PART / T
冷たい風が青年の髪を揺らす。目標から離れたビルの屋上に佇む青年は双眼鏡を覗き込み、夜風に身体を少し震わせながら時を待った。
双眼鏡越しに蠢く大量の警察官。さらに1階から徐々に数は減るものの、ビルの中を必要以上に巡回している警備員。
青年の盗賊としての感が囁く。普段の警備ではありえない。明らかに誰かが来ることを警戒し、それに対処するための布陣だ。しかも、普通よりかなり厳重な。
呻きながら双眼鏡から目を離した青年は腕時計で時間を確認し、再び遠方に目を移して監視を続ける。
「変だな。前回の場所から結構離れたところを狙ったつもりだけど、何で俺がここに来るって分かったんだ。もしかして、ブレーカーへの細工がバレたか。なら今回は諦め……お、イッシュブロードのテレビカメラか。確かチャンネルは……」
小型ラジオを取り出した青年はイヤホンを耳につけると目的の曲のチャンネルに回し、良好な電波の中で鮮明な音声が耳に流れ込んでくる。
『――とのことです……繰り返します。ラジオではお見せできませんが、警察による厳戒態勢が敷かれています。犯行予告をしてきたのは最近被害を拡大させている先見『フィアー』です。警察によりますと――』
そこまで聞いた青年は舌打ちと同時にラジオの電源を切るとバックパックに戻し、再び双眼鏡を覗き込むが今度確認するのは警察の動きではない。
探すは背の高いビル。似たような考えをしている盗賊なら自分と同じく高所にいる可能性が高いと踏んだものの、良好な視界が望めるビルの屋上に人影らしいものは従業員を除いて皆無。
「見当たらないとなると、もうビルの中にいる可能性が高いな。くそ、先越されたっぽい。俺も行くか。下調べはバッチリ、迷子になる心配もない」
ヒウンシティは高層ビル群が発達している。目的のビルは割と小さい方で、青年はそれよりも若干背の高いビルに息を潜めているが、当然理由がある。
ヘリが飛ばせないのだ。高層ビルの生み出す乱気流の中に佇む少しだけ背の低いビルだが、屋上にはヘリポートも何もない。長時間ホバリングしようものなら不意の突風で吹き飛ばされ、大惨事になる可能性が極めて高い。
故に警察は地上を中心に包囲網を展開している。同様の考えで犯人が空中からビルに潜入する可能性は低いと考えた。そもそも、盗賊がそんな目立つ方法で来るはずがない。
屋上に警察官がたったの二人しか歩哨に立っていないのが良い証拠。恐らく地下から来ると踏んでいるのだろうが、青年はそんなことはしない。
「それにしても『フィアー』か。会ったことはないけど、最近よく聞く名前だな。盗賊の俺がこんなこと言えないけど、何か嫌いなんだよな奴は。まあいい、目的は恐らく同じ。なら俺が先に……んっ!?」
青年が屋上へ移動するルートを考えていたそのとき、双眼鏡の中で変化が起きる。1人が突然もう一方の警官の後ろに迫り、両腕を首に巻き付け襲い掛かった。
必死に抵抗していた警官だが緩んでいた警戒心に後ろからの不意打ち、大して何も出来ずに失神。危害を加えた警官が手錠を取り出すと、倒れた警官の両手を体の後ろでロックした。
手慣れた手付きで倒れている男のポケットから鍵を奪い取り、何食わぬ顔でそのまま屋上の扉からビルの中へ。
「くそ、変装して先に忍び込んでたのか。フィアーが予告出してるなら俺も変装して潜ればよかったな、もう遅いけど」
再び舌打ちした青年は双眼鏡と携帯食料をバックパックに仕舞い込み、腰に手を伸ばす。空高く投げられたモンスターボールから現れたのはとりもどきポケモンのシンボラー。
ゴーグルをかけ、助走を付けて金網を乗り越えつつジャンプ。青年は空中で羽ばたくシンボラーの両足に捕まり、それを合図にシンボラーも乱気流の中を降下気味に突き進んだ。
「割と素直な風だな。この程度なら、シンボラーの方も問題なく進めそうだ。えっ、最初から問題ないって? あはは、悪い悪い。大丈夫、信用してるって」
シンボラーが若干不満そうな声を上げたが青年は笑って流し、風の吹く方向を感じながらシンボラーの足を引っ張ることで方向を調節する。
先ほどまで彼が居たビルと目的のビルの高低差はおよそ三十メートル。吹き飛ばされないように調整しながら青年とシンボラーは難無くビルの屋上に着地し、シンボラーをボールへと戻した。
倒れていた警察官に近寄った青年は首筋に手を当て、彼が生きていることを確認する。どうせ手錠で動けないのだ、必要以上に傷つける必要もない。
立ち上がるとドアへと向かい、冷たい鉄製のノブを回すが内側からカギを掛けられている。多少強引に引っ張るが、手が痛くなるだけだった。
「やっぱり鍵を掛けられたか。無線が残されてたのは恐らくあの警察官を陽動に使う為だろうな、無駄のないことだ。どうしようかね、今から地上に降りたんじゃ目立ち過ぎ――」
「くっ……何がって貴様そこで何をしている! そこを動くなっぐ!? な、何で手錠で。くそっ、本部! 本部応答せよ! 屋上班、不審者に遭遇! 身動きが取れない、直ぐに来てくげへ」
「五月蠅いなーったく、もう少し静かに報告出来ないもんかねー」
がなり立てる警察官の金的を一発蹴っ飛ばし、青年は悶絶する相手に向かってポケットから取り出した小型のスプレーを噴射。
一瞬にして意識がなくなった警察官はその場に崩れ落ちた。青年は口に当てていたハンカチをしまい、地面に転がり喚いている無線機を踏みつけて破壊する。
「まさに袋のコラッタって感じだな。地上は警察の群れだが、もうすぐここにも警察が来る。ドアは開かない。相手が来たところを強行突破も出来なくないが、難しい。何とかして扉を開けないと……あぁ、そうか。勝手に開くんだ。その時を待とう」
数分を置かずして数名の警察が屋上の扉の前に来ると立ち止り、互いに合図をすると一気に屋上へと流れ込む。
持っているのは警棒とゴム弾を装填した特殊な銃。さらに後ろからガーディが数体現れ、この屋上でケリを付けようとする姿勢が見て取れた。
「レイ、倒れている隊員は無事か」
「問題ありません、部長。薬で眠らせられているようですが、命に別条はなさそうです。ただ屋上の鍵を取られたようですね。もうここに犯人は居ない可能性が高いと思います」
「良いさ、一番大切なのは部下の命だ。よし、負傷者を回収しろ。二名は入れ替わりで引き続き屋上の警備に当たれ」
「了解しま……あっ! ぶ、部長! 扉が!」
警察官の大声にその場にいた全員が一斉に扉へ注目し、先ほどまでそこにいなかった青年が扉に手を掛けながら警察官たちに向かってウインクする。
「お勤め御苦労様。凍え死ぬことはないだろうし、どうせすぐまた助けが来てくれるさ。じゃあな」
「待て! 貴さ――」
部長と呼ばれた警察官がゴム弾の装填された銃を構え、ガーディが一斉に飛びかかって来る。しかし青年の方が一歩早い。急いで扉を閉め、鍵を掛けて外からの侵入をシャットアウト。
彼らは突然青年が現れて驚いていたようだが、なんてことはない。青年は屋上の扉の上でただ待機していただけだ。
「咄嗟に思いついたにしては、我ながらうまくいったな」
時が来れば警察官の方が内側から鍵を開けて、懇切丁寧に中へと導いてくれる。後は応援に来た警察官が警戒しながらも屋上に姿を現したところで、入れ替わるように中に入れば良い。
本当は中にも数名増援の警察官が残っていると青年は思っていたのだが、階段には誰もおらず全ての警官が屋上に閉じ込めらた事になる。青年にとってはこの上ない好都合。
扉を激しく叩く音が聞こえる。だがそこはさすが鉄製の頑丈な扉、ゴム弾やガーディの『たいあたり』や『ひのこ』程度では到底壊せない。仮に壊せたとしても時間が必要だし、その頃には青年はここにはいないだろう。
攻撃が止む気配はないが、無線で救援を呼んでいる警察官の声が僅かに聞こえた。威圧のつもりなのか、数名の人間が階段を駆け上る音が響く。
「やり過ごせば少しでも警備が減るな、ラッキーっと。さて、フィアーを追うか。いや、追うだけじゃ意味がない。出し抜かないとな」
屋上へ続く階段だが、ビルの中は意外と温かい。白く曇ったゴーグルを外し、バックパックに戻す。青年は慎重に階段を下って1つ下のフロアに入り、掛け上がっていく警察官たちをやり過ごした。
目的の物は地上1階の展示品エリア。屋上からの潜入は非効率的に見えるが、地上や地下から侵入することに比べればリスクは格段に低い。
それが分かっていたからこそ、フィアーも屋上から潜入した。ただ彼の場合、警察官の恰好をしている。移動には制限が余りない代わりにスムーズな動きが取れない。ラプチャーが彼を出し抜くには、移動の速さが重要になる。
「エレベータ、動いてるかな。屋上での待ち時間があったからな、フィアーは随分進んでるはずだ、これ以上遅れるのはマズイ。いや、それよりも思い過ごしだと思うが、さっき無線から聞こえた声になーんか嫌な予感を覚える。もしかして、あいつもここに来てるのかな」
面倒臭そうに嘆息しながらも、青年は最上階フロアに到着する。壁に張り付き辺りを見渡すと、見えてきたのは大き目のデスクや観葉植物。重役が使うフロアなのが良く分かる。無駄に豪華だ。
故に視界を遮るものは殆どなくフロア全体が一望可能。屋上に見張りを置いていたからか、それとも会社の意向か分からないが、このフロアに警官の姿はない。
上等なエリアなだけあって監視カメラもついている様子はない。階段のすぐ近くにあったエレベータに乗り込んだ青年は1階のボタンを押し、素早くエレベータを離れると再び階段を使って階下に向かった。
単純な陽動だがこういうピリピリした現場では割と有効な時もある。階段を下り続けた青年は特に警察と遭遇することもなく二階まで到着し、階段付近からフロアの様子を確認。
「ここは絵画の展示室だな。ここにもそれなりの値打ちものがあるが、これは個人からの貸出品だからノータッチ。さすがに二階は警官が多い、余り長くここに居ない方がいいな。えーっと入口は……おっ、あったあった」
青年の目に付いたのは空気洗浄用のダクト。あまり大きくはないが、人が通るには問題ない。青年は時計を見て、後数分で日付が変わることを確認する。
「よしよし、時間も申し分ない。ついでだ、2階に警備を引き付けよう。プレゼントですよっと」
バックパックから四角い小さな箱を取り出し、箱に取り付けられていたネジを回す。青年はフロアの隅にこっそりとそれを置き、スイッチを押すと階段の壁にあるダクトの格子を急いで外した。
滑り込むように中に入り、溝にはめる程度の雑な方法だが格子を元に戻す。急ぎながら慎重に進み、数十秒後、先ほどセットした小型の箱が爆音と共に弾けた。
2階のフロアには箱から弾け飛んだ催涙性の粉塵が立ち込め、けたたましい音量の非常ベルが鳴り響く。ガスマスクで武装した警察官達が1階から駆け上がり2階へと突撃していくが、視界が悪く何も見えない。
その隙に青年は用意していた小型のガスマスクとゴーグルを装着し、モンスターボールを取り出した。ゆっくりと開閉ボタンを押し、小さくて黄色い蜘蛛のようなポケモンが姿を現す。
くっつきポケモンのバチュル。飛び出したバチュルは辺りを見渡すと青年を見つけ、嬉しそうな声を出しながら彼の頭の上へと飛び乗る。
「はいはい、頭の上に居て良いから寝ないようにね。行くぞバチュル、フィアーを出し抜く。ここから先はスピード勝負だ」