警戒は厳しくなる。ロケット団には入りやすく、第三者からは堅牢な要塞と化すのだ。敵はロケット団だけではない。この街の警備そのものが敵になった。
 自警団やエンジュ警察に通報したところで、ろくに取り扱ってくれないだろう。エレネスは拳を握り締めた。もしもロケット団の手にホウオウとルギア、片方だけでも渡ってしまったら面倒なことになる。

「せっかく、セレビィにあるための方法が分かったのに。ホウオウに会うため、スズの塔に入るルートまで調べたのに。敵が多過ぎる。物量的に」
『……分かった、要するに自警団とエンジュ警察をスズの塔から引っぺがせば良いんだな。はは、楽なこった』
「どうするの? ここは歴史の町、その歴史を守る自警団や警察を簡単にスズの塔から引き離すなんて出来ないと思うけど」
『まあ、見てな。どんなに歴史が大事だろうが、人間目の前の事件にゃ目を瞑らずにはいられないだろう。俺を誰だと思ってるんだ。警察を引き付けるには適任だ。よし、そっちはそっちで頑張れ。重ね重ね言うが無理はするなよ。じゃあな』
「え、ちょっとラプチャー。おーい……切られちゃった」

 何やら策があるらしい。何をするかは分からないが、不思議とラプチャーなら何とかできると信頼してしまう。無条件に。何故かはわからないが、彼は信用できる。本当に、エレネス自身何故だかわからないのだが。
 痛みも和らぎ、軒下を進んで家の庭に出る。庭全体が木々で覆われ、家を挟んで反対側で起きている喧騒が嘘のようだ。服に付いた土を叩き落とし、家の住人に合わないようにして外へ。既に夕日は沈んでいた。

「うん、これなら活動しやすくなる。向こうもだけど、人が多いから私を見つけるなんて不可能に近いはず。ラプチャー、お願いね」


月光 ( 2013/03/18(月) 22:27 )