第十四話
長く感じた十分間はあっという間に過ぎ、フィールド出入り口のベンチに座っていたアスカはより一層深く深呼吸し、雑音か歓声かも分からない声がするフィールドの方を横目で見る。
予選から長い戦いを勝ち抜き、このコロシアムに来てから三人の強敵と戦い、彼らの想いを引き継いでいるアスカの面持ちは無表情。
相手はシリュウも言っていた通り一戦しかしてないとは言え激しい死闘をくぐり抜け、アスカ自身が七位に終わったジョウトリーグで初参加にも拘らず優勝を収めたホウエンで最も期待されている新人ポケモンレンジャーだ。
油断していては恐らくあっという間、それこそ全く攻撃の隙を与えてもらえず負けてしまうかもしれない。
改まって今再び自分がこのチャンピオンズリーグの決勝戦に居ることを考えると、アスカは呼吸が少しずつ早まり、両手両足が妙な寒さに震える。
先ほどのバトルでもそうだがホウエンリーグでのエリサの戦いも、アスカはシリュウの指示もあってしっかりと観察し、見ていた。
この試合は師匠であるシリュウが直接見ている試合なだけにアスカとしては当然負けられないし負けるわけにもいかず、もう一度深呼吸すると、入口のランプが赤色から青色に変わる。
『さぁーついに最終バトル開始です! 怒涛の快進撃を続けるアスカ選手、そして激しい激闘を制したエリサ選手、入場!』
司会者の紹介と共に立ち上がったアスカは光が差し込む入口を見据え、先ほどより重い足を一歩一歩と進める。
先ほどまでも確かにフィールドに出るときは脚が普段とは違う間隔を覚えていたが、今回は今までとは違い、まるで足の裏が地面にくっついて動かないかのような感覚。
立ち向かわなければいけない相手、立ち向かわなければいけない場所……絶対に勝たなければならないという重圧がアスカの心に乗りかかり、圧迫する。
氷に張り付いた足を無理やり引き剥がすような感覚に襲われながら光溢れる世界へ飛び込むと、先ほどよりも凄い声援に迎えられ、アスカは観客席を見渡した。
変わらない――多くの人に迎えられたアスカは苦笑しながら溜息をつくと、先ほどまで動かなかった足が嘘のように軽快に進む。
正面から歩いて来るエリサを見据え、相手も向かって来るアスカを見据えながら薄らと笑みを浮かべ、二人がフィールドの中央に来ると、互いに手と手をつなぐ。
「良い顔してるじゃない。余裕って感じなのかしら」
「そう言う貴方だって随分余裕ありそうね。師匠が選手控室で見てるんでしょ、だったら恥ずかしい戦いはできないわね」
「そうね。だから、貴方にはここで負けてもらう」
「私だって負けたら師匠に色々言われちゃうの。いやまぁ勝ってら勝ったで何か言って来るって言うか、結局何しても何か言って来るんだけど……負けないわ」
「お互い負けられないようね。とは言え、私は勝つ」
「私だって、絶対に勝つわ」
二人がそれぞれのトレーナーサイドに戻ると同時に巨大ディスプレイのルーレットが周り出し、二人が戦うべき最後のフィールドを決定する。
皆の視線がディスプレイに注がれる中でアスカとエリサだけは互いの視線を重ね合っており、そしてディスプレイがゆっくりと動きを遅くして行くと、二人とも右手にモンスターボールを。
フィールドが決定すると同時にアスカとエリサはそれぞれ一瞬だけ決まった場所を確認し、右手も乗っていたモンスターボールを迷うことなくフィールドへ投げた。
指示されたフィールドは『沼地』、アスカ達の周りの地面の色が突然茶色に染まり出すと、トレーナーサイドを除いて徐々に辺り一面の地面がドロドロに緩くなって行く。
アスカの投げたボールから現れたのは飛行タイプのムクホーク、反対にエリサの投げたボールから出て来たポケモンは姿を現すと同時に沼の中に潜り、そのすがたをみせていない。
恐らく水を下から噴出してフィールドをドロドロにしているのだから、エリサが繰り出したポケモンは水タイプと見るのが妥当だろう。
「さて、姿が見えないとなると……厄介ね」
「ふふふ、私は自由にやらせてもらうわ。ミカロス、あまごいよ!」
姿が見えないとは言え沼自体は決して深くはないのか、相手のポケモンが一瞬動いた際に生じた泥の動きを、アスカは視界の端でしっかりと捉えた。
「そこだ! フルック、とっしん!」
「目敏いわね。ミカロス、迎撃にシフト!」
沼の中に潜む敵目掛けて迫るムクホークが水面に近づいた瞬間、沼の中から現れた水を纏う尻尾に激突し、パワーで勝ったムクホークが相手を沼の中から吹き飛ばす。
衝撃と共に泥の中から姿を現したのは泥のフィールドには似付かない美しきフォルムを持つ、いつくしみポケモンのミロカロス。
さらに追撃するべく『とっしん』の速度を保ったままのムクホークが迫るが、泥の中に逃げ込んだミロカロスは直ぐにその場から姿を消すと、再びどこにいるのか分からなくなった。
フィールドのあらゆる場所に目を配らせるが静かに移動しているらしくミロカロスの動きが掴めないアスカは、ムクホークをひたすら旋回させるしかできない。
相手が何かアクションを起こせば位置が分かるが、動き少なく静寂のうちに実行されてしまっては何も分からないのだ。
観客がどよめいているようだがフィールドに何かが起きている気配も無い、恐らくはミロカロスが姿を現さないことに対するものなのだろう。
どこから――アスカが一面に気を配っていると突然彼女の視界の上側を切り裂くように光線が横切り、旋回していたムクホークの右翼をかすると、羽が少し凍りつく。
「なっ! 後ろ!?」
アスカが後ろを振り向くと先ほどまでは人が歩けるほどの泥濘程度だった場所がいつの間にか巨大な沼地になっており、その一部が若干だが凍りついている。
先ほどの観客のざわめきはアスカの後方で沼地が徐々に広がっている物に対して、恐らくはミロカロスが少しずつ水を出してその領域を拡大していたのだ。
手っ取り早く『にほんばれ』をしてバクフーンへとつなげる手もあるが、先ほどエリサが『あまごい』の指示を出したところを見るに、交代の時の隙を突かれて更なる沼地へ変えられかねない。
アスカが後ろを向いている間に今度は彼女の正面目の前で『れいとうビーム』が発射され、旋回するムクホークの翼を再び掠り、凍りつかせる。
このままでじわじわと体力を削られ負ける……アスカは右方向から放たれた『れいとうビーム』を見切ると、今度はしっかりとムクホークに指示を出し回避させる。
「埒が明かない、ちょっと不安だけどやるしかないわね。フルック! 沼地を利用するわよ!」
「何か来るわね。ミカロス、打ち落して!」
ムクホークが大空で翼を羽ばたかせながら咆哮を上げ、少ししてアスカの後方から放たれた『れいとうビーム』を、今度もしっかりアスカが指示を出して回避させる。
「見切られた!?」
「何度も同じ手に引っ掛かるほどアホじゃないわ、そして今ならいる場所も分かる。フルック、ぶっとばせえ!」
放たれた『れいとうビーム』を回避すると同時にムクホークはアスカの後方目掛けて風を切り裂きながら一気に突進し、池の中で蠢く影目掛けて沼など気にせず突っ込んだ。
激しい衝撃と共に辺り一面の泥が高く跳ね上げられ、巻き上げられた泥はアスカとエリサ、さらには観客のいる場所まで飛び散り飛散する。
ゆっくりとアスカが目を開けてみるとムクホークの体がミロカロスを地面と挟むような形で捉えており、だがまだ体力が残っているのか、ミロカロスが口を開くと青白い光が集まって行く。
必殺の『ブレイブバード』の衝撃でダメージがあるムクホークだが相手よりも一足先にその尻尾を両足で掴み、羽ばたくと同時に相手の巨大を振り回しながら大回転。
パワー溢れるムクホークの荒々しい技に会場は一気に盛り上がり、相手を大量に回転させたムクホークはミロカロスを空中に投げると、再び羽ばたいて相手に迫る。
空気を切り裂き捉えに掛かるムクホークに対し振り回されたミロカロスはおぼろげな意識の中で確実に『れいとうビーム』のエネルギーを蓄え、敵を視界に収めてそれを発射。
まさに眼前まで迫っていたムクホークがミロカロスに激突すると同時にミロカロスの攻撃が放たれ、互いの攻撃がそれぞれにクリティカルにヒットした。
空中に居たミロカロスはさらに空高く吹き飛ばされ、相手の『れいとうビーム』の直撃を受けたムクホークは、体中を凍らせながら蛇行して落下。
吹き飛ばされたミロカロスは上空で苦しいながら姿勢を整えると同時に水を噴射し、ムクホークとミロカロスは互いのトレーナーの前に落ちて来ると、ぐったりとその場に倒れそうになる。
暗黙の了解――アスカとエリサはそれぞれボールを手に取るとポケモンを戻し、次に出すべきポケモンをその手に構えた。
『何と両者ともに同時にポケモンを交換! むしろ二人が互いに納得し合い、隙を作り合って成立した不文律のようにも見えます! この勝負、この先まだまだ荒れそうです!』
ボールに戻したアスカとエリサは構えたモンスターボールを再びフィールドに投げ込むと、それぞれのボールから褐色の光に導かれポケモンが姿を現した。
アスカが繰り出したボールから飛び出したラプラスは沼の中にその身を沈め、エリサが繰り出したポケモン、ヘラクロスは沼の上に立つ。
「行くわよ、アスカさん」
「こちとら行かせてもらう、次が第二ラウンドよ!」