PART / V
「それで、誰とも知れない科学者がこれをくれたってわけね。うーん、何やら胡散臭さを感じるわ」
「だけど何もないよりは進展だろう。よかったな、これで万一お前が資料を持ち出したのがバレても酌量の余地が与えられるかもしれないぜ」
「言ったでしょう。バレなければ良いのよ、バレなければ」
「そうだな、バレなければ何をしたって基本的には構わない。ただし、バレたときのことを考えて行動した方が良いな」
「やだなーもう、正義先輩だってバレたら無期懲役ぐらいのこと何ともやって……はきゃわああぁぁああぁああ!?」
奇声を上げながら立ち上がったナナミは足が縺れて後ろに倒れそうになるが、寸前で彼女の横に立っていた男が手を伸ばし、彼女の体を支えて姿勢を戻す。男は呆れたように溜息をつき、空いていた席に腰を下ろした。
見た目は二十代後半から三十代前半と言ったところ。席に着いたナナミが気まずそうな表情で震えているところを見ると、彼が正義と言う国際警察だろう。ラプチャー的には今すぐ逃げたかったが、不審な動きを取るわけにもいかない。
せっかくなので普段気丈で弱みを見せないナナミを観察する。表情から普段のような強気や余裕が感じられない。どうやら、目の前の男が相当怖いのだろう。やはり女性は少し弱みがあるぐらいの方が可愛いものだ。
「コードネームで呼べって。ったくエリサと言い、なんで俺の周りにはコードネーム無視しちゃう女が多いかな。さて、とりあえず資料を持ち出したことは置いておこう。で、こいつは何だ」
「こ、こいつとは?」
完全に目が泳いでいた。男はテーブルの上に置かれているカセットを指でトントンと叩く。
「テーブルの上に置かれている赤色の『カセット』だ。俺ですら見つけられなかったものだが、なんでこんなところにある。まさか、プライベートな休日に極秘資料を持ち出した上に独自調査なんてしてたんじゃないだろうな。しかも、一般人さえ巻き込んで」
「あーそれは違うな。俺から協力を申し出た、だからナナミを責めるのはちょっと筋違いじゃないですかい。と言うか、アンタ誰」
「そう言う君も誰かと聞きたいが、先に答えておこう。俺は国際警察、コードネームは『ジャスティス』。多分バレたと思うが、本名は正義だ。秘密にしておいてくれ。君は……あれ、そう言えばさっき見たな」
「見た? どこで」
「あぁ、定例トーナメントの決勝で。横を通った時にね、確かラゼッタ・エアリードだっけ。中々面白い戦いだった。そう言えば俺の妻も出てたはずだけど、連絡なしで会って驚かそうと思ったらもういなかったんだよね。すれ違ったかな」
正義の言葉でラプチャーは記憶と記憶が結びついた。最初に戦った女性の名前は白神水菜、そして目の前の男の名前はカティアによれば白神正義。どうやら彼があって驚かそうとしたのは彼女のことらしい。
内心、ラプチャーは安堵から胸を撫で下ろす。もしも正義があの場にいて、自分が盗賊の風読み『ラプチャー』だと知られたらと思うとたまったものではない。それにキョウカとの話し合いのとき、カセットを受け取っている場面など見られていたらマズイところだった。
「そ、それで正……ジャスティス先輩。なんでかんでこんな如何にも人がごった返して、先輩が嫌いそうな場所にいるんですか」
「おい、俺を人間嫌いみたいに言うな。実は数時間前に本庁のサーバにハッキングがあってな、カセットに関する情報が閲覧された可能性がある」
恐らくカティアのことだろう。彼女のことだからログや足跡などは残していないはずだが、こうして国際警察が来たところを見ると何か証拠が残っていた可能性が高い。ラプチャーはさり気なくポーチの『けむりだま』に手を伸ばした。
「それで閲覧記録を見たら、最終閲覧者がナナミだったってわけだ。あまりプライベートを覗く気にはなれなかったが、本庁の超能力課の連中に依頼して場所を推定してもらったんだよ」
「ハッキングされたのは数時間前なんだろう。それにしちゃ、来るのが早くないか」
「ヒウンシティに用事があってな、それで早く来れたってわけだ。ついでだ、ここで言っておこう。ナナミ!」
「は、ひゃい!」
「俺はこれからジョウト地方に行く。どうも、最近ロケット団の活動が水面下で活発化しているらしい。ラゼッタ、君も旅行とかに行くなら気をつけた方が良い」
「ご忠告どうも、もしも行くことがあったら気をつけますよ。ロケット団は過激さじゃトップクラスだからね」
「数ヶ月だが、その間俺はイッシュを離れる。だからこの『カセット』に関してはお前に任せることにした。上官には言っておくから、上手くやれよ。それじゃ」
一気に連絡内容を捲し立てるように言い放った正義はポカンとしているナナミを余所に立ち上がり、ポケットから出した正式な辞令書彼女の前に差し出す。意味不明な紙を受け取り、ナナミは覚束無い焦点で文面を追った。
書かれていた内容は実にシンプル。今まで正義が行っていた業務全て、今回の一件の厳罰的な意味も含めてナナミに委任されると言うものだ。ちなみに今までの通常業務もちゃんとこなすこと。
「そ、そんなあああ!」
「落ち着けって、別に死ぬわけじゃないだろ。残業手当も付くだろうし休日手当もあるならさ、若いうちに稼ぐのも良いんじゃね。あれ、公務員にはそういうのないんだっけ? そうそう、さっきの『ひゃい』ってのはすげー可愛かったぞ」
「私には無理よ! だってだって、ジャスティス先輩ですら調べるのに時間掛る事件なのよ! ああああもう駄目だあああ、ここで失敗して挫折したらお父様に怒られる!」
「あーもう少し落ち着け糖分摂取!」
テーブルの上にあった食べかけのチョコレートケーキを叫ぶナナミの口に突っ込み、喉に詰まったケーキを流し込むようにカフェオレをがぶ飲みする。そう言えば『がぶ飲みコーヒー』と言う飲み物があったなっと、どうでも良いことをラプチャーは思い出した。
死にそうになりながらも何とか飲み込み、激しく呼吸をしながらラプチャーを睨んだ。しかし呼吸が整っていないらしく、叫びたくても叫べない。
可愛いところもあるもんだ――怒りたくても声が出ないナナミを眺めるラプチャーの頭に、ボールから飛び出してきたバチュルが飛び乗る。特に何かをするわけではない。単純に頭の上に乗りたい時に出てくるのがこのバチュルなのだ。
ようやく呼吸が整ってきたナナミは先ほどの動揺から立ち直ったらしく、テーブル上の辞令書の内容を再確認。何度見ても内容が変わるわけではないが、見返すたびに彼女の表情から険しさだけが増えていく。
深い溜息。正直この若さで国際警察の一員になる程の人間がこんな深刻な表情をするとは、仕事と言う経験をしたことがないラプチャーには想像できなかった。
エリートはエリートらしく、城から城下町を見下ろす殿様のように気楽なものだと考えていた。もちろん役職が高ければ高いほど責任が重いと言うのはラプチャーですら分かるが、ここまで落胆的かつ絶望的な雰囲気になるのは解せない。
「なんでそんなに落ち込むんだよ。ケンタロスの飼育係がミルタンクの飼育係に替わる程度のもんだろうが、決定的なヘマでもしない限り首にもならないだろ。公務員だし」
「そうだけど、そうだけどさ……アンタは知らないだろうけど、ジャスティス先輩は国際警察の中でもトップクラスの有能性を持つ人なの。そんな人が調査に時間をかけるような事件を撒かされたってことなのよ」
「あーなんかカティアも知名度が高いって言ってたな」
「誰よカティアって」
「お前が知る必要はないだろ。な、なんでそんなに怖い顔するだよ。それより、ジャスティスが時間を掛けるってだけで嫌なのか。さっき父親がどうこう言ってたが」
ラプチャーの確認に対し、また肩を落とす。俯きながら愚痴るように呟くナナミ曰く、彼女の父親は消防隊員で非常に厳格な人間らしい。仕事のミスは許さず、それは社会人となった娘にも適応された。
去年の新人研修では教官であった正義と組んで小規模組織のアジトに踏み込み、制圧すると言う新人にやらせるには荒々しい訓練を行った。その際に敵の幹部一人を逃がすと言う失態を犯し(正義が外で確保したが)、家で待っていたのは正座した上での2時間の御高説なるお説教。
それ以来、極端に失敗することを恐れ始めた。ラプチャーの逮捕失敗などに関しては特に何も言ってこないようだが、内心では快く思っていない可能性が高い。
「と言うわけで、今からでも捕まりなさい。そうすれば、私がお父様に汚名返上が出来るから」
「やだよ。第一今回の罰だって、お前が勝手に機密資料を持ち出したのが原因だろ。バレなきゃいいが、バレたら相当のリスクは負担するのが当然だ」
その原因であるハッキングは当然カティアによるものであり、それを依頼したラプチャーに間接的にしろ原因があるが、状況が悪くなるので黙っている。
「それを言われると、言い返せない。くっそー誰よハッキングなんてしたの、そもそも本当に『カセット』の情報にアクセスしたかなんてわからないじゃない!」
「そういうの、逆ギレって言うんじゃねーの。後大声出すな、バチュルが起きる」
「むぅ、私より虫ってわけ。と言うか前々から思ってたけど、なんで頭にバチュル載せてるの。ウケ狙い?」
ジト目でラプチャーの頭の上で寝ているバチュルを見つめ、その小さな体が僅かに寝返る。普段むしタイプなど眼中にもないナナミだが、不覚にも可愛いと思ってしまった。
考えてみればウケ狙いだけではない。前回、ラプチャーは『エレキネット』などを使い窃盗を成功させた。ダクトから飛び降りる際、ボールから出す僅かなタイムラグをカットして技を出している。そういうことを考慮すれば、頭の上にいるのにも意味はある。
「こいつが頭の上に乗ってるとしっくりくるんだよ。こいつ自身、俺の頭の上が好きらしいし。後はそうだな、可愛いんだよ小動物って。あーお前には縁がないな、ウォーグルとかドダイドスが友達だもんな」
「わ、私だって小さいポケモンは好きよって、もうこんな時間か。私、帰るわ。調べたいこともできたし。その、あまり言いたくないけど、ありがと。協力してくれて」
「これはナナミルート確定か! あと少し会話を発生させれば、イベントが起きる!……って、オリアン辺りなら言うんだろうな」
「さっきから知らない人の名前出さないでよ。て言うか、ナナミルートって何よ、シュミレーションゲームの主人公にでもなったつもり。馬鹿にしないで、私はゲームみたいにホイホイと気を許したりなんてしないわ」
「なんだ、残念だな。年も近いし、個人的にナナミが彼女になってくれれば嬉しいんだけど」
「か、彼女って!? 私は警察、貴方は盗賊! 間違っても、わわわ私が貴方と付き合うなんてありえない! じゃあね、今度こそ捕まえてやるから覚悟してなさい!」
まるで悪役の捨て台詞だ。コーヒーを啜りながら紅潮した顔のナナミが去るのを見ながら、ラプチャーは堪えていた笑いが漏れる。喉に詰まり、少し噎せた。
「あーやっぱあいつ楽しいな。俺も帰るとす……あっ、また俺の奢りになるのかよ」