湯船にて
湯気の独特な、水の匂いを強くしたような空気がシャワーズの鼻をくすぐった。
荒っぽく固い木を削っているような肌触りが音のごとく体全体に響いている。やっぱり恵君とは全然違うなあと、半ばヒリヒリともう半ばは気持ちいい洗い方から感じていた。
もっとも、このぐらいの力の強さにさせたのは本人からだが、力の強さは見た通りだった。しっかりと踏ん張らない横倒しにされそうな気がするほどに。
カフミも、まんまちゃんというメイドの動きを僅かながらも脳裏に浮かべ、見よう見まねの応対をしている。その中で、今までのイメージとは違うことを、幾つか感じ取っていた。
ズボンをたくし上げ、服を着ながらの作業は思ったほどのしにくさはないが、その保温効果ゆえに熱が中にこもっている上に、そこそこ辛い体制を取り続けているので、水を誤って掛けた訳でもないのに顔はびしょ濡れだった。丁寧に、且つ力強く手を動かすのも追い打ちをかけている。
そんな状態でも、シャワーズちゃんの体に触れ合っていて、カフミは実物として多くの特徴も舐めるよう観察していた。
背ビレ(っぽいもの)は割と肉付が良かったし、その反面胴体は痩せていて骨ばっているところも多く、それに、魚のエラみたいな切れ込みも、顔の横のヒレに隠れるようにあった。そして、何よりも宝石のような、より詳しく言うとトルコ石のような、全体の透明感とツヤが思った以上だった。シャワーズが中途半端に魚っぽくて変だと言うような意見もネットでは時々見かけるが、そういう奴に一回見せたらそんな概念を蹴っ飛ばすんじゃないかと想像を膨らませていた。
「じゃあ、尻尾の方もよろしく」
「かしこまりました」
カフミには気が付かれていなかったが、言った言葉に覚束なさが表れていた。
少しづつこびり付いた泥汚れを落とせば、自分の肌に対して目で分かるぐらいうっとりしそうになっているが、まだまだと感情を真剣なものに塗り替えて、また惚れてを繰り返しながら体を洗っている。剣幕に押されて、なんとなく話そうと思っても口が動かない。お湯で体が温まっているはずなのに、硬くなっている感じが思えるぐらいに空気に飲まれていた。
「脚持ちますよ、っと」
水を浴びてから久しぶりになるカフミの一言が、偶然悩んでいた時と重なり、シャワーズの凝り固まったものを吹き消したように思えて、自然と口を開いていた。
「フミちゃん、話して良い?」
「え?なんか問題でも?良いけど」
やっぱりタイミングが悪かったのか、被害妄想的な反応に。フミちゃんはすぐに手を止める。突っ掛かりが悪かったと反省しつつ、シャワーズは話を始めた。
「恵君について、どう思っているの?」
言い終わった直後に、自分の言葉に違和感が。避けるべきことを聞いてしまって、ヒステリックに混乱してしまうだろうと、シャワーズは心で謝りながら身構えていたが、
「めぐ、か・・・」
しどろもどろすることもなく、ごく普通に、遠くを見ている感じの反応を示していた。
「一言二言じゃあ言い表せないんだけど、良い?」
穏やかに意表を突かれて、キョトンとしていると返事に遅れそうになって、
「・・・あ、うん、大丈夫」
結果的に焦っていた。やっぱり別の意味で聞いたらマズいことなのかな、と不安感が積もる中、カフミは喋り始めた。
「あいつは、田舎者だけど、ネット環境があるウチよりも見識があるし、男のくせに妙に料理も出来るし女子力自体もなかなかだし、誰に対しても偏屈だったり、って今んところはただ愚痴をこぼしたいるようにしか聞こえないけど、はっきり言えば尊敬出来て尊敬出来ない、色々矛盾した感じのはっきりしない変な人って感じ。・・・まあ、屁理屈をいっつもこいている奴って言った方が早いか」
シャワーズちゃん達の方も、当たらずとも遠からずぐらいでそう思っていたんじゃないの?とカフミは付け加えてきた。
ただ、うなずいた。
「ただ、多分だけど、人間と聞いて良い顔しないのは誰でも気付くことが多いと思う。ボサボサした中途半端さの中で唯一はっきりした部分なのか、な?」
「やっぱりなんだ・・・」
「まあ、そうなんだけど・・・、え?そんなに落ち込んで、どうしたん?」
重苦しさを感じさせない、なんでもない風に言ってきた。やっぱり親しい仲だから気の置きなく言えるのかな、フミちゃんって。
「いや・・・」
「もしかすると、めぐから話を聞いたって感じ?」
また、ただうなずいた。
「どれぐらいのところまで聞いたのか知らないけど、めぐの経緯を聞いたら誰でも控え目な態度になるのは分かる。けど、その恭しい感じは正直皮肉にも捉えられることもあるって、聞いたことがあるし・・・」
「そうじゃなくて、私のはその逆なんだよね。ちょっと馴れ馴れしくしちゃって」
「ああ、確かにそういうのは嫌う傾向は・・・、あれ?そんなのあったっけ?動物相手は無いけど・・・」
「私らが人間っぽくて嫌なんだと思うの。そういうのほのめかしていたから、ってだけなんだけどね」
「なるほど・・・、え?」
確かに、いきなり他人から絡まれるといつも避けようとするな、とカフミはそうなんだよね、と相づちを打ちつつ振り返っていた。信じる気もない相手が勝手にこっちに関係を持つのは迷惑だと、本人から直々に愚痴ってきたこともある。簡単な話、人が嫌いなのだ。
しかし、人間以外の生き物(植物も含めて)については見かけによらず自分から触れ合っていることが多い。元々そういう性分だからとしかそのことについては告げていなかったが、なかなかの溺愛っぷりであることは感覚的に分かっていた。
恵が気難しい雰囲気になっている理由は、その狭間で揺れていることも含めているのだろう。
それに、大体は大雑把でも、どうでもいいところで且つ極端に細かいところを気にしてはその場で立ち止まって考える、事件物のドラマの刑事のような癖も持っている。その着眼点の分かりにくさは、先生達をも困らせることもしばしば。
もうそこまで話したのか、あいつ・・・。
ポッと独り言が出てしまった。いや、なんでもないよ、とかき消してから気をとりなおしてまた質問を投げかけた。
「なんでも聞いちゃって悪いけど、人間っぽい、とは?」
「言葉を話す、とか人みたいな行儀?をしたり、他にもいっぱいあるらしいんだけど、はっきりとは分からない」
言われてみれば確かそうだ。普通動物が、ポケモンが人の言葉を話すのはおかしい。ポケダンじゃああるまいし。でも、現実と架空の存在と倒錯して、かえって違和感を感じてない自分もまた変だ。
でも、そうだから便利な面もある。ありがちなご都合主義のようでも受け入れれば割となんとでもなる。
「まあ分からなくもない。けどね、多分神経質なのはめぐだけで、私は別に可愛いかったらなんでも守ってあげたいみたいな気楽な人だから、私の時は気にせずに」
その時、一度放ったら二度と帰って来ることがないが言葉だいうものと察したのと同時に、別のところに気付いた。
うん、今の絶対に気持ち悪いとか思われること言ったな。終わりだ。
しかし、うん、分かった、と純粋な返事が。
反応だけは嬉しい。でも、消すに消しきれない罪悪感は凄くでかい。シャワーズちゃんが何も疑いも無いから良い、な訳が無い。
自身に対して、しかも会ってまだ一時間もしてない相手に優しく接してくれるなんて、お互いに心で残酷なことなのに。そんなの、自分への否定だから止めて、だなんて今言ったらそう返されるかも知れないけど、そう思われた方が楽になれる。
何故か、自分の心境を意味もなく深く掘り下げていた。
長く黙っていたのか、フミちゃん、と気を使う優しいお言葉が耳に入った。
「別に洗うことをわざわざ中断してまでもちゃんと聞かないといけないほど大事な話じゃないから、私事みたいに気楽に、ね」
って言い切っていたけど半分は嘘っぽい気がしなくもない。あんだけ他の子と態度が違うのに急に気楽になれって言うのは、少し無理している気なのかもしれない。本当は恵のことを人から色々聞きたい、知りたいって欲求は強いけど、恵に対していつ地雷を踏み抜くのかが怖い。だからこう控えている。そしてこんな私でさえも。
でも、結局はコッチの対応に問題があるのか。でも程度の調節が難しい。そうこうしているうちに、シャワーズは話の内容を切り替えていた。
「じゃあ、今度はフミちゃんからも聞きたいこと、聞いて良いよ」
「聞きたいこと?そうだね・・・」
いっぱいあるんですけど。そう続けたかった。全部まとめてぶつけたいけど時間も掛かるし、一気に言っても怯えさせるだけになりそう。でも、一つに絞るのもムズイし、だからといって一個一個ちまちま聞いていてもせいぜい聞けるのは二個三個ぐらいだし、と思いに更けっていると、
「あれ?無いの?無理してまで探さなくてもいいと思うんだけど・・・」
何も言わずずっと途切れ途切れに喉を鳴らしているのをシャワーズは見ていて、三回目の息継ぎをした頃に思わず言ってしまった。そして、自身が言った何かにはっとして、目線を逸らしてしまった。しかし、カフミはその本意には気付かず、間をごまかそうとして、そこで最初に思いついたのは、
「いや、いっぱいあってどれから聴こうかなって考えてただけだから」
結局ごまかし云々放り投げた正直な感想だった。どうせ苦笑いされる感じのだろうな、と思っていたら、
「えっ?フミちゃんも同じことを?」
そんなに驚くこと?ってかそこに反応する?ちょっと予想外な応答に、カフミ自身もそこに言葉を投げ掛ける。
「でもさ、シャワーズちゃんはさらっと言ったから、順序立てて話に乗りだしたと思ったんだけど?」
「それは、あまり考えないで言っちゃったの。フミちゃんにも恵君と一緒に寄り添ってきたからこそ聞いちゃいけないことだってあるのに、言ったその時はもう遅いってのにね。分かっているのに、何っていうか、その・・・」
「さっき思ったやつじゃん!」
あまりの共感っぷりに思わず声が出た。シャワーズちゃんも何のことだか分からず目を合わせる。
注目されて、今までの言動を思い出す。今の空気は真剣な話のあれだよね。ってことは、
謝るのが先決。条件反射めいた動きで体を伏せた。
「ごめんなさい!本当は真面目な話を・・・」
と、思えば勢い余ってそこら辺に転がっていた手桶に頭をぶつけた。湿気がこもった風呂場だとその音が嫌味みたいに響き、当たりどころが悪かったのか、カフミは頭を抱えてその先の言葉にならなかったもので唸っていた。
なんとなくギャグマンガを彷彿させるその光景も、その時のシャワーズにとっては、
「・・・はい?」
こうとしか反応出来なかった。
「あの・・・」
「なんでしょうか!」
「とありあえず落ち着いて、ね?」
そこからも、こう言うことしか出来なかった。
やがて、だいぶ落ち着いたのを見計らって、シャワーズは声をかけた。多少、状況を飲み込めても、原因がどうとかは何の理由も無しに勝手に起きたとしか見えない。本心のどこからか、優しめにしてもほんのりと苛立ちが漂う感じになっていた。
「言ったらあれなんだけど、フミちゃんが悪くなることなんかした?」
「だって、ただどうでもいいところで閃いたことがシャワーズちゃんのお言葉から聞けた、ただそれだけのことに他人が真剣な話をしようとしたところでパーッと盛り上がっていたじゃん、完全な無礼講じゃん」
元々の申し訳無さと、さっきの事故も含めてとても暗かった。いつもの鬱な感じとは違っていつか泣きそうな予感を漂わせる震えた声で、シャワーズにとってはまた話しにくい厄介な思いが募っていた。
それでも、喜んでくれそうなツボは大体分かった気がした。それを踏まえて、僅かな嫌悪感さえも忘れ去り、優しく声をかけた。
「それはただの偶然だって思っているけど、私はその気持ちは分かるよ」
えっ?とフミちゃんは顔を上げる。
「驚いちゃったから今言うと変だけど、ただテンションが上がっただけだから、別にどうってことでもないよ」
「えっ?ほんと・・・、じゃなくて、それは誠のことでしょうか?」
失敬、また共感出来る箇所があってどこぞの女子会的なノリになっていた。またしても気持ちが浮きかけていた。またあ、とシャワーズは冗談っぽい形で言葉を続けて、
「だから、そんなにかしこまる必要無いって。そもそも話も大分脱線しちゃったし、まだ聞いていなかったから、良いよ」
なんとか特赦してくださりました。ありがとうございます。
あとはお言葉に甘えて、カフミはすぐに出てきたことをそのまま口にした。
「じゃあ・・・、どこからきたの?」
君は何て言うの?の次ぐらいに初歩的な質問。
しかしこれが、一番の地雷だったことに誰が想像出来ただろうか。