番外編――荒れ狂う悪夢――
PART / T
 連なる高いビル、吹き荒れるビル風。イッシュ地方で随一の大都市『ヒウンシティ』。
 オープンカフェで本日のチャレンジメニュー『マトマ風激辛ヒウンアイス』の試作品を舐めたリディアだが、余りに辛すぎて用意してあったモーモーミルクを一気に飲み込む。
 失敗だ。念のため最初からアイスクリームの装置にマトマの実の汁をぶち込まないのは正解だったらしい。最悪今日はアイスが出せなくなっていた。

「はぁ、普段ならこんなミスしないのに。やっぱり、自分でも無意識のうちに気にしてるのかな」

 ラプチャーとノアが悪夢事件を解決してから数週間(テレビでは警察がモルハックの研究室を突き止めて解決となっているが)、前回悪夢を見て寝不足だった友人の目の下の隈もすっかりなくなってきていた。
 それ以来忙しいのか知らないが、ラプチャーがリディアの店を訪れたことはない。最近リゾートデザートで古代の城の新しい区画が発見され、古代の宝石や文献が見つかったらしいからそっちの方へ行ってしまっているのかも。
 勿論ラプチャーが来てくれないのもちょっとダウナーな理由の1つだが、もっと根本的に、目の前に解決しなければならない問題がある。
 ここ最近、再び悪夢を見る人が増えているのだ。しかも今度は目覚めてくれるような悪夢ではない。深い昏睡状態に陥り、うなされ続ける悪夢をひたすら繰り返される終わりなき真の悪夢。
 その中の1人にリディアの知り合いもいる。今回ばかりは警察も前回の事件のこともあり捜索に動いているが、有力な情報は今のところ掴めていない。
 発生の曜日も時間帯にも規則性はなく、夜でも昼でも容赦なく悪夢に落とされる人やポケモンが増え続けている。前回の事件よりも遥かに性質が悪くなっている。

「開店もうすぐなのに、こんなんじゃ仕事にならないよ。俳優スクールの学費だって馬鹿にならないのに……」
「……い……」
「あーそれと高校の演劇部の衣装作り頼まれてたんだっけ。マナフィっぽい衣装って言われたけど、そもそも幻のポケモンって図鑑とか書籍通りの姿か少し心配なんだよねー」
「おい……」
「はっ! そういえば今週はポケウッドで『ルギア爆誕』の復刻が豪華俳優でやるんだった。チケット、まだ残ってな――」
「おいって言っているだろう!」

 怒鳴り声で我に返ったリディアがカウンターの方を見やると、背の低い女の子がむすっとした表情でリディアを睨みながら立っていた。
 慌てて時計を確認するが、開店時間までまだ10分以上ある。しかしリディアは急いで失敗作をゴミ箱に廃棄し、眼光に凄みが迸る少女の前に内心ビビリながら立つ。

「いらっしゃいませ! 本日はチョコレートキャラメルアイスが半額のセールとなっています!」
「じゃあチョコレートキャラメルからキャラメルだけ取ってチョコレートにしつつ半額にして。個人的に言えば、チョコレートもう半額にして」
「えっ? あ、いや、そういう注文は流石にお受けするわけには……」
「仕事前の景気付けに来たのに、景気下げになった。まあいいわ、トリプルでチョコレートとチョコチップバニラとガトーショコラで」

 チョコ尽くしである。しかしここはオープンカフェでアイスクリームが主力の店、誰がここで何を頼もうとリディアには何を言うことも出来ないしする気もない。
 ボックスからアイスを取り出す途中で最近流行りの『とっとこピカ太郎』と言うどこかのパクリ臭満々のアニメのオープニングメドレーが流れ、それに反応したリディアが振り向くよりも早く少女が携帯の電話に出る。
 見た目は幼い少女(と言ってもリディアと1.2歳ぐらいの差しかないだろうが)なのに、その表情は妙に大人びて見えた。
 肩と耳で携帯を挟みながら少女は取り出したメモ帳に何かをメモしていき、「はい」っと礼儀正しいアクセントの返事を数回繰り返してから電話を閉じる。
 人間見かけによらない。呆気にとられていたリディアは少女が睨み返しているのに気づいてから再び我に返り、慌ててでかでかとアイスを盛ったコーンを少女に向かって差し出した。

「どうぞ、リディアちゃんのスペシャルトリプルです」
「どの辺がスペシャルかわからないけど、どうも。あっ、支払はカードで」

 最近は交通機関の電子化が円熟し、交通機関で使用が目的だったカードが使えるコンビニやレストランも多い。もはや、一種のクレジットカードのようなものである。システムは違うが。
 カード払いのボタンを押して、少女がカードを読み取り機に触れさせた瞬間、リディアの表情が凍り付いた。可笑しい。読み取り機の故障だろうか。やたら桁数が多いように見える。
 どれぐらいかと言うと、普段リディアがカードに溜めている額のざっと1000倍とちょっとはあるように見えた。そもそもこのカード、それほどの巨額なチャージが出来ただろうか。ひょっとして不正品ではないのか。
 リディアの引き攣った笑顔を見た少女はその意味を察したのか、財布に入っていたカードを取り出して裏側を見せる。ブラック、所謂大金持ちだけが持っているカード。

「割と命掛かってる仕事だから支払は良いのよ、うちの社長。今回も命懸け……とまでなるかわからないけど、結構危険な仕事だし」
「それって労働基準法的に大丈夫なの? そもそも、貴方みたいな女の子がそんな危険な……あ、分かった! 両親が大金持ちなんだね。もー脳内設定を突然言う時は友達とか相手を考えな――」
「両親はいない。12歳の頃までの記憶もない。ついでに言うなら、友達なんていない。そうだ、貴方のために言っておく。今夜は悪夢の影響が大きくなるかもしれないから、寝るときは気を付けて」

 一気に舞い込む不意を突かれた言葉に呆気に取られるが、しばらく硬直してからリディアは慌てて店の裏口から飛び出して少女に走り寄る。
 席に着いたばかりの少女は突然走ってきたリディアが止まる勢いを計算に入れなかったためにブレーキ代わりに叩いた机の音に驚き、アイスを落としそうになったが何とか左手で抑えてそれを阻止した。

「び、びっくりした……驚かさないでよ」

 何か喋ろうとしているリディアだがあまりに突然に走り出したために呼吸が整わず、会話ができるようになるまで時間が掛かりそうだったので、少女はリディアに構わずアイスを食べ始めた。
 その瞬間、少女の表情が変わる。しばらく硬直してから、もう一口アイスを食べる。間違いない。今まで食べたアイスが腐っていたと思うほどの味。
 少女は最近まで超一級以外のものは有象無象、どうせスーパーで売っているアイスとオープンカフェで売っているアイスなんて同レベルだと信じて疑っていなかった。それがどうだ、食べてみたら口が止まらない。
 横でリディアが息を整えている前で少女は凄まじい速度でアイスを平らげていき、リディアの呼吸が整って顔を挙げた時には、既にその手に持っていたコーンすらが綺麗に消え失せていた。

「美味しかった。正直、コンビニと同じだと思ってた。でも、全然違う」
「そうなんだよーうちはね、原材料から……って、違う違う! 貴方、さっき悪夢の影響がって言ったよね。お願い、何か知ってるなら教えて!」
「アイスは美味しかった。でも、これは私の仕事。教えることは何もない、教えるつもりもない。貴方には何の関係もない」
「ある! 私の友達だって、その悪夢のせいで寝たきりになっちゃった人が2人もいる! 無関係じゃないんだから、教えてお願い!」
「そりゃ、無関係じゃないけど……無理。無関係じゃない人なんてたくさんいる。貴方は、私の上司や部下でも、友達でもな――」

 立ち上がってその場を離れようとした少女だがその手が突然握られて振り向くと、テーブルを吹っ飛ばしかねない勢いで飛び乗ったリディアが少女の瞳を笑顔で覗き込む。

「じゃあじゃあ、私と友達になろう! ねっ、誰も友達がいないなんて悲しいもん。ほらほら、今日から友達!」
「結構です迷惑です拒絶します」
「開幕全否定!?」
「貴方の魂胆は何となくわかるわ、友達になれば私が何か教えてくれるとか思ってるんでしょ。でも、個人的に言うならそれは最低な行為だと思う。つまり、偽りの友達でしょ。人でなしの行為よ」
「違う!」

 強く握られた両手に込められた力、身を乗り出して迫る瞳、その威圧感に心の底から険悪感を抱いていた少女の瞳が見開かれた。
 大抵の相手は拒絶の意思を強く示すだけで、距離を開けて逃げていく。そうだ、今まで中途半端に友達などと抜かし言い寄ってくる連中は、打算ありきの奴らばかり。
 こいつも同じだ、どうせ今回の件で利用するだけ利用したら友達ごっこは終了。都合よく利用されるだけなら、最初から友達になりたがる奴なんてどこにいる。

「友達がいないなんて、私だったら絶対に嫌だ! 私は貴方の初めての友達になりたい。そして友達としてお願いしたいの、私にも手伝わせてほしいって!」
「はぁ、仮に私が貴方を友達認定したとして、なんで連れていくことになるのかな。友達ってあれでしょ、危険なことに巻き込みたくないものなんじゃないのかな」
「そうだとは思う。けど、助けて欲しい、助けてあげたいって思えるのも友達だよ! だからお願い。私にも手伝わせて。違う、私の友達を助けてあげて!」
「……意味分からないし、論理性もない。だけどちょっとだけ、心が温かい。不思議な感じ……分かった、まだ貴方を完全に信頼したわけじゃない。だけど、とりあえず仮友達ってことで」
「仮なんかじゃないよ。友達に仮なんてないの、いるのは本物だけ。私はリディア・ホーエスト。よろしくね!」
「……あぁ、自己紹介ね。私はノア・メドアッド。よろしく、リディア」


月光 ( 2014/04/15(火) 00:05 )