風読みラプチャー
PART / U

 空調のダクトの中、ゴーグルについている暗視機能を一度スイッチを付け、正常に作動していることを確認してからスイッチを切る。
 バチュルを頭に載せながら前進する青年は後方で混乱している警官隊を余所に、しばらく進んだ先で見取り図通り空気の取り込み口を見つけた。予定通りなら、ここは盗むべき対象のほぼ真上の位置。
 青年はポケットから今回の対象である『しらたま』と『こんごうだま』の写真を取り出した。過去を記憶を頼りつつ、色や形を頭に叩き込んでから写真を戻す。

「『しらたま』と『こんごうだま』。シンオウ地方における伝説のポケモン、パルキアとディアルガへ心を繋ぐ珠。そして俺達の……まあ、俺自身は興味ないけどな。午前午後と見張ってたが、中身を入れ替えた様子もなかった。本物の可能性は高い」

 再び時計の分針と秒針を確認し、青年はバックパックから『けむりだま』を取り出す。脳内と小声でカウントをしつつ、12時になると同時に行動を開始。
 事前にブレーカーへ仕掛けていた小型爆弾が弾け、建物の電気が全てダウンした。同時にゴーグルの暗視機能を起動。ダクトの空気取り込み口を叩き落とし、滑るように中へと侵入を果たす。
 2階に相当数の警察官が駆け付けた為にかなり手薄になっているが、それでも青年の目には少なくとも30人程の武装した警察官が見えていた。
 全員暗視ゴーグルを付けている。まるで事前に停電が起きることを予想し、敢えて待ち構えていたような装備。だがそれもある程度は予想の内、青年は構えていた『けむりだま』を地面へ放る。
 ただの煙――そう思って警察官たちが僅かに吸い込んだ直後、激しい咳と悲鳴が上がった。煙の外にいた警察官たちは慌てて放れたが、巻き込まれた警察官たちは体が痺れて動けない。

「ガスマスクも付けるべきだったな、『マトマのみ』と『ノメルのみ』を摺り込んだ特製煙幕だ。辛さと痺れでしばらく動けないぜ。ついでにもう一丁プレゼントをやるよ。バチュル、『エレキネット』!」

 辺り一面から咳き込む声が連鎖する。加えて青年の頭にいたバチュルが放つ『エレキネット』が直撃し、嗚咽が電気的な痺れから来る悲鳴へと変化する。

「ちょっと体が痺れるだろうが、命に別条はないさ。さて、早いとこ仕事仕事っと」

 頭に乗っているバチュルを撫で、青年はバックパックからオイルを注入済みのガラスカッターを取り出した。直ぐ近くにあったガラスケースに当てて切断の準備をする。
 中に入っているのは紛れもなく下見段階でも確認した『しらたま』と『こんごうだま』。青年がガラスカッターを滑らせると紙を破く音を一層高くしたような高音が響き、円形に斬ったガラスをカッターのそこで殴打。綺麗な円形の穴が出来上がった。
 ガラスの切断面で手を切らないよう注意し、手前にあった『こんごうだま』を取り出す。すかさず『しらたま』を手に取ろうとした瞬間、青年は視界の端に起きた変化に気付いて腕をひく。

「邪魔をしていたのはお前か。そこを退け」

 煙幕を切り裂き現れた何かが、横から強烈に青年を吹き飛ばす。間一髪のところで腕を抜き終えていたので怪我はないが、危うくガラスの切れ目に腕を切断されるところだった。
 地面に倒れた青年は直ぐに姿勢を直し、自身を吹き飛ばしたものを睨み付ける。鋭い爪に長い鼻、ちていポケモンのドリュウズ。
 その背後から現れた警察官は青年が開けた穴に手を入れ、展示ガラスの中から残っていた『しらたま』をその手に取った。吹き飛ばした青年から『こんごうだま』を取り戻そうとしない辺り、どうやら警察官ではない。
 煙幕と装着しているガスマスクのせいで顔立ちは見えないが、僅かに見える灰色のショートヘアーに特徴的な緑色の瞳が印象に残る。その双眸から放たれる視線は、まるで氷のような冷たさを帯びていた。

「お前がフィアーか。てか、邪魔をしたのはお前じゃないか」
「2階で妙な煙を巻いたり、急に電源を落としたり、お前の方が余程俺の邪魔をしている。お前が誰かなど興味はないが、その『こんごうだま』をこっちによこせ」

 フィアーが腕を伸ばしながら一歩近づくと青年は『こんごうだま』をバックパックにしまい、舌打ちしたフィアーから離れるように一歩後ろに大きく飛び退く。

「はっ! お断りだね。俺だってこいつらを狙って来たんだ、むしろお前が『しらたま』を俺によこせ」
「お前もだと。なるほど、同業者か。ならば力ずくで奪うまで。そうそう、お前だけ俺を知っているのは不公平だな。名乗れ」
「随分と上から目線だな。まあいい、名乗ってやるよ。俺はラプチャー、風読み『ラプチャー』だ」
「まさか、お前が『風読み』だと。なるほど、つまりは偽善活動の真っ最中と言うことか。ふん……引くぞ、ドリュウズ。こいつに構っても良いことはない。時間の無駄だ」
「あっ、待てこの野郎! 『しらたま』返しやがっく!」

 ラプチャーと名乗った青年がバチュルに指示を出すより早く、フィアーのドリュウズが身体を回転させて地面を抉り始めた。新たな粉じんが巻き上がり、ラプチャーは飛んで来るコンクリート片から顔を護る為に両腕で覆う。
 裏をかかれた。相手が『こんごうだま』を欲しがっていた為、これほど素早く撤退する方向にシフトするとは予想外だと言わざるを得ない。
 先ほどまでフィアーがいた場所に開いている大きな穴を覗き込みながら、ラプチャーは歯を噛み締めて地面を叩く。むざむざ逃げられた。しかもこの穴を今から追いかけるのは余りに危険。
 仮にラプチャーが逆の立場なら、必ず穴の先に何かしらのトラップを配置する。切り替えの早いフィアーのこと、最悪死に直結するようなえげつない仕掛けがしている可能性も。

「くそっ! あいつの戦意が逸れた時点でバチュルに指示するべきだった! ん、お前のせいじゃないさ。そう落ち込むな」

 頭の上で気落ちするバチュルの気配を感じ、ラプチャーは慰めの言葉と共に小さな頭を撫でる。バチュルの声に元気が戻ったのを確認すると、微笑みが再び険しい顔つきに戻った。
 フィアーとのやり取りで予想以上の時間を消費したようだ。既に辺りを覆っている煙幕が薄くなり効果が薄まりつつある。ラプチャーはバックパックに手を突っ込み残りの1つの『けむりだま』を手に取るが、不意にその手が止まった。
 一瞬にして直感レベルで感じ取った風の流れ。何か来る――青年がそう感じた直後、強烈な突風が巻き起こり、辺り一面の煙幕を全て吹き飛ばす。

「これは、『きりばらい』か。煙幕対策もバッチリされてたってわけね」

 開かれた視界の中では未だに煙を吸い込んだために噎せ返る者や『エレキネット』に捕らわれて者もいるが、それ以外の数十と言う警察が暗視ゴーグルを装備して周りを取り囲んでいた。
 両手に持っているのは屋上で見た警察官が持っていたものと同様、強力なゴム弾を発射する対犯罪者用の銃。加えてガーディやウインディ、シキジカにウォーグルなど強力なポケモンの姿も多数。

「動くな盗賊フィアー! 両手を上げて、その場から動くな!」
「俺はフィアーじゃねーっての、間違えんじゃない」

 愚痴を垂れつつ撃たれるのも嫌なので、ラプチャーは両手を上げて頭の後ろで組んで無抵抗をアピールする。

「観念しなさいフィアー。煙幕に停電と色々やってくれたようだけど、全て対処はバッチリしてあ……あ、あれ? 何でラプチャーがここに?」

 拡声器を持って勝ち誇るように胸を逸らしていた女性だが、ラプチャーの姿を見るなりその表情が呆けたものに変わる。なぜ彼がここにいるのか本当に分かっていないらしく、唖然とした表情がなんともシュールだ。
 青色の瞳に黒髪のロングヘアーポニーテール。何度も何度も、しつこいまでに見てきた姿。ラプチャーは溜息をつき、腐れ縁の巡り合わせに呆れながらも半目で正面の女性を見据える。

「無線から聞こえた声、やっぱりお前かよ。どうだその後は、少しは幽霊怖い怖いを克服できたか」
「う、五月蠅いわね! アンタには関係ないでしょ! 笑うな! とにかくそこを動くな。第2班、確保対象をフィアーからラプチャーに変更。奴は何をするか分からない。慎重に確保せよ!」

 思い出したくない古傷を抉られた女性は紅潮し、握り締めた右手を震わせる。隣で口を押さえて笑いそうになっていた警察官の頭を殴り、ラプチャーを指差すと冷静を装って指示を飛ばす。
 予告を送ってきたフィアーではないが、同じく世間一般に広く知られるほどには知名度の高い盗賊の風読み『ラプチャー』。向き合う警官隊の表情も険しく、見た目、心構え共に一片の油断も見えない。
 迫り来る警官隊を前に、当のラプチャーは無表情。下手に感情を表に出せば、相手の警戒心をさらに高める恐れがある。悟らせてはいけない。反撃の意図があることを巧妙に隠す。
 『けむりだま』のストックはあるが、まだバックパックの中。取り出すのは難しい。別のポケモンを出して煙幕を張ろうにも、やはりモーションが大きく目立つ。目の前の警官隊がそれを許すとは到底思えない。
 何より女性警官の横で厳つい視線をラプチャーに飛ばしつつ浮遊する姿、ゆうもうポケモンのウォーグル。恐らく先ほどの『きりばらい』もウォーグルの仕業だろう。こいつが厄介だ。

「さすがのラプチャーでも、これじゃ逃げられないでしょ。煙幕の類は『きりばらい』、エレキネットはガーディやウインディの『ひのこ』で燃やす。そして暗くても暗視ゴーグルさえあれば、貴方の姿ははっきり見える」
「随分と俺に関して研究してるじゃねーの。元々はフィアーの為の対策だったと思ったが、案外俺が来ることが分かってたんじゃないのか」
「貴方が来ることは分からなかったわよ。対策が出来たのは、ブレーカーに張り付けられていた妙な箱を見つけたときよ。それに、まあ過去の経験ね。敢えてブレーカーを落としたら案の定、フィアーではないけど貴方が出てきてくれたってわけ」
「全員が全員、暗視ゴーグル装備だから妙だとは思ったが、やっぱりバレてたのか。次からはもう少し気を付けるとしよう」
「残念だけど、貴方に次なんて無いのよ。さあ、盗んだ『しらたま』と『こんごうだま』を返しなさい!」

 拡声器を向けて完全に勝ち誇っている女性の前で、ラプチャーは何やら申し訳なさそうに乾いたら笑いを浮かべる。それに気付いたのか、女性は怪訝な表情で首を傾げた。

「な、何よ。ショーケースの中にないんだから、貴方が持ってるんでしょ。フィアーだって現れなかったし」
「いや悪いけど、『しらたま』はフィアーに持ってかれちゃったんだわ。ほれ、この穴。フィアーが逃げて行った穴だよ。煙幕に紛れてやられちまった。いやー参ったね」
「はっ……はあー!? な、何よそれ! あっ、もしかしてまた嘘ついてるんじゃないでしょうね。今回の嘘はやたら分かりやすいじゃない」
「嘘つく為だけに穴なんて掘るかよ。てか、俺が掘った穴ならとっくにここから逃げてる。フィアーが逃げた穴だからな、警戒して迂闊に逃げ込めなかったの」

 そう言いつつラプチャーが暗視ゴーグルを外すと、警官隊が一斉に身構える。彼は薄ら笑いを浮かべながらそれを近くの穴に放り込んだ直後、小さな爆発音と共に粉塵が穴から噴き出した。
 追跡を阻む為のトラップ。嘘だと高を括っていた女性だが、爆発を前にして表情が変わった。ラプチャーの言葉に少しは信憑性があると感じたのか、近くにいた警察官に指示を飛ばす。

「ちなみにあいつは警察官に変装して、1階まで悠々と来た感じだったな。点呼、もう少し小まめに取った方が良いんじゃねーの」
「御忠告ありがとう、今後の参考にするわ。さて、捕まる前に何か言っておきたいことでもあるかしら」
「そうだな、捕まりたくないから逃がしてくれってのは駄目かな」
「駄目に決まってんでしょ」
「だよな。じゃあ他には、そうだな……あぁ、そうそう。バチュル、『フラッシュ』」

 何気ない流れから発せられた突発的な指示。だがバチュルは正確にそれを聞き取り、放たれた強烈な光が一瞬にして辺りを強烈に照らした。
 目を瞑っていたラプチャーは殆ど影響はなかったが、暗視ゴーグルを付けて迫っていた警官隊は端から端まで軒並み呻き声を上げる。暗視ゴーグルを通していた為、目に飛び込んで来るフラッシュの明るさは通常の何十倍。
 先ほど暗視ゴーグルを捨てたのも、フラッシュをしたときに自分に影響を少なくする為。フィアーが残した穴にトラップがあるかは賭けだったが、無くても別に困らなかった。
 まるで絶叫マシンから下りてきた人のように、警官達の足取りは覚束ない。如何に強力なポケモンを多数用意しようと、肝心のトレーナーが戸惑っては指揮系統が乱れて脅威は激減する。 

「多分失明はしないと思うから、悪く思わないでくれよ。半分はフィアーのせいだ」
「くっそ、待ちなさいラプチャー! こんなことしても、外も警官で一杯よ!」
「知ってるよ。正面玄関からこんばんわって風に出ていくわけないだろ。穴掘ってもこの状況じゃ追いつかれるだろうし、上に逃げさせてもらうさ」

 エレベータに駆け寄ったラプチャーは陽動の為に1階に移動させていたエレベータにそのまま乗り込み、最上階のボタンを押すと呆気無いほど簡単にその場を離脱した。
 正直ラプチャーもこうなることを予想していたわけではない。ただ単に、運が良かった。それだけにすぎない。だがその強運もまた、実力の一部。

「2階で騒ぎを起こして、1階でも騒ぎが起きた。最上階付近には誰もいないだろう。さて、さっさと逃げるか!」


月光 ( 2013/01/10(木) 23:49 )