第十九話
ワタルとカイリューがイシュタルに連れされると同時にチャンピオンズリーグ参加者たちは会場の真ん中にモンスターボールを構えながら互いに固まるように集まり、周りの状況を再度確認する。
会場の至る所で繰り広げられるバトル、何を考えているのか今のところ動こうとしないシリュウ、出入り口付近で激痛のため再び気を失ってしまったマリン、先ほどイシュタルの乗っていたウォーグルの羽ばたきによって吹き飛ばされた際に気を失って倒れているポケモン協会会長。
こんな場面に居合わせるのが場違いだと言うように溜息をつくタタの後ろで、アダムとリアが互いの顔を見合わせると頷き合い、シリュウに聞こえない程度の声で話を切り出す。
現在の状況を整理するとこうなる。簡単に言えば崩壊したはずのロケット団が終結し、チャンピオンズリーグの放送室やシステム関係の部屋を占拠、首謀者のシリュウはフィールドに一人きり、そして全体が混戦状態。
だが事前に不穏な空気が会場のどこかから潜在的に醸し出され、詳しくは言えない、直感に働き掛ける不安の様な何かがあった。
故にアダムとリアは各自でそれぞれチャンピオンズリーグ終了前に動いてこのスタジアム全体をさり気なく確認した結果、恐らく敵がいると思われる場所は、先ほどの出来事も含めて三ヶ所。
放送室、電力室、電子制御室。そしてこの会場そのものにも何人か先ほどワタルを連れ去った様な戦闘に特化した団員が、恐らく二三人はいるはず。
「俺とリアで予め調べた結果がこんなものだ。それぞれの部屋に二人ほど作業員に化けていた奴がいた。そいつらも無力化しないと無意味だ、表だけ抑えても意味が無い」
「そこで分散して対処しようと思う。放送室にはカズハ君とシグレ君、電力室にはヨウタさんとエリサさん、電子制御室にはタタさんとアダムさん。会場は僕とアスカさんとあそこで倒れてるマリン、後で叩き起こしておこうか。あとワタルさんだ」
「よし! 目標が決まってんならさっさと行くぜ。おらシグレ、さっさと行くぞ!」
「全く、俺に命令形で指示するな。だがまぁ、今はそうも言っていられない状況か」
「そうね。ヨウタさん、早く電力室に行き――」
「やれ」
先ほどまで思慮に耽っていたシリュウが無線機に合図を飛ばした瞬間、放送室を中心に一瞬にして膨れ上がった薄い膜のようなものが会場の内部全体を一気に覆い尽くし、すぐに会場は元の状態に戻った。
余りにも一瞬のことに会場でバトルしていたトレーナーたちは気づいていない。だが会場の中心にいた参加者たちは、今一瞬に自分たちを覆った妙な光に体をこわばらせる。
今の妙な光は何なのか、少なくともシリュウがどこかに指示を飛ばしたがために作動したものだと言うことは確かなこと。
シリュウは動きが止まった参加者たちの方に視線を向けると、それぞれの表情と感情を読み取るように視線を流し、再び少し上を向いて思慮に耽ると、余り間を置かずして口を開く。
「今のシステムは『ファーストロック』と呼ばれるこのコロシアムに設けられたシステムだ。トレーナーは『最初のポケモンしか出せない』ようになる。つまり、一匹出したら、もうそのトレーナーはポケモンを出せない」
「こんなシステムの存在は、私は知らなかった。私の師匠もこんなシステムのことは、必要無いからかもしれないけど教えてくれなかった。何で貴方は知っているのかしら」
「こんなときでも情報を引き出そうとする、ポケモンレンジャーとしては及第点だが、状況を考えてから言うことだな。既に俺が配置した『シンボルクロス』達の場所も分かっているんだろう。それを倒そうとする行動力、団結力、知恵……そんなお前たちにチャンスをくれてやる」
「……師匠、今からでも、止めるつもりな――」
「お前たちはそれぞれの場所に行きたいんだろうが、本来俺と会場の『シンボルクロス』たちがそれを許すはずが無い。だが、それを許可してやる」
「悲劇の中にある一筋の光を、まさか悪役である君が注ぎ込むとは。これは悪の囁きか、それとも気まぐれかな?」
「ただし条件が一つだけある」
ゆっくりと右腕を持ち上げるシリュウに誰もがモンスターボールを右手に構えるが、彼の右手はただ一人の人物を指しただけだった。
「アスカ、長々と隠れ蓑になってくれた礼だ。ここで俺が直々に相手をしてやろう。他の者は手を出すことは許さん、手を出せば俺自ら会場のトレーナーどもをカメラの前で殺す」
「ふざけんな! エリサ、電力室行く前にこいつをここで潰しておいた方がいい! こいつが親玉なんだろ、だったら今すぐにでも――」
「止めて!」
「……アスカさん?」
「エリサさん、ヨウタさん。他の方々も、それぞれ先ほどリアさんが言った場所に向かって下さい。あの人は有言実行をする人、本気で先ほどの言ったことをためらい無くやる。だから、ここは私に任せて下さい」
「――フン。行くぞタタ、電子制御室だ。ついてこい」
「あーもう、何でこんなことに巻き込まれなくちゃいけないのよ!」
アダムが駆け出すとタタは重い溜息をつきながら頭を掻き、だが断ることなく彼のあとに続いてフィールドから出て行く。
それを皮切りにカズハとシグレは放送室目指して駆け出し、ヨウタとエリサも電力室に向かって走り出した。
リアは会場のはずれで倒れていたマリンを少し強引だが頬を叩いて起こすと、目が覚めたマリンは再び空元気を絞り出し、カメックスの背中にリアと乗って会場の観客席へ。
会場の中央ではシリュウとアスカのみがその場に残され、先ほどまで五月蠅かったはずの周りの騒音が酷く静かに聞こえ、二人はただ視線を交わらせる。
二人の間を流れる恐ろしいまでの静寂が、時を操る。
普段なら何と言うことも無い時間が、一言二言交わすぐらいに用いる時間が、アスカの中ではこの上なく長く感じられた。
何を言えばいいのか分からない……啖呵を切ったはいいものの、射殺すほどに静寂に満たされているシリュウの視線を前に、アスカは緊張で心臓が縛られるようような苦しみが、呼吸が早くなるのを確かに感じる。
正反対にシリュウは相変わらずの平静。僅かに震えだしたアスカをまるで貶すかのような小さな息を吐き、未だに会場で倒れて気絶しているポケモン協会会長を一瞥。
「アスカ、お前は家族がいるな」
「え、えぇ」
「よし、まずはそっちから殺すとするか」
「なっ!? そんな――」
「その感情だ。お前は恐ろしく動揺し、同時に心の底で俺への殺意が湧いたはずだ。それを最大限に抱えているのが、今の俺だ。お前が師匠だと思っていた奴は、醜い復讐者だと言うことだ」
「……何が、言いたいんですか?」
「一瞬でも『その感情』を抱いた者はシンパシーを得る。俺の家族、一族は、こいつらの実験のために滅びた。もう十年近く前の話だがな」
「えっ……」
「もうわかっただろう。お前は偽りの弟子だったが、どうだ、今からでも俺の方に着く気はないか? お前の実力なら、それなりの地位に――」
「お断りします」
先ほどまで僅かな動揺が確かにあったはず、しかしそれを抑えたアスカの発言は、一筋のぶれもない。
あまりに呆気無く断られたことにシリュウは一瞬明らかに驚きに目を見開くが、すぐに無表情……いや、若干の笑みを手で隠しながら笑う。
「随分ときっぱり断るな。そいつは、その糞野郎は、それ以外にも多くの――」
「私の『師匠だった人』が言っていました。『常に自分を貫き信じろ』と。私は『貴方』の気持ちの全てなんて分かりません、でもこれだけは言える。多くの人を巻き込む貴方のやり方は……間違っている」
呼吸が戻った。緊張が消える。迷いの無いアスカの視線を前に、シリュウはポケギアを取り出し仲間へと連絡を取る。
「おい、フィールドの場所だけ『ファーストロック』を解除しろ」
『旦那ー面倒臭い注文はやめてくれよー。今扉の外に二人組がもう来ててさ、危ないんだよ』
「そうか、言い方が悪かったな……さっさとやれ、命があるうちにな」
『ど、どうしたんですかい旦那、声に凄味が……了解、すぐに解除しますよ。おいヘルメス、扉破られねーようちゃんと抑えてろ!』
『やっている……だが……そろそろ……限界だ……来るぞ』
『オラァ! ちょこまかすんじゃねー、シグレ! さっさとこいつら葬り去るぜ!』
『ッチ。旦那、解除は完了したぜ。それじゃー』
無線越しにカズハの五月蠅い声が響くと同時に通信が切られ、シリュウはポケギアをポケットにしまいモンスターボールを構える。
「さて、フィールドに掛かっている『ファーストロック』だけ解除した。アスカ、お前は全てのポケモンを持って掛かってくるチャンスをやろう。俺が使うのは一匹だけだ。どれだけ強くなったか、俺に見せてみろ」
「分からない。何で貴方は態々私だけここに残したのか、そもそもこんな事態に陥らないための準備はいくらでもできたはず。私は知っている。貴方の用意周到さを。何でそんな、自分から不利になるようなことをするの」
「……さぁな」
「でも、いかなる理由があろうと、私は貴方を止める。ロケット団幹部シリュウ、私は貴方をここで倒す」
「今一度確認しよう。俺に、勝てる気でいるのか?」
「勝てます。いえ、勝たないといけない」
「……立派になったもんだ」
「えっ?」
「俺に勝てるなどと……妄言を吐けるほど立派になったとは思わなかったよ。地図すらまともに読めなかったお前が」
「無駄話は、それで終わり?」
「そうだな、俺らしくない。行くぞ、アスカ」
右手に構えたボールをシリュウがフィールドに投げ込むと、空中ではじけたボールから褐色の稲妻が地面に突き刺さる。
光の塊は輪郭を形作り徐々にその鮮明さを増し、現れた姿は褐色の殻を破ると同時に、その巨大で硬質な鋼の体をフィールドへ降ろし、同時に会場全体を轟かさんほどの爆音を腹の底から吹き飛ばす。
会場全体を一瞬にして駆け抜けた衝撃波により静寂が一瞬その場を支配し、全てのトレーナーと団員達の目がシリュウと彼のポケモン、ボスゴドラの元へと集められた。
「さぁ、全てを狩りつくせ!」
シリュウの言葉と共にボスゴドラが一度地面を思い切り踏みつけると、強化素材でできているはずの会場の地面全体に亀裂が走り、足を突いていた全ての者を例外無く凪倒す。
強過ぎる衝撃にアスカは尻餅をついて後ろに倒れ、その様子を見ていた団員達の士気が一気に上がり、ロケット団団員達の勢い余る声が会場を支配した。
亀裂でできた小さなくぼみに落ちてしまったアスカは激しく打ち付けてしまった尻を擦りながら立ち上がると、正面で先ほどより一層激しい表情とオーラを纏うシリュウを前に息を呑む。
これが、これこそが……今まで共に過ごした中で、一度も見たことが無かったであろうシリュウの全力。
先ほどまで上がり掛けていた高揚は消えはしない。消えはしないし、今でも維持されているはずなのに、足が激しく震えて、手がうまく動かない。
迷いは無い、信念は曲げない、ここで倒さないといけない……それなのに、怖い。逃げたい。戦いたくない。
挑む意志はあるのに震えてボールすら投げられないアスカを見たシリュウは落胆したように溜息をつくと、侮蔑を込めた視線をアスカに送る。
「……逃げたければ逃げろ」
「なっ!?」
「正直がっかりだ、勢いだけの『勝てる』宣言だったとはな。こんな腰抜け、仲間になったとしても邪魔なだけだったか。曲がりなりにも、偽りにも俺の弟子だった奴がこんな腰抜けだなんてな、残念極まる」
「私は……私は!」
「挑むことすらしない、それは――」
「最も愚かな行為!」
震える右手でボールを掴み、普段より不器用ながらもアスカはボールをフィールドに投げ込む。
投げ込んだと同時に覚えた不思議な違和感。先ほどまでボールを投げるどころか掴むことすら体が拒絶するほどの震えだったのに、今は何故か、自然に体が動いたようにすら感じた。
繰り出されたムクホークはアスカの目の前に降りて来ると迷うことなく目の前の敵であるシリュウとボスゴドラを睨み付け、次に後方のアスカを見て、一度大きく頷く。
「どうやらポケモンの方が分かっているようだな。強大な敵であっても、やるべきことはあるとな」
「フルック……ありがとう。そうだ、目の前の敵ほどで無いにしろ、私は今まで格上の相手と戦ってきた。そしてかつての師匠から教わったはず、『諦めるものに勝機は来ない』って。1パーセントでも可能性があるなら、私は戦う。誰とだって!」
「満点だ。お前を見ているとつくづく俺の正しさが証明されているようで気分が良いな。だがそれと今の状況は別だ。行くぞ、一分ぐらい持てよ」