第二十二話
素早い動きで翻弄しつつ相手の隙を窺うアスカのムクホークだが、シリュウとボスゴドラには隙が全くと言っていいほど見当たらない。
有利な空中からの攻撃と素早さを活かして二三度攻撃は入っているが、これも全くと言っていいほどダメージはないようだ。
長年旅をして来て強いのは重々に承知していたが、それにしても今までとは強さの桁が違い過ぎて、正直アスカにはどうして良いのか攻めの手が一向に考え付かない。
たった一撃の『じしん』で建物全体を揺らす圧倒的なパワーに強靭な肉体、さらに徹底的に隙を無くしているシリュウのポジショニングの指示。
どれを取っても今のアスカがシリュウに勝っている点は何一つとして挙げられないのは、彼女自身が一番よく分かっている。
旋回しながらムクホークは一気にボスゴドラに近づくと同時にその横を通り抜けて距離を取り、そこから速度を落とさず間髪入れずに敵に突進。
防御のタイミングをずらされたボスゴドラへ後方からの攻撃。だがボスゴドラが右手の拳を握っているのが見えたアスカは、迷わず叫んだ。
「フルック! 『かげぶんしん』!」
「『メガトンパンチ』」
攻撃中の『ブレイブバード』をキャンセルし素早く自身の分身を作り、振り向いたボスゴドラの拳が容赦無く分身のムクホークを抉る。
激しい拳圧がひび割れたフィールドの砂塵を舞い上げ、残っていた分身の全てが巻き上がる砂嵐で消滅。
上空を飛び越えて来たムクホークがアスカの前に舞い戻り、危機一髪の状況を何とか乗り切ったアスカの額には、一筋の汗が流れていた。
直撃していたら戦闘不能どころか、下手すると殺されていた。
戦いが始まって初めてシリュウが納得できる動きをアスカがしたためか、それともまともな戦いになって嬉しいのか、口が僅かに笑っている。
「よく避けたな。正直これで終わると思ったが、まだ楽しめそうだ」
「楽しむ余裕なんて貴方には無いはず。警察だってすぐ動くだろうこの状況では、どの道ロケット団の復活なんてありえない」
「どうかな? こっちには人質もいる。あとついでに良いことも教えてやると、実はとある兵器がもうすぐここに届く予定なんだ」
「兵器?」
「実は資金提供先があるポケモンの戦闘データを取りたがっていてな、こっちの戦力になるついでにデータを取るためと、予定に組み込んで来た。ミュウツーにでも対抗するつもりで造ったのかは知らないがな」
「な、何の話をしてるの?」
「お前には関係ない。つまり時が経てば経つほど不利になるのは、俺たちではなくお前たちだ。その辺を自覚しろ」
「っく……フルック、『かげぶんしん』!」
とにかく急がないと――再び分身を表したムクホークが、もはや余裕すら感じさせるボスゴドラに迫る。
放送室では四人のトレーナーとポケモンが狭い空間ながら一進一退の攻防を繰り広げており、カズハとシグレが挟撃の形で相手を挟み込む。
リザードンの後ろに控えるシグレとカイリキーの後ろに控えるカズハ、その間にはフードが取れたコートを羽織っている男と女が背中合わせでそれぞれの正面を見据えていた。
ヘルメスの前にはマタドガスが満身創痍の状態で、オシリスの前には既に戦闘不能のハブネークが倒れており、もはや二人が勝負できる状態ではない。
「俺たちにマルチバトル挑むなんてよ、はっきり言って最悪の選択だぜ! 10の俺と5のシグレが加われば俺たちは105だ!」
「残念だがその戦力は逆だカズハ。そしてそれは足し算じゃないぞ。だが、俺たちにマルチバトルを挑んだのが相手にとって最悪の選択なのは、俺も同意しよう」
不敵に微笑み一歩ずつ迫るカズハとシグレに対し、中央のオシリスは不機嫌丸出しの表情で後ろにいるヘルメスを睨み付ける。
「何でこんなことになってんだよ。気付けば人質は取り返されてるわ、ファーストロックのせいでこれ以上ポケモンを出せないわ、踏んだり蹴ったりだ! お前がちゃんとフォローしないからこうなったんじゃないのか」
「別に……私はちゃんと……仕事をこなしていた……あぁ……これじゃあ……私は幻滅されてしまう……ふふふ……それなら……いっそ」
「おいヘルメス、何する気だ? 冗談じゃないぞ! そもそも俺は別にロケット団再興とか興味があってここにいるんじゃなくて、あの会長に復讐するためにいるんだ! それなのに、何でお前の自己満につき合わなきゃいけな――ッ!?」
追い詰められた反動なのか、それとも別の理由なのか、カズハとシグレは目の前で起こった自体が一体何を意味しているのか想像できない。
ヘルメスと呼ばれていた女が仲間であるはずのオシリスを背中から隠し持っていたナイフで容赦無く刺し、彼の背中から真っ赤な液体が地面に流れる。
それでも何とか反撃しようとオシリスが右手を振り上げるより早くヘルメスがナイフを一気に引き抜き、そして再び、今度は胸部を後ろから貫いた。
既に瀕死に近いマタドガスに指示を飛ばしたヘルメスはポケットから何かを取り出し、それをマタドガスに飲ませると同時に自分の懐に引き寄せる。
「お前が絶望する前に……ここでその運命を切ってやる……ありがたく思ってほしい……だって……捕まればお前は確実に死刑……『アレ』を知っているのだから」
「ヘル……メス……テメー!」
「残念だけど……私の物語は……ここで終わる……さらばだ……強き……二人よ」
「さっきのは、まさか!? カズハ、すぐ離れろ!」
先ほどまで瀕死の重傷を負っていたマタドガスの体が薄らと輝き出し、エネルギーが加速度的に上昇して行く。
「何でだ、さっさと捉え――」
「さっきのは『ひでんのくすり』だ! 恐らくマタドガスは最高火力で吹っ飛ぶ! すぐ逃げろ!」
リザードンをボールに戻したシグレが急いで出口に向かって走り出し、カイリキーに人質として掴まっていたポケモン協会会長の妻と子どもを持つように指示し、カズハも急いで出口に走る。
しかし一気に膨張したマタドガスの輝きが辺り一面を包み、真っ白な世界がすぐにシグレとカズハを包み込んだ。
だがカズハは何かが横を通り過ぎるのを感じた直後、眩い世界は盛大に弾けることを忘れ、マタドガスから放たれていた光は一瞬にしてその輝きを失う。
何が起きたのか分からないままシグレとカズハが後ろを振り向いて最初に見えたのは地面に力無く倒れているマタドガス、そして同じく地面に倒れているオシリスと、両手両足が手錠で拘束されているヘルメス。
そしてサンダースを傍らに立っている一人の男。ヘルメス自身何が起きたのか分かっていないらしく、地面に倒れながら目の前の男を目を見開いて見ていた。
男はカイリキーが抱えている人質二人を見てからオシリスに視線を向け、上着を脱がせるとポーチから取り出した包帯を急いで巻いて行く。
包帯が巻き終わると今度はガーゼを取り出しその上から強く圧迫し、顔を上げてカズハを見ると、右手で近寄るように指示。
「結構出血している。胸部付近はナイフがまだ刺さっているから抜かずにそのままにして、ここを圧迫止血していてくれ。あと人質はシグレ、君が保護しておくように」
「待て待て、アンタ誰!?」
「国際警察だ。さて、仲間割れでも起こったのか? 先ほどの状況から察するに、この女が彼を刺したようだが……」
国際警察の男は手錠で完全に身動きが封じされているヘルメスに視線を移し、カズハが傷口の圧迫を請け負うと立ち上がる。
彼はヘルメスの胸倉を掴み持ち上げ、苦しむ彼女を椅子に座らせるとその後ろに佇んだ。
「さて、急いでいるから早急に答えろ。なぜ彼を刺した」
「別に……彼は捕まれば……裁判すら受けず……死刑になる……ポケモン協会会長の……悪行の一つを知っているから」
「それは何だ?」
「人身売買だ」
答えはヘルメスからではなく、激痛で意識を取り戻したオシリスの口から放たれた。
多少咳き込むと同時に口から血が出てカズハが喋らないように言うが聞かず、彼は深呼吸するとようやく落ち着き、目の前の男を見上げながら話を続ける。
「俺たちの家は貧しかった。馬鹿な父と馬鹿な母のせいで借金まみれだった。俺も馬鹿だったが兄貴は頭が良くて、ポケモン協会の職員になった。だが借金は利子で増える一方、そんな兄貴に、あいつは漬け込んだ」
「あいつ?」
「今のポケモン協会会長だ。俺は兄貴からよく手紙をもらっていた、メールなんて高尚なもんはなかったからな。そこに書かれてた、あのゲスの実験の被験体になると」
「被験体か。お前の兄貴がそれを受けたってことは、相当の報酬だったんだろうな」
「あぁ、家の借金がその日のうちに消えたほどだ。それを機に、兄貴からの手紙はどんどんと酷くなっていった。日が経つにつれて文脈は支離滅裂になり、最後の方には殆ど文字ですらなかった。最後に読めた言葉は『俺が消える』だったよ。俺は兄貴に会うためポケモン協会の本部に行った。そこで盗み聞きした」
「なるほど、お前の兄貴がその人身売買の中身だったのか」
「そうだ。奴はポケモンを自由に操るための前段階として、人間の脳を操る実験を行っていた。そのせいで兄貴は壊れた。そして最後には、呆気なく売られた。いくら訴えても誰も耳を貸さなかった。誰も信じてくれなかった。そう、シリュウの旦那以外は」
「人間の脳を操るか、随分と下衆なこと考えるな。買い取った相手は誰だか分かるか?」
「資金提供はプラズマ団とか言うところだったが、買い取ったは別の組織だったな。かなり遠くの地方……確か、ライトニングシティとか言うところの妙な組織のナンバーテンに配属されたとか盗み見た資料には書いてあった」
オシリスの素っ気無い言葉に対し男の表情は驚きに彩られ、数秒してから何かを決意したようにオシリスに視線を戻す。
「俺は昔、ライトニングシティの警察だった」
「妙な偶然だな。あんたのアルバムに兄貴が映ってたら面白いが」
「その組織のナンバーテン、奴とも少しだけ関わった。あいつは『自分が誰かなど分からない』と言っていた。それが、お前の兄貴なら辻褄が合うな」
「兄貴は……今、どうしてる?」
「死んだ。瓦礫に埋もれてな。残念だが遺言などは聞いていない」
「そうか。死んじゃったか……頼みがある」
「なんだ」
「いつでも良い、兄貴の墓を建ててほしい。自分じゃ出来ない、他人に頼むしかないのはしゃくだが、これしかないんだ。頼む」
「任せろ、こっちとしてもお前には今後役に立ってもらわないといけない。その見返りぐらいはするさ」
「俺に何をしろと?」
痛みに顔を歪ませながら、怪訝の表情でオシリスは男を見上げた。
「お前の憎き相手を地獄の底に叩き落す役割を与えてやるよ。遅くなって悪かったが、国際警察を甘く見るなよ」
「何を言ってるんだ?」
「俺もお前の言うことを信じるってことだ。これが終わったら、よろしく頼むぜ」