第二十一話
荒れ狂う戦いが続く会場内部の南部、負傷者の保護に奔走していたリアは左方から迫る水の激流を眼の端に捉え、椅子の陰に隠れてそれを回避。
周りにいたロケット団の団員や一般人のトレーナーを大量に巻き込む水流は一気にフィールドまで流れて行き、広範囲を一気に人のいない場所に変えた。
リアはモンスターボールを右手にゆっくりと椅子の陰から顔を出し、激流の攻撃を仕掛けた主を睨み付ける。
出されているポケモンは中に漂うキングドラ、その後ろにはローブに身を包んではいるが、顔に厳つい刺青が入っていることが見て取れた。
笑顔と無縁そうなその顔はにやりと笑うと再びキングドラに指示を出し、リアの隠れている場所を局所的な激流が襲い掛かる。
だが間一髪でそこを飛び出したリアはその攻撃を回避し階段に躍り出るが、体に傷のようなものは見当たらない。
「品の無い戦い方だね。顔も刺青だらけだし、道化にぴったりだ」
「女みたいな優男か、まともにボールを投げられるかも怪しいものだ。だがガラス製品の様な貴様を壊すのも、楽しそうだ」
「三下の台詞だね。それより君は自分の仲間も吹っ飛ばしたけど、わざとなのかい」
「……俺はな、兎に角ぶっ壊すのが大好きなんだよ。匠が手掛け精巧に作られたガラス製品を叩き割る。トランプで作られたタワーの途中を弾いて崩壊させる。子どもの大切なおもちゃを踏みつけて壊す……快感だ。安定が壊れる時こそ、どんな小さな世界でも激流が流れる! その変化を見るのが、大好きなんだよ」
「本当に品が無いね、君とは友達になれそうにない。今回はちょっと、僕も沸点が低そうだ」
無表情のままリアがモンスターボールを構えた瞬間、目の前の男は君の悪い笑みがをさらに深めて気味悪く笑う。
非常に不愉快な笑いだが何かを感じ取ったリアはモンスターボールを投げるのを戸惑い、その手を止めた。
「ひゃっはっは賢明だな。お前、タイマンって得意か?」
「どう言う意味かな?」
「今この会場には『ファーストロック』が掛かっている。一匹目のポケモンを出したら、もう次は出せない。最初の一匹が全て、ガチンコってわけよ」
「……なるほど、そう言うのは苦手だな。僕は連携で戦うタイプだからね」
「貴様のバトルはしっかり見ていた。警戒するはユキメノコぐらいだ、さっさと出したらどうだ」
「気に入らないな」
「はあ?」
「僕の他の手持ちを馬鹿にしたような発言が、気に入らないと言ったんだよ。特に君の様なウドの大木に馬鹿にされるなんて、屈辱以外の何でもない」
「言ってくれるなガラス製品が。なら使わなければいい、下で寝てろ!」
男がこめかみを痙攣させながらリアを指差し、キングドラが階下にいるリア目掛けて広範囲の水流を容赦なく放つ。
リアは周りのトレーナーたちが激流に巻き込まれない範囲を意識しながらその攻撃を避けつつ右手にモンスターボールを構えるが、投げるよりも早く次の水流が立て続けにリアを襲撃。
隙が欲しい――リアが心の中で舌打ちし、五度目の水流を避けた瞬間、会場の正反対の方向で天井の一部が崩れて下へと降り注いだ。
目の前の男と同じコートを着た男が危険地帯の少女を突き飛ばし、落ちて来たコンクリートにその身が完全に押しつぶされる。
隙が欲しいと思っていた張本人のリアに隙が生じ、逆に目の前の男はそんな事象には眼もくれず、次の水流がリアを飲み込み吹き飛ばした。
息が出来ないなかで手摺りに背中から強烈に打ちつけられ、水流が過ぎ去り、リアは激しく呼吸しながら上にいる男を鋭く睨みつける。
「おいおい、何油断してんだ? あぁ、ひょっとして俺に隙が出来るとでも思ったか。馬鹿だねー壊れるのを見るのが俺の楽しみだってさっき言っただろ」
「君の仲間じゃないのか。いや、少女を助けた先ほどの人が、君の仲間だとはむしろ僕が信じたくはないね」
「あぁー仲間だよー仲間仲間。仲間だけどさ、それが壊れるのを見るってのも面白いよな。あいつはシリュウに異常なまでの忠誠を誓ってたからな、正直うざかったんだよ。あのまま死んでくんねーかなー」
「救いようが無いね。悲劇は素晴らしいものだが、これは悲劇じゃない。ただ虚しいだけの戦いで、お前の様な粗大ゴミが蔓延るゴミ溜めと同じだ」
「お前ももうすぐ生ゴミになる、遺言でも残しておけばどうだ?」
「必要ないさ」
「そうだな、そんな余裕は与えられずにお前は――」
「必要なのは君の方さ」
リアはベルトが大量についたジャケットを脱ぐと地面に叩きつけてその上に乗り、右手で指を鳴らした瞬間、目の前の男の後方に影が浮かび上がる。
現れたユキメノコは既に十分に溜めた電力を一気に放出し、地面に張り廻った水を介して男とキングドラを一度に仕留めた。
余りに一瞬の衝撃に男もキングドラも完全に不意を突かれ意識を失い、服の一部を焦がしながら倒れる。
額の汗をハンカチで拭ったリアはジャケットから降りてベルトをじゃらつかせながら服に着いた水と汚れを振り払い、近づいて来たユキメノコにウィンクしてボールへ戻した。
同時に倒れていた男が驚くべき早さで意識を回復するが肉体が言うことを聞かないのか、呻き声を上げることしかできない。
「な、なぜ……いつ出した……」
「最初からさ。君は僕がリーガンを出していないと油断して、馬鹿みたいに攻撃して来た。キングドラを攻撃して君に逃げられても困るし、君を捉えてキングドラに暴れられても困る。だから一気に仕留めることにしたのさ。いや、面白い道化っぷりだったよ、君」
「俺が、キングドラを使っていなかったら……どうしていたつもりだ」
「その時はその時考えるさ。ちなみにこのジャケット、断熱防寒絶縁と頑丈なものでね、僕のお気に入りさ。ただベルトじゃらじゃらさせてるだけじゃない」
「……殺せ」
「ん?」
「ここで捕まり破壊が出来ないぐらいなら、死んだ方が幾分マシだ。どうせ俺に怒りを抱いているのなら、殺してくれ」
「断る。君を殺したって僕の怒りは収まらないし、君が最も嫌がるのが投獄だと言うのなら、僕は迷わずそっちを選択する。精々脱獄でも頑張るんだね」
「ふっ、人手無しとはお前の様な奴を言うのだろうな」
「かもね。君の悲劇に救いはないよ、終わらない悪夢で人生を締めると良い」
リアがキングドラの攻撃から身を隠している時、中央フィールドを挟んで反対側では一部だけトレーナーとロケット団が全くいない空間が形成され、二人のトレーナーがその中央で火花を散らしていた。
中央では既に体中の痛みで呼吸が荒くふらついているマリンがカメックスを使用ポケモンとして出しており、反対側には巨大な恐竜の姿を持つポケモン、ラムパルドとそれを操るロケット団団員。
フードの隙間から見えるのはまだ幼い少年の表情と淡く優しい黄緑色のセミロングの髪の毛、来ているローブがややだぼだぼで、時折裾を踏んでは転びそうになっている姿にマリンは呆れながら溜息をつく。
しかしながら辺りの椅子や階段は既に大部分が破壊されており、そのほとんどの所業はこのラムパルドの純粋な突進のみで行われた。
無邪気な笑い声と共に再び少年はラムパルドに突進する指示を出し、マリンとカメックスが同時に右方向に回避を図る。
順調であった回避だが右足に激痛が走った瞬間にマリンは体勢を崩して転び、それを見たカメックスは回避行動を止めると、正面から来るラムパルドに向かって自身も突進。
明らかに突進力のあるラムパルドが勝つことは明白過ぎた結果であり、カメックスはラムパルドの突進を止めることはできたがマリンの目の前まで吹き飛ばされ転がって行く。
既に満身創痍――その様子を見た少年は不貞腐れたような表情を浮かべ、マリンの体を上から下まで観察した。
「ボロボロだねー。保健室で寝てれば痛い思いしないし、誰もお姉ちゃんを責めなかったのに(憐れみ)」
「生憎私はじっとしてるのが嫌いなの。それにあんたのようなゴキブリみたいに復活して来る奴らは、ここでちゃんと叩いておかないとね。一人いれば百人いるのがロケット団だったかしら」
「酷いなーゴキブリはそもそも森の中に住んでる生物であって、人間が先に彼らのテリトリーに湧いて来たんだよ(雑談)」
「弱肉強食よ。人間の方が大きくて強かった、それだけよ。そして小さな君も、大きな私と言う存在によって叩かれるの」
「まんしんそーいの人が戯言言ってるー(笑)」
「さっきから最後に妙な言葉追加するの止めない? 正直聞き辛いし何か痛いわよ、貴方」
「良いもんだ、僕は気にしないもん(ガラスのハート)」
少年は視線だけマリンとカメックスをしっかり捉えながらそっぽを向き、その隙にマリンは素早く立ち上がって体勢を立て直す。
会話や強気な言葉でせめて状況を変えようとしているのだが、この少年とラムパルド、マリンは先ほど出会ったときは直ぐに倒せると考えていた。
だが実際はマリンたちの回避中や視線の移動などの一瞬の隙をついた完璧なタイミングで攻撃の指示を飛ばしてきており、マリンが攻撃の指示を出すより早く、ラムパルドに回避の指示を出している。
先読みと洞察……この二点において、目の前の少年はマリンがかつて戦ってきたトレーナーの中でもトップクラスにいることは間違いない。
万全の状態ならそこまで苦戦する相手でもないだろうが、全快のカメックスとは違いトレーナーであるマリンの体力の方が持たない可能性がある。
時間を稼ぎ、隙をつく――マリンは相変わらず不貞腐れて唇を尖らせている少年に軽く手を振ると、少年も笑いながら手を振り返した。
――馬鹿っぽいけど可愛い。あんな弟がいたらなぁ……
「そう言えば名前聞いて無かったけど、あんたの名前は?」
「お姉ちゃん、人の名前を聞くときは自分の名前を先に教えるんだよ(社会マナー)」
「そうね。私はマリン、カントーで三強と呼ばれた女よ! どう、凄いでしょ」
「三強……おぉ、何か強そう!(憧れの目線)」
「でしょう。で、貴方の名前は?」
「ウェヌス・リッチス。それでそれで、三強のマリンさん僕の名前を聞いて何がしたいの? ジェンガ?(大好き)」
「あーえっとーそうね。ウェヌス君は今何歳?」
何聞いてんだろ私――とりあえず隙を作ろうとしただけなのに本格的な会話に発展してきた結果、先にマリンの方が隙だらけになっている。
だがウェヌスはそんなマリンの隙を突くようなことはせず、純粋な笑顔を浮かべて両手を前に突き出した。
一瞬経過したマリンだがウェヌスは全部の指を立てて十と言う数字を表現しているだけで、一瞬焦ったマリンは全身の筋肉が無駄にちょっと痛い。
「十歳! 書類上は十歳にしておけってシリュウ様が言ってた(難解)」
「えっ? つまり、本当は何歳なの」
「九歳(真実)」
右手の親指が折りたたまれた。
「……えーっとウェヌス君。君は自分が社会的な反徳行為しているって自覚、ひょっとしてない?」
「はんとくこーいって何?(また難解)」
「悪いことってこと。人のポケモン奪ったり人をいたずらに傷つけたり、モノを壊したりするのは社会的に悪いことなの。シリュウが教えてくれたり……しないわよね」
「うーんっとね、シリュウ様にはとりあえず勉強して運動して、自分のやりたいことを一生懸命やれって教えられたよ」
意外だわ――シリュウがウェヌスにもロケット団の根本的なことを教えてると思っていたマリンとしては、この回答がある意味一番意外性があった。
となるとウェヌスは自分がやっていることが悪だと言うことを正しく認識できていないだけで、無駄な戦闘は避けられるのではないか。
教育や説得となるとどうも自信が無い――現に先ほど乱暴な言葉遣いや強引な指示を出していた――マリンだが、頭をひねって考える。
少しの間沈黙が流れ、暇になって来たウェヌスが動こうとしたのを見たマリンは慌てて口から兎に角言葉を紡ぐ。
相手を動かせるわけにはいかない……成功すればウェヌスとの戦いが避けられるし、何よりもウェヌス自身をロケット団から解放できるから。
「ウェヌス君は道徳の勉強はした?」
「してない(知らない)」
「そうねー例えばウェヌス君が友達とジェンガをして遊んでいました。そこに知らないおじさんたちが来てジェンガを奪ったら、ウェヌス君はどう思う?」
「シリュウ様なら一緒に遊ぶ!(むしろ遊んでほしい)」
「知らないおじさんね」
「蹴り殺す(マジ)」
「簡単に殺すとか言わないの。同じようにね、周りの人たちもポケモンを奪われることは嫌なのことなの。ウェヌス君だって、殴られたら痛いでしょ。それと同じ、周りの人は自分と同じで痛みを感じる。ただ視界に入るだけの物体じゃないの。シリュウは、奪ったり殴ったりするのがいいことだって教えてたの?」
「……シリュウ様は、自分が嫌がることは人にするなって言ってた。もしするなら、一生人から責められることを覚悟しろって言っていた(意味深)」
「そう、悪いことをしたら、どこかで必ず何かしらの報いが起きる。ウェヌス君は、何でこんなことをしてるの。シリュウの教え、破ってない?」
今度はウェヌスが唸り声を上げながら頭を傾げ、圧倒的チャンスな状態であったがマリンはあえて何もしない。
むしろこの状況に余計な横槍を入れる者がいないか周りを常に警戒して睨み、ウェヌスに余計な衝撃を与えないようにする。
「僕は、ただシリュウ様に喜んでほしくて……ただ、それだけで(言葉にし難い)」
「本当に彼は喜んでると思う? 君に正しく生きて欲しいと思って優しくしてくれたシリュウが、君が悪いことをするのを見て感謝していると思う?」
「分からないよ。僕、どうすればよかったんだろ、どうすればいいんだろ。分からないよ(泣きたい)」
「甘ったれるな」
「えっ?」
「何が正しくて何が悪いのか、どうすればよかったのか、どうすればいいか……どれもこれも、最後は自分で決めるしかないの。今はまだ押してくれる人がいるけど、いつか君も大人になって、全部自分で決めるときが来る」
「全部自分で……」
「大人になるってね、自分で自分の在り方を決めるってことなの。もう一度考えてみようよ、君が今してるのは正しいことなのか。シリュウはそんな君を見て喜んでくれてるのか。彼は、本当は何を君に期待しているのか」
「……シリュウ様は、こんなことする人じゃない。イシュ兄も、何だか迷ってたみたいに見えたのは、これが悪いことだったからかな(半信半疑)」
「イシュ兄?」
「イシュタル兄さんのこと。あっ、本当のお兄さんじゃないよ。ただ僕捨てられて、シリュウ様に拾ってもらって、イシュ兄に仲良くしてもらって……お兄ちゃんが出来た様で、嬉しかったんだ。でも、もし二人が今の僕を見て悲しむなら、もうやらない」
「よし、じゃあ約束。この先まだまだ悪いことを知らずにやっちゃうかもしれないけど、絶対に悪いと思ったことはしない! ほら、指切り」
マリンが痛みを我慢してウェヌスに近づき、ラムパルドが警戒していたがウェヌス自身もマリンに歩み寄っていくのを見て、必要以上の警戒を解く。
二人が右手の小指を取り合って約束をした瞬間、会場の天井の一部が崩れ、同時にワタルの声がマリンとウェヌスにも届いた。
降り注ぐコンクリートが真下にいたイシュタルに降り注ぎ、その姿が見えなくなった瞬間、ウェヌスは直ぐにラムパルドの背中に跨り、イシュタルが潰された場所に行くよう指示。
激しい雄叫びと共にラムパルドが戦場を切り裂き駆け出すなかマリンも行こうとしたが激痛が酷く、地面に倒れて目の前が徐々に暗くなっていく。
このままじゃ危険だ――そう思うが体が動かず、徐々に重たくなっていく瞼が閉じられる中で、一人の男がマリンの前に歩み寄る。
知らない男だ。大会参加者でもなければ今まで見て来たロケット団の団員でも無く、ただその風格と威圧感だけは今のマリンでもはっきり分かった。
強い……ただそれだけを想い、マリンの意識は次第に闇に溶けていく。
「お疲れ様お嬢さん、いやー昔の水奈を彷彿とさせる暴れっぷりだったな。さて、向こうの方も順調のようだし、そろそろ俺も本格的に動くか」
「貴方は……誰なの……」
「国際警察さ。コードネームはジャスティス、まあ名前がまんまなんだけど。兎に角お疲れ様、あっちは大丈夫そうだ、心配するな」
ジャスティスと名乗った男は先ほどウェヌスたちが突っ込んでいった方向を指差し、溌剌と笑って見せる。
一安心したマリンは今度こそ完全に意識が途切れ、体が持ち上げられる感触と共に眠りに落ちた。