暖かくも暗いもの
恵は今から何をするか迷っていた。
さっきのことも踏まえて、こいつらの晩飯の用意がある他、サンダースの脚の治療もまだ終えてない。状況から察するにまた大きな事件でもあったのだろう。
痛みが積もりに積もった首を左右に振ると音が鳴った。そのお陰で寝起きなのにもう目が覚めた。その後恵はすっと立ち上がってなんの屈折もなく考えていたことを声に出す。
「カフミ、晩飯の支度しておいてくれないか?」
一回ため息を挟んでから、いつもながらの不満気味な表情のカフミは吐き出した。
「結局めぐがこの子達を綺麗にするの?さっきまで花壇で腰をかがめていたのももう終わり?」
「ああ、後にする。自分、カフミも含めてもうそろそろ腹が減る頃合いだし、同時進行すればちょうど良い感じになるだろうなって」
そんだったらいっそのこと足に根っこ生えるまで悩んでいろよ、なんて愚痴は聞かなかったことにして、少し辺りを見回した。
優先すべきポケモンは、あの茶色の奴か、サンダースだろう。志願制にしたいとかカフミは言うが、そこで誰が来るだろうか。時間的にそろそろ寒くなるので、多少強引でも体を壊すような面倒な事態にしたくない。
「とりあえずサンダース、イーブイはこっちにこい。サンダースは脚の怪我の治療はまだ仮程度だし、イーブイは小柄だからこの寒さでそのうち面倒な体調不良を起こす可能性が高い。先にするぞ」
恵の声に対する反応に言葉は無い。少し遅れてサンダースが立ち上がって、カフミに対して怯えを見え隠れさせながらゆっくり歩いてきた。
「なあ、恵さんよ、一つ聞いていいか?」
「なんだ」
「どうして謎解きなんてしたんだ?そういうきっかけがあっても面倒だからって見捨てることもあっただろ?」
返答を聞く前に、別に答えても意味ねえけど、と捨て台詞みたく言って、
「じゃあ持てよ、あん時の真似はしない」
そう言ったのは独り言だったのか、何もなかったように恵の足元まで近づき、体を横に向けて手が下りてくるのを待っていた。
この時だけ、サンダースに対して妙な心情になった。いつもの態度でくると自分でも気付かぬうちに闇に構えていたのと、それをを裏切られた気分で、二つも予想外を持って来られるとこんな気持ちになるのか、と自分ながらに感心していた。言われたところで、と後付けしたのは言った直後に暇潰しのつもりだった、と返されるのを見据えたのだろうか。
逆に、その裏にどんな意味があるのか洞察しても、目の前の作業の邪魔になるだけ。
「じゃあこっちからも聞くが、脚に痛みとかの異常は無いか?」
なんにもねえよ、と答えた。聞いた恵は、怪我した脚に気を配りながらサンダースの腹に手を掛けた。
しかし、その独り言は脱衣所に着くまで恵の頭でしばらくうるさく回って苦しめるものであった。
風呂場に着くなり恵は前触れもなく言ってきた。
「サンダース、お前正直あの捕まった時から流されるままが良かっんだろ?」
何でお前がそんなことを!
自分でも気が遠くなりそうなぐらい遅く降されている最中にいきなり言った言葉は、自分もあまり触れなかったの暗く汚い心の塊を軽くかすめていた。
その驚きのあまり体に電気を走らせた勢いで震わせ、毛を思いっきり敵意剥き出しの針地獄へと変化させていた。
反応は薄く、叫びも無い。恵はいてっ、の一言から話を始めた。
「思案癖、って言えばいいか。無意識のうちに詮索していたり、想像したり。まあそれ以前にお前が変わった様子があったから、そこは意識して考えていたけど」
降ろすのが先だった、と小言を挟んで、器用に針だけを避けるように抱えているサンダースを床に落ち着かせた。すぐに離れてサンダースは恵に対していつでも攻撃出来る態勢に入る。
「変わった様子ってなんだよ」
「だってお前、さっき聞いたことの答えを知っていて言ってきたんだろ?おかしいと思わないか?まあ、自分のことをおかしいって自覚できるかは置いといてな」
恵もそこで区切って、膝を折るとそのまま座った。相手のリラックスした姿勢に対しても、サンダースは張り詰めた態度から動じない。
「そこからなんか裏でもあるのかな、と思ったのが最初だ。始めただの愚痴みたいなものだと思った。けどサンダースが変に感情を込めて言ったように聞こえて、なんかあるのか、と。で、聞いた内容を軽く吟味したらなんとなく、助けられたこと、に手応えがあった。率直に考えてお前は助けて欲しくなかった、んじゃないのか、ってなったな」
自分で考えたのはここまでだけど、とその言葉で話を終えた。
ぶっきらぼうな口調なのに、言うことは重すぎる。しかもほんの一文程度の言葉からここまでの推理まで出来た。やはり人種の差はここまで出るのか。このただならぬ恐怖感がサンダースを更に硬直させ、わずかに二、三歩後ずさりして距離を置いていた。
そんな逼迫した心境を知るはずもなく、あくびをして恵は淡々と言った。
「ん?大丈夫か?」
「全然平気な訳ねえだろうが。そんな物騒な推理しやがってよ。俺の心のことを言うにしても、ちっとは柔らかいものに包んだ言い方出来ねえのかよ」
「どうしろと?」
「どうって、そこからかよ!」
高みの見物としか言いようがない接し方に、怒りとかそういう感情を通り越して冷静になっていた。
「・・・とりあえずな、そう直球に言うんじゃなくて、なんか丁寧に言葉を選ぶ努力とかねえのか?」
「まあ」
「まあ、じゃねえよ。遠回しでもいいからな、古傷に触る時はなんかねえの?」
「お前ってそうひん曲げて言われるのが嫌いだと思った。そもそも、言い方変えたところで、気まずいことがあるのか?」
すっかり冷めた闘争心の余韻に浸った後に言葉を話せば、どこかで予想出来た展開になった。
「またそれかよ。少しは相手の物差しに合わせる努力ってことをしろって・・・。畜生、変に構えた俺がバカだったよ、ごめんな、変な感じにしちゃって。どうせ恵は何一つ気分は変わらんだろうけどよ」
最後は嫌味たっぷり仕込んでやった。勘とかの第六感は鋭いのにこういうところでコケると一気にダサい印象が強くなる。いつものことだろうと割り切りたいが、腕の一本や二本を切られても動じないような、そう簡単にさせない過度な頓珍漢さは拭えないのだろうか。
恵が腰を上げてこれからか、と思うと脚の怪我の治り具合を診ないといけないらしくて、サンダースはにらみつけてから後ろを向いた。
布が大量に積まれているのが見えて、その上に鏡があり、恵の顔が写っていた。その顔をじっと見つめてると、後ろで包帯が解かれている感覚がし始めた。手の部分は分厚い布で隠れて見えない。しばし無言で驚く反応があってから、いいぞ、という声で振り返った。
「もう包帯は要らないな。回復力もなんだかんだ妙に高いんだな」
「あのさ、そういう時は素直に言えよ。・・・いいよ、気にすんな、何でもない」
これ以上突っ込みを入れても無駄。もう核心を突くことも忘れただろうと、サンダースはさっさと済ませろとせがんだ。
恵は何も持たずに扉の前に立った。すると、何もしていないのに開けたのを見て、サンダースはまさかと思って言った。
「あのさ、手も使わないでどう開けたんだ?」
「見えないのか?足下に取っ手があるんだぞ?」
別に超能力が使える人間とかじゃなかったけど、なんかすげームカつく。自分よりも目線が低いくせに見えてなかったのかこのマヌケが、的な意味合いが押し付けているように漂ってくる。恵が送った目も少しその属性が入っているみたいに見えた。
なんか、程度の苛つきならため息と共に吐けばそれほどでもない。サンダースは目線を合わせること無く、湿り気と中途半端に残った温かみの中に続いて行った。
「こんぐらいの温度なんだが、いいか?」
背後で扉が閉まると、既に目の前に湯が入った容器があった。恵は水辺にいても服を着たまま。コッチの人間は身包みを捨てること無く水浴びをするのだろうか。
とりあえず覗くと自身とは思えないような獣がそこに写り、跳びのきそうになった。目は鋭くて耳はとげとげしい形。すらっとしているであろう顔の輪郭は、荒れに荒れ果て延びきった薄汚い黄色の毛で、太っているようにその時は見えた。一度逸らした視線を元に戻せば、酷いしか言葉がなかった。しばらくの間、まともに体を洗う機会がなかったにしてもここまでとは思わなかった。
これじゃあとっとと終われない。そう思いながら手を湯の中に漬けると、
「思ったより熱くはねえな。いいぜ」
意外にも決して生温くも無く、丁度いい、ぐらいの温度だった。
あれ?と一瞬思った矢先、突然上から大量の水が降ってきた。
今のは驚くとかで説明がつくものじゃない。今までの流れが逆に相まって、水だと認識するまでは殺しにきたとさえ思っていた。条件反射みたく声を出そうとしたのだから空気が通る所に水が浸入。今までに感じた事があまり無い苦しみがサンダースを襲った。
「おお、咳込んじまったか。大丈夫か?」
「大丈夫か?で済まされるとでも思ったのかよ!口の中に結構水が入ってもがき苦しんでいるのをいい事に高みの見物か?ふざけんな!」
意地でも捻り出した大声は壁のタイルが割れてしまいそうな響きがあった。
「それは済まんかった。だがさっさと終わらせろって言ってきたから一気にしているんだぞ」
「それ違うだろ!手早く終えるのと雑にやるのとは違うんだよ!少しは合図とかねえのか!」
「そんなこと言ってる暇あったら次行くぞ」
「ちょ、ちょっと待て!まだ話したいことが・・・」
サンダースの喚きは無視し、二度目の水の塊を投下。今度は口を咄嗟に閉じて事なきことを得たが、このしつこく残る喉の違和感が消えない。サンダースにとってこれが大問題で、へばる水を力づくで外に出そうとしたために、今度は喉が痛くなる事案が発生し声が出にくくなっていた。
「耳に入んなかったんだからまだいいぞ。耳は入ったら蒸発するまだ待たないといけない面倒くささがあるからな」
学習したのか、今度は静かになった。と思いきや消えなかった火種がぶり返すように、
「入った場所の問題でもねえんだよ!俺は本気で息詰まったんだよ!それに俺が今、電撃を放てないのをいい事に好き勝手しやがって最低だな!」
こんなところ二度と来るか!と叫んだのはいいが、
「おお、盛大に滑ったな」
何故かその場で一回回って仰向けに転んでいた。やけになって出て行こうとした結果、足を取られたところだろう。起き上がろうと必死にもがくも二度三度こけてまともに立てずじまいに。ここまで災難が続いているとさすがの恵も困り始めて、
「とりあえずお前は落ち着け。すぐに終わらせるから静かにしろ」
真面目にサンダースを静止させるのにかかった。が、相手もそう簡単に穏やかになるなんてない。恵は一度しゃがみサンダースの脚を引っ張って寄せると両手で顔を挟んみ、ただ黒い目玉を見つめた。
「落ち着け」
まだ暴れようとするなら、次は少し声を低く、ゆっくりとした言い方で再び言った。相手は目線を合わせないような動きをしようが恵は一つも動じない。
強気に抵抗する意思があるも、サンダースはただならぬ恐怖を覚えていた。暴力でねじ伏せる威圧みたいなものじゃなく、暗示をかけられているような、絡みついてくる思念を解くことが出来ない怖さがより体を縛り付ける。脚もさっきから滑っていて使えない。そもそも風呂場がこんなにもツルツルなのにおかしいと疑えなかった事も、こう
嵌められたとしか言いようがない状況になって悔しさも一緒に込み上がっていた。
「よし、落ち着いたな」
恵はいきなりサンダースの束縛を解除した。
即座に離れようと、素っ転んで壁に頭を打って我に返ってみると、前触れもこれと言った理由もなく解放されて、逆に違和感しか残らなかった。特に伏することを言ったこともなく、心が折れたこともない。ここで久々に恵の目を真っ向から見ていた。
「済まんな。今のは無理矢理でも黙らせる催眠術みたいなものでな、すぐに使いたくなかったんだが、後続もあるから仕方がなかったんだ」
「お前、超能力を使えるってことか?」
「じゃあ、そんな意味で言ったと思うのか?」
似たようなことをもう一度言われた。今度はもう呆れて何も感情が湧かなかった。むしろさっきよりも冷めた加減が強い気がした。
「なんかもういいや、進めてくれ、勝手にしろ」
急に、さっきまでの威厳を捨てたかのようにサンダースは座り、そのまま伏せてしまった。上目遣いで見ているだけで、もうどうにでもなれとも、聞こえきそうだった。
ためらう暇も無いので大人しくしている内にとっとと作業に取り掛かることにした。
シャワーズとは違い、気を付けないと指を普通に貫通しそうな剛毛なので、皮膚の質を守るような洗い方より、汚れを着実に落として行く方が早い。ごっそりと汚れを落とすのに専念しようと引っ掻くように手櫛で汚れを落とし始めた。
土ボコリとか毛の乱れ具合よりまず目立ったのは酷い油汚れだった。触り心地は脂汗みたいなものではなく、年季が入ったフライパンにこびりついた油みたいな古くささがあって、恵の手は瞬く間に脂ぎった防水加工が施されていた。
「お前どんなところにいたらこんな工業用油だらけになるんだよ」
「知らねえ。半年かそこらは体を洗う機会がなくて、勝手に溜まったんだろ」
「洗わなかっただけでこんな酷くなるか?ちょっと櫛持ってこないと無理だ」
恵は腰を上げて、曇りガラスの扉を開けて外に出た。油を溶かせるような洗剤は、こいつらにとって危険に成りうる可能性があってもどかしくも使えない。更に櫛と言っても洗う時用とそれ以外のものもあり、棚を探してもほとんどが後者のもので、見つけるのに少し時間がかかった。
被ったホコリを落としながら戻って早速再開した。
摩擦が強くて櫛が捕まったように動かない。だからと言って無理に動かせば毛をぶち抜いてややこしいことになる。ここは仕方なくも時間を掛けて丁寧にした方が良い。お湯で出来る限り油を浮かせて取り除いていった。
ある程度背中を終えたら次は首辺り。分かりやすく首輪に締め付けられていた跡が毛の不自然な渦として残っている。これだけ硬い毛の質があってもねじ曲げられるとなれば、それだけ負担が強かったのだろう。その証拠にその周りの筋肉が固い。少しマッサージも交えて入念に綺麗にしていった。これだけ毛をすいた頃には油の赤茶色の塊が姿を現していた。
それを指で洗い流していると、サンダースから声が上がった。
「なんだ、まともに出来るじゃねえか。どうせおおざっぱにガシガシ引っ掻くと思ったけど、なんだかんだで良い感じで意外だったぜ」
そのことを無言で聞いて、恵は少しほっとした。そうか、とだけ答えて頭の方に取り掛かった。
あれ放題だったいが頭もしばらく湯気に晒されてだいぶ柔らかに、それなりに整えることは出来るようになった。胸から腹にかけての部分は思いのほか針毛が少なかった気がする。
細く骨ばった脚もへこんだところは気をつけて油を落とし、このまま順調に終わると思いきや、足の裏の肉球の辺りが最大の問題点だとは見る瞬間まで分からなかった。
土はほぼ落ちたのに、滑り止めになるはずのざらつきが全く感じられない。それどころかむしろ洗ったところで一番滑りが強い。あれだけ滑った理由はこれか、とまじまじと見つめてから指の腹で滑りを取っていった。
「なあ、なんか他に話さねえのか?」
後ろ脚に移ろうとした時にいきなり話しかけてきた。
「退屈か?我慢しろ」
「それはこっちのセリフだぜ。黙々と手を動かしているだけじゃあ飽きるだろ。恵の集中力にケチつける訳じゃねえんだけどさ」
「どうせお前が何か話したいことがあるだけだろ。だったらいきなりそんなこと言わない」
「まあそうなんだよな。どうせさっきの話題になるだろうなって心構えしたのに何も来ねえし、こっちから持ちかけられるような雰囲気も無いし。変なタイミングで話し掛けて余計なもめ事になるのが怖くて」
「で、何が言いたい」
「愚痴ろうと思った。それだけだ。もう体洗いも終わるだろうし、無駄に尺を伸ばしたくねえからよ。機会なんてまだ幾らでもあるんだろ?」
「生憎、自分は学生だからそんなに時間は取れないぞ」
そっか、と会話を締めくくると同時にもう片方に恵の手が移った。
サンダースも前足の感覚が違っているのに気付いた。床のデコボコがはっきりとあって、ほとんど滑りそうな気配が無い。踏ん張らなくても自然に脚が真っ直ぐに立っている。これが恵の実力なのか。嫌々ながら感謝するとともに、恵への畏れ多さがまた一つ増えた。
そうもしないうちに恵の手が脚から離れた。
「とりあえずシャワー掛けして終わりにするんだが、なんかあったら言ってくれ」
あの仕打ちはもうなさそう。心休めるのにどこかで恵がまたしでかすのに期待してしまう。体が心なしか軽やかになった反動みたいに気になっていた。
湯に流されながら体を揉まれていると、物凄い眠気がなだれ混んできた。立ったままだから意識を保てているだけで、座ったままならどこかで熟睡しているだろう。
ここで居眠りをしたら無防備になってしまうし、寝顔とか自分が知らない様子を見られるのはなんか嫌。その思いを頼りに眠気に耐えていると、水が流れている音が止み、手の圧力が一段と増した。さっきの体のラインに沿った手の動きから、体全体を下に押して集めるような変化に戸惑っていると、
「タオル持ってくるからそこで待ってろ」
と言って恵は立ってまた外に出ていった。さっきのは水切りだったようで、扉から戻ってきた恵の手にはさっき見た大きい布を掛けてあった。そのまま布を掛けられると待っていたら、
「ここじゃ濡れっぱなしだから外に出るぞ」
待つんじゃ無いんかい、と言ってしまいそうになってちょっと端っこが出た。気付いて聞かれても何でもない、と誤魔化して深刻にならなかったものの、よく考えたらタオルを持ってくるまで待ってろっていう意味だったのに、変にアホを晒す羽目になりそうだった。
濡れた場所を出ると、入るときには無かったつつくような凍え寒さがあった。上から布に揉まれることはあまりかったので、あの頃と重なって親と一緒にいるような安堵があった。そして、その思い出と連なって、微かにも脳裏に映したくない、言葉にも表したくないものも自然と湧き出て、胸に心の痛みが疼く。
そんな時、ふと思い出した。崖の下でシャワーズが言った、嫌なことは全て吐き出しちゃいなよ、の言葉。軽い言葉が固く閉ざした忌まわしき疼きを重く貫いた。
言えば、軽くなるのか?このしがらみから解放されるというのか?もう仕上げみたいな状況で時間は残ってない。聞いてくれとせがむのなら、
「なあ、やっぱり話を聞いてくれ。どうしても話をしたい、いや、話さなくちゃいけねえことがあるんだ。どうしてもって言うなら全部用事済んで暇になった時に俺に言ってくれ。・・・頼む、お願いだ」
多少後悔しようが関係ない。煮えたぎっているものをぶつける勢いになっていてもサンダースは気に止めていなかった。それぐらいに押してくる衝動が強かった。
いきなりの深刻そうな迫力があっても、恵は動じない。サンダースの問いに率直に答えた。
「じゃあ、どうしても」
それで、と言ってみたい気持ちを抑えていくらか待ってみても、そこで会話が終わってしまった。恵はもういいぞ、とサンダースを布から解放するだけ。意味が分からなくて不安になったサンダースはもう一度聞いてみた。
「どうしてもって何だよ」
「恵は急いでいるけどできるだけ絶対に言わせてくれ。だけど、自分がそんな深刻な思いですらも聞けないほどに忙しくしているのなら、『どうしても』って答えてくれ。ってお前が言ったんだろ?」
「何でそんな聞き方するんだよ!お前漫才のボケやってるんじゃねえんだぞ!いい加減真面目に答えろ!」
背中で受け止めた恵には何も効果はないと痛感しても、自分の口の愚直さが治るとは限らない。その激情を二度も消え失せると今度こそ再起不能になりそうだと、今のサンダースでも分かっていた。
それでも、恵に単純な憎しみを向けることは、どうしても出来なかった。
「ん?今日は妙に静かだな」