それぞれの一日
すっかり冷めた鮭が物語るに、どれ程の時間が過ぎたのだろうか。
あの後、散乱した土汚れを拭き取って、やっと準備が万端になった所でこれだった。結局レンジに頼らなくてはならないのは、引きこもりの宿命なのだろうか。
シャワーズはまだ恵に付きっきり。慕われているなぁ、と少し羨ましいけど、恵も仲間運みたいな、そういう所で名前通り恵まれている、と温めている間に台所からこっそり観察していた。
そんな光景にすっかり夢中になっていたのか、いつものレンジの音が聞こえたのがすぐに感じた。
丁重にと、わざわざ手袋まで仕込んでいたのは、恵にも負けないサービス精神を見せようとする対抗心の成り行きだろう。メイドの仕草を見よう見真似で、
「お食事が出来上がりました」
とわざわざ丁寧な挨拶を交えたのもその一つだろう。
でも返事は無く、寝ているだろうね、と予想しながら近くに寄ると、案の定すっかり寝息を立てていた。恵のすぐ横で、尾ビレがくっついた尻尾で頭を囲むように丸まっていて、ここでずっと看病していた様子ははっきり伺えるのが微笑ましいし、ほとんど入れる隙間が無くて羨ましい気分もあった。
寝たのにすぐ起こすのも
癪なので、先に外にいるポケモン達を呼びに行くことにした。
「皆さ〜ん、ご飯が出来ましたよ〜」
確実に聞こえる大きさの声で知らせても、返事らしい返事がなかった。こう、お腹を空かせたみんなが我先に一斉に押しくらまんじゅうするみたいに駆け寄ってくるのを予想していた。が、この仕打ちはカフミにとって良い落ち込み要素だったようで、しばらくしてサンダースが来るまでにだいぶテンションが下がっていた。
「すまん、さっきは反応できなくて」
「忙しいところすいませんでした。空気読まないで割り込んだウチが・・・」
「いやいや別にいいって。特別に大切な会議でもねえし、まあみんなには聞こえてるから、すぐ来るさ」
「言葉はありがたいです。でもそう言われると、余計やせ我慢してるように見えてしまうのがウチの本音です、はい」
気さくに絡もうとしても、少々焦らざるを得ないネガティブ思考には苦労する。それからも、変に考えるよりも無難な言葉で持ち上げようとして、
「別にそこまで大げさな話でもなかったから焦んなって。恵にはちゃんと食わせてもらっているし、今じゃないとぶっ倒れることもねえし」
出来ればもう少し話を聞きたかったけど、と言葉を選ぶあまり、うっかり本音を滑らせてしまいそうになった。
その努力をしたところでまた面倒な方向性になりかけた時に、よりによってグレイシアも特に用事の無い仲間を引き連れて交ざってきた。まずいと思った矢先、ほとんど出会い頭に、
「何をしてると思ったらサンダースだけで先駆け?ちょっとずるくない?」
「いやいや、グレイシアの方が遅れただけじゃねえか。後で行くと言ってただろ」
「後は後でも、サンダースに尺度に合わせたらみんな遅くなっちゃうって。こっちもペースに合わせるのに苦労しているんだから考えて」
悪い予感が嫌なぐらいぴったり当たってしまった。後の流れも容易く目に見えていると、もう何をすればいいのかもわかってしまう。ここは毒を食らわば皿までと、
「それは悪かったよ。でも逆に言えばそのせいでフミちゃんが軽いうつ病状態になったんだぜ?」
「はいはい自分は苦労しましたアピールは終わりにして、とにかくご飯にしようよ」
また熱がこもってきたところで、ニンフィアが仲裁に入った。面倒だからこのまま放置しようという案も上がったが、やっぱりかわいそうとのことで、このような処置に至った。
カフミも順番の流れを察して、
「じゃあ、いいですか?」
事の区切りみたいにみんなに確認して、皆の返事が元気良く返って来ると、すぐに台所に走って行った。
ついでにブラッキーがそこで放置されていたのに気付いたのは、その時である。
味の薄い質素なおかずに顔をしかめながらも、
「味は、どう?」
苦手な話題作りに精を出して、変に悟られないように振る舞っていたが、むしろバレバレで、みんなは一周回ってその様子を楽しんでいた。
「恵が作ったのより、美味しいかも、ね」
「ええ・・・、それって」
「べ、別に皮肉ってなんか無いよ。ちょっと濃いかな、ぐらいだし」
これで、濃い?
グレイシアの返事にふさわしい反応の仕方が分からなくて、とりあえず近場で映る所で自分の顔を確認して、そこで少し考えこんだあと、
「ウチって何年寿命縮んだんだろう」
とつぶやいただけだった。もちろん、その受け答えする側のポケモンにとっては、なんかの冗談みたいにその場を面白くしようとしてるように見えた。それ以外に捉えようがないのが普通。しかし、結局何をしたかったのかは謎のままである。
カフミが落ち着くのを見守ってから、その最中に自分の分け前を平らげたサンダースが聞いてきた。
「フミちゃんにとって、恵の奴はどう思っているんだ?」
その直球っぷりに文字通り目を丸くしたカフミ。いきなり過ぎてまともな考え方が出来ず、サンダースが聞きたかったこととはまた違った意味合いを思い浮かべてしまうのは当然の成り行きで、
「ちょっと、もう少しまともな聞き方は無かったの?誤解されたらどうする?」
グレイシアが慌てて止めようとしたのは、同じことを思い浮かべたからだろう。生憎にも言った主には自覚はなく、ある意味一番気まずかったのは事情が分からなかったサンダースだったのかもしれない。
これだけの反応があればカフミと言えども純粋な意味でしか聞いていなかったのだと思い、ほっとするよりも自分の思考回路が歪んでいるとまた胸が痛くなる。それでも変な話題に走るよりもマシだと切り替えて、話す場面を考えていた。
まず最初に思い浮かんだのは幼少のころだった。
「どんな奴って言われると、地味に難しいんだよねえ。今思い出すと、いかにも田舎の自由奔放な、絵に描いたようなわんぱくなガキだったんだけど、今じゃあ見る影も。なんか周りよりも何十倍も早く時間が過ぎた、みたいな感じかな?」
「・・・そう、やっぱりあったんだ」
「え?ウチがなんか言った?」
「いや、別に変なこと思ってねえし、気にすんな。じゃあ、他になんか・・・」
「やっぱ根掘り葉掘り聞くのやめようよ。嫌なこと思い出させるのはお互いに良くないって話したじゃん」
何とも悲壮感が漂うみんなの取り巻きにカフミは取り残されて、何があったのかととても聞きたい。でもニンフィアに釘を刺されているのがあって寸前のところで押し留められた。
「ごめんなさい、嫌なこと思い出させちゃって」
「いいよ、ウチそういうの平気だし」
空気の流れが分かっても、何をすればいいのかわからない。さっきの言葉はテンプレートに過ぎないし、他と真剣なコミュニケーションをした覚えが無い人間には重すぎると、カフミは何度目かの無力感に覆われた。
そんな中でも、縁が無いようにグレイシアが別のことを聞き始めた。
「ところで、フミちゃんはこれから予定とかってある?」
カフミは少し反応が遅れてから、聞き返した。
「まあ、もう少ししたらウチは帰るけど、何かあるの?」
「二匹っきりで話したいことがあったから、聞いただけ。残念だけど、また今度にでも」
ものすごく怪しい。みんながいろんな思索を巡らせているなか、グレイシアがそのまま会話を乗っ取って続けた。
「いつもらしい流れだったら、このまま今日の感想でも話し合うんだろうと思うけど・・・、シャワーズは言うまでもなさそうだし、サンダースあたりから聞いてもいいよね?」
「は?いきなりはやめようぜ?」
トンだ無茶ぶりにサンダースは驚く以外の意味でも悪い冗談に思えた。当たり前だと思っていたから、あれ?と首を傾げるところもわざとらしい。
「だって最近はサンダースがでしゃばっていたから偉そうに話をすると思ったのに」
「そんな期待はしなくていいから、そう来るなら先に話を始めたグレイシアから始めるのが筋じゃねえのか?」
「私?じゃあ、とりあえず、いろいろあって疲れた。これで終わり」
「あのさ、グレイシアも実際何も考えてねえじゃねえか。いろいろってまずなんだよ、そこを話そうぜ」
「え?どうしよう、ここに拾われて、いろいろ冒険して恵が倒れてサンダースがおかしくなった、もうこれで満足?」
このいい加減さは、嫌でもあの時を話してもらいたいらしい。グレイシアも鬱陶しそうでなによりだった。
「そんな大差ねえし、だからそのいろいろをしっかり説明してくれよ。ってかオレのことってそんなに根に持つものなのか?」
「サンダースのことならいくらでも話題はあるけど?でもいろいろを全部ほどいて話しても、起こったことの羅列にしかならないし、つまんないだろうねー、ってなるのが落ちだって決まっているもんじゃん」
「そうだけどさ・・・」
「という訳で今度こそサンダースの番だからね」
折れた。心理的に凹まされたよりこのまま平行線をたどっても埒があかないから、引き下がったに過ぎない。サンダースは最初っからこの為の話だと思っていた。
でも、グレイシアも適当でも本音の成分を伝えたかった気持ちもあった。
言外にいろんな意味が秘められているのは誰でもわかる。でも、それをそっくり言葉に表せと言われてもどうすることも出来ず、変な雰囲気を醸すよりも一言で片付けた方が良いと思うのも仕方ない気がする。だけど、何も思っていないなんてあり得ないと、つっかえみたいに違うと思う自分もいる。スッキリしないまま、サンダースの話に臨んだ。
「言われても萎えるだけなんだよなあ、まあ恵の奴がまさかそんな行動にでるって・・・」
「もう恵とか何度も驚かされているし、そういう尺稼ぎはいいから」
いちいち挟んでくるなら言わせなくて良いだろ、と猛烈に言い返したい。でも今のグレイシアに何言ってもエネルギーの無駄だと一歩押し留め、一息ついてつらつらと吐き出し始めた。
「オレが風呂場に連れてかれた時、オレが折角隠し通してきたことを探偵気取りみたいに話し出して、思いっ切り嫌なことを深く掘り返されたぜ。恵は鈍感なんだか知らねえけど、別に嘲ったり慈悲を垂らすとかも空気を読むことすらも無かったけどな。でも、その態度が何かを熱くしたんだよ。オレでも分からない。だけどひとつ言えることは、もう一度、あいつと心から話したい、それだけだ」
どうせろくでもない内容だろうと蓋を空けたら、息を飲むほど興味深い話で、逆に申し訳ないような思いが強くなった。
こんな奴でも心を動かすほどの話をするのか、なんて思いもそんな奴がすぐかき消す。
「結局、恵には散々にやられたな。嫌いだけど、それでもオレだって相手が恵だろうが人間程度に負けたくねえし、役に立つところがねえと面目が立たねえんだよ。借りの代わりって言ったら変だろうけど、自慢できるぐらいに役立つ姿を残したい。その為でも吹っ切って本気で・・・」
「なんか路線が怪しくなってきたからもういいでしょ?」
このまま深い話に取り込まれそうになったが、サンダースらしい変な語り草で安心した。
「おい!まだ真剣な話してる最中・・・」
「別にサンダースの武勇伝なんて聞きたい訳じゃないし、聞きたくもない」
ここで所詮はただのツンデレだったと誰かが言うと重い空気がぶっ飛んでお笑い草に思えてしまう。気になった所もまだあるから後でまた吹っ掛けようと、
「という訳で次は」
「おねーちゃんはもう寝てまーす」
「じゃあ次は」
「イーブイも寝てまーす」
「じゃあ次はこのブラッキーの番・・・」
「じゃあ全員眠いっていうことで」
「なあ、無視は良くないって聞かなかったか?」
「あの・・・、盛り上がっているところ失礼だけど」
一気に流れる話に仕切りをしてしまったと思ってカフミは言葉が詰まる。素で忘れていた方も軽く慌て気味に、
「あっ・・・、一応流れ的に眠かったってことで、いい?」
「おい!結局無視かよ!」
受け流した風にごまかしたものの、無理に口角が釣り上がっていたのは隠せてなかった。
「普通、こういう話した後はみんなも感化されて」
「そうかもしれないね、途中まで。聞いててどういう魂胆かが分かって、なんか急に冷めた感じ。その最後のお言葉のお陰でより安っぽさに磨きがかかったけど」
でもサンダース相手に容赦は無い。ようやく諦めがついたのか、こぢんまりとした隅っこに収まってそのままふて寝をしてしまった。
その後、ブラッキーがまた出しゃばろうとしたが、やっぱり長続きしなかった。
割とあっさりした幕引きにみんなは戸惑いを隠せなかった。
既に荷物が片付けられていて、さっきまでの賑わいの跡は一つも無く、かといって軽く掃除する時に焦りの色は無く、むしろゆとりを持ってテキパキと作業していた。
中くらいのポケモンが丸々一匹入るくらいの大きなリュックサックを肩に掛けたカフミは、
「それじゃ、明日めぐの家宛にお届けものがあるから、起きたら言ってってくれる?
「お届けもの?」
「そ、今の家の環境は面倒なことがあったら伝えるものがアレしか無いと困ることも多いから、その為のもの。一応、使い方とか書いた紙も一緒にして送るから、困ったらそれ見ればきっと大丈夫」
ちゃぶ台に落ちるか落ちないかの所に乗っている家電話を指差した。頻繁に使ってないのか、ほんのりホコリが被っている。カフミの言う通り、確かに物足りない感じがした。
「それじゃ、明日学校が終わったぐらいにまた来るから、じゃあね」
名残り惜しそうには見えず、いつものフミちゃんらしい身振りを見せずに去っていく。どこかおっちょこちょいな印象と真逆な様に見とれて言葉が出なかった一同の中で、グレイシアは何か思ったのかその後ろ姿を引き止めた。
「学校って?もしかして学生?」
「あれ?言われてない?」
小首を傾げる様子から、恵からは聞かなかったようだ。他のポケモンからも初耳らしいが、グレイシアとはいささか疑問の中身が違っていた。
「私はめぐと同じクラスには通っていて、帰りも途中まで一緒だから今日はその帰りに寄ってきたんだけど、こんな派手なことしてくれためぐも仮病使ってまで面倒見たのも大変だったろうね」
「で、本当に病気になったと」
「まあ、こんな田舎じゃあ仮病以外まともに使える方法が無かったのが裏目に・・・、ってこれじゃ田舎いびりになっちゃう」
「ここだから言わせてもらうけど、いい感じに迷惑かかった」
よく知っているからこそ想像がつくのか、カフミは苦笑いでその場を過ごした。
「そんな感じで、そんな感じの人間を宜しくお願い致します」
そんな人間かあ、とスッキリしなさそうな目付きで恵を見て、
「私を含めたみんなには、人間の皮を被った何者か、って見えるんだよね」
「人間っぽくない?そう言う感じから持ってこられるのは意外」
「元々人間って、所詮ポケモンなんて利用するものと考えるのと、シャワーズが言う優しい人間のどっちかで、行動で大体分かるはずなんだけど、その恵は何て言うか、ただ“違う”気がする。エーフィが心を読みにくくなったのが一番だけど、それでもイーブイが何に怯えていたのはどうしてもわからない」
急な深入りに、カフミのその場の理解力では半分くらい分からなかった。
独り暮らしでどんな振る舞いをしているのか予想出来るけど、今のこの子達にとって取っつきにくいタイプの存在に違いないことは伺える。任せると決心したばかりなのに、好奇心を煽る不意の本音のせいでまた揺らぎ始めた。もしかしたら、もっと話し合いたいだけに興味深い話題を持ってきたのかもしれない。
それでも、居ても窮屈だろうし、泊まるだけの持ち合わせもない。
「それじゃ、今度こそ」
「うん、約束、忘れないでね」
背を向けてすぐに言われて、先に蘇った光景はシャワーズに言われたことだった。グレイシアはそれとは違うもうひとつのこと言っているようだけど、本懐は二つかけているのかもしれない。
色々な期待を込められて重くなった背中に向ける視線に、咎めの色は無かった。今は、めぐが有るか無いかの元気を取り戻すの期待するしかない。こう強く思えたのが、カフミが上手く感情を抑えられた要因だった。
しかし、外に出た時の住む世界の絶対的な違いは、その衝撃の余り嫌でも忘れられない。
「やっぱりかぁ、本当に適応してくれるのかな・・・」
突然戻った自然の大音声に、深い不安を脱ぎ切れなかったカフミであった。