第三話
ムクホークからバクフーンへとチェンジし、アスカの表情にも若干ながら余裕が戻って来た。
先刻の高速移動の効果があってもまだ若干ながらバクフーンの方が俊敏性は高く、相手の攻撃を紙一重のタイミングで回避することができる。
グラフィックで作られた草原はリアルにも燃えたり潰れたり、実際に起きるであろう効果がそのまま再現されるほどのリアリティ。
バクフーンなら遠距離から炎による攻撃での牽制、さらに無理やり接近してきてもすれ違いにカウンターも期待できる。
トレーナーとポケモンの位置が目まぐるしく変化し、如何に自分に取って有利な場所を取るかの高度な読み合いも行われているのだ。
強大な敵に対する基本的な戦術であるヒットアンドアウェイ――素早さを活かすアスナの戦術に、アダムは無表情に徹する。
「――フン。メタグロス、初心に帰るぞ。自分に有利な状況は作るものだ。自然の中、人が自然に適応するように」
「チャンス! 行きなさいルーシー、炎の渦!」
アダムの集中の一瞬の隙を突き、バクフーンの背中から延びる炎が辺り一面に広がる。
だがただ広がるわけではない。メタグロスとバクフーンを包むように、薄い炎の膜がサークル上に広がるのだ。
表情には浮かべないものの、アダムとしてはこの攻撃はかなり状況を不利にする。
この炎の渦が引くまでに勝負が決まる可能性は、恐らくだが極めて高い。
本当なら初心に帰った自分として、アダムはポケモンを交換するつもりでいた。
その間隙を突かれた。これからの行動を先読みされたわけではない……いや、定石通りだからこそ、先読みされた可能性なら十分にある。
兎にも角にも、メタグロスでこの状況を乗り切る以外に道は無い。
「先を読まれてうろうろしてるって感じねー」
「――フン。こんな程度でうろたえるのはお前みたいな半人前だけだ」
「残念だけど今の私に挑発は効かない。ルーシー、燃えるわよ!」
背中に灯る炎がさらに龍のように高く舞い上がり、同時に駆け出したバクフーンの体を炎が包み込む。
だがアダムの指示無くメタグロスはその右手を大きく振り上げると、渾身の力を込めて鬱蒼と草が茂る大地に叩きつけた。
爆音、そして振動。フィールド付近だけで無く会場全体が激しく揺れ、観客の熱い声に悲鳴が若干混じる。
もしあのような力で殴られようものなら既にそれは一撃必殺の領域だと断ずるのに、誰一人否定はしない。
足を取られて転ぶアスカとは違いバクフーンは大きく跳躍することでそれを回避し、メタグロス目掛けて炎の矢となり突進する。
それを見てアダムはほくそ笑む。そう、逃げられないようにすることが重要だった。
「そうだメタグロス。奴はもう逃げられん、アームハンマーだ!」
――できれば高速移動したかったが、その余裕はなさそうだな
迫り来るバクフーンに対抗するべくメタグロスは右腕を残した四肢を地面にしっかりと打ちつけ固定し、右手に力を集中。
振動が収まりようやく立ち上がったアスカは目の前の現状に絶対的な不利を感じながらも、心の中では緊張と共に確信した。
理由は分からないが相性的に絶対不利なメタグロスをアダムは引っ込めず、正面からの勝負にこだわろうとする。
戦う前にシリュウに言われた言葉、相手の方が若干強い――だが現実の攻撃力を見る限り、若干どころかかなりの差がある様に周りには見えても不思議ではない。
だがそれでも、アスカが勝てる可能性がある。シリュウが示したその光を、アスカは深呼吸と共に手に掴む。
――まともにぶつかれば相性が良くてもこっちが負ける……なら!
「ルーシー! 惑わせよう、影分身!」
「二度も同じ手を食うと思うか! 地面を見ればどれが本物かぐらいすぐ――ん、これは」
炎に包まれたバクフーンの姿が左右に分身するその段階で、アダムはその下の地面を見るが、その表情が若干強張る。
大量に渦巻く炎の揺らぎにより地面に移された影は激しく左右に伸びて渦巻いており、一概にどのバクフーンの下に影が出来ているのが全く分からない状況になっている。
心で動揺したのかどうかは定かではないが、アダムは特に表情に焦りを出すわけでもなく、ゆっくりと瞳を閉じる。
影分身に作られたものには熱量は存在しない。感じる熱さは本体のみが有する、渦巻く炎だ。
最大まで研ぎ澄まされた感覚をさらに研ぎ澄まし、右方から感じる熱、さらに何か小さな音がしたが、観客の声援に掻き消される。
ゆっくりと、だが確実に間に合うタイミングで目を開き、アダムは不敵に微笑んだ。
「――フン、それなりに考えたようだがやはりその程度。一番右だ!」
「嘘、バレた!? ルーシー、中止し――」
アスカが急いで指示を出すよりも早くメタグロスは握った拳を振り抜き、完全にスピードが乗ったところでバクフーンの攻撃と激突。
激しい爆発のような音と共にバクフーンの体が地面を抉りながら後退、バクフーンを纏っていた炎が消え去り吹き飛ばされた。
それと同時に残りの影分身が全て消滅し、小さく息をついたアダムはしかし未だに止まない歓声に心のどこかで消えないわだかまりを覚える。
確かに仕留めるには仕留めた。だがそれだけではない気がする。それにアスカだが、バクフーンに駆け寄らない。
さらになぜかアスカは上着を着ていない。最も、ただ熱くなってその辺に放り投げただけだろうから、それはどうでも良いのだ。
何かを見落としたのか?――メタグロスは確かにダメージを負っている。ならば今倒したのは間違いなく影分身ではない。
影分身ではない。では別の何か。そして一つの不確定事項が脳裏をよぎる。
完成に掻き消されるほど小さな音……同時にメタグロスの背中に揺れ動く小さな陰に、アダムは素早くそれの正体を見上げた。
「気付かれた! でももう遅い。ルーシー! 燃やしつくせ!」
「――フン、先ほどと今とでは状況が違う。メタグロス、サイコキネシス」
バクフーンが炎を吐き出すより早く、上空を睨みつけたメタグロスの眼が不気味に光輝く。
確かに先ほどとは違う。バクフーンを護るための炎は展開しておらず、身代わりを使ったことで自ら体力を大きく削っている。
ならば一撃必殺に拘るまでも無く、確実に上空で仕留めてしまう方が良い。
元来ならアダムは、メタグロスの苦手な遠距離攻撃による勝利を好まず、正面から戦う戦術を好む。
だがそれを一時放棄してでも、再び何か仕掛けて来るであろうアスカの接近を恐れた。
放たれた念波は確実にバクフーンを捉え、対象と攻撃が交わると同時に――バクフーンが消える。
影分身だと――アダムの疑問を余所に消えた相手を通り抜けた念波は進み続け、空中を漂っていた何かにぶつかり、弾き飛ばす。
「上着?……そうか! メタグロ――」
アダムが指示を出すよりも早くメタグロスの真下の地面が盛り上がり、破裂と同時にメタグロスの巨体が宙に舞い上がる。
それと追うように地面から突進して来たバクフーンが真横にぴったりと付き、背中の炎が激しく爆発する。
「こちらの方が確実に速い! ルーシー、火焔車!」
「その油断が命取りだ。バレットパンチ」
バランスを崩した状態にも拘らずメタグロスは一本の脚を正確に振るい、バクフーンの背中を殴りつける。
だが相性が悪い上に致命傷を受けた後の攻撃では逆転の決め手にはならず、最大級の炎に包まれたバクフーンが、自分を殴ったメタグロスの腕を足場にして加速。
いくら物理的な防御力が最強ランクであっても既に弱点タイプの攻撃を受けた体を支えることはできず、激突と同時にメタグロスの巨体が地面に墜落する。
前半からの苦戦を帳消しにするタクティクス。観客は一瞬静まり返っていたが、すぐに息を吹き返し、声援が会場を揺るがした。
『決まりました! アスカ選手のバクフーン、火焔車によって堂々の勝利!』
巨大ディスプレイにも勝利者としてアスカの名前が表示され、炎の渦がその効果を失い消えた。
地面に倒れるメタグロスをボールに戻し、バクフーンに抱き付くアスカに、アダムが落ちてた上着を拾って近づく。
その手に持つ上着をアスカに放り投げ、右手を伸ばして互いに握り合う。
「――フン、まさか負けるとは思わなかった。途中で聞こえた小さな音、バクフーンが向かったのは地面だったのか」
「貴方が目を瞑ってる隙にちょっと細工させてもらった。正直、こうでもしないと勝てないと思って。と言うか、音って?」
「影分身を蹴って本体が地面に向かったんだろ? その時の跳躍音だ」
「……貴方、聴力どれぐらい?」
「さーな、測ったことは無い」
「正直、一匹のみの勝利じゃなかった、私は勝てなかったかもしれない。貴方がこの後出すポケモンにもよるだろうけど、多分。そんな予感がする」
「良い読みだ。俺は後ろにルンパッパとフライゴンが備えていた。どっちだろうとバクフーンとの相性は良かった。途中炎の渦を張ったな、あれは定石を封じた良い手段だった」
「へー褒めることもできるんだ」
「重要なのは初心と定石だ。型破りは定石を知って生まれる。将来大きくなりたいなら、さらに定石を知ることだな」
握手を解いたアダムは踵を返し、立ち去る彼を見ながらアスカは小さく笑う。
本当に耳が良いらしくそんな小さな笑い声に反応し、アダムは足を止め、首だけ動かしてアスカを見た。
「何がおかしい」
「いや、途中でも思ったけど……貴方、言うことが師匠に似てるから」
「――フン、そりゃどうも」
特に嬉しくもなんともないらしく、アダムは黙って出口へと歩を進める。
最後まで特に感情を表に出すことは無く、彼が何を考えているか……九割以上、アスカにはそれが分からない。
だが一つだけ分かる。良い勝負が出来たことに、負けたことに対する負の感情は、彼には無い。
『さー熱い勝負を見せてもらって心が熱くなってまいりました。会場も熱いです! さて、次の勝負は!?』
司会の激しい声と共に、ディスプレイに再び二人の選手の名前が映し出された。
選手控室では既に次の対戦相手を知っている者同士が睨み合っており、控室の小型ディスプレイに名前が表示される。
『第二回戦! シンオウ地方代表タタ選手! 対するは、カントー地方代表のマリン選手!』
「一回戦、思った以上に平凡だったわねー。そして私の相手はなんか変な格好してるし……まぁいい、ぶっ潰してやるわ」
「変な格好ではないわ、造園師よ。それよりも私、実はある種のトレーナーがあまり好きじゃないの」
「ふーん、別に私の知ったことじゃないわね。でもまー言いたそうだし聞いてあげる、どんな奴?」
「自分勝手で、綺麗な庭や森で気にせずバトルして破壊する人たち……特に、野蛮そうな人が」
「あらあら、私は常に清廉潔白で御淑やかよ。野蛮なバトルはしないし綺麗な園を破壊するようなことしないわよー」
「そう。でも何ででしょうね、その言葉が信用できないわ」
「ならしなきゃいいでしょ。妙に突っかかって来るのね、若さへのジェラシーってやつ?」
激しく視線で火花を散らす二人に、横で見ていたリアは小さく溜息をつく。
「理由はどうあれ、皆さん燃えているんですね。タタさん対マリンさん、シリュウさんはど……あれ、シリュウさん?」
控室の激しい様子を撮影しながら横に居たはずのシリュウに声をかけるも、スミレの問いに返答は無い。
見れば控室にシリュウの姿は無く、何時の間に消えたのか、スミレは首を傾げる。
会場を覆い尽くす歓声とは無縁なほど静かな、だが若干ながら襲い掛かって来た振動に、その人物はバトルが終わったことを悟った。
手に持ったポケギアからは「どうしたの?」っと無感情な声が質問し、その人物は少しだけ笑って答える。
「バトルが終わった。それより、そっちの首尾は?」
『順調、既に会場の方は配置も終わってる。貴方が計画した通りにね』
「よし。引き続き、極秘に……」
『分かってる。貴方の方こそ、精々正体がばれないように気をつけてね。全ては、我らがボスの為に』
「分かっている。偉大なる、ロケット団の為に」
通信が切れるとともに暗がりを照らしていたポケギアの光が消え、薄暗い空間はさらに薄暗く闇に染まって行く。
「偉大なるボス、偉大なるロケット団……か。そんなものは……どうでもいいんだよ」
入口から差し込む小さな光を頼りにその人影は扉へと近づき、ゆっくりとドアノブを引いて息を潜める。
顔を少しだけ出して左右の通路を確認し、誰も来ないことを確認してから廊下に出て、ゆっくりと扉を閉めた。
「全ては、家族の……一族のために!」