第八話
低空で宙を舞うリザードンと一直線に迫るカイリキーがフィールドの中央で激突し、両者の両腕がそれぞれ握り合い互いに相手を押し合う。
拮抗しているように思われたが直ぐにカイリキーがリザードンを後ろ後ろへと押して行き、背中を反らせて踏ん張るが力比べで分が悪いのは見るからに明らか。
顔を少し横に向けて横目でシグレの指示を仰ぐリザードンに対し、シグレは軽く右手を横に倒し、それを上に持ち上げる合図。
小さく頷いたリザードンは必死に支えていた腕の力を抜くと同時に意図的に後ろに倒れ込み、右足をカイリキーの腹に潜り込ませて持ち上げた。
不意を突かれたカイリキーはその巴投げにまんまと掛かるが、残っていた下の二本の手でリザードンの足首を掴み、一瞬取り乱したリザードンの両手を振り払う。
背中から落ちるはずだったカイリキーは難なく両足で着地すると同時に、背中のしなりを利かせてリザードンの足首を握る手に力を入れた。
「猪口才な小技何て意味ねーぜ、そのまま叩きつけてやりな!」
「リザードン、完全に逃げようとするな。狙え!」
一撃必殺にすら思える強力な筋肉と強烈な腕力によりカイリキーがリザードンを振り上げるのと時を同じく、リザードンの右翼が大きく広がる。
カイリキーの攻撃より僅かに早くリザードンの右翼がカイリキーの左腕を小さく斬り裂き、左手のフックが緩まった。
しかしそれで攻撃が終わるわけではなく、右手一本ですら十分と言えるほどの強烈な速度による叩きつけにより、何かが破裂するような強烈な音と共に、リザードンの体が地面から跳ね上がる。
それを追撃するようにジャンプしたカイリキーより一歩先にリザードンが空中で姿勢を整え、目の前に迫ったカイリキーの側頭部を強烈にキック。
さらに口から溢れ出る強烈な炎を吐き出す……と思われた瞬間、リザードンが空中で激しく咳き込み、炎はその咳と共に空中に飛散した。
空中で蹴り落されたカイリキーは背中から直撃で地面に落ちるが素早く立ち上がり、後から地面に降りて来たリザードンとの間合いを慎重に詰める。
「おいおい、炎の出せないリザードン何て電気の出せないピカチュウよりしょぼいんじゃねーか」
「馬鹿にしないことだな。ピカチュウは電気が出無くても可愛さで人気がある」
「リザードンをフォローして無い様だけど、そいつはどうなのよ?」
「格好良さで人気がある。別に、炎が出無くてもお前如き葬り去るのに苦労は無いけどな」
「劣勢のトレーナーの台詞がそれかい、一匹目で終わらせてやるよ! カイリキー!」
カズハの指示と同時にカイリキーがフィールドを駆け出し、一気にリザードンとの間合いを詰める。
だがそれよりも早くリザードンは翼を羽ばたかせると同時に口から炎の代わりに黒い煙、『えんまく』を噴き出し辺り一面を黒く染め上げ、カズハとカイリキーの視界の外へ。
同時にリザードンがボールに戻されたのか僅かに煙幕の一部が褐色に光、同時に新たに何かが繰り出されたが、相手の姿が見えない。
相手が分からない――幾度となく戦っている二人だがその都度に二人は若干ポケモンが変わっているのだ、恐らく相手はカイリキーに有利なタイプ。
交換のためにカズハがボールに手を掛けた瞬間、薄気味悪い紫色やら黄色に輝く光線が煙幕を突き破り、一直線にカイリキーへ襲い掛かる。
完全に交換に向いていた意識の間隙を突かれたカズハはカイリキーへの指示が遅れ、体を捻るも右肩に光線が当たったカイリキーが弾かれ、彼の前まで吹っ飛んだ。
「物理って感じじゃないな。特殊攻撃、しかもカイリキーがここまで吹き飛ばされる……最悪だ、相手はあいつか!」
「お前はタイミングを誤った。このレベルの大会、一瞬の判断ミスで即死だぞ」
未だにフィールドは局所的に濃い煙幕に包まれており、接近戦を得意とするカイリキーとしては相手が見えないこの状況は圧倒的不利。
対して相手はエスパータイプの技、『サイケこうせん』を使ったことから察せられるにまずエスパータイプと見て間違いない。
巨体のカイリキーを肩に当てただけで吹き飛ばすほどの圧倒的念動力を持つポケモン、煙幕の中からであっても恐らくは的確にその位置を掴み、攻撃を当てて来る。
少なくても相手の姿を見えなければ勝算は皆無に等しいが、カイリキーを交代するだけの隙を与えぬ連続攻撃に、避けるだけで既に精一杯。
ただ攻撃を避けて、このフィールドに漂う煙幕が晴れるのを悠長に待っているだけでは、反撃できるタイミングを窺うだけでは勝てない。
むしろ今の状況を利用しなければいけない、煙幕で姿が見えないことで心のどこかに生じている隙……カズハはカイリキーの後ろに常につくように移動しつつ、煙幕を見据える。
最適である、そのタイミングを狙うため。
「一瞬の隙をついて、リザードンの『えんまく』を交代にうまく利用したわね。カイリキーに反撃のチャンスが来るのは当分先だし、交代する余裕も無いからカズハさんはかなり苦しそうね」
「そうかしら、どっちかと言うと何か狙ってるくさいなーあの目。何か持ってるわね、打開策」
ビデオカメラを回しながら小声を呟くスミレに、後ろでソファーに寄りかかりながらアイスクリームを舐めているアスカが口を挟む。
エアコンが十分に効いている部屋なのに寒くないのかな――スミレのちょっと心配そうな視線などなんとも思わず、アスカは視線はただただフィールドの二人と二匹。
「狙っている? カイリキーを交代せず、このまま行く手をですか」
「相手は相当なエスパータイプ、普通に待ってたらまず勝てない。私ならそうね、この状況を一気に変える手を考えるわ」
「そんな都合の良い手があるのかしら」
「さぁね。でもまあそんな都合の良い手を作らないと、勝てないわよ」
煙幕の影響でシグレ自身も相手の姿と自分のポケモンを目視できないでいるが、目で見る必要が無いほどに自身のポケモンはこの状況下での強さには自信がある。
実際に先ほどから彼の繰り出した二番手、フーディンのサイケこうせんは煙幕を突き破りながら何度もカイリキーに襲い掛かり、致命傷ではないまでも確実にダメージを蓄積していた。
観客が何やら騒がしいが、完全に相手を出し抜いた状況に優位を感じているシグレには、それすらカイリキーの逃げ回る姿への反応にしか思えない。
両腕を組んで不敵に笑っていたシグレは唐突に右の頬に小さな冷たさを感じ取ると、一瞬驚いて目を瞑ってしまったが、目を開けてみると空から何かがぽつぽつと降り出す。
雨だ……上を見ると先ほどまで晴々していた青空の一部に黒い雨雲が生み出されており、そこから降り出す雨がフィールドを突き差したのだ。
「こんなタイミングで雨?……しまった!? フーディン、リフレク――」
「おせーぜ! カイリキー、『ばくれつパンチ』!」
上を向いている一瞬の間により降り注いだ雨がフィールドに蔓延する煙幕を吸い尽し、晴れた視界の中でカイリキーが姿丸出しのフーディンに迫る。
物理防御力を上昇する補助技、『リフレクター』が発動するより一歩早くカイリキーの拳がフーディンの腹部を強烈に捉え、その華奢な体が大空に舞い上がった。
しかし吹き飛ばされたフーディンも空中で体を翻すと同時にスプーンの切っ先をカイリキーに向け、パンチにより体勢が固定されている相手に強烈な光線を叩き込む。
一瞬のやり取り……それぞれのトレーナーの前に吹き飛ばされたポケモンたちは完全に動くことが無く、カズハとシグレの呼びかけに両方とも応えない。
審判が駆け付けフーディンとカイリキーの様子をそれぞれ確認し、赤と白の旗を使ってバツ印を描き、放送室に向かって首を横に振る。
『な、何と両者ノックダウン! ライバル同士の第四試合、まさかまさかの両者ノックダウン! これによって予定されていたこの勝負の勝者とシードであるエリサ選手の試合が飛ばされ、ヨウタ選手対エリサ選手になります!』
完全にノックアウトされたポケモンをボールに戻し、カズハとシグレは互いに激しい火花を散らす視線を交えながら、フィールドの中央で睨み合う。
「やってくれるじゃねーの、煙幕だけであんな不利になるとは思わなかったぜ」
「お前こそやってくれたな。まさかカイリキーが『あまごい』を使うとはな、俺の計算の外だった」
「本当はこの後でトドゼルガに交代するつもりだったが、まあ結果こうなっちまったもんは仕方ない。っは、良い勝負だったぜ」
「お前こそ不得意タイプ相手によくやった方だな。だが、次は絶対に叩き潰す」
「やって見やがれバーカ」
笑いながら暴言を吐くカズハが右の拳を前に出し、そっぽを向きながら鼻で笑うシグレが左の拳を出し、互いに軽くぶつけてから互いに反対の道を進む。
大量の歓声に見送られながら二人はそれぞれの出入り口から出て行き、司会者がそれを確認してから次の予定を急いで確認。
『両者の友情に私も胸が熱くなりました! 次の試合はシードのリア選手と第一試合勝者であるアスカ選手による試合です! 開始は十分後、皆様楽しみにお待ちください!』
激しい風が旗を靡かせるドーム上部にあるテラス、タマムシシティの街並みを見ながらポケギアを手に持つ男は、飄々とした表情でただ相手と会話を進める。
『どうやら一回戦が終わったみたいね。放送室、電力室、電子制御室、会場の各所の配置は既に整ったらしいわ』
「よし、後は全てが終わるまで待てばいい。余計なことはするな、A8からA10には特に団員の制御を徹底させろ。余計な動きを察知され、手を打たれては詰まらん」
『了解。それじゃあ、私はここで待たしてもらうわ』
「……なぁA7、お前はこの作戦に、何を期待している」
『なぁに今さら。ロケット団の復活、サカキ様の復帰、そして世界を影から支配すること……それ以外ないでしょう。貴方は違うのかしら』
「さぁな……すまない、もう一つ用事が増えた。今一度、お前にもう少し働いてもらおう」
ドーム上部にあるテラスの入り口の横の壁に張り付いているマリンはギリギリまで姿を見せないようにしながら、柵に肘をついて会話をする男を見る。
会話の内容が全て聞こえるわけでは無いがその男が醸し出す雰囲気、所々聞こえるワードに、不穏なものを感じずにはいられない。
「何であいつがここに……」
相変わらずポケギア相手に会話をする男から目を放し、マリンは急いで自分のポケギアを取り出して警察の番号を入力する。
――マズイ、この雰囲気はまずい。早くしないと
「何をしている。そんなところでこそこそと」
「ッ!?」
まるで瞬間移動でもしたかのように突如として後ろに現れた男に、マリンは心臓が止まるほどの衝撃と共に手に持っていたポケギアを蹴り飛ばされる。
一歩後ろに下がると同時にポケットに手を伸ばし、ボールを手に……できない。
チャンピオンリーグでは敗者は念のためにポケモンを全て医療室に預けて治療を受けさせ、閉会式と同時に返却されるのだ。
その既成事実を思い出すと同時にマリンは一つの思考に至り、歯を噛み締めて目の前の男を睨み付ける。
「まさか、この大会がそもそも!?」
「便乗させてもらったのさ、これほど都合の良い場所もなかなか無かったからな。そのルール、不自然だと思わなかったのか? 何故『傷付いて無いポケモンまで預ける』必要がある? 全く、やりやすくなる」
男の悪魔のような、しかしその余裕の表情からは笑み一つ零れず、背中に強烈な寒気を感じたマリンは一気に踵を返す。
だがそれよりも早く男が一瞬にしてマリンの横に飛び込むと、初めて小さな笑みを浮かべた。
「殺しはしない。喜べ、お前は安全圏だ」
言葉と同時に男の拳がマリンの右脇腹を捉え、彼女の体が地面から浮かび上がり階段へ向かって一直線に吹き飛ばされる。
右手を伸ばすが男の右手の甲を僅かに引っ掻いただけで終わり、彼女の体が怪談の角に叩きつけられ、さらに何度も何度も転がりながら、最終的に下の階の扉にぶつかって止まった。
死んではいないものの完全に意識を失っており、むしろこれだけ豪快に転がり落ちて大きな傷が見られないのは奇跡的と言って良い。
男は階段をゆっくりとした足取りで下りて行き、倒れているマリンを持ち上げて背負い、そのまま廊下を歩き出す。
「悪く思うな。そこにいたお前が悪い」