第一話
春の訪れを告げる桜は満開に咲き乱れ、ここタマムシシティでは新年度のバーゲンなどが例年通り催され活気に満ち溢れている。
大通りを行き交うのは兎に角人の群ればかり。右を見ても人、左を見ても人、後ろを見ても人、上を見ても人。
飛行タイプのポケモンで移動する人がかなり多いので最近では『飛行ポケモン交通規制法』と言う法律まで制定されてしまうほどに、人は訪れる。
今年度は寒波が酷く例年なら暖かくなる季節にも関わらず未だに皮膚を打つ風は体温を奪うが、それがどうしたと言うほどに人は多い。
だが例年にも増して人が多いのは、突然人口爆発が起きたからではない。別のイベントが実施されているからだ。
人々が向かう先――タマムシシティの郊外にあった広大な空き地を利用して作られた、セキエイ高原のポケモンリーグ会場に優るとも劣らないほど巨大なバトルスタジアム。
二年前、ロケット団がジョウトで再び解散する数ヶ月前に工事に着手し、そしてついに先日、大々的にオープンした。
まだ工事中の場所は数ヶ所ほど残っているが、目玉である巨大バトルフィールドと直視可能な拡張現実による3Dシステムによる臨場感溢れる視覚システムはしっかりと作動している。
朝八時にも関わらず会場は既に満席状態で熱気に満ち溢れおり、フィールドの端にはビデオカメラを持ったマスコミも多い。
大会の優勝賞品は各地方のポケモンリーグにおいて無条件予選突破の資格、さらに副賞としてマスターボールで、かなり豪華である。
その大会の名は『チャンピオンズリーグ』。各地方の予選を勝ち抜いて来た強者が集う大会。
開始時刻の九時になった瞬間、燦々と輝く太陽を潰すかのように天上が左右から閉じて行き、ゆっくりとした動きでしっかりと密閉される。
空調や冷房は完備されているため、観客は多少熱い程度で済んでいるはずだ。
天上を閉めるのは天上にも立体3Dを再現するのに必要な装置が大量に組み込まれているからで、天上を閉めなければ太陽光が強過ぎて立体スクリーンが投影されない。
それと時を同じくして会場にセキエイリーグでも流れるポケモン協会公式の讃美歌が流れ、選手たちが一列になって登場する。
人工的な熱気をその肌に一身に浴びながら、十名の選手は広大なフィールドの中央へと足を運ぶ。
参加者はカントー地方が四名、ジョウト地方が二名、ホウエン地方が二名、シンオウ地方が二名と、開催地方の為かカントーの選手枠が若干多い。
皆面持ちは一様で、無表情に歩く者もいれば熱気に燃える者、何故か口論する者、緊張する者、動きがぎこちない者もいる。
その中の一人、ジョウト地方代表のアスカはロボットのようにぎこちない動きで自慢のポニーテールを靡かせながら歩きながら、大量の観客の声援に震えが止まらない。
「はわわわわーひ、人がたくさんいるよー、熱いよー。し、師匠ー!?」
「落ち着け……と言っても無駄だな。どうせ本番になればいつも通り、実力は出せる。緊張するのも経験のうちだ。精々たっぷり緊張しろ」
「そ、そんな殺生なー」
「いーかこの前は偶然負けたが今回は確実に俺が勝つぞ。総合数じゃ俺の方が勝ち越してんだからな」
「はぁ? この前のセキエイリーグで俺に負けた奴が何か吠えてるなー聞こえないなー」
「シグレ! テメーちょっと表出ろ!」
「上等だ今度こそテメーのハイエナみてーな態度この場で修正してやる」
「ちょっとジョウト組、進行中にごちゃごちゃ五月蠅いわよ。そしてカントーの二人! ちょっと黙りなさい!」
「やれやれ、哀れな道化たちが叫び回る。同じカントー組として、恥ずかしい限りだ」
黒いジャケットを羽織った若干女に見えなくもない男性は嘆息し、首を振って大量に巻き付けたベルトをジャラつかせる。
ただでさえガタガタだったアスカはさらにオドオドが加わり、もはや泣く寸前の子どもみたいな情けない表情に。
口論を続けていた二人は叫ぶことは止めたが相変わらず目線だけで激しく火花を散らし、妙な因縁関係があるのは他の参加者の眼にも明らかだ。
四人を注意した女性はまだ注意が物足りなそうだったが、同じくシンオウ代表の男に肩を叩かれ、仕方なく引く。
ただの進行に見えるが、既にこの段階で、他の地方より精神的に優位に立とうとするのは、トレーナーとして当たり前の対応かもしれない。
最もジョウト代表のアスカは優位に立つどころか、逆に追い詰められているイメージしか湧いてこないのだが。
全員が中央に到着すると横一列に並び、別の入り口から入って来たポケモン協会の会長がゆっくりと選手たちの前に歩いて来る。
アスカは隣に立つ師匠の肩をちょんちょんと叩き、耳に手を当てて小声で呟いた。
「ねぇ、師匠。あれ、誰でしたっけ?」
「カントー地方のポケモン協会の理事長だ。セキエイリーグでも見ただろ、もう忘れたのか」
「え、えへへへへ」
「ここ十数年理事長は奴だ。あいつが……」
「師匠?」
「最高責任者なんだ。お前は将来もっと上に行くなら、各地方の理事長ぐらい覚えておけ」
「わ、分かりました!」
一瞬彼の瞳に映った強い意志にアスカは小さな疑問絵覚えるが、すぐにその表情は元に戻る。
理事長は全員の顔を見渡すと満足そうに頷き、横から係員の女性が持って来たマイクを手に取った。
「えーご来場の皆さん。遠路遥々、誠にありがとうございます」
「いーから早く進めなさいよー。ブーブー」
「マリン、女性はもっと清楚な言葉を使わないと駄目だよ。穢れは何れ自分に戻り、君を道化に変えるよ」
「五月蠅いオカマ」
「……女性に間違われるのは慣れているが、オカマはさすがに傷付くね」
「ごほん。さて、諸君らは予選を勝ち抜いた実力者同士。気が張るのも分かるが、どうか落ち着いてくれ。さて、早速だが、戦いの順番を決める」
「事前に聞かされているわ。トーナメント何ですってね」
ポケモンレンジャーの制服を羽織った藍色のセミロングヘアーの女性が一歩前に出ながら答えると、理事長は力強く一度頷く。
彼が横を見ると同時に待機していたスタッフが一つの箱を持って現れ、それを理事長に渡して礼儀正しく退却。
彼に渡された箱には一つだけ手を入れる穴が開けられており、当然ながら中は見えないが、何かを引いて番号を決めるのは明らかだ。
理事長は穴から中を見ると箱を振り、カントー地方代表の一人、マリンと呼ばれた女性の前に立つ。
「中ボールが入っている。引きたまえ」
「私からでいいのね。さーて……何が来るかしら。とりゃ!……三番よ」
「ではそのままボールを持っていてくれ。皆、順々に引いてくれ」
カントー、ジョウト、ホウエン、シンオウ組の順にボールを引いて行き、会場は先ほどより若干ながら静まり返った。
全員がボールを引き終わり、全ての選手が理事長に自分の番号を伝え、各選手の番号を端末から入力していく。
先ほどまで調子が悪かったのか途中で会場のマイクテストが入り、会場の巨大ディスプレイに放送室から撮影している理事長の姿が映し出された。
理事長が端末に打ち込む情報が全て放送室に送られ、司会者が再びマイクテストを行う。
『あーあー……よし。さー全ての選手の入力が終わりました! 結果が今、ディスプレイに表示されます!』
静まり返っていた会場が再び台風でも訪れたかのような熱気に包まれ、ディスプレイにトーナメントの結果が表示される。
一回戦
アスカVSアダム
マリンVSタタ
ヨウタVSシリュウ
シグレVSカズハ
シード:リア エリサ
『さー戦いは決まったぞー! 一回戦は、ジョウト出身のアスカ選手VSホウエン出身のアダム選手だ!』
「――フン。やるからには容赦しないぞ、アスカとやら」
横に立っていた薄着のトレーナー、と言うよりその筋肉具合からむしろ探検家や格闘家が似合っている男が不敵に笑いながらアスカに宣戦布告し、固まっていたアスカはその成りに若干腰を抜かす。
「ラ……ランボーがいるー!」
「そこまで原始的じゃない」
「て言うか、私初戦からなのー!? し、師匠ーどどどどどうすればいいんですかー!?」
「いつも通り行け。以上、相手は全員強敵だ。全力で挑め」
「ふぇえ〜!?」
「ほう、シリュウとか言ったか。お前はこいつの師匠なのか。フン、大した弟子だな」
「馬鹿にしているのも今のうちだ。俺の弟子は、強いぞ」
立ち去ろうとしたシリュウとアダムの視線が重なり合うと同時に激しい重圧が中央に居たアスカを襲い、半泣き状態に成りへなへなと地面に倒れ込む。
それを見たシリュウが溜息をつくと彼女の手を引っ張り体を起こし、両肩を掴んで彼女の瞳を睨みつけるように見つめた。
「いいか。お前はいつも通りやればいいんだ。自信を持て。お前は、強いんだ」
「し、師匠……はい! 私は、絶対に勝ちます」
「ただ俺が見た限りじゃお前の対戦者の方が若干強く見えるが」
「な、何でそんな余計なこと言うんですかー!?」
「――フン、実力を見抜く目はまぁそれなりにあるようだな」
「安心しろ、拮抗してるってことに変わりは無い。よし、行って来い」
シリュウはアスカを百八十度回転させてその背中を叩き、アダムの前まで突き飛ばした。
強靭な腹筋に頭をぶつけたアスカは弾き返され、不敵に笑いながらも険しいプレッシャーを放つアダムを見上げる。
震える右手を握り締め、頬から流れる汗が地面に落ちて行くのが止まらない。
こんなに震えるのは初めてじゃない。どこの地方のリーグでも、最初は震えるし、決勝に近づくにつれて大きくなる。
だがそれでも、常に戦って来た。これはただの震えじゃない。そう、強敵と出逢う時に感じる、武者震いだ。
明らかに震えながらも薄らと笑うアスカの表情を見たアダムの表情から余裕が削げ落ち、彼も薄らと笑う。
「フン、良い表情だ。来い、俺の全力で叩き潰そう」
「私は……簡単には負けてやらないわ。行ける限り、突っ走りますよ!」