体の能力と心の強さは必ずしも表裏一体とならないもの
夜の暗さも本格的になる頃、何やら気合いの儀式、となるものが始まった。
結局富美子、改めフミちゃんは恵との話し合いの末、なんとか役割を与えて貰った。タオルを持ってきたり、その他必要なものを持ってきたりと、殆ど雑用みたいなことしかしないというのに、きちんとお辞儀までしたのだ。精神の回復も異常な早さで、今は家の壁の前で謎の精神統一をしている。
そんなに仕事できるのが嬉しい?ポケモン達にとってはたかがだが、フミちゃんには尋常ならない思いがあるとのこと。ふとグレイシアが言葉に出そうとしたところをエーフィが慌てて止めた。
それにしても、本当にこれでも人間の女性なのか?眉毛が濃くいかつい顔、恵より高い身長、丸太のような太い腕ともも、肩幅が広くガタイが良いと言うか、いかにも安定感があって頑丈そうな体格、更に低く重い声。体だけみれば、言われた通り加減を間違っただけで握り潰されそうな様子だった。
威圧を放つ巨体が静かな一連の動作を繰り返していると、どこか神秘的に見える。
六回目だったか、精密そうな雰囲気が漂う深呼吸で、体の空気を吐き切ったと思うと、この地面を鋭利に切り裂くようなキレのある雄叫びのような掛け声が、半径二メートルぐらいのところにいるのは確実にひっくり返す勢いで放たれた。
そして、連動して、真っ直ぐに握り拳を壁に向けて、間の空気を圧し折るオーラも持って、一瞬のブレも無く突き出した。その拳は、しばらく微動だにしなかった。
二つ呼吸を置いた後、そのオーラを解くようにもう一度深く息を吸い込むと、ゆっくりと拳を下げると同時に、吸い込んだものを動きに合わせてゆっくりと吐き出した。
驚きはしたも、そこからどう反応すればいいか分からなかった。恵とは違う意味で、謎が多過ぎる。
「相変わらず、人間の型に入らない人間だな・・・」
サンダースが気付かれないようにつぶやく。そう言うのが精いっぱいだった。
そして、フミちゃんは終わったのか、中の空気を抜いている風船みたいに体の力を抜いた。
「カフミー、まだか?」
見計らったように部屋の奥の方から恵の声がした。
「今行く」
フミちゃんも張り切った返事をしたが、
「もう全部やる事終わったぞ」
えっ。
さっきの声より少し大きく反射した感じで素直な反応が漏れた。しばらくその場固まっていたが、やがてしゃがみこみ、またあの鬱な霧が漂い始めた。
一体何の為に。そんな感じの言葉を何度も心で輪唱している。そしてやはり気にしない恵は分厚い布を持って移動している。一度ちらっと見えたら、姿はもうなかった。
恵のことにため息をつきながらも、シャワーズはニンフィアも誘ってフミちゃんを慰めに行った。扱いずらいナイーブな人間だと心の隅に置いてはいるが、それでも可哀そうだし、そういう使命感みたいなものも少しあった。
「別にそんなに落ち込まないでもいいじゃん」
「あ、大丈夫。もともとこういう人だから」
愛想笑いのつもりでも、どうしてもぎこちない。でも、とシャワーズが続ける。
「元気出そうよ。こっちまで暗くなりそうだし」
「ありがとね。でも、こうやって迷惑を掛けている存在が邪魔じゃないの?それに私は・・・」
突然、ニンフィアが喉を鳴らしてフミちゃんの言葉を遮り、何も言わず暗い顔を強く見始めた。
何のつもりか、ニンフィアが口を一文字に結び、フミちゃんの顔を睨み付けるだけ。シャワーズは言葉を挟みたかったが、この無表情に剣幕がありそうに見えて、そう出来なかった。フミちゃんは目を合わせないように少し頭を下げていたが、長くなりそうだなあ、とシャワーズが座った時、切り替えの意味の目を閉じて、応えたように顔を上げた。
「私も、しっかり気を持て、ってことね。分かった。いつまでもクヨクヨしててもなんにも始まらないし。何度も同じことばっかり言っててすまないけど、ありがとね」
今度の笑顔は、自然な笑みだった。すっと立ち上がって、背伸びをしたところは、少し恵に似ているように見えた。
「じゃ、もう一発聞いてみるか。諦めたらそこで試合終了ですよ、ってあるし。・・・ちと違うか」
そんなことわざあったっけ?と思ったが、心で復唱すると、意味はなんとなく分かったので、深く気にならなかった。
頑張ってね、と言ったらこれでもかと嬉しそうな顔を、フミちゃんは見せてくれた。もう気分も良くなっただろう。両頬を平手で打って気を引き締めると、フミちゃんは靴を雑に脱いでいった。
上手くいくといいなと心から見送ると、シャワーズは思った疑問を口に出した。
「ねえ、ニンフィア。今のは何?叱り方が上手いっていうか、どう言ったらいいのか分からないけど、凄かったね。悪い意味じゃないけど、なんか違うなって」
「そうじゃないの、なんて言おうかな、ってずっと黙っていただけなんだけど・・・」
違う角度から飛び込んできた言葉に、そうなの?と驚いた。でも、ウン、とか唸っていたじゃん、と聞くと、
「それは、ちょっとむせちゃったの。そうしたらなんか注目されちゃって、どうごまかそう、って悩んで」
あ、まぐれだったんだ。なんて呆れた感じの気持ちにはせずに、シャワーズは納得した。
また恵の声がした。シャワーズを呼んでいるようだ。
じゃあね、と言い残して、窓のサッシの元に行ってしまった。そのまま、恵に抱き上げられると姿は見えなくなった。
話が無くなると、今まで潜めていた眠気が今になって表に出て来た。そこまで多くない残り体力も足を引っ張って、すっかり視界もボケている。勝ち目はないようだ。そうどこかで思うとあっという間に意識が重力の底に引きずられて行った。
しかし、そのごく一秒もない後、
「一匹足りねえぞ」
そんな声が、カフミの心の天気を晴天からゲリラ豪雨直前の状態にした。
リーフィアは半分くらいを土に埋めている。埋まってと言うより植わっていると言った方が正しい。
「ほんと何がしたいんだこいつ」
めぐの反応がこれだけで済んで良かったと、カフミは息切れした後の最後の深呼吸をした。
めぐの目にはごまかしが利かず速攻でバレてしまったが、まだ盗み食いみたいに見られてないのが不幸中の幸いだろう。
食物の恨みに関して、めぐは人一倍、いや十倍強い。
前に、誰かがめぐのものを間違って食べた事件があって、そのアテがカフミに来たことがあった。あの富美子になんとかしてくれそうだと、立場も相まってそんな独特な問題の解決法がある。よくあることだったので、その時は恵なんだと思ったぐらいだった。
でもって会ってみると、中々の殺気があった。中々の殺気と言っても、そこら辺のヤンキーがキレたのとは違う、ねたむような感じだった。軽く話し掛けようと側に寄ったが、
盗んだのは本当か?
声は同じだったが、いつも冷静な人間が奥に怒りをたたえてゆっくり迫るようで、まるで別人だった。多少ケンカ云々で慣れていたが、この無表情な感じの恐怖には後退りした。今でもはっきりと覚えている。本当に怖かった。
その後あっけなく誤解は解けて、センベイ一枚分に代わるものをカフミがおごってあげて事は済んだが、恵の食べ物に対する想いは、数人ほどの犠牲が出ると見た。
これを期に、恵もまた周りから敬遠される人物となった。弁当とかにイタズラするなんて冗談でもするな、あの“ラオウ”でも太刀打ち出来ないのに目を付けられたらこの世の終わりだと思え。こんなどこからか湧いてきたのか分からない教訓みたいなものもついでに出来た。
まず恵自体が“あの時”以外で怒りとかの感情にならない。そういう意味なら、どこかしらの天変地異と変わりないことなのだろう。
ただ、これから先も気を抜くことが出来ないのは一緒だった。
恵はしゃがみ込み、植わっている耳に懐中電灯の明かりを当てて、何かうなっている。不思議そうにエーフィが覗きこもうと、戻ってきたシャワーズが頭の上に乗っかろうと、とにかく不動にじっと見ている。
しかし、ん?と首をかしげると、
「どうしてこうしているかって分かるか?」
視線はそのまま、多分聞く名前も言わなかったので全体に問いかけたのだろう。カフミが前に出た。
「リーフィアが・・・、え?やっぱ分かんない。他に分かる子はいない?」
カフミがポケモン達にも聞いたが、首を横に振るばかり。
「ただ、もう寝ちゃっているわね。でも、息はしていないのに、苦しそうって気持ちは無いわ」
「なあ」
エーフィの唯一の言葉に何か気付いたのか、咄嗟に聞いて来た。
「何か用?」
「こいつの葉って本物か?」
「本物に決まっているじゃない」
意外な反応に期待があったものの、つまらないことを聞いてきて、更に舌打ちを返されて、怒らないはずがない。エーフィはそっぽ向いて離れて行ってしまった。
「植物、か・・・」
しゃがみ込みの体勢がきつくなり、地べたに座って頬杖をついた。何か物凄く悩んではいるようだが、エーフィがいないので内容はよく分からない。あぐらを組んでそのまま黙り込むと思ったら、
「カフミ、この青い奴洗っておいてくれるか?」
「だからシャワーズ、ってえ?」
いきなりこんなことを言い出した。思わずシャワーズもカフミと一度目を合わせる。
「じゃあ恵君は?」
「ちょっと考え事している」
これだけだ。本当に動く気配は無い。まだ一緒に居座っていると、
「なんかあったらそいつに聞けばいいだけだろ。洗剤使うとかしなければ大体は平気だし、あとは怪我負っている奴は黄色いのと、良く分かんない奴だけは後にしてくれ」
カフミ達がうっとうしいのか淡々と指示を出した。雑な物言いが鼻に付くが、カフミはまた別の理由で気まずかった。
「・・・マジで洗う時に洗剤使おうと考えてたんだけどさ、めぐは大丈夫だと思う?」
「一回間違えたら記憶されるものだし、こいつの反応を見ながら行動すれば問題っていう問題はそう起きないぞ。あと、こいつの知識が無かった自分でも、何も体調の異変は確認出来なかったし、余程のことが無ければ平気だと思う」
多分かなり適切な対応の仕方を言ったと思うが、カフミを始め、凡人にはただの訳の分からない数学の難問のようにしか聞こえなかった。
そしてまた恵は動かなくなった。
本当に大丈夫かな。カフミとシャワーズはお互いに不安な眼差しを向けていた。
でも、恵の考えの中心が白牌に移っていたこと、そして、リーフィアが勝手に生やした緑の秘密基地的な何かが消えていたのも、誰も気付けなかった。
「だって可愛くて、私なんかが触ったら汚れそうだし・・・」
慎重というより、それ過保護じゃないの?
今、そんなカフミとシャワーズが風呂場へどう行くか話しているが、時々話題が逸れたりしてあまり進んで無い。そのままシャワーズを歩かせるのは土足のままで部屋に上がるのと同じだと言われ、じゃあその車輪が付いたベットとかは?と聞いてもこれ以上汚したくないようで駄目だった。
話すほどの事の大きさなのかな、とシャワーズも思い始めてきた。庭と部屋の中の段差に腰を掛けているカフミは、その思いに反して複雑そうな顔をしている。
「私も泥だらけだから、そんな変わらないと思うよ」
「しっかし、こんなしょうもない人間に体預けて、いい気分になれないんじゃない?」
うーん、否定は出来ない。でも、違うと思った。
「それだからって嫌がるのも、私はどうかと思う」
「そうなるか。でも、シャワーズちゃん自身の意見っていうのもあるよね」
と言われても、特に求めたいものも無い。あっても痛くしないで、ぐらいだし、まあ、
「頭の上かな。一番安定してそうだし」
これぐらいだね、とシャワーズはフミちゃんの頭の上を見る。
「えっ、それって・・・、そのまま乗っかるんだよね・・・。結構密着度が高いような」
何か言ったってことでも無いのにモジモジして、なんで恥ずかしがる?と思うと、また気を引き締めるようにフミちゃんはほっぺたをひっぱたいた。
「じゃあ質問を変えるけど、めぐ、あ、恵君のことなんだけど、一度体を洗った時って、どんな風に持ち運んだの?」
その時はまだ違うんだよね。一度考えを作り直す。なんて言うか、その、
「お、お姫様抱っこみたいな・・・」
なんかのスイッチが入ったよね。何かを想像しながら顔がみるみる恐ろしくなっていく。これってまずいパターンじゃ、と案じた矢先、
「ちょっと恵のことぶっ飛ばしてくるわ」
「止めて止めて!」
やっぱりそうなった。なんか上手い言葉無いかなあ、と悩む間もカフミは言葉を並べていく。
「あははー、とかめぐが勝手に喜んでやってたんだろ?そんなんセクハラしてると同じだよ?」
いやまずあははーって何?かなりお怒りの様子だけど笑いそうになったじゃん。冗談で脅しているのではなく、割と本気で腹を立てている相手の顔を見て気を戻した。
「でも、暴力はダメ!」
これが無難だね。色々突っ込みどころも多い相手だけど、それは冷めてからにしよっか。
って考える前に言ったそばから落ち着きを取り戻している。相変わらず早いね。あれ?もしかして、マイナスまで傾いちゃって感じ?
「そうだよね・・・、こういう暴力的なクソみたいな最低な奴なのに、シャワーズちゃんは平気なの?」
そうなった。でも、自覚していても変えないのは、根本的に変えられないのでただ言っても変わらないもの。少し説教くさい感じでシャワーズは言葉を紡ぐ。
「ひとまず、恵君はそんなおおげさなな感じじゃない。まあ、多少暴走気味でも、止めれば良いだけだよ。もうちょっと気楽になろう、ね」
動きやすいものは止めやすい。そんな簡単な物理法則を、フミちゃんに当てはめて、問題性は見掛けに反して低い、と考えた。
「そう眩しい笑顔で言われても、なんて言うか、余計陰が目立ってくる感じがして・・・」
うーん、なんかのコンプレックスでもあるのかな?もう一押しすれば、いや、もう突っ切ろう。
ちょっと強引にシャワーズは進めた。
「じゃあとりあえず、背中貸して。そんなにめげてても良くないよって」
きつかった?無視された、みたいな反応がないか心配したが、
「そう・・・だね。って背中貸すってどうするの?」
なんとか調子を取り戻したようだった。
「あ、じゃあ背中を私に向けて」
靴を脱ぎ捨て、こう?と向けられた幅が広く灰色の壁は、恵とは全然違う。頼りがいがある、と言うより押し倒すような威圧があった。
「そのまま私が乗るから・・・」
「おっしゃ来いや!」
「ちょ・・・」
ちょっと鬱気味なほのぼの会話からいきなり語尾を上げた感じの一喝。心臓が止まるかと思った。寝ていた仲間も起きてしまう始末。何事?とかなり目立ったけど、心の会話で説明して変な空気はもみ消すことは出来た。
「あの、今から熱湯掛けるとかじゃないんだよ」
何でだろう。真面目なのは分かるんだけど、どうも力み過ぎなんだよね。それが本人のスタンスってのもあるけど、ちょっと迷惑がっている仲間もいるから、と、それが後に自身の心の傷にならないか不安に思った。
「ごめん。遠慮せずに、シャワーズちゃんの好きなように扱いくださいませ」
丁寧なんだけど物凄い違和感が・・・。単純に人間の下に付いていただけなんだけどね。他のギャップも少々だけど。
「じゃ」
まだ思うことがあったが、切りがないと振り払うと、シャワーズは右前足をカフミの右肩に掛けた。後はさっきの塩梅で体を頭の上に乗せ、肩を掴むと、
「立って良いよ」
負担が大きいのか、とたんに鼻息が荒くなった。ぐらつきながらも、床との距離が遠くなっていく。
とか下を見ていたら、シャワーズの頭に突然衝撃が走った。しかも鈍い音付きで。
地味な音量でも、カフミはおおげさに反応する。身をすぐに屈めて、ヘルメットを取るようにシャワーズを抱き上げると、
「ごめん!大丈夫?怪我は無い?ヒレとかは曲がってない?痛いところある?」
機関銃のように言葉を息継ぎ無くシャワーズに浴びせた。
恵君と正反対な神経質だね、これ。
今の掴んでいる腕の方がむしろ痛いし、顔の距離も近い。
「まあ、大丈夫だよ」
「まあって、無理してな・・・」
「なんでもないよ」
抜け目がないんだかあるんだか。ここは恵君とどこか似ているように見えた。
今度はせっかちで面倒って感じだね。
またカフミが落ち込むも、長くなるからとまた諭して、そしてややあって今度は腕に抱かれる形になった。が、シャワーズは少し堅い顔をしている。
「固くない?」
なんとなく言葉になった。むっちりとした見え方に似合わず、筋肉質で固い。恵に抱き上げられるとは違う持ち方なのかもあるが、それでも割り切れない固さがあった。
「・・・元々こういう腕でして」
「鍛えているの?」
「武道色々と筋トレとまあ、ちょっとかじっているぐらいだけど」
「やっぱり・・・、いやなんでもない」
男意識している?と言いそうだったが失言だと思い伏せておいた。
そして、ようやくカフミは風呂場に向けて足を進めた。
話が始まってからここまでおよそ二十分。シャワーズまで乗っちゃって、とにかく話しているばっかり。全くのグダグダだった。
本当に大丈夫か?
カフミことフミちゃんもまた、ブラックリスト入りになりそうな勢いだった。