第五話
フィールドでは池の近くに陣を構えるマリンが、ただただ周囲を取り囲む木々を眺めている。
周辺は背の高い草で覆われているため観客席からはまだ全体の様子が見えるが、マリンの視線だと大部分が草木に覆われていて状況が分かりにくい。
分かることは着実にタタが有利なフィールドを増やし、徐々にマリンを周りから追い詰めていること。
アリアドスを使っている時点で森のフィールドは完全にタタに地の利をもたらしている。池の近くで無ければ、まともに戦っても相手の思う壺。
だからと言って待ち続けるのは性に合わないし、何より相手は絶対に水から攻めて来ることは無い。
観客や観戦室、モニター越しからは分からない感覚。フィールドに立つ者のみが互いに感じることができる、相手の気配。
先に動くのは自分――正確には既に動かされているのかもしれない。だがマリンとしては、そう思うのは癪だった。
「私だって好きで自然破壊するわけじゃないけど、人が改造する自然ってのは馴染まないのよねー」
「それは貴方が人為的に作られた自然しか知らないからよ。自然と調和した人のフィールド……それは自然に、人間が解明したアルゴリズムと効果を与えるの」
「残念だけど小難しいこと考えるのは好きじゃないのよ。隠れながら会話も疲れるでしょ、取っ払ってあげる。カメックス!」
木々の間から響く声の音源を指差し、マリンの指示と同時に池の中からカメックスが這い上がる。
スローな動作でしっかりと地面に足を食い込ませ、踏ん張りを利かせたカメックスの甲羅から二つの砲台が姿を現した。
本来ならもっと素早く行う動作だが幸いに相手は待ちに徹している。ならばリズミカルな戦いよりも十分に準備をして、次の攻撃へ繋げることができる。
誰もが考えていたのはマリンもタタも、自分に有利なフィールドで戦うことを望んでいると考えていたこと。
しかし実際は違っている。そもそもマリンは待つ気など毛頭に無いのだ、池に来たのも、徹底的に攻撃する水を補給するため。
「面倒だから一発目から行っちゃおうか。カメックス、ハイドロカノン!」
最大まで膨張した甲羅に蓄えられていた水、まるでダイナマイトが爆発したような爆音と共に、二つの砲台から激流となって放たれる。
恐らくはマリンのバトル経験上、最大まで溜めたハイドロカノンを放ったのはこれが初めて。
空気を、大気を震わせ放たれた水のミサイルは正面に構えていた大木に直撃し、その大木を根元から抉り、遠方にまで吹き飛ばす。
観客席の近くまで吹き飛んだ大木は他の木々と擦れ合いながら禍々しい音を立てて地面に落ち、バトルフィールドには大量の葉と砂の嵐に。
木の陰に潜んでいたタタは苦笑しながらその姿を現し、びしょ濡れになった状態の彼女に、マリンは笑いながら手を振る。
「アリアドスの姿見えないようだけど……ハァーイ、ご機嫌いかがー?」
「ちょっ……なんて危険な技使うのよ! 一歩間違えてたらアレ私直撃して病院送りどころか霊柩車呼ばれてたじゃない!?」
「バトル中の事故なんて良くあることじゃない。カメックス、一旦池に戻――」
「そうさせると思うかしら?」
青褪めていたタタの表情に余裕が戻り、同時にカメックスの動きが鈍いことにマリンはすぐ気付いた。
先ほど放ったハイドロカノンは水系最強の威力を持つ大技なだけに確かにその反動はでかい。だがカメックスの動きの鈍さは、それだけではない。
素早く池の水を掬ったマリンはそれをカメックスに向けて撒き散らし、同時に水の動きが妙に変則的なことを一瞬で見切る。
空中に留まった小さな水は今にも垂れそうな雫となり、それはゆっくりゆっくりと、カメックスの方へ。
見えないほど、だがカメックスの動きを縛るほどの強固な糸。目を凝らして見てみると、幾重にも巻き付いた糸がカメックスを縛り付けていた。
幾重にも伸びている糸の中の一本、その先には木の陰から様子を窺うアリアドスがさらに大量の糸で作った巣の中に身を隠している。
短時間に作ったにしては異常なほど精密な巣……アリアドスは口から紫色の液体を出すと糸にゆっくりとたらし、その液体は糸を伝いカメックスへと襲撃。
一連の動作には恐らく十秒もかかっていない。反動もあり動けないカメックスにマリンが水を掛けたときには、既に毒は流れていたのだ。
「さて、大木一つ吹き飛ばした代償ぐらいは取ってもらわないとね」
「抜け出せば良いだけよ。カメックス、高速ス……カメックス?」
様子が可笑しい。確かに束縛された状態だが、ここまで異様に苦しむほどの拘束力は無いはず。
原因は別――マリンは一本の糸から流れて来る僅かな液体に気付くと、それがカメックスの体に微量だが確実に注がれているのを見た。
強力な毒。完全に先手を取られたマリンは舌打ちし、だが冷静に作戦を考える。
「どくどくか、陰湿な攻撃するわね。カメックス、高速スピン」
先ほどの攻撃の反動も無くなり、毒で苦しんではいるが動けないほどではない。まずはこの糸から抜け出すことが第一目標。
砲台のうち一つを閉じ、もう一つの砲台から放たれた大量の水はカメックスの体を激しく回転させ、身体中を覆っていた大量の糸を一気に引き千切る。
運がよければアリアドスを引っ張り出せる――だがマリンの予想通り、アリアドスはカメックスに引っ張られるより早く、自身の糸を切った。
時間が経てば経つほどカメックスは不利になる。しかしあえて交換せず、マリンはカメックスへの指示を続ける。
本来なら交換すべき場所で攻撃の指示。マリンが交代するであろう前提で行動を考えていたタタの表情が若干曇り、アリアドスにハンドシグナルを送る。
離れたポケモンに指示を送るにはいくつか方法があるが、タタが主に使うのはどうやらハンドシグナル、つまり手を動かして送る指示。
「悠長に手で指示送る暇なんて無いわよ! カメックス、猪口才な巣ごと凍らせちゃいなさい!」
「むっ、少しまずいかしら……」
毒は体力を蝕むものであって技の威力を下げるものではない。つまり、弱点タイプの攻撃を受ければ、このレベルの大会ならほぼ一撃二撃の世界だ。
さらにマリンはアリアドスの正確な位置を掴んで来た。アリアドス素早く木々を移動するより早く、カメックスの開かれた口から冷気の光線が一直線に巣の場所を襲撃する。
巣に利用していた大木が一本丸々頭から根まで完全に氷漬けになるなか、アリアドスが別の木から何とか逃げ出したかのように落下。
再び放たれた冷凍ビームをアリアドスは別の木に糸を伸ばし、それを手繰ることで何とか回避する。
姿が見えてしまうと攻撃力では圧倒的に不利。そもそもマリンのかメックスは攻撃力がその辺のポケモンとは比較にならない。
凍りついた大木と地面の範囲を見たタタは息を呑み、時折アリアドスが放つ糸も、さすがに二度目以降は水流で迎撃される。
「姿が見えちゃえばなんてことないわね。逃げてばかり無いで少しは反撃でもして来たらー?」
「ハイドロカノンと言い冷凍ビームと言い馬鹿みたいな威力ね。さすがはかつてカントーでも三強と呼ばれたってとこかしら」
タタの額から一筋の汗が流れ、アリアドスが彼女の目の前に何とか帰還する。
同時にマリンは不敵な笑みを浮かべつつも、腰のボールへゆっくりと手を伸ばす。
「かつてじゃないわ、現在進行形のつもりよ。いつかあいつらを見返してやりたくってね、だから……貴方はここで敗れるのよ!」
「来る!……違う!? アリアドス、くもの――」
「はい残念でした」
一瞬の硬直――タタの動きが僅かに止まった瞬間にマリンはボールをカメックスに向け、褐色の光がその巨体を小さなボールに収める。
それと同時にアリアドスの尻尾から放たれた大量の糸が宙を舞い、先ほどまでカメックスがいた場所を糸で覆い尽くした。
如何にも攻めるかのように見せかけておきながらのポケモンの交換。右手に持っていたボールを腰に戻し、同時に左手に持っていたボールを池に向かって投球。
光の先に現れた人型のようなポケモン――ゴルダックは素早く水中に潜ると、アリアドスの糸が届かないギリギリの範囲に先手を打って回避する。
「やってくれるわね。やっぱりここに来ると、その辺のトレーナーのように行かないわ」
「当たり前でしょ。何よりあんたの相手はこの私よ、勝てる奴なんていないのよ!」