第二十話
混乱に巻き込まれ至る所で火花がぶつかり合う会場の中で、巨大な鳥ポケモンを従える少年イシュタルと、チャンピオンのワタルは対峙する。
周りの騒音がまるで静寂に感じるほど二人の感覚は研ぎ澄まされ、イシュタルとワタルは互いに互いを警戒しながら間合いを調整。
側面からの攻撃だったにしろカイリューのはかいこうせん防ぎ、さらに大容量の巨大を軽々と場外まで引っ張り叩きつけるだけに鍛え抜かれた相手の脚力と足の握力、その要因がワタルの攻撃を抑止している。
だが逆にイシュタルの方にも誤算はあった。側面からの攻撃で何とか防げたものの、正面からあのカイリューのはかいこうせんを受けたら恐らく勝てなかった。
現に手持ちのポケモンは気丈に羽ばたいて飛行を続けているが、右翼には眼に見えないまでも深刻なダメージがあることは容易に想像できる。
硬直……時間が経てば経つほどにロケット団が有利になるのか不利になるのか、ワタルにも予想は出来ない分早めに勝負は決めてしまいたい。
ワタルは少し肩の力を抜くと、それを見たイシュタルも相手に合わせて緊張し過ぎた自分の体にリラックスを与える。
「君はみたことも無いポケモンを使うが、どこの地方出身なんだい?」
「ウォーグルを知らない奴に、出身を言っても意味はあるまい」
「なるほど、ウォーグルと言うのか。ところで君は随分と彼に忠誠を誓っているようだが、何故彼を慕っているんだ?」
「貴様には関係あるまい。無駄話の時間は惜しい、行くぞウォーグル!」
イシュタルがバックステップで戦場から距離を取ると同時にウォーグルが羽ばたき、空中で弧を描きながらカイリューとワタルに襲い掛かる。
迫り来る翼の斬撃をその巨体からは想像できない身のこなしでカイリューは一歩後ろに下がって回避し、再び旋回して戻ってくるウォーグルの攻撃も難なく回避。
さらに二度の攻撃を仕掛けるもカイリューは身を翻してワタルを護りながら戦い、五撃目の攻撃が繰り出されたその時、カイリューの尻尾が唸りを上げた。
直進するウォーグルの左翼とカイリューの巨大な尻尾が激突し、互いによろめきながら弾かれる。
だが体重が重いカイリューの方が素早く状態を立て直し、動きが止まっているウォーグル目掛けて空間を震わすほどの強烈なタックル。
周りでも小競り合いが起こっているため広範囲な攻撃は出来ないワタルだが、素早いカイリューの機動性と体重が幸いした結果だった。
少し吹き飛ばされたがウォーグルは素早く空中で体勢を立て直し、イシュタルがその背中に飛び乗ろうとしたその瞬間、吹き飛ばされて来た団員が彼の背中に直撃する。
「くそ、邪魔だ!」
苦痛の声を堪えるイシュタルは素早くその団員を蹴り飛ばし立ち上がるが、主人の身を案じて後ろを振り向いた瞬間、彼よりも早くワタルの指示が響く。
さらにそのワタルの指示よりも一歩先んじてカイリューは動き、飛行しながらの強烈な拳をウォーグルに向けて振り抜いた。
入る!――ワタルが確信したその時、起き上ったイシュタルは言葉による指示ではなく高音の口笛を吹き、それを聞いたウォーグルが急上昇。
渾身の『メガトンパンチ』を回避された上に旋回して来たウォーグルの『ブレイブバード』がカイリューを正面から取られ、その巨体が高らかと宙に浮く。
ワタルの大声で素早くカイリューは空中で体勢を立て直し、同じく姿勢が整ったイシュタルが今度こそウォーグルの背中へと飛び乗った。
ポーチの中から小型のスプレーを取り出すとそれをウォーグルに吹き付ける――はずが、飛んで来た小石がイシュタルの手を取られ、痛みから傷薬が地面に零れる。
投擲主であるワタルは落ちた傷薬をイシュタルよりも早くその手に取り、それをバトルフィールドの方に向けて投げ捨てて上を見た。
「そう簡単に使わせると思うか、俺が」
「さすがはチャンピオン……こちらの行動を完全に読み、常に一手先を取るとは。だが負けん、負けるわけにはいかない」
「何が君をそこまで動かす。君のような純粋な誠意を持つ者が、本当にこんなことを望んでいるのか?」
「シリュウ様が望んだことなら、それは俺が望むこと。あの方の恩に報いることが出来るのなら、俺は何万人が不幸になろうと構わない!」
「では聞こう。この惨劇を君の崇める彼が本当に望んでやっていると思うか? 君なら、分かるんじゃないのか」
ワタルの問い掛けにもはや答えることすら鬱陶しくなって来たイシュタルではあるが、答えられないのではそれは忠誠心とは言えない。
それにイシュタル自身も、実はずっとこの問い掛けの答えを自分の中で考え続け、答えを出そうとしていた。
分かっている。今フィールドで戦っているシリュウがロケット団にいる目的はロケット団復活のためのではなく復讐であり、あくまでロケット団の復活はその復讐の副産物であることも。
上司であり厳しかったがその中に確かに優しさを持っていたシリュウが、本当にこのような事態を望んでやっているのか……正直、イシュタルには分からない。
「シリュウ様の尊大な思考は俺の意志が及ぶところではない。あのお方の考えは――」
「俺は彼の考えを聞いてるのではない。君がどうなのか聞いているんだ」
「……答える必要はない」
「俺には考えられないんだ。君のような真っ直ぐな心を持つ青年を惹き付けて止まないシリュウと言う存在が、本当に心の底からこの悪行を望んでいるとはな」
「知った口を聞くな! お前に分かるものか。ウォーグル、このつまらない戦いを終わりにするぞ」
イシュタルを載せたままウォーグルは力強く羽ばたくと同時に一気に加速し、今度は蓮華気を考えず真っ向からカイリューへ突進する。
対するカイリューも迎え撃つ姿勢を取り、地面を蹴って迫り来るウォーグル目掛けて機敏な巨体を突っ走らせる。
激突する直前にイシュタルはウォーグルの頭を小さく撫で、二体が激突したまさにその瞬間、その背中を蹴って体が宙へと飛び出した。
体勢が崩れたウォーグル目掛けカイリューのアッパー気味のメガトンパンチが今度こそ炸裂し、その巨躯が天井まで届く。
激しいひび割れを天井に刻んだウォーグルがゆっくりと地面に落下し、カイリューが主人の方を振り向いた直後、その表情が驚きにが彩られた。
左手を後ろに回され喉元にナイフを突き付けられた状態で拘束されたワタルと、ワタルの後ろで激しく冷徹な形相を浮かべるイシュタル。
「ウォーグルを犠牲に俺を狙うとは、そこまでして勝利が欲しいか」
「俺が欲しいのは勝利ではない。シリュウ様の望む結果、シリュウ様の役に立つこと。それだけだ」
助けるタイミングをカイリューが窺うがイシュタルは一瞬も気を緩めることはなく、戦いの影響が少ない上部を目指し階段を一歩一歩と後ずさりながら登る。
「バトルに勝って勝負に負けたか。敗者の戯言だが、聞いてくれるか」
「正直お前の質問は聞き飽きたが、まあ良いだろう。なんだ」
「君があのシリュウをそこまで慕っている理由は何なんだ? その並々ならぬ忠誠、彼のどこに惹かれたんだ」
「……俺は幼い頃、家族を全て失った。父も母も……妹も、瓦礫の下敷きになった」
「全員か?」
「全員だ。俺の住んでいた村はイッシュ地方の山奥にある小さな田舎の村だったが、幸せだった。そう、協会の連中どもがバトルドームを作るなんて言い出す前まではな」
「バトルドームだって」
「そうだ。丁度このドームの試作品とでもいう感じの物を、奴らは俺の故郷に作ろうとした。村も賑わった。きっとこれで、村は豊かになって人も増えると思った」
「……ならなかったのか」
「現実は俺を簡単に裏切った。ドーム作成のために広域の土をほじくり返したせいで地盤が緩み、そこに例年以上の豪雨のために土砂崩れ。家族が目の前で死んだ。誰もが予期して無かった豪雨だったのは確かだが、俺は絶望しかなかった。そんな俺を助けてくれたのが、シリュウ様だった」
「どう言うことだ」
「俺は強くなりたかった。大切な人を護れなかった俺が、俺は許せなかった。そんな俺を、シリュウ様は強くしてくれたんだ。これ以上ない、これが俺の忠誠の理由」
「強くなるだけなら他にも方法はいくらでも、それこそ強いポケモンを奪うだけでいいはずだ。なのに君は自分の地方のポケモンを丁寧に使い、これ以上ない信頼と共に戦った。強さだけじゃないはずだ、君が彼に惹かれたのは」
ワタルの全てを見据え射抜くような視線を前にイシュタルは先ほどとは違い僅かな恐怖を感じ、視線を逸らしてただカイリューだけを視るようにした。
「この業界では、優しさや甘えは……己を堕落させ、あっという間に命を奪う」
「俺は過去にもロケット団と戦ったことがあるが、確かに彼らには互いを助け合うと言う概念が見られなかったな。協力することはあっても、助け合いには見えなかった」
「トップともなれば、なおさら非情さが必要になる。なのに、優しいんだ」
「誰が?」
「シリュウ様さ。イッシュの組織に入れず、落ちこぼれていた俺を拾ってくれた。ただくだらない世間の捨て駒として生きていくだけの運命しか残っていなかった俺に、ぬくもりをくれた。まるで……父の様に」
「なるほど。やはりシリュウと言う存在は、全てが悪と言う訳ではないようだな。だがしかし、この所業は許されないぞ」
「そんなことは分かっている。俺はシリュウ様に言われた通り、自分の意志で動いているんだ」
――自分にとって一番大切なものを護れ。それは人やモノではない。では、人が真に護るべきモノは何か分かるか
「あの時言って下さった。自分の親指を、胸に向けながら……」
――自分の気持ちだ
全て同時だった。
カイリューとイシュタルの間に割って入るかのように、激しいバトルによって吹き飛ばされて来た小さな少女。
先ほどのウォーグルの激突の衝撃で脆くなっていた天井のコンクリート。
倒れ足を怪我して動けなくなってしまった少女が上を見ながら、恐怖と共に口走った小さな一言。
ワタルよりもカイリューよりも、誰よりも早く動いたその影は倒れている少女に向かって駆け出すと同時に大きく飛び込み、その背中を押し、僅かにその小さな体を横に退けた。
落下して来る巨大なコンクリート片を止める時間も余裕がある者もいない。
突き飛ばされた少女がコンクリートの真下に倒れている人物を見たとき、ワタルの首元に着きつけてあったナイフが、地面に落ちて綺麗な音を奏でる。
「よかった……」
あの時助けられなかったのは、自分に実力が無かったからではない……無かったのは、勇気。
自分は強くなれただろうか。自分は……人に誇れる、自分の誇りを護るだけのことが出来ただろうか。
今自分は、一体どんな表情をしているのだろう。
目の前の少女の表情からは、先ほどから続く恐怖と驚きの感情しか読み取れない。
まぁ良い、護るモノは護ったのだ。
それに自分の役目も、ここまで事が進めばもうないと言っても過言ではない。
ただ一つの無念は、最後まで隣に立てなかったことぐらい。
「イシュタル!」
「さらばだ、チャンピオンワタル。ありがとうございます……シリュウ様」