第九話
短く感じられた十分間の短い休憩を挟み、アスカとリアはそれぞれ対極に位置する出入り口から姿を現し、会場が再び熱気で溢れる。
一歩一歩と歩み寄りアスカとリアはトレーナーサイドに入り、司会者の合図と同時に大型ディスプレイのフィールド決定ルーレットがゆっくりと動き出した。
ベルトが鬱陶しいほどジャラジャラと巻かれている黒のジャケットをはためかせながら、リアはアスカを指差し薄らと笑う。
「ようやく僕の出番が来たわけだね。出番が無いまま道化になっちゃ、誰の悲劇も生まれない」
「はぁ……何言ってるかは訳分からないけど、とりあえず貴方はサーカス団に入団希望ってことでいいのかしら」
「それも良いかもしれないね。この大会、僕はトレーナーとしての生き方を賭けていてね、君には悪いがここで終わりにしてあげよう」
「同情でもしてほしいのかしら? 悪いけど、私だって負けられないのよ。さっき格好つけちゃったしね」
「年上に花を持たせると言うのも、大事なものだよお譲さん」
フィールドを差すルーレットがゆっくりと速度を落して行き、二人が戦うべきフィールドが決定される。
指定されたフィールドは『海』。ディスプレイが光ると同時にアスカとリアの立っているトレーナーサイドの四方が小さく煙を噴き出し、さらにフィールドを十分に囲むほどの壁が円を描いて地面から飛び出した。
全ての壁の下部がゆっくりと開くと共にそこから大量の水が噴き出し、アスカが慌ててムクホークのフルックを出して逃げようとするが、それより早くトレーナーサイドがゆっくりと浮かび上がる。
まるで巨大なビート板の上に立っているような不安定な気持ちに駆られながら、尻餅ついているアスカを見てリアは薄ら笑いながら小さな溜息。
「あはは、今の君は突然現れたハリボテのエンテイに驚いて倒れる道化みたいだ。君の就職先にも良いんじゃないか、サーカス団」
「ぬぅ、こ、これは別に驚いたわけじゃないもん! 私はね、ただ泳げないだけよ!」
「……素晴らしい悲劇だ」
「はぁ?」
「泳げない少女が海のフィールドで戦い、敗れ、涙し、最終的に海に身投げするも誰かの手によって助け出される! 素晴らしい悲劇、人は悲しみを乗り越えて成長する!」
「駄目だこの人、頭が少し愉快なことになっちゃってる。危ない薬でもやってるんじゃないかしら。大体ここ、本物の海じゃないし」
「おっと、僕としたことがちょっとだけ感化されてしまったようだ。さて、手加減はしない。当たり前だけどね」
「泳げないからって私が海のフィールドが苦手だと思ってんなら、それは大間違いよ! 英語の回答にアラビア語を書くぐらい間違いよ!」
――彼女の方も相当頭が愉快なようだ
リアのちょっと哀れみが込められた視線に気づかないアスカは、腰から取り出したボールを大きくフィールドに投げ込み、褐色の光が稲妻となり海に落ちる。
徐々に現れたその姿は長い首に水色の体、人が乗るのに適している巨大な甲羅を持つのりものポケモン、ラプラスだ。
対するリアの投げたボールから現れた褐色の光は海の表面に落ちることは無く空中でその姿を現し、ラプラスよりかなり小型のポケモンが姿を現した。
特殊攻撃系を得意とするマジカルポケモン、ムーマージは空中に現れると同時に大きく眼を見開くと、アスカの目の前に突然絵にかいたような目玉が跳び出す。
驚きと同時に一歩後ろに下がった瞬間、今度はボールの開閉スイッチにも同じような目玉のマークが現れ、いくら押してもボールが反応しない。
「先手で悪いね、『くろいまなざし』で君のポケモンは逃げられない」
「……最初っから逃げる気なんてさらさらないっすよ。プラス、相手の出方が分からない以上は様子見よ。潜りなさい!」
「させるか。ゴネリア」
リアの指示より早く既にゴネリアと呼ばれたムーマージは目の前に生み出した不気味な色を輝く球体をラプラス目掛けて打ち出し、ラプラスも急いで海の中に潜る。
間一髪のところで『シャドーボール』を回避したラプラスは海の底に潜り、再びムーマージがシャドーボールを繰り出し連打するが、水圧で威力が減衰し、その攻撃も全く当たらない。
相手の姿が見えない以上攻撃はできないし、リアはアスカの視線を確認するが、彼女の視線は彼のムーマージを常に捉えていたラプラスを見てはいないようだ。
不規則に動き回るムーマージに視線を戻した瞬間、水面に映る影が僅かだが盛り上がると、リアは目を見開く。
「避けろ!」
一瞬にして感じ取った攻撃の気配をいち早く叫んだリアの声に反応し、ムーマージは進行コースを直角に変化した瞬間、水面を突き破りラプラスが敵へと突撃。
かろうじて回避したように見えたが、ラプラス特有の長い首をダイナミックに振り回し、頭の突起がムーマージの急所を強烈に取られる。
吹き飛ばされるムーマージ……だけではなく、攻撃したラプラスも同時に激しい衝撃に襲われ、背中から先ほど飛び出して来た水面に落下し、激突した。
直ぐに姿勢を立て直したムーマージのダメージが観客やアスカが想像したより遥かに軽く、逆に無傷なはずのラプラスの方も相応のダメージを負っている。
「まさか、嫌味なムーマージね」
「悲劇の痛みは皆で分け合うものさ、君がゴネリアを仕留められない限り、『いたみわけ』は効果を発揮する」
「なら何度でも捉えるだけよ。プラス!……あれ?」
「同じことを二回する道化はつまらないだろう。ゴネリア、やれ」
「プラス、何で潜らな……ッチ、反撃して!」
アスカの混乱の隙をついたムーマージの強烈な『シャドーボール』とラプラスから放たれた『れいとうビーム』が空中で激突し、激しい衝撃波が辺り一面に吹き荒れる。
どうやらムーマージの攻撃は恐らく『シャドーボール』のみ、さらにエネルギーを溜めて放った攻撃がラプラスの一瞬の攻撃と互角だった辺り、火力の面ではあまり心配することはない。
むしろ怖いのは先ほどの『いちゃもん』による技の制限、そして『いたみわけ』によるダメージの共有、さらに他にもいくつかの補助技を持っているはず。
再びアスカの指示によりラプラスが水中に潜る瞬間、ムーマージはあろうことか水面に近づいて行き、足を少しだけ水面に付けた。
格好の餌食――相手にどのような思惑があるか分からないが、アスカとしてこれは見逃すことができないほど、一撃でムーマージを倒すことができるチャンス。
迫る。だがラプラスの姿が僅かに水面から見えるようになった瞬間、ムーマージの体が激しく発光し、水中に電流が迸る。
相手を麻痺させる技、『でんじは』。だがリアの思惑とは裏腹にラプラスは攻撃を苦にせず、一直線にムーマージに迫り、頭部の突起で相手を吹き飛ばした。
「馬鹿な、麻痺してそれほどの機動性ができはずが――」
「貴方のムーマージが状態異常を使って来る可能性があるのは踏んでたからね、悪いけど守らせてもらったわ」
「なるほど、『しんぴのまもり』か。だが、これで勝った気でいるのは些か早計だな」
「どうせ次で決ま……歌声?」
フィールドに響き渡るガラスのように綺麗な歌声、アスカがその歌い手であるムーマージを見た瞬間、邪悪に微笑む目がラプラスを捉えた。
背中に寒気が走る。アスカの精神の隙をついたリアはムーマージをボールに戻すと、次に新たなポケモンを繰り出す。
リアがムーマージをボールに戻したことで『くろいまなざし』の効果が無くなったのか、アスカのボールの開閉スイッチを塞いでいた不気味な目のマークも消滅。
出て来たポケモンは再び水面の僅かに上にその姿を映し出し、体からは冷気が放たれていた。
同時に水面に入水したラプラスの僅かに苦しみ始め、新たに姿を現したポケモン、ユキメノコの体が激しい稲妻を迸らせる。
マズイ――ラプラスがユキメノコ目掛け『れいとうビーム』を放つより早く、相手の放った『かみなり』がラプラスの周りに激しく降り注ぎ、ラプラスの背中に直撃した『れいとうビーム』が水面に当たり氷の島を作った。
悲鳴とは思えない程に美しい声を上げるラプラスはを前に、ユキメノコは躊躇うことなく再び攻撃の準備へ。
エネルギーを溜め始めたユキメノコの攻撃の隙にアスカは瀕死寸前のラプラスをボールに戻し、次に出すポケモンを選定する。
「ゴネリアの『くろいまなざし』の効果が無くなったから君のラプラスは戻せるものの、『ほろびのうた』を使ったからそもそも戻さざるを得ない」
「ポケモンを交換する余裕なんて与えて、負けても知らないわよ」
「一回戦の君の戦いは見た。このフィールドでまともに戦えるのはもうムクホークしかいない、そして既に僕のリーガンは最高潮のボルテージ。どの道詰んだよ、君は」
「……やっぱり貴方、サーカス団に入るのがいいかもね」
「何?」
「今の貴方みたいなのを、道化って言うのよ!」
アスカがボールをフィールドに投げ込むと同時にユキメノコの『かみなり』が辺り一面に降り注ぎ、ボールから現れ、褐色の光の鱗を払ったのはバクフーン。
「馬鹿な、このフィールドじゃ立つことさえ――」
「貴方の目玉はピッピ人形の目玉なのかしら、スペースならちゃんとある!」
攻撃をまともに受けたバクフーンは苦痛に表情を歪ませながらも何とか体勢を立て直し、だがそんなバクフーンの攻撃の準備を待たず、ユキメノコの『シャドーボール』が襲い掛かる。
雄叫びを上げるバクフーンは敢えてそれを避けて反撃しようとはせず、シャドーボールの直撃を受けて氷の上で僅かに仰け反った。
登場際に受けた至近距離での『かみなり』の直撃、さらに体勢を整える前に受けた『シャドーボール』、本来ならダウンしても可笑しくは無い攻撃の数々。
だが未だにバクフーンは立っている。リアは今にも倒れそうなバクフーンの姿を見て、納得したかのように小さく何度も頷く。
「なるほど、『こらえる』か。確かに次の攻撃に繋げるにはそれが最善の手だし、タイプ的にリーガンの不利は否めない。だがもはやそんなモノは関係無い」
「どうしてかしら?」
「君は全力のユキメノコを相手にするが、片や僕は一撃をかする程度で良い。違いは圧倒的さ」
「……あっそう。ルーシー! 一気に決めちゃいなさい!」
「リーガン、終わらせてあげ……何?」
広範囲攻撃である雷を打つためユキメノコの帯電が始まる……瞬間、突然力尽きたユキメノコは浮力を失うと同時に、ゆっくりとバクフーンの前へ落ちる。
何が起きたのか理解が追い付かないリアに対し、司会者もどのように実況したらいいか困っているが、アスカだけはただ一人爽快な笑みを浮かべ、右手の握り拳を振り上げてガッツポーズ。
『何が起きたのか、全く理解が追い付かない、追いつけない! ですがアスカ選手は高らかとガッツポーズ、そしてユキメノコは戦闘不能! 勝者はアスカ選手!』
水の排水が始まると同時に水位が一気に下がり、水が完全に抜けきるより早くリアはユキメノコの元へと駆け寄る。
アスカも完全に排水が終わり周りを覆っていた壁が無くなってからバクフーンの元へと歩み寄り、軽く頭を撫でてからボールに戻した。
何度もリアがユキメノコを確認するが、目立った外傷が見当たらない上、攻撃を受けた形跡が見られない。
「どう言うことだ、何故、何が……」
「私がプラスをボールに戻す前、何をしたか分かるかしら」
「いや……待て、僅かだが違和感が……そうだ、あの鮮やかに感じた悲鳴。そうか、君も」
「『ほろびのうた』を使わせてもらったわ。フルックだと一撃でやられていたかもしれないけど、ルーシーだから一撃ではやられなかった。そして二撃目も、狭い足場で避けきれないし、時を稼ぐことに集中した」
「そして、『ほろびのうた』の効果が来たっと言う訳か。全く君の言う通り、僕はとんだ道化だったようだな。恥ずかしい限りだ」
「とは言ってみたものの、実は『ほろびのうた』の効果がもう少し遅かったら、やられてたのは私なんだけどね」
「決まった勝負にもしもは無い。過去の悲劇にも喜劇にも、もしもは無い。君は僕に勝った、その事実は変わり無いさ」
ユキメノコをボールに戻したリアはゆっくり立ち上がると、右手を差し出し微笑む。
その握手をアスカも受け、再び会場から鼓膜が割れんばかりの声援が飛び交った。
「僕の旅はここまでだ。いつの日か、また別の形で会えるのを楽しみにしていよう」
「えっ、閉会式どうせまた会うわよ」
「そう言うことじゃないさ、今度はもっと悲劇的で、喜劇的な場所であえることを願っているよ」
「……えぇ、またいつか」
「そうだ、君にはまだ教えて無かったな」
「何を?」
「僕の家は何かと両親が五月蠅くてね、優勝できなければプロトレーナーを止めるのもそれがある意味理由ではある。で、こう言う大会に出ると必ず何かしらSPとかを仕込むんだ、勝手に」
「それはまた、随分と苦労してるのね。親馬鹿に」
「その筋の情報だけど、この大会、何かがある。何かは分からないんだけど、どうも嫌な空気がするんだ。気をつけた方が良い」
「嫌な空気?」
アスカは周りの匂いを嗅ぐが特にこれと言った匂いはせず、先ほどまでしていた潮の匂いすら見事に無くなっている。
「もしかしたらこれは美しき喜劇の始まりなのか、はたまた絶望的な悲劇なのか……さて、どっちかな」
「貴方、小説家か詩人にでもなった方が良いんじゃない」
「それはよさそうだね、検討しておこう。それじゃあお譲さん、またあとで」
踵を返したリアは軽く手を振り、アスカの前から去って行く。
『何か』……リアの言葉に根拠の無い不安を感じたアスカは観客席を見渡し、その声援に応えて不安を紛らわす。
――何が、何かがあるの?