第十七話
医務室にポケモンを預けたアスカは急いで選手控室に戻って来ると、エリサとワタルのバトルは既に終盤のラストステージに差しかかっていた。
このバトルも先ほどのトーナメントの形式従って勝負を繰り広げており、シリュウによると既にそれぞれ三体目のポケモンを繰り出しているらしい。
最後のポケモンはエリサがヘラクロスでワタルがカイリュー、ディスプレイを見無くてもフィールドに変化が無いことから、場所は『コロシアム』だ。
カイリューの繰り出した業火をエリサのヘラクロスは横に回避すると同時に一気に相手との距離を縮めると、懐に飛び込んで力を溜め込んだ強烈な一撃を繰り出す。
決まった!――肩で息をするアスカが拳を握り締めた瞬間、吹き飛ばされたと思われたカイリューがその反動を利用して強烈な尻尾の打撃を繰り出した。
視界の外側からの攻撃に後頭部を撃たれたヘラクロスは激しくふらつき、そこへ体勢を整えたカイリューの『メタトンパンチ』が強烈にクリーンヒット。
吹き飛ばされたヘラクロスは宙高く舞い上がると地面に落下し、近づいた審判が放送室に向かって白旗でバツ印を作って送る。
『決まりました! 激戦の末に勝利を収めたのはカントー地方ポケモンリーグチャンピオンのワタル選手! 強い! チャンピオンズリーグの優勝者エリサ選手を、余力を持って倒しました!』
ヘラクロスとカイリューをそれぞれボールに戻した両者はそれぞれフィールドの中央で固く握手し、観客の声援に見送られながら二人ともフィールドを去って行く。
余力を持って――その部分がアスカには少し的外れな解説に思えたが、相手がポケモンリーグチャンピオンなだけに司会者の方も無意識のうちに過大評価の言葉を選んだのかもしれない。
これを以って全ての試合が終了し、ワタルとエリサが医務室にポケモンを預けた後で、優勝者に対する表彰と優勝賞品授与が行われる予定だ。
控室の選手たちはコロシアムのフィールドに向かうために立ち上がり、表彰式はフィールドに入ることを許可されているカメラマンたちがぞろぞろとその後に続く。
アスカ他の方を叩いたシリュウが部屋を出て行き、カメラを持ったスミレも部屋を出ようとして、ただ一人突っ立ってフィールドを眺め続けるアスカに歩み寄った。
「どうしたんですか、ぼーっとしちゃって……やっぱり、負けが悔しいんですか」
「ううん、それはもう乗り切ったの。この景色も見納めで、何か長い様で短かったなって思うと、何か寂しくなっちゃって」
「何となくわかるわけど、皆を待たせたら怒られちゃうわよ」
「うん、行きましょう」
チャンピオンズリーグコロシアムの医務室、少しうなされながら突然目を覚ましたマリンは一瞬自体を理解するのに時間がかかったが、直ぐに状態を起き上がらせて立ち上がる。
体温保持のための白衣を脱ぎ捨てると横に置かれていた自分の服に素早く着替え、最後に辺り一面を見渡すが、どうしても巻所のモンスターボールが見つからない。
カーテンを急いで開けると白衣を着た女性が突然後方で大きな音を立てたマリンに驚き椅子から転がり落ちそうになるが踏み止まり、ズレた眼鏡を直しながらマリンに微笑みかけた。
「あら、もう傷は良いのかしら。大した回復力だわ、骨折はしてないみたいだけど打ち身とかしてるから、まだ安静にしてた方が――」
「大会は! 大会はどうなってるの!?」
「そんなに慌ててどうしたの。あぁ、もうすぐ表彰式が始まるわね、貴方も急いで向かった方が良いわ」
「それどころじゃないのよ! ポケモン、私のポケモンはどこ!? 早くあいつを止めないと、大会自体が大変なことになる!」
「……大変って、どう言う意味? それに、ポケモンは休憩中よ」
「説明してる時間は無いの! 兎に角ポケモンを返し……まさか、貴方も!」
マリンが全身の傷に鞭を打ちながら一気に後ろに下がって距離を取り、不敵で不気味な笑みを浮かべる女性はゆっくりと立ち上がり、右手にモンスターボールを構える。
普通の看護師が放つオーラとは明らかに違う、もっと黒くて、そして知っている気配……そう、マリンが感じたのは、明確な敵意。
「なんだ、あの人の事を知っているの。だったら、ここを出すわけにはいかないわ。でも安心して、貴方が何もしなければ私も何もしな――」
「五月蠅いわね良いからポケモン返せってんでしょうがこの『おばさん』が!」
「ッのガキ……人が気にしてることをズバッと言ってくれるじゃないの。丁度良いわ、これからあんたをぶちのめす『お姉さん』の名前を覚えておきやがりなさい。『シンボルクロス』が一人、ミネル。嬲り殺しにしてやるわ、精々泣き叫びやがれ!」
「あんた、人に対してポケモン使う気!?」
「我々ロケット団に普通のトレーナーの常識など当てはめるんじゃないわよ! 糞ガキが!」
放たれたモンスターボールから繰り出されたミルタンクは跳び出すと同時に体を丸くし、地面を削るほどの高速回転を駆使して一気にマリンに迫る。
激しく痛む全身を無理やり動かし横に飛んだマリンの足の裏をミルタンクの回転する皮膚が掠り、勢いをそのままにミルタンクが壁に激突した。
コンクリートでできた壁に体の半分ほどが減り込む威力を目の当たりにしたマリンは顔面を蒼白させ、先ほどの攻撃が直撃してたかと思うと血の気が引く。
一歩一歩と迫って来るミネルと壁から抜け出して来たミルタンク、二人に挟まれたマリンが舌打ちすると、右足に何かがコツンとぶつかる。
モンスターボール……しかもマリンの名前が底に刻まれている、彼女のモンスターボール。
恐らく先ほどのミルタンクの部屋を揺るがすほどの衝撃によってどこかに置かれていたモンスターボールの固定が外れ、幸運にも彼女の元へやって来たのだろう。
ベッドとベッドの陰に隠れる形のマリンの変化に相手はまだ気づいておらず、マリンはボールを足の裏に隠すと、両手を上げながら立ち上がった。
「ま、待ってくれない。話し合えばほら……ね? ちゃんと分かるときもあるわよ。『お姉さん』だってさ――」
「今さら取り作ろうったってそうはいかねーわよ。お前は私の逆鱗に触れたんだ、精々嬲って弄んで糞のように扱ってやるってんのよ」
「……貴方、何か言葉遣い変じゃない?」
「どうも怒ってると言葉が少し変ってーか乱暴になるらしいんだけどね、そんなの大した問題じゃねーだろですわ。くたばりやがれ、糞ガキが!」
「そうやって怒ってばかりいるから、重要なところを見逃す」
「あぁ?」
「近づき過ぎた……それが決定的な敗因よ」
「訳分からねーことを、抜かしてんじゃねーわよ!」
ミネルがマリンの襟を掴みかかろうとした瞬間、鼻で笑うマリンは右足でモンスターボールの開閉スイッチを開き、褐色の光が彼女の後ろに現れる。
同時にマリンは大きくジャンプすると同時に空中で回転して繰り出したポケモン、マリルリの後ろに隠れ、右手の指を擦り合わせ音を奏でた。
それを合図にマリルリは大きく息を吸い込むとミネルの方へ顔を向け、もはや逃げられないであろう攻撃の距離に、彼女の表情が途端に引き攣る。
「お、お前! さっき偉そうなこと言っておきながらトレーナーを攻撃する気!?」
「だって仕方ないじゃない。相手は悪の組織だもん、正当防衛ってやつよ」
「ふざけるな! そんなことしてただで済むと――」
「思ってるわよー。だって私、あんたみたいに若さに嫉妬してる『おばはん』見てると、すっごくイライラするんだもん」
「テメー!」
「マリルリ、やっちゃってー」
もはや形振り構わず怒りのままに飛び出して来たミネル目掛けマリルリは小さく息をふき替えるように水を噴き出し、彼女の顔面に当てて動きを止める。
流れるように今度は指示を失い狼狽するミルタンク目掛けて最大級の『ハイドロポンプ』を繰り出し、凄まじい水流に吹き飛ばされた巨体が再びコンクリートに減り込み、医務室全体が振動した。
目を攻撃されたミネルは化粧が落ちて若干お化け屋敷に登場する幽霊みたいになっており、その顔を見たマリンが思わず少し噴き出し、彼女の顔を指差し笑う。
「ぎゃははははなーにその顔!? もう駄目! だいばくしょーだわこりゃあ! 妖怪『四十路お化け』って感じー!」
「殺す……テメーだけは絶対に殺してや――」
「調子乗ってんじゃないわよ、えぇ? 三下の癖に私を殺すだぁ?」
大爆笑から一転し殺人鬼のような醒めた表情になったマリンはミネルの胸倉を掴むと、眼前まで顔を近づけて睨み付ける。
「ひっ、ミルタンク! 何してる、早くこのガキを轢き殺しちまえってんのよ!」
「あいつなら壁に減り込んでおねんねしてるわよ。さて、私を馬鹿にして殺そうとした代償、たっぷりと味あわせてあげるわ。この糞婆が!」
「は、ははは……これだからガキってのは……」
全てのトレーナーが一同に集う中でエリサの表彰式が行われ、壇上に上がった彼女にポケモン協会会長から表彰状とマスターボールが手渡された。
少し羨ましそうに眺めるアスカの頭をシリュウが軽く叩き、少し嬉しそうに溜息をついたアスカは姿勢を正して前を見直す。
大歓声の拍手の中で少し恥ずかしそうに手を振りながら戻って来たエリサをそれぞれのトレーナーが拍手を送り、アダムの横に戻って来る。
アダムとリアは互いに視線を重ね合うと小さく頷いて周りを見渡すが特に何か異常が目立った感じはみられず、先ほどの心配が杞憂に終わるのを祈るしかない。
彼らが見つけた小さな異常は二ヶ所、電力室と電子制御室。
本来立ち入り禁止の場所にいた人間……もちろんただの警備員や管理人と言う可能性も否定できないが、気になる存在であった。
意気揚々となった会場でポケモン協会会長がチャンピオンズリーズ終了の挨拶をし、最後に観客に感謝の言葉を贈る。
『皆さん長い間真にありがとうございました。トレーナーたちによる熱いバトル、どうか忘れずにその胸に刻んでください!』
「会長、俺からも言いたいことがあるんですがいいでしょうか?」
――師匠?……
今までどんな大会で何があっても自分から特に述べることのなかったシリュウを知っているアスカは、態々手を上げて主張するシリュウに僅かな不安を覚えた。
それと同時に感じ取った小さな変化……会長に許可されて壇上に歩み寄るシリュウのその手を掴み取って、止めてしまいたくなる妙な衝動。
会長からマイクを受け取ったシリュウはゆっくりと壇上に上がり、そして会場を一通り見回してから次は参加トレーナーたちを見回し、アスカと一瞬視線が重なる。
不安――アスカが駆け寄ろうとした瞬間にシリュウの鋭い視線に足が凍り付き、シリュウが小さく何かをつぶやくがアスカの耳に届かない。
『皆さん、今回は態々チャンピオンズリーグに足を運んで下さってありがとうございます。大会は楽しかったでしょうか? 残念ながら私は、体調不良によって参加できませんでした』
普通……それが余計に、不安。
『ところで私はジョウトのトレーナーとしてここに来ましたが、出身はグレン島のある村です。ずっと、こういう機会を待っていたんですよ……ねぇ、会長』
「君、一体何を言って――」
『ようやくこの機会が巡って来た。貴様を同じ失墜に叩き落すため、絶望を嘗めさせるため、この日を待っていた』
「だから何を言っているんだ君は!」
『思い出せないのか、貴様の懺悔に。まぁいい、じっくり思い出させてやる……立て』
シリュウの合図と同時に会場のおよそ十人に一人が一斉に立ち上がり、服を脱ぎ捨てると同時に下から現れたのは黒い服と『R』の印。
ロケット団……会場の声が一気に恐怖の声へと変わり、同時にアスカがシリュウの元へと駆け寄るが、その道を阻むように一人の影が割って入る。
「シリュウ様には手を出させん。例えお前が偽りの弟子であっても……な」
「な、何よあんたは!?」
「イシュタル、余計な事をするな。お前はこれからの行動に備えろ」
「はっ、了解です」
一歩二歩と後ろに下がるイシュタルは踵を返すとモンスターボールから一匹のポケモンを繰り出し、その鳥ポケモンの背中に乗って観客たちの元へ戻って行く。
「師匠! これどう言うことですか! 何やってるんですか一体!? 馬鹿なことしないで戻ってきてください!」
「どうもこうもこう言うことだアスカ。俺はな、復讐のために長年機会を待っていただけ。お前はそのための、カモフラージュ。まぁ見ていろ、黙っていれば……直ぐ終わらせてやろう」