第二十五話
会場全体はまだ激しいバトルが各所で繰り広げられているが、全体的に見れば徐々に大会参加者やワタルの手によって収束の勢いに向かっている。
中央での戦いは完全にアスカが押される形で繰り広げられており、ムクホークの影分身による必死の抵抗も空しく敗れ去り、相性的に勝っていたラプラスだが、機動力が足りずにあっさりと敗れ去った。
残っているのはバクフーンのみであり、アスカは額から流れる汗が酷くドロドロしているように感じ、グローブで拭い去るもまたすぐに流れて来て止まる気配がない。
アスカのバクフーンとシリュウのボスゴドラでは圧倒的なレベル差があり過ぎるため、正面からただ単純に戦っても到底勝てるわけは無く、作戦による小細工が必要になる。
だがその作戦を考える時間も余裕も今のアスカには圧倒的に欠けているのは火を見るより明らかであり、この戦いの中で、直感的に考えなければいけない。
「頭で考えるだけ考えて、結局無駄な時間を過ごす。それほど愚かなことは無いな」
「そんなこと、言われる筋合いはない!」
「いいや、あるな。確かに俺は今こうして敵としてお前の目の前に立っているが、それまでは確かにお前の師匠として教えるべきことはしっかり教えた。その教訓の中に、活きることは必ずある」
「そうやって私を惑わす気なの? 貴方が教えて来てくれたことが本当に役に立つなんて、とてもじゃないけど信じる気にはなれない」
「ならなぜお前はこの場所に居る。仮にお前にポケモントレーナーとしての適性があったとしても、お前一人でここまで来れたか? 俺の教えは、お前に何をもたらしたか考えたことはあるか」
「それは……」
「今一度だけチャンスをやる。俺と共に来い、アスカ。お前がロケット団に入って俺の指導を今後も受け続ければ、さらに強くなることは保障する」
「それだけは絶対に断る! こんな……こんなことのために強くなって、力を使ったって、誰も幸せにはならない!」
「ならここでお別れだな。結果がどうあれ、もう会うことは無いだろう。もう会うことが無いのなら、どうせならちゃんと全力を見せてくれ。師匠の楽しみはな、弟子の成長なんだ」
負けるわけが無い――圧倒的優位に立つものの余裕がシリュウの意図の掴めない微笑みからは漏れており、逆にアスカの心は余裕を完全に失っている。
確かにシリュウの言う通りなのだ。今までの大会で使って来たような小細工は幾分か通用するにしても、それは彼のボスゴドラを倒すための決定打にならない。
それどころか敵だと分かってからは今まで教わってきたことが果たして正しいのかどうかすら分からなくなってきていたアスカに取って、今のシリュウの言葉はさらなる混乱を招いていた。
何を信じるべきなのか、何を疑うべきなのか、自分はシリュウを信じたい、だがこんな大惨事を巻き起こした人間の言うことは信じられるのか分からない。
この会場の全てはある意味この戦いに掛かっている。再びそれを自覚した瞬間、アスカは心臓を直接殴られ続けるような痛みを感じ、呼吸が落ち着かなくなる。
もし今までのシリュウの教えを信じて負けたら? それぞれの場所に向かった皆はどうなったのか? 負けても私を許してくれるのか?
分からない。会場全体が激しい熱気と怒号に満ちているせいもあってアスカは感覚器官が徐々に麻痺し、意識が朦朧として上下左右すら覚束ない。
――どうすればいいんだろ。こんなとき、師匠なら……
「アスカさん!」
半ば意識らしい意識を失いかけていたアスカの後ろから聞き覚えのある女性の声が響き、覚醒した意識で後ろを振り向くと、そこに立っていたのはエリサ。
彼女だけではない。それまで激しい戦いをここで繰り広げた大会参加者たちが全員そこに立っており、それは、全ての場所を取りかえしたことを意味する。
「――フン、俺に勝った奴がなんて様だ。電子制御室は取り返した。こいつは遊んでただけだがな」
「五月蠅いなー、取り返したんだから過程はそれほど大事じゃないわ」
アダムの言葉にタタが若干不機嫌に反応し、カズハとヨウタがそれぞれ拳をぶつけ合う。
「俺たちもそれぞれ放送室と電力室は取り返した!」
「絶対に勝つと誓ったからな!」
二人の暑苦しさにエリサとシグレは少し疲れたように見えるが、今回ばかりはその表情には清々しさがある。
「何か全員揃うっぽい雰囲気だったからね。体が痛いけど、とりあえず来たよ」
「これは素晴らしい友情、結束。リア王は末娘の力を借りても敗れたが、今回はそうはいかないはずさ」
傷だらけの体を引き摺るように立つマリンと、動きまわり続け疲れているにも拘らず、そんな姿を微塵も感じさせないリア。
先ほどまでしどろもどろだったアスカの意識は完全に覚醒し、今の自分がどれほどの信頼を受け、この場所に立っているかが改めてよく分かった。
だが、だからこそ負けられない。負けてはいけない。負けることは許されない。嬉しいはずの全員の再集合が、今のアスカには重い。
アスカの心を察してかエリサは一同に確認を求めるように視線を配り、全員が一度だけ頷いてから、彼女はアスカに向かって一歩前へ出る。
「アスカさん。私達は、貴方を信じています。でも、どんな結果になっても、貴方を恨んだりしない。だから、全力を出して欲しい」
「エリサ……」
「仲がよさそうで何よりだな。全員居ると言うことは『シンボルクロス』は敗れたか……まぁ、仕方ないな」
「貴方が信じるものを信じて! 貴方が信じたいものを信じて! 貴方の心に従って! 誰も怒らないし、誰も恨まない。私達は、貴方の意志を尊重する」
「でも、もしそれで負けたら――」
「これは、私の師匠に教わったことです。『常に自分を信じて貫いた者が、戦いに勝つ』……私は、私達は、貴方の信念を信じるわ」
エリサの言葉を聞いた瞬間にアスカの中で何かが弾け、咄嗟に不覚にも背を向けていたシリュウの方に振り返り、彼を目の中心に捉える。
そう、先ほど自分で言ったばかりだった。かつて師匠だった人の言葉、『常に自分を貫き信じろ』――この言葉が今、心の底から湧き上がり、自分に何かを与えてくれているのが分かった。
今の目の前に居るのは、ロケット団を再び再結集させようとして多くの人を巻き込んだ許されない犯罪者。しかし、それ以前は……
アスカは再び正面に振り返って再びシリュウと対峙し、先ほどまでの表情とは打って変わって凛とした表情に、シリュウはどこか嬉しそうに微笑んだ。
「ようやくまともな戦いができそうだ。お友達が来てさぞ元気が出ただろう」
「やっとわかった。いや、最初からわかってたはずだった。私が何を信じればいいのか。待たせたわね、ロケット団幹部シリュウ。私は、貴方を倒す。必ず倒す」
「口だけなら何とでも言える。そろそろ再開させてもらおう。正直待ってるだけってのは暇で仕方ないんだ」
「えぇ。ルーシー! 『かげぶんしん』!」
――いつか、師匠が教えてくれた
「師匠、私でも師匠に勝つことってできるんですか?」
「無理だな」
「はふぅ、分かってることだとしても直々に断言されると心にグサッて来ます。色々と教わって、結構強くなってる自信はあるんだけどなー」
「せっかく聞かれたことだし、基礎はそれなりに教えたから難しい応用を教えよう。お前が遥かに強大な敵と戦う時に役立つ、ポケモンバトルにおける禁忌の技を」
「そ、そんな技があるんですか!? ハンバーグ美味しい!」
「飯を食うのをまず止めろ」
森の中でシリュウと共に火を囲いながら食事をしていたアスカだが、シリュウの言葉を前に大好物のハンバーグを惜しげも無く横に退ける。
「ポケモンバトルを有利に進めるための条件は何だ」
「まずは相手の苦手なタイプで攻めるのが最も効果的です。続いて特性などを利用しながらステータスを上昇させたり、遮蔽物などの環境を利用することです」
「そうだな。では、ポケモンバトルにおいて自分にとって最も不測の事態であり、追い詰められた相手に取って嬉しい事態は何だ」
「うーん……急所に当たることですか?」
「その通りだ。急所に当たることは狙って簡単にできるものではない。大抵は相当深手を追って動けない相手への追い打ちか、偶然運良く当たってしまうのがほとんどだ。そこがポイントだ」
「まさか、急所を狙うってことですか? 確かに難しいけど、禁忌ってほどでは――」
「結論を焦るな。もちろんお前が俺のポケモンの急所を運良く当てたとしても、勝てるわけではない」
さり気なくまた傷つくことを言われたアスカは少し悲しくなったがそんな彼女を無視してシリュウは立ち上がり、モンスターボールを手に構える。
軽くそれを放り投げると中から現れたのは堅牢な体を持つドリルポケモンのドサイドンで、当然ながら今のアスカが戦ったなら手も足も出せず負けるほどの実力。
「ドサイドンの体は火山の噴火にも耐えると言われている。物理攻撃でダメージを与えるのは、至難の業と言えるだろう」
「つまり、特殊攻撃で攻める必要があると言うことですよね。いくら私だって、もしドサイドンが相手ならプラスで戦います」
「もちろんそれが正しい。だが、現実的に考えれば自分に都合の良い場面よりは、むしろ悪い場面が多い。最初にラプラスを出して戦闘不能になり、その後でドサイドンが来たらどうする」
「ムックルもルーシーも基本的に打撃技だから……相手次第ですけど、勝てる可能性は低いと思います」
「そうだ。だが可能性はゼロではない。今からお前に教えるのは、そのゼロではない部分」
ドサイドンの左側面に回り込んだシリュウはアスカにも来るようにジェスチャーし、立ち上がったアスカもドサイドンの横に歩み寄る。
何の変哲もないドサイドンの側面の一部、だがシリュウが軽く手を当てるだけで慣れているはずのドサイドンが少し荒々しく動き、シリュウの手を自分から離した。
普段からシリュウがポケモンたちにどれだけ慕われているのかは、共に旅をしていたアスカならば十分に、いつか彼のようになりたいとまで思うほど知っている。
それにも拘らず、目の前でドサイドンはシリュウを一瞬だか拒絶するように遠退けたのが、アスカには信じられない。
続けてシリュウがアスカにも今の場所を触るように首で促し、暴れられるのではと少し怖がりながら恐る恐る先ほどのシリュウが触った場所を触る。
頑丈な岩石とは思えない妙な柔らかさ――アスカがそれを感じた瞬間にドサイドンはやはり拒絶するように離れ、シリュウは頭を撫でてからボールに戻した。
「どうだった? ドサイドンに触れて、何か感じたか」
「はい……何と言うか、鉄みたいに堅い印象を持っていたのに、触った部分だけ柔らかかったような気がしたんです。いえ、実際に押したわけじゃないので良く分からないんですけど。温かかった」
「そうだ、あの部分だけ俺のドサイドンは非常に装甲が薄い。アレがポケモンが個別に持っている急所、『ベストウィッシュ』と呼ばれる場所だ」
「『ベストウィッシュ』……最高の願いですか。でも何でそんな言い方なんです?」
「妙なところを聞くな。簡単に言えば、この場所を見つけることでバトルに勝つことができる確率が爆発的に上がるからだ。この急所はポケモン個々によって場所が異なり、さらに小さい。見つけるのは至難の業だ」
「でも見つけることにこだわるべき何ですよね?」
当たり前のように疑問を口にするアスカに、シリュウは頭を抱えて溜息をつく。
「さっきも言った通り、これは到底敵うはずの無い強大な相手にのみに使う最終手段だ。同等の相手にこんなのを探す作業をして見ろ、あっという間に負ける。だから普段は普通に戦う方が良い」
「なるほど。なるべくなら、この場所にはこだわらない方が良いってことですね。ところで個別に違うと言いましたけど、そもそもバトル中に見つけられるものなんですか?」
「普通は無理だろうな。拮抗する力がぶつかり合っている中で見つける意味は無いし、見つかったところで通常の急所と大して変わらない」
「つまり、完全に運なんですか?」
「いや、強大な力を持っている者は殆ど『ベストウィッシュ』のことは直感で何となく知っている。だからこそ、逆にそれが目印になる」
言っていることが分からずアスカは首をかしげるが、しばらくしてから電撃に撃たれたかのように頭をまっすぐにする。
「強大な敵は必ずそこを攻撃から守りながら戦うってことですね」
「その通りだ。もしも到底敵わない相手が現れた時は、とにかく攻撃しろ。見せかけるだけでも良い。その中から導き出すんだ」
「導き出す……」
「当然ながら相手も馬鹿ではない。相手がその存在を知っている可能性を考慮している。不意打ちできたとしても、精々一発。それ以降は確実に守って来るだろう」
「もしその一発を外したら、今度こそ私に勝ち目は無くなるってことですか」
「そうだ。一撃で確実に当てろ」
「分かりました! 師匠が何か教えてくれるって、そう言えば久しぶり……へへ」
「何で笑う?」
「嬉しくて……師匠は、いつまでも私の師匠でいてくれますか?」
「さぁな、いつか敵になってるかもしれないぞ」
「例え敵になっても、私は信じてます。師匠は絶対、私の知っている師匠です」
あの教えは、今この時を見越して授けられたものなのか、それとも単純にその時のシリュウの気まぐれだったのか。
そればかりは一緒に旅を続けてきたアスカでもわかるものではない。分かるものではないが、今確実にこの時のためにあったモノ。
先ほどまで馬鹿みたいにムクホークの『かげぶんしん』を利用して攻撃を続けていたのはなぜなのか、ラプラスの攻撃でひたすら相手に特殊攻撃を意識させたのはなぜなのか。
今この時のために、体が記憶よりも先に、シリュウの教えを実践していたのだ。頭では疑っていても、アスカの心はひたすらにシリュウを信じていた結果だろう。
そして思い出す。バクフーンにも当然特殊攻撃である『かえんほうしゃ』はあるが、一点を激しく刺激する技ではなく全体的な攻撃なため、『ベストウィッシュ』に効果的か分からない。
何より避けられやすい。だがラプラスの特殊攻撃が若干ながらボスゴドラにダメージを与えたことで、シリュウは『かえんほうしゃ』を警戒せざるを得ない状態になっている。
物理攻撃であり威力も劣る『かえんぐるま』に全てを賭けるには通常ならあり得ないことだが、『ベストウィッシュ』を正確に捉えればもはや関係無い。
ムクホークの限りない攻撃の数々、その中でボスゴドラが意識的にしろ無意識的にしろひたすらに護り続けていた場所。
偽りの『ベストウィッシュ』を技と作り、アスカにその場所を狙わせようとしている可能性も考えられる。
ならば参考にするのはボスゴドラがいずれも反射的に護っていた場所、攻撃に意識を集中させている際に、無意識に護っていた場所だけ。
「ルーシー、貴方ならきっとわかる。今私が考えていることが。私が今から狙うのは……最高の願いよ」
「ごちゃごちゃと作戦会議か? 小細工を企んだところで、お前レベルのポケモンではボスゴドラを戦闘不能にするだけの力は無い」
「いつまでも私を侮らない方が良いわよ。貴方は、私に負ける」
「その自信満ちた言葉、俺がまだ師匠だった時に聞きたかったもんだな」
「思い出した……いや、分かったんですよ。貴方はロケット団の幹部シリュウであり、私の師匠だって。私はロケット団のシリュウを許さない。そして、師匠であるシリュウを超える!」
「同じことだろう」
「違う。前者は、ただ相手が許せず、負けたくない、負かしたいと言う気持ち。後者は、憧れていた師匠を……師匠に勝ちたい。認めてもらいたい! 目的は同じでも、気持ちは正反対なの」
「なら前者で良いだろう。現に俺はお前の敵だ」
「ただ残虐なだけの敵なら、私は貴方の全てを否定していたかもしれない。でも違う。貴方を師匠だと思うからこそ、私は勝てる」
『かげぶんしん』をしたバクフーンが十体の束となってボスゴドラに襲い掛かり、背中の炎を激しく燃やしてその姿を歪ませる。
特性である『もうか』は体力が少なくなると炎の威力が上がると言う、ピンチにあれば逆転を狙える救世主。
これで急接近するまでボスゴドラは迂闊にバクフーンに攻撃を仕掛けることはできない。そしてこの攻撃が失敗すれば、一撃でバクフーンはし止められてしまう。
終わりにする――その願いだけを込めてアスカは全ての記憶を総動員し、十体のバクフーンがボスゴドラに飛びかかるのを見てから叫んだ。
「ルーシー! 胸部の右側、私達から見て左側! そこよりボスゴドラの頭一つ分下に飛び込め!」
「なっ!? っち、ボスゴドラ! 臆せず冷静になれ、迎え撃つんだ!」
「素早さだけなら、こっちが上だあ!」
振り下ろされるボスゴドラの腕が『ベストウィッシュ』を狙うバクフーンに迫り、十体のバクフーンが、炎を纏いそこへ飛び込んだ。