一目惚れ
夕暮れ時のホドモエ市よりもイッシュ地方で混み合う場所は少ない。昼間こそ市場を出入りする業者や他の地からやってきた観光客でにぎわっているが、午後四時ごろを過ぎたあたりからそれに夕食の買い出しのためにホドモエ中の主婦たちが詰めかける。
初見である観光客はいざしらず、普段から慣れている彼女たちの買い付けは機敏で洗礼されているがゆえに、見分けることは容易だ。器用に人ごみの中を縫い、素早く品物を見極めて選りとる巧技は、素人には簡単に真似のできることではない。
青々とした葉の尾と耳をゆらし、クリーム色の体に茶色い手袋と靴下をはめたような四肢で品物棚の下に抜け出したリーフィアのエルベの主人もやはり、夕食作りのための買い出しに出向いていた。
ほぼ毎日主人には市場に連れ出されるのだが、エルベはほとほとうんざりしていた。満員電車のごとく人間たちがひしめき、店頭で叫ぶ店主や客の感嘆や怒号が織りなす喧騒は、静かな場所を好むリーフィアにとっては苦痛以外の何物でもない。
だから毎日、隙を見ては主人のもとから抜け出しなんとかこの場からの脱出を図る。抜け出した後に近くをぶらぶらしてから家に戻れば、大抵は主人は帰宅済みだ。
最初は主人もエルベのことを探し回っていたが、今ではあきらめがついたのか探しに来ることもない。だったら連れ出すことをあきらめてほしいというのがエルベの本心だが、断固として主人はエルベと買い出しに行くことを強要してくるのだからもはや意固地なのだろう。付き合わされる方にしてみればたまったものではない。
そんなわけで、今日もエルベはいつも通り殺気立つ主人のもとからそっと離れ、立ち並ぶ店々の裏を歩いていた。
表は人間だらけでうかうかしていると蹴飛ばされたり踏んづけられたりするし、静かな場所を求めているのにわざわざ騒音の中に飛び込むようなまねはする必要がない。ダンボール箱や発泡スチロールの箱が無雑作に積み上げられている店裏を伝っていったほうがはるかに移動がしやすい。
エルベは品物の山の影をすり抜け、床に転がった梯子を飛び越えた。柱の陰ではたまにヤブクロンたちが何かを貪り食う姿を見かける。
露骨な嫌悪感がエルベの心中にむき出される。時折箱などから零れ落ちた木の実などを見かけるが、拾う気にもなれない。埃っぽい床に落ちたものを食うほど卑しい身でもなく、さっさとこんなところを抜けたいという心情のほうが勝っている。綺麗で清潔な場所を好むリーフィアの特性が故に、そのような光景に自然と軽蔑が生じるのは致し方ないことだった。
そんな理由もあって、市場をうろつく際はいつもエルベは早足で行動する。毒タイプのポケモンが住まう場所などに草タイプが居たがらないのは当たり前だ。
主人にはいつも言葉が通じたら、というかなわぬ願いを抱いているが、最終的にはテレパシーで人間と心を通わせられるエスパータイプになれなかったことを悔いるしかなくなる。言葉は通じなくとも人間とポケモンは心を通わせられるというのは、人間側の身勝手な妄想にすぎないといつも痛感させられる。そんなことができたならば、ポケモンを使った事件やテロが起きるわけがない。
荒んだ感情を胸の中にくすぶらせながら、エルベはひょいと近くにあった木箱の上に飛び乗った。どうやらここは魚屋らしい。青っぽいエプロンに黒い長靴を履いたいかついおじさんが豪快に怒鳴っている。安いよ、今なら勉強しますよ、そこの奥さん。
顔をしかめてすぐさま木箱を降りる。
あのようなうるさいタイプは何よりも嫌いだ。こっちの道は避けよう。たしか、あっちの方がまだ静かだったはず......
ホドモエ市は時々店の配置が変わる。しっかりと管理がなされているわけではないので、一つや二つ品物棚の余りが出るのが常だ。その余りは申し訳程度の布がかけられて並べられているが、その下に通路のような空間が開く。こっそりと移動するには都合がいい抜け道になっている。
エルベは魚屋を離れようと近くの品物棚の下に駆け寄り、目隠し用の布をどかした。
その瞬間、エルベは予期していなかったものに遭遇し、驚いて後ずさった。どかした布の先にポケモンが潜んでいたのだ。
そのポケモンもいきなりエルベが現れたことに驚愕したらしく、白く大きなひし形の両耳を垂らすように下げ、姿勢を低くしながら深海のごとく青い瞳をエルベに向けて硬直していた。特徴的な前髪と、そこから左右に下がったおさげはともにつややかで、一目で野生のポケモンではないとわかる。
数秒の奇妙な空白が二匹の間に流れる。ホドモエ市の喧騒が、その間を素通りしていく。エルベも相手も、互いにとっさの出来事に対して判断を下せないまま見つめあっていた。ただ、相手の顔を呆然と眺めているばかりだった。
最初にその沈黙を破ったのは相手のほうだった。小柄で雪を連想させる真っ白な体をさらに小さくさせ、つんとして大人びた雰囲気をまとう顔立ちに似合わず、そのポケモンは弱々しく幼さを感じさせる声音で言った。「あ......あの」
「あ、はい?」摩訶不思議な感覚から自分を呼び覚ましたばかりだったエルベは、素っ頓狂な声しか出なかった。「なんですか?」
「あの......えっと......」
そのポケモンはまるで悪戯が見つかって叱られている子供のように、体をももじもじさせていたが、やがて猛然と立ち上がり「ごめんなさい!」と叫んで頭を下げた。
「は、はあ」
「あの......私、遠くの方から旅をしている者でして、だから......えっと、その.......ちょっと疲れて休んでたんです。だから、決してここのものを盗もうとかそういうわけではなくて......」
しどろもどろになりながらも必死に身の上を説明しようとしている目の前のポケモンに、エルベはただ困惑するだけだった。
「だから......あの......痛いことしないでください......」
何かに怯えているように身を震わせるこのポケモンは、エルベの記憶が正しければ種族はグレイシアで、エルベと同じイーブイの進化系の中の氷タイプ。声や仕草からまだ生まれてからそれほど経っていない雌だろう。尋常じゃないほどの怖がりようだが、何があったのだろうか。
もはや泣きそうになっている彼女に、エルベは驚き呆れながらも優しく声をかけた。
「グレイシアさん、僕は別にここの店のポケモンじゃないし、君を追い出しに来たわけでもないよ」
涙を湛えていた目の前のグレイシアの大きな眼が、さらに見開かれる。綺麗な青色をした瞳にじっと見つめられて、エルベの方が戸惑いを感じていた。
「まあ、話せば長くなるけど僕はここを抜け出したいんだ。で、うろうろしていたら君の隠れていたここに偶然来てしまっただけ。君をどうこうしようとか、そういう目的でこのボロきれを持ち上げたわけじゃないよ。ていうか、君がここの品物を盗もうが盗むまいが僕には関係ないし」
しばらくグレイシアは大きな薄い尻尾をゆらゆらと揺らしていたが、やがてほっとしたように「なんだぁ......そうだったんですか」と言って、脱力したように地面に腰を付けた。
「また間違えられたのかと思った」
エルベも腰を落ち着けて、グレイシアに聞いた。
「なんかすごい慌てぶりだったけど、本当のところはどうなの?」
グレイシアは苦笑いを浮かべていた。
「本当に何も盗んでないんです。けど、昼間に立ち寄ったら泥棒と間違えられて追いかけられて......出口が分からなくなっちゃって、仕方なくここで休んでたんです」
「なるほど」エルベもつられて苦笑した。「ホドモエ市は広いからなぁ」
「本当に広いですよね。でも、世界中から集められたたくさんの物資がまず最初にホドモエ市に並ぶので、これだけ大きくても仕方ないですよね」
「え、そうなの?初めて知った」
「ええ、イッシュ地方は山が多くて基本海運ですから。イッシュが誇る一大港であるホドモエシティにほとんどの物資が集まって、その三分の一がホドモエ市場に提供されるんですよ」
にっこりとほほ笑むグレイシアに、エルベは再度驚愕していた。
さっきの子供のような振る舞いからは垣間見えなかった大人びた口ぶり。おまけによく見てみれば――これはあくまでもエルベの感想だが――今まで出会ったイーブイの進化形の中でもルックスの高さは断トツだ。華奢な体にふっくらとした毛並と、顔以外もすべて身綺麗で美しい。話すときの仕草までもが上品なのだから、非の打ちどころがないとはまさにこのグレイシアの事を指すのだろう。
「あのう、どうかしましたか?」
やや遠慮が混じった声にエルベははっとして我に返った。グレイシアが不思議そうにエルベの顔を覗き込んでいた。
「い、いや、なんでもないよ。博識なんだね、君」
「そんなことないです。本の受け売りですし......」
謙遜した態度にも魅力を感じる。本の受け売りだとしても十分凄いこと......え?本?
「君、人間の言葉がわかるの?」エルベは興奮気味に質した。
「はい、少しは......」
「すごいね。僕もそんな技能が欲しいな」
素直に感心するエルベに対して、グレイシアが少し照れたよう視線を背ける。そして、思い出したように口を開いた。
「えっと、そろそろ私出たいんですけど......」
「え?」一瞬、エルベは何の事だかがわからなかったが、ここがホドモエ市場だということと、自分がグレイシアの目の前に立ちはだかっていることを想起してあわてて身を引いた。「ああ、ごめん」
グレイシアがそろそろと品物棚の下から這い出て、大きく体を伸ばす。ほっそりとした前脚に、美脚と呼んで差支えないほど美しい後脚。改めてみる身体は純白な体毛に包まれてわずかな光を反射し、時折輝いて見える。氷を想像させる模様のおさげが似合う整った顔立ちに、深海のように深く青い瞳。周りが無視できないほどの存在感を放っているグレイシアは、エルベでなくてもイーブイの進化系なら誰しもが胸をときめかせるだろう。
グレイシアはその姿に見惚れていたエルベに振り向いて、控えめに言った。
「あの、私......さっきも言ったんですけど、出口がわからなくて困ってるんです」
情けないぞ僕。通りすがりのグレイシアごときに一目惚れしてどうする。
ぼーっとしていた自分に心の中で叱咤し、エルベは平生の顔を作りながらそっけなく返事をした。「えーと、つまりどういうことですか?」
「つ、つまり......出口まで案内をしていただけませんか?」
エルベは飛び上がって喜びたくなる衝動をかろうじて抑え、不自然な真顔をつくりながら「あ、いいですよ。案内しましょう」と言っていた。
「いいんですか?ありがとうございます」
「いやいや、僕もついでみたいなもんだし」
深々と頭を垂れようとするグレイシアを慌てて制止する。
「せいぜいホドモエ市場の周りしか知らないけど、案内させてもらうよ」
「はい、お願いします!」
嬉しそうにほほ笑むグレイシアに、エルベもつられて笑みを浮かべた。
やっと僕の生活に光が差し込んできた気がする。今日は今までの人生の中で最良の日に違いない。
とりあえず、二匹は出口へと向かうことにした。が、出口といってもそれらしい場所は無数にあるし、出口でなくとも屋根の下にただ箱やら籠やらを並べただけのホドモエ市場は、大雑把に言ってしまえば外に面していればすべて出口になりえる。
しかし、だからといってどこからでも出られるというわけでもない。人間の出入りが多い場所はなるべく避けたいというのがエルベの望みであり、その希望がかなうところは少ない。
エルベは複数あるいつもの脱出経路のうち、もっとも遠回りな路をえらぶことにした。美人とお近づきになれる千載一遇のチャンスを、みすみす逃すはずがない。
少しでも相手を知りたいがために、案内を始めてからとにかくエルベから話しかけたが、グレイシアは嫌な顔ひとつせずに応じてくれた。
だが、何気ない世間話には受け答えをしてくれるものの、肝心の身の上のことについてははぐらかすような応答しかしてくれない。
それどころか、さりげなく名乗るように仕向けても、気づいていてあえて言わないのか、それとも本当に気づいていないのか、一向に名前をも教えてくれない。
市場の中を進むにつれて、エルベはだんだんあせりを感じ始めていた。
このままでは、つまらない日常に降って沸いたように現れた絶世の美女というべきグレイシアを、名前すらわからぬまま別れる羽目になる。今すぐにお付き合いとはいかなくとも、名前だけでも覚えておけばまた出会える可能性はぐっと高まる。
エルベは意を決したように振り向いて、辺りを眺めながらついて来ているグレイシアにいった。「あのさ」
「はい、何ですか?」グレイシアは微笑を浮かべながら答えた。
「その......名前はなんていうのかな」
直球だが仕方がない。一度は何気なく言わせようと試みたものの、それが効かないのならば素直に聞いてみる他はないだろう。二度も三度も形を変えて同じ質問ができるほど、エルベは会話に関して器用ではない。
「え......?」グレイシアから笑みが消え、歩いていた足が止まる。「名前......ですか?」
エルベはあわてていった。「いや、嫌なら別にいいんだけど」
「嫌ってわけではないですけど......」そういいながらも、明らかにグレイシアはためらいの表情を浮かべている。
わずかに身を引き、困ったようにエルベから目をそらしながらグレイシアは静かな口調で「ごめんなさい」といった。
「どうして?」エルベは思わず聞いた。
「どうしてって言われても......」
グレイシアはただただ困惑顔を浮かべ、戸惑うだけ。うっすらと警戒心も覗かせているように見える。
「そう、ごめん」
エルベは自分の声がだんだんと消沈しているのに気がついた。やっぱりストレートに問うべきではなかったか。
気まずい雰囲気が二匹を包む。無言のうちにエルベは歩行を再開し、グレイシアもそれに続いた。
後悔の念がエルベの胸のうちに広がり始める。
近づくどころか距離が開いてしまった。事を急ぎすぎて、結果は正反対の方向へと転がった。
自分を殴ってやりたい気分が心中を満たす。
見た目だけではない。出会ってから間もないものの、このグレイシアは内面も魅力的だということははっきりとわかる。演技ではない、本物のやさしさ。子供のように純粋で、大人のような思考の持ち主。
鋭敏なリーフィアの感覚で、エルベはグレイシアの本質を見抜いていた。
相手のことを常に気遣い、穏やかで淑やか。完璧の二文字が当てはまる彼女に、エルベの心は一発で恋の色に染まっていた。
知りたかった。親しくなりたかった。なのに、自分はとんでもないミスを犯し、全てを無駄にしてしまった。
エルベはちらりとグレイシアを盗み見た。相変わらずグレイシアは周りを眺めていたが、ふと気がついたようにエルベのほうを向いた。二匹の視線が合う。
申し訳なさそうなまなざしを向けた後、グレイシアは視線を落とした。
何も出会ったばかりのリーフィアに、そこまで悲痛にならなくても......
いたたまれない気持ちになって、エルベは前を見やった。
にぎやかな市場の様子、楽しそうな人々の声。自分の心と周りとのギャップが、ますます気分を落ち込ませる。
エルベは自身をせせ笑った。一人で勝手に舞い上がり、大袈裟に沈む。一方的に迫ったところで相手を困らせるだけだと、なぜ気づけなかったのだろう。
生きている中で始めての感情に、空回りするだけだった。僕は大馬鹿者だ。
結局、二匹はそれきり会話を交わすことなく市場を出ていた。
六番道路の森がすぐそばに迫る業者専用の出入り口で、市場から放たれる光を背に受けながらエルベたちはまだ冬の気配が残る四月の夜風に身をさらした。
エルベはおずおずといった。「あの......着きました」
自分でも呆れるほど不自然な物言い。そんなことはとっくにわかっている。
グレイシアは無言で佇み、じっと空を見上げるような恰好のまま動かない。
不思議に思ったエルベは、もう一度そっと話しかけた。「どうかしたんですか?」
不意にその小さな口元が動いた。「グレン」
「え?」
エルベが聞き返すと、グレイシアはエルベに向き直って静かに笑みを浮かべた。
「グレン、私の名前です。私の大好きな人がつけてくれた、大切な名です」
あっけにとられたような気分にとらわれ、エルベはグレンを見返した。思わず本音を口走る。「どうして今更......」
「すみません」グレンの声の調子が少し落ちる。「名前を知られたくなかったので」
「何故?」
ついそう聞いてしまったエルベに対し、グレンの表情が影を差した。
「それは、言えません」
エルベは口をつぐんだ。これ以上聞いてはいけないと、直感が警告している。
「ただ、気まずいまま別れたくありませんでしたし、あなたなら望めば他の者に口外しないでくれそうだったので」
グレンは穏やかに、しかし力強い口調で告げた。
「私は、わけあって他者に名前を知られたくありません。その理由も言えません。とにかく誰にも私を知ってほしくないのです」いったん言葉を切って、続ける。「だから、あなたには私の名前を決して誰にも言わないようにしてほしいのです。約束してくれませんか?」
グレンはエルベをまっすぐ見つめていた。その瞳は、固い意志を表すようにエルベの眼をしっかりと捉えている。
「わかった、誰にも言わないよ」エルベは圧倒されながらそう答えた。
「グレン、いい名前だね」
「ありがとう」グレンは礼を言ってから、エルベに聞いた。「あなたの名前は?」
「エルベだよ」
「エルベ」グレンが反唱する。「あなたの名前を付けた方は、きっとカロス地方のご出身なのですね」
エルベは驚きのいろを隠せなかった。まさにその通りで、エルベと名付けた主人はカロス地方の生まれだからだ。
「どうしてそれを?」
吃驚を示すエルベに、グレンはおもむろに答えた。
「カロスの言葉で、草花のことを『Herbe(エルブ)』と言うので、そこからとったのではないかな、と思ったんです」
まったく、このグレイシアの聡明さには舌を巻かざるを得ない。
「かっこいい名前ですね」
「ありがとう」エルベは心から言った。
グレンはその返事を言葉の代わりに笑顔で返した。そして、急に真顔になって、エルベに言った。
「さて、エルベさん」
「何?」
「私のことを、絶対に誰にも言わないでくださいね」
少女のような物言い。本当に不思議な子だ。
「ああ」まかせろといった感じで、エルベは胸を張った。「承知してるよ」
エルベの応答に安心したように頷き、グレンが踵を返す。そして、ふり返った。
「ありがとうございました、エルベさん」
「行ってしまうんだね......さよなら」
「ええ、さよなら」
もう一度頭を下げると、グレンは大きくジャンプして近くの小屋の屋根に飛び乗り、そこからさらに跳躍して更けていくホドモエの夜に姿を消した。
一人取り残されたエルベは、ぼうっとしてグレンの去って行った方を見つめた。
行ってしまった。不思議な、記憶に残るグレイシアだった。おそらく一生忘れないだろう。そして、胸の内にぽっかりと穴が開いたようなこの感覚はなんだろう。
「恋か」無意識のうちにひとりごちる。「会ったばかりのグレイシアに」
失笑が漏れる。ああ、一目惚れってこのことを言うんだな。
出会ったばかりのグレイシアにすっかり魅了されてしまった自分がおかしい。あまりにも単純すぎて、おかしさがこみあげてくる。しかし――
泣きたくなるような感情の方が上だった。あまりの自分の初恋の儚さに、苦しさが止めとなく流れてくる。グレンは短い間で、僕の心のすべてを奪っていった。そう、たったの数十分で......
涙が頬を伝った。「さよなら」
――僕の初恋の人