追われる者
冷たい夜風が頬を伝う。
目に映る景色は目まぐるしく流れていき、常に髪はなびき続ける。
アスファルトの地面を蹴って、コンクリートの塀の頂上に前足を引っかける。そして、腹筋に力を込めて、一気に体を持ち上げる。
右後ろ足で塀を捉え、勢いをつけて塀の上から跳ぶ。
闇の中に鉄筋の建物の屋上を把握し、グレンは四肢を曲げて軽やかに着地した。
そのまま着地のエネルギーを前に持っていき、加速エネルギーに転じる。連なる建物を次々に飛び越え、風のような速さであっという間にグレンは目的の場所まで到達した。
海のそばの工場屋根。
夜中になると人通りが途絶えるここら一帯は、やはり移動に向いていた。近くに映る煌々とした建物はポケモンワールドトーナメント会場に間違いない。
眼下に広がる海へと、グレンは視線を向けた。
黒々とした海面は、かすかに水音をたてるのみ。風も無いので波も低い。すべては予想通り。
グレンは座り込んで、ホドモエの街並みを眺めた。
名前を教えてしまった。なるべく痕跡を残したくはなかった。
だが、エルベさんなら多分約束を守ってくれるだろう。それに――エルベさんが彼らと接触するとは限らない。むしろ、彼らと出くわす可能性の方が限りなく低い。
知られてしまったことは仕方がない。彼らも論理的に考えて私がホドモエシティに立ち寄る可能性には行き着くはずだ。ならば、彼らがここにやってくるのも時間の問題だろう。
おもむろに立ち上がり、グレンは後ろ足に力を込めて海へとジャンプした。前足と後ろ足を折り曲げて胸にたたみ、空中で前転する。頭を下にして一気に体を伸ばし、垂直に海面へと飛び込んだ。
濁った音が無数の泡とともに体を包み、グレンは息を吐きながら海底へと潜った。
海中はしんと静まり、いくつかの魚影が確認できる。PWT会場の明かりが侵入し、辺りを淡く照らし出している。
もっとも、グレンにはそこまでの明かりを必要せずとも、十分に海の様子が見て取れる。
ゆらゆらと活発に泳ぎまわるプルリル、巨体を流れに任せて漂わせるママンボウ。そして、せわしく動くのはバスラオたち。
海底に沿って数十メートル泳ぎ、浮上する。大きく水を飛ばして、息を吸い込む。
海面のうねりはやはり穏やかで、さっきより近づいたPWT会場がグレンを照らした。
常識的に考えて、グレイシアが海を泳いで移動するという思考には至らない。だが、彼らは賢しい。私が水泳に長けていることも知っている。
でも、無駄な努力だとは思わない。予測はあくまで予測。それに、万が一出くわしたとしても、逃げ切る自信はある。
空気を大きく吸い込み、グレンは再度潜水した。
そうであっても、彼らとの接触はなるべく避けたい。この手で彼らを痛めつけるなど、私の心が許さない。何としてでも、捕まってしまう前に目的を果たさなければ。
水をかく音だけが木霊する海中で、グレンは肺に残るすべての空気を吐き出した。体に働く浮力が減り、泳ぐスピードが増す。窒息の危険が伴う泳法だが、今はこの場から早く離れなければならない。青黒い海中に、グレンの白い体が突き進んでいく。
何としてでもこの目標は達成させる。たとえ、私の命に引き換えてもいい。大切なあの子の為になるならば、命なんか惜しくない。
グレンは決意とともに海中を蹴り、青い瞳で前を睨んだ。
まず向かうのはライモンシティ、イッシュの芸術と娯楽の都。そこで情報を集めよう。