第六話
激しいバトルが行われているのかドーム全体がどよめき、まるで小さな地震に見舞われているような感じすらした。
そんなドームの中の一室、清潔感溢れる真っ白な空間に真っ白なカーテン、さらにいくつも配置されたベッドがそこを医務室だとすぐに推測させる。
ナース服に身を包む女性は艶美な両足を机の上に載せながら左手に手鏡を持ち、右手に口紅を持ってメイクに余念が無い。
口紅を塗っている女性の胸ポケットから突然小さな音が鳴り響き、化粧を中断されたことに少々不機嫌そうな表情を浮かべながら、女性はポケギアを取り出す。
名前の欄には『A1』とだけ表示されており、これが名前で無くコードネームのようなものを指しているのは明らかだ。
『よぅ、そっちは暇人みたいだなA7』
「A1、そっちの首尾は?」
『少しはコミュニケーション取ること覚えろよ。化粧し過ぎんとババァになった時苦労すんぞ』
「ぶっ殺すわよ」
『おー怖い怖い』
「で、連絡の内容は?」
不機嫌に苛立ちもプラスされ、爪先で何度も地面を叩きながら女性が問い掛ける。
『こっちの制圧は完了した。あとはA3からA6達がそれぞれ制圧し終われば……何時でも行けるぜ』
「だが開始のタイミングはまだよ。A0の指示があるまで動かないこと」
『……正直、俺あいつ気にくわねーんだけど。隣の馬鹿はお気に入りらしいが』
「A2が? でも、実力はある。何よりここまで組織を再生したのは、奴の手腕だと認めざるを得ないわ」
『そりゃ分ってるさ、だが気にくわないもんは気にくわないんだ。どうだ? この作戦が終わってボスが戻って来たら、奴を消すってのは』
「無理よ。私たちが束になって掛かったって勝てる気がしない。いいえ、実力だけなら奴はボスより遥かに強い。これは事実。そのカリスマ性だって、ボスに勝るとも劣らない。私たちには、相手にできるレベルの奴じゃないわ」
『そうかい、まあいいや。兎に角この計画、失敗は許されない』
「えぇ。もし暇なら、他のところの制圧でも手伝ってあげればどうかしら?」
『無理無理。俺らは自己中過ぎるから決まったパートナー以外との協力プレイなんて無い無い』
「そう。じゃあ、精々しくらないでね」
『お前もな』
ポケギアの電源が切れたことを確認し、A7と呼ばれた女性はそれをポケットに戻す。
バトルドーム全体を揺るがす騒音などまるで気に無いで、彼女は再び手鏡を右手に化粧をし始めた。
池に陣を構えながら念力系の攻撃で遠目から攻撃するゴルダックに対し、アリアドスは森の中から糸による奇襲を繰り返している。
毒タイプ持つ以上、エスパータイプの技も使って来る敵に対して正面から堂々と挑むのは分が悪い。
さらにゴルダックはアリアドスが苦手とするエスパー技の攻撃を使用するにもかかわらず、本体は水タイプのみしか持っていないため、虫タイプの攻撃は大ダメージは期待できない。
現状、木の影からゴルダックに糸に毒を塗ったり『ミサイルばり』での遠距離攻撃を繰り出すが、尽く回避されてしまった。
むしろゴルダックは『サイコキネシス』を広範囲に広げ、威力よりも蓄積ダメージを狙っている。
このままではアリアドスが先に力尽きる――静かに、だが互いに細心の注意を払いながらの攻防に、観客も緊張が絶えない。
アリアドスでは辛い。だがタタのもう一匹の手持ちであるフローゼルでは水タイプのスペシャリスト、マリンには熟練度的に不利。
タタは唇の端を僅かに舐めると、池の対岸で両腕を組んでいるマリンに大声で話しかける。
一つだけ、相手が素直に答えるか分からないが、確認する必要があった。
「かなり不毛な攻防が続いてるけど、さっきみたいに大胆な技で辺りをふっ飛ばさないのかしら?」
「あらなに、環境破壊されるのが望みなのかしら」
「そうじゃないけど……貴方みたいな大胆な攻め方を好みそうな人が、こんなチマチマした戦法を取るのが不思議でね」
「ふふーん、そうやって私を森の中に引っ張りたいのかしら? いやー、むしろこっちの戦力分析ってところかしらねー。わっかりやす」
「っぐ……可愛げの無い」
「でもまぁいいわ、この優しい優しいマリンさんが教えてあげる。『ハイドロカン』を使えるのは残念ながらカメックスだけよ。尤も、あんなのに頼らなくても私の本気は凄まじいけどねー」
「その本気を見せないでこんな不毛な戦いを続けるなんて、時間の無駄だと思わないのかしらね」
「そうね、確かに飽きて来た感じはするわ。ところでこんな会話をしてるうちに、変化があること気付いてる?」
えっ?――タタが湖に浮かぶゴルダックを良く見ると、瞳を閉じて何かに集中しているように見える。
この間ゴルダックは攻撃して無く、ただアリアドスの攻撃をマリンの指示に従ってギリギリのラインで避けていただけ。
何かが来る……その予感をタタが感じるより早く、ゴルダックの瞳が見開かれた。
「森ぐらいなら軽く飲み込むわよ……『なみのり』!」
水面から飛び出したゴルダックは再び池の中にダイヴし、その飛び込んだ場所を中心に大きく湖が渦を巻く。
同時にその回転力はやがて収束すると外部に向き、アリアドスがいるであろう方向に多少の広さを持たせ、激流となって襲い掛かる。
「『めいそう』……補助効果ね!」
「御名答。アリアドスだろうとポケモンを取り変えようと、この技を喰らって無事なわけがな――」
「分かりやすい。まんまと掛かってくれるなんて」
「なんですって?」
巨大な津波がタタとアリアドスを飲み込まんとする勢いで迫り、会場はトレーナーにも攻撃が行きそうになったことでどよめいた。
基本的にこのような特殊なバトルフィールドでトレーナーが攻撃に巻き込まれても、それは事故として処理される。
仮にここでタタがマリンの攻撃に巻き込まれても、それは彼女の状況判断能力が悪かったとされるだけ。
津波が森を飲み込む……だが巨大な水の壁が森に迫るより早く、突如として発生した巨大な爆音と共に、水が全てその場で蒸発する。
池の水を全て注ぎ込んだ巨大な『なみのり』が、謎の蒸発。
あまりに突然の事態に処理が追い付かないマリンはただ呆然とし、降り注ぐ水の中に佇む一体のポケモンの姿を凝視する。
巨大な胴体に両肩から立ち昇る業火、さらに大砲のように太い両腕を持つポケモン――ブーバーンだ。
確かにブーバーンは炎タイプの中でも屈指の火力を誇るポケモンで、広範囲に波乗りを広げてしまった分その火力で多少なら蒸発させられることも考えられる。
だが、解せない。
「いくらブーバーンだからって、あり得ない。私のゴルダックの『なみのり』を蒸発させるなんて」
「貴方はさっき私の質問に答えてくれたから、教えてあげる」
唖然とするマリンを前に、ブーバーンがゴルダックに向けて腕を向ける。
「貴方の言う通り、普通ならいくらブーバーンでも『なみのり』に負けて私の負けだったわ」
その手に宿る炎が強さを増していき、既に攻撃の準備が完了しつつある。
「でも貴方の放った波乗りには、一つだけ燃える要素が含まれていたの」
「そりゃ、水素は爆発するけど……電気分解してな――」
「違うわ。先ほどまでの不毛なやり取り。その結果辺りに飛散した、私が事前に巻いておいた種……それが芽生えて、花となった」
「……糸!?」
「そう、アリアドスの糸。しかもその糸はとても上質な繊維で空気が浸透しやすく、燃えやすいようにしておいた。さらに表面の密度を上げることで中に水が浸透せず、炎の伝導率を上げる」
ブーバーンの攻撃の準備が完了し、ようやくその愚鈍なモーションに気付いたマリンは、水がほとんど無くなったフィールドに立っているゴルダックを見る。
その周りにもまだ大量にアリアドスの糸が残っており、タタが二回両手を叩く。
「はいはい。ではこれにて、大木一本吹っ飛ばした分の報いを受けてもらおうかしら」
「ゴルダック! そこから離れ……間に合わない! っち、『ハイドロポンプ』!」
「ごめんなさいね。それも間に合わない」
マリンの指示とほぼ同時のタイミングで放たれた巨大な『かえんほうしゃ』はゴルダックが放った『ハイドロポンプ』ではなく、地面に大量に伸びているアリアドスの糸の一端に直撃する。
あっと言う前に燃え盛る炎がゴルダック全体を包み込むと同時に『ハイドロポンプ』がブーバーンに直撃するがその巨体は倒れず、さらに追撃と言わんばかりにブーバーンがゴルダックのいる場所に右手を向けた。
その動作を見たマリンは慌ててモンスターボールを右手に掴むが、近くの糸に引火した炎が小さな爆発染みた巨大な炎を起こし、その動きが硬直。
「もー何でこんなタイミングで!?」
「自然が私に勝てって微笑んでるのかしらね。フィールドがもっと水で満ちてたら、私が負けてたかもね」
「そんな仮定、勝ってからいいなさいってのよ!」
「そのつもりよ。ブーバーン、終わらせてあげよう。炎に苦しむ、あのポケモンを」
タタの指を鳴らす合図と共にブーバーンの腕から巨大なエネルギーの塊が放たれ、それは一直線に、業火の中で苦しむゴルダックへと直撃する。
強烈な『はかいこうせん』による爆発に吹き飛ばされたゴルダックは遠方まで吹き飛び、更なる爆発で空気中の酸素が一気に無くなり、広がっていた炎が一気に収束。
振り返ったマリンはゴルダックのもとへ駆け寄る。倒れているゴルダックは既に戦闘不能になっており、指一本動かすのがやっとの状態だ。
終わった――タタがほっと胸を撫で下ろした瞬間、彼女の前方に居た巨体が僅かにふらつき、片膝と右手を地面についた状態で何とか体勢を立て直す。
慌てたタタがブーバーンに駆け寄ると、後姿では分かり辛かったが、ブーバーンは若干苦しげな表情を浮かべている。
喰らった攻撃は威力が弱体化していた『ハイドロポンプ』ただ一発……そのただ一発にも拘らず、ブーバーンにそれ相応のダメージを与えていた。
もし『かえんほうしゃ』を放つのがもう少し遅く、完全な状態で攻撃を喰らっていたら――その一発でKO負けもあり得た状況に、タタは息を飲む。
「……ったく、恐ろしい子ね。さすがは過去カントーで三強と言われていたってところかしら」
苦笑したタタは倒れたゴルダックをボールに戻し、溜息と共に項垂れていたマリンに元へ歩み寄る。
背後から迫って来る足音にマリンは気だるそうに反応し、手を差し伸べるタタを見て目を細めた。
「何よ」
「見て分からない?」
「……はぁー私としたことが、三強なんて偉そうに粋がっておいて、あの二人どころか造園師にすら勝てないなんて」
「接戦だったじゃない。正直、今回はこのフィールドが味方してくれた節が大きいわ」
「別にフィールドのせいで負けたなんて負け惜しみ言うつもりはないわよ。ただこのテレビ見て、レッドとグリーンの奴はどう思ってんのかなーって思って」
「知り合い?」
「いや、いつか私の手で完膚なきまでに倒すべき存在。まぁ、ライバルってのかな」
「ボーイフレンドがいるだけ良いじゃない。私なんて……はぁー」
「どしたの?」
「何でも無い! ほら、さっさと控室に戻るわよ!」
「うわっ!? ちょ、引っ張らないでよー!」
倒れていたマリンの手を強引に掴んだタタは何故か半ばやけくそ気味に歩き出し、大歓声の会場を後にする。
『白熱のバトルでした! そして試合終了後、両者共に健闘を讃え合うかのように退場して行きます! 友情を感じます!』
「ちょっと待てー! この拉致のような力技のどこに『友情』があるのよ!? って、痛い痛い痛い放してー!」
『さて、次のバトルはジョウト代表のシリュウ選手とシンオウ代表のヨウタ選手です。バトルは休憩を挟んだ十分後、次はどのような試合が行われるのでしょうか!?』
「えっ、師匠がいない?」
会場の怒号による地鳴りをその身に感じる選手控室で、アスカは気の抜けた声でそう聞き返した。
小型カメラを持ったスミレは不安そうにアスカの問いに頷き、困った様に頬を掻く。
「そうなの。最初の試合前の心境を聞いておきたかったのだけれど、ヨウタ選手の後にって思ったらいつの間にかいなくて」
「うーんトイレかなー。いやでも師匠って試合前は基本的に精神統一してその場から動かないものなのに……いやでも、もしかしてこのパターンは……」
「な、何か心当たりがあるんですか?」
「まさか、師匠……なんてこと、だからあれほどするなって私は言っておいたのに!」
アスカはまるで中に入るなと忠告した我が子どもがそれを無視して看板を素通りした場所を目撃したように怒鳴り、それと同時に控室から飛び出す。
向かう先は決まっているらしく後ろから根性で付いて来るスミレだが、アスカの足の速さに既に息が上がっている。カメラなど回している暇はない。
「ア、アスカさん……ま、待って下さい!……ど、どこに行くんですかー!?」
「医務室!」
「シリュウさんは……はぁ、はぁ……じ、持病か何かお持ちなんですか?」
「違うわよ。もーあの人の趣味なの、『アレ』は!」
「『アレ』って……はぁ、何ですかー!?」
「献血!」
「……は、はへえええ!?」
あまりに予想外の原因にスミレは一気に力が抜け、アスカはそんな彼女を置いて医務室に急ぐ。