第十話
激戦を終えたアスカとリアは傷付いたポケモンを医務室に預け、現在彼女は選手の控室におり、先ほど戦ったリアの姿は確認できない。
リアが述べていたことが気になっているアスカだが、今はまず目の前の大会で優勝することが最優先の目標。
しかし先ほど医務室に行った際にベッドにマリンが気を失った状態で寝ていたことが、リアもそうだがアスカも少し疑問に思っていた。
看護士が言うに恐らく階段から足を滑らせて脳震盪を起こしたとのことだが、いまいち腑に落ちない。
それ事態は別に不自然だとは思わないし、体中に痣が沢山あったところを見れば階段から落ちて怪我をしたと言う看護師の予測は恐らく正しいだろう。
だがマリンを誰が運んできたかについてはあまり教えてはくれず、あくまで『知らない男性』としか言っていない。
あれほど運動性能に優れていたマリンがそんな簡単に階段から落ちて怪我なんてするかしら?――俯いて頭を捻るアスカだが、これがどうして不自然と思うか自体が不自然にすら思ってしまう。
シリュウの方は既に点滴も終わって体調を取り戻しており、看護師曰くあと少し安静にすればラストの試合には控室に戻って来れるらしい。
「うぅ、ラストの試合は師匠が直で見るんだ。負けられない」
「ぬうぅ……っは! ここはどこだ!? 試合はどうなった!? 今何時だそんなことはやっぱりどうでも良いから早く戦わせろ!」
「うわぁ、鬱陶しいのがまたお目覚めだわ」
先ほどまで何度も何度も気を失っていたヨウタはようやく完全に復活すると、フローゼルの冷凍パンチを右手でいなして軽快に回避する。
正直言ってアスカとしては五月蠅いので眠っていて欲しかったが、ここまでせっかく来てバトルが全くできていないフラストレーションを考えれば、まあ少しは哀れみも覚えるものだ。
ヨウタは壁に掛かっているディスプレイに表示されたトーナメントの表を確認し、先ほどアスカとリアの戦いが終わり、まだ自分の番が来ていないことに再び歯を噛み締めた。
「まだなのか! 俺はいつになったらこのイライラを解消できるんだ!」
「――フン、五月蠅いぞ貴様。カントーの馬鹿ゴリラは控室で大人しくすると言う常識すら学ばないのか。動物園のヤルキモノですらもう少し静かだ」
「一回戦楽しそーに戦ってたお前と違ってこっちはまだ何もしてないんだよ! それとも何か、お前がこのイライラを晴らしてくれるのか!?」
フローゼルに近づいて行ったアスカはその肩を軽くポンっと叩き、互いに頷き合うとゆっくりとヨウタに近づいて行く。
「何だ、やるのか? フン、今ポケモンは持っていないが、人間としてぶちのめしてやってもいいぞ」
「上等だちょっと表まで面か――ん? 何だ?」
後ろから肩を叩かれたヨウタが後ろを振り向いた瞬間、二つの拳がその顔面をクリティカルに捉える。
「五月蠅いってんのよ!」
「ぐほうぁ!」
アスカとフローゼルの強烈な拳をもろに受けたヨウタは派手に吹き飛ぶと同時に壁に叩きつけられ、ベッドで気を失っていたマリンより遥かに酷い状況に見える。
熱い友情が生まれたのか拳と拳を軽くぶつけ合ったアスカとフローゼルを前に、アダムは鼻を鳴らしてそそくさとその場から少し離れた。
壁にもたれてぐったりとしているヨウタをフローゼルが持ち上げると、そのまま少し離れた場所のソファーの上に彼の体を放り投げ、気が立っているのかさらに彼の腹部にもう一発パンチ。
あまりに酷い状態に少しうろたえたエリサがウェストポーチから塗り薬を取り出してヨウタに近づいた瞬間、ヨウタの瞳が一気に見開かれ、エリサが小さな悲鳴を上げて立ち止まる。
何あいつ、化け物の類なの?――横目で一連のやり取りを見ていたタタは首を左右に振って意識を鮮明にするヨウタを見て、同じ人間とは思えない何かを感じた。
「えーっとヨウタさん、大丈夫ですか?」
「あぁ、まるで問題ない」
「よかった。次戦う相手がまた居なくなったら、私としても悲しいわ」
「……そうか、俺の次の対戦相手はお前だったな。その服装、ポケモンレンジャーか。戦うのが楽しみだ」
「ホウエン代表のエリサです。慌てなくても、直ぐに戦えます。それまでは体調を整えておいて下さいね、後で負け惜しみは聞きませんよ」
「手厳しい奴だな。よし、分かった。次はアスカとタタか……おいタタ、さっさと終わらせろよ」
「何で私にあんたが指図するのよ」
「同じシンオウ代表として応援してんじゃねーか、頑張れよー」
「ったく。とは言え、当然だけど負けるわけにはいかないわね」
鋭い視線で自身を見据えるタタの視線に気づいたのか、アスカもタタの視線に自分の視線を重ね、二人の間で意識と意識がぶつかり合う。
そんなタタのすぐ傍で座っていたアダムは小さく息をつくとともに立ち上がり、居心地の悪い選手控え室を出ると、廊下を駆けていたリアにぶつかり彼の華奢な体が反動で跳ね返された。
まるで子どもがぶつかったかのように微動だにしないアダムはリアの存在の存在に気が付くと手を伸ばし、リアもその手を受け取って弾みをつけて立ち上がる。
「お前、さっきから走り回っているようだが」
「ちょっと調べ事をしててね、走り回るのは得意じゃないから結構疲れているよ」
「……第六感と言うのを俺は信じる方なんだが、この大会、始まった瞬間から時折不穏な空気を感じる時がある。お前もそうだと言うなら、俺にも手伝わせろ」
「何も起きないのが一番良いんだけどね、手伝ってくれるならありがたい。ただ異変に気づいても下手に手出ししない方が良い、僕らは今ポケモンを持っていない」
「それも含め、何か不穏だ……不穏の正体を探す前に、俺は少しすることが出来た。嫌な予感には、少し手を打っておく」
「わかった。お互い、何事も無く後で会おうか」
「――フン、精々お互いくたばらんようにな」
リアが差し出した拳をアダムも拳で受けると、それぞれ別々の方向に向かって歩き出す。
医務室から回復したポケモンたちを受け取って来たアスカは一度深呼吸し、何度味わっても緊張する大歓声の海へと突き進む。
『さぁ出てまいりました! アダム選手とリア選手を立て続けに破ったアスカ選手が、迫力は今回の大会でもナンバーワンだった戦いを制したタタ選手が、ゆっくりとフィールド中央へと進んでいきます!』
それぞれ指定の位置に着くと同時にお決まりの大型ディスプレイによるルーレットが大きく回転を始め、アスカもタタも既にモンスターボールを右手に持つ。
徐々に回転の速度を落して行ったルーレットが次なるフィールドの場所を指定した瞬間にアスカとタタはそれぞれボールを投げ、同時に褐色の光がフィールドに稲妻となって落ちた。
指定されたフィールドは『コロシアム』、再び何の変化も訪れないフィールドでのバトルになっただけに、今までフィールドの地の利を生かした戦術を使っていたアスカに対する評価が若干低く見積もられるのは拭いきれない。
繰り出されたアスカのポケモンはアダムの時同様先手のムクホーク、対するタタは今大会で初めて見せたフローゼルを繰り出し、互いに互いの動きを警戒しフィールドを駆け巡る。
「まずは様子見と行こうかしら、フルック! 『でんこうせっか』!」
「ならこっちも。フローゼル、『でんこうせっか』よ!」
空中から一気に降下して襲い掛かるムクホークに対しフローゼルは尻尾を大回転させるとともに地面を走り出し、最高速度のままジャンプして互いに空中で激突し合う。
重苦しい衝撃音と共に弾かれたムクホークは一瞬ひるみ、同じく弾かれたフローゼルは着地すると同時に尻尾を激しく回転させながら口から冷気を吐き出し、辺り一面に鋭い氷の破片を風に乗せて展開。
気象を変える技の一つ『あられ』、激しく打ち付ける暴風と氷の粒の中をムクホークは風に身を任せ移動することで、ダメージを最低限に抑える。
「『あられ』の時は相手の出方を予測し、それを待って対処すべし……師匠の言う通り、無理な行動は命取りね」
「何もしなくても命取りよ。寒いときに油断してると、植物は一気に萎えてチャンスを失ってしまう。ここはもう、私のフィールド」
不安定な視界の中でタタの言葉に意識を奪われている間にフローゼルの影が一気に動き出し、あられの中を流れに任せて動くムクホークの元へ突っ込む。
一瞬『でんこうせっか』に見えたようだが若干違う、敵の攻撃の直撃を受けたムクホークがアスカの前にゆっくりと着地すると、その攻撃を受けた羽の場所が若干凍っており、動かない。
先ほどの方にただの攻撃ならこういう現象にはならない。恐らく敵が使った技は水を纏った先制攻撃である『アクアジェット』、あの素早さに『あられ』のフィールド、分が悪い方だ。
ここは無難に交代すべし――目の前に下りて来たムクホークをボールに戻し、アスカは別のボールをフィールドの中央に投げ込む。
状況を圧倒的に有利にしている要因はこの視界不良による『あられ』、そしてその中で自由に動け、かつ圧倒的な速度を保持するフローゼルの性質。
ボールから現れたポケモン、バクフーンはフィールドに現れると突然背中の炎を全開にし、渦巻く『あられ』を突き破る様な激しい咆哮を手人に向かって吠えた。
それと同時にフィールドを覆っていた大量の氷の粒が水となって地面に落ちて行き、スタジアムの上部から激しい太陽の光が大量に降り注ぐ。
「っく、何が――」
タタ自身の視界も若干悪かったこともあり相手のポケモンの行動が見えにくかった、それが災いし突然上部から降り注いで来た眩しい光に、彼女とフローゼルの視界が一瞬白く染まった。
それと同時に駆け出すバクフーンは背中から激しい炎を生み出し、フィールドに棒立ちするフローゼル目掛け重い突進を繰り出す。
吹き飛ばされたフローゼルは何とか空中で身を回転させ体勢を整えると、再び迫り来るバクフーンの攻撃を横に回避し、反撃することなくさらに後ろへ。
「そうか、『にほんばれ』をされたってわけね。今度は貴方のフィールドかしら」
「自分に有利な状況を作り出せって散々言われてんだから、ここで負けちゃあ私がまた馬鹿扱いされちゃうわ。さぁ、行ける限り突っ走るわよ!」